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2 魔王と皇后

 〜憩休殿〜


 魔王ジランは、壁に映し出された世界地図を見つめていた。

 魔王配下の親衛隊第四部隊総督、魔女シレンサの魔法である。

 憩休殿は地下後宮での魔王の居所である。地下後宮の真上、地上にある魔王城は普段は使用されず、政務は憩休殿で行うことが多い。

 魔王が魔王城に現れる時は非常事態であり、今はその時ではない。


「陛下がお望みのトボルソ王国はこの辺りです」


 年老いた醜い魔女が床に置かれた水晶玉に手をかざすと、魔王が見つめる地図の上に点が灯った。

 魔王の側近の一人である。魔女シレンサは強い魔力を持ち、経験と知識が豊富だ。床の上に座らせているのは、本人がその方が楽だからと言うためだ。

 背骨が歪曲し、ただ座っているだけでも額づいているかのように見える。


「ふむ……我が城から、それほど遠くはないな」

「はい。ペガサスであれば1日で行ける場所です。間に別の人族の国がありますが、半ばまでは魔王領です」


 ペガサスは天馬と呼ばれる翼を持った馬で、3日もあれば世界を一周できる飛行速度を誇る。ペガサスで1日かかるのであれば、決して近くはない。あくまでも、魔王基準で語ればそうなるということに過ぎない。


 魔王が普段生活の場としている憩休殿があるのは、地下後宮の中である。憩休殿の真上にある魔王城には、転移の魔法陣で時間をかけずに行き来できる。

 地下後宮といっても、海抜8000メートルの高地にあり、生物が生きるための環境は魔法で整えられている。


 魔王城は地上20000メートルもの山脈地帯の剣ヶ峰にあり、普通の人間ではそもそも到達することもできない。魔王城周辺の魔王領は、15000メートル級の山々が連なる世界の屋根と呼ばれる不毛の土地である。


 魔王領とは、環境が過酷すぎて魔物しか住むことができない場所でもある。

 半ばまで魔王領だというのは、トボルソ王国までの距離のうち、山脈地帯が半分あるという意味だ。


「領土の広さはいかほどか?」

「陛下がご覧になっている範囲でございます」

「なに?」


 魔王は、世界地図に示された赤い点を見つめた。

 ただの点かと思っていたが、よく見ると、のたうつトカゲのような形をしている。

 この世界での国境線はほとんどが川であり、山の尾根だ。周囲の国から、地形的に盛り上がっているように見える。一つの町が、そのまま国家になったような印象を受ける。


「ふむ。小さいな。朕は人族の国のことは詳しくないが、人族の国とはこういうものか?」

「これが、トボルソ王国のかつての領土です。当時は、別の名でよばれていました」


 小さな赤い点が、何十倍にも広がる。現在のトボルソ王国を起点にして、大陸の東部全域を占めている。現在の魔王領にも接している。

 つまり、大陸東部の人族が居住可能な全区域がトボルソ王国の領土だったのだ。


「ああ……名前が変わったのか。どおりで、朕が知らぬわけだ。当時は、我が領土に匹敵するだけの国であったということか」


 魔王領は、大陸の半中央部を締める。大陸の中央に、魔族と魔物以外には生息できない険しい山脈地帯が広がっているからだ。

 魔王領そのものは大陸の中央を占めているだけだが、魔王に連なる者たちが治める親魔王国が各地にあり、魔王の影響力は全世界に及ぶ。


 親魔王国の領土は、広大な砂漠地帯や熱帯の森林地帯で、やはり生物が生息するのには適さない地域だ。

 他にも、魔王に従わない強力な魔物が治める地域があり、魔王と対立している。

 人族にとって幸運なのは、魔王にとって人族はそれほど関心の高い存在ではないことだ。


「当時は帝国と呼ばれていましたが、内乱で領土は割れ、現在では建国の一族を中心に、人族の王国で最も古く、伝統のみで生かされている国でございます」


「ああ。思い出した。広大な平原地帯を支配していた人族の帝国があったな。魔物を抑えるために朕も軍を率いて協力したが、狩った魔物の数倍の人族のぎせいが出たはずだ。朕を指示する者たちと敵対する者たちが対立し、内乱が起きたのだったな。隣接しているとはいえ、人族の国のことはわからないものだ。人族の国が朕の脅威になることはない」


「仕方ございません。人族がどれほど力をつけようと、この魔王城に辿り着くことはできないでしょう。人族が支配する土地というのは、すでに強力な魔物が討伐された土地です。陛下が気にかけることはないでしょうから」

「うむ。強大だった人族の帝国が、朕のために小国になり下がったのだな」


 魔王が意図したことではない。人族の国内部のことで、人族が勝手に分裂したのだともいえる。

 それでも、魔王としては複雑な心境になった。魔女シレンサは、そうは解釈しなかった。


「では、自らが落ちぶれた原因である陛下に、トボルソ王国は第一王女を側室として差し出したことになりますな。まだ子も産めないというのに、一晩中おもちゃにされた俗女は、さぞかし泣き喚いたことでしょう」


 魔女シレンサは、おひょひょひょと笑った。

 魔王が睨むと、シレンサは顔を引きつらせて押し黙った。

 魔王は、まだ幼すぎるブリジアに触れていない。触れたのは、身代わりの侍女たちだ。

 あえて、魔王は言わなかった。


 正式な妃以外の女性と関係を持つことは、本来禁忌である。関係を持った女性は、妃として遇されなければならないからだ。

 魔王が秘密にしたのは、侍女たちを妃にすることを拒んだからではない。

 他の妃に知られると、二度と羽目を外せなくなる。それを恐れる程度には、魔王は楽しんだのだ。


「ベルジュはおるか?」


 魔王ジランが声を張り上げると、執務室の床の一部が持ち上がった。


「ここに」

「トボルソ王国に軍を送れ」

「人族の小国程度であれば、軍でなくとも私が滅ぼしてご覧に入れます」


 ベルジュは、真っ青な顔の色に艶やかな唇が不気味な、女性型の吸血鬼だ。

 魔王親衛隊第3部隊の総督である。


「愚か者。人族の小国程度、朕が滅ぼす必要はあるまい。周辺諸国との関係を調べ、防衛に必要な兵力を送るのだ」

「トボルソ王国を護衛せよと仰せですか?」

「うむ」

「承知いたしました」


 承諾の返事をしてから、ベルジュは再び床板を自分の上に戻そうとした。


「これっ! ベルジュ総督、陛下の命に逆らうのかえ?」


 声を荒げた小さな塊を、魔王は制した。


「まだ地上は昼間だ。ベルジュの活動時間ではない。活動時間まで休ませねば、十分な働きはできまい」

「おひょひょひょ。さすがは陛下でございます。それにしても、昨晩もお泊りになったばかりでございましょう。まだ若輩の幼子にすぎないと存じますが、トボルソ王国の第一王女、よほど陛下のお気に召したようでございますな」


「地下後宮の半分は人族だが、王家を継ぐべき正式な王族が入内したのは初めてだ。それほどまでに、トボルソ王国は追い詰められているのだろう。誠意には誠意を、敵意には滅びを与えることこそ覇道である」

「さすがは陛下、まさに英断でございます」


 何度目かの言葉を繰り返し、シレンサはただでさえ小さく縮こまった体を、床に押し付けるように平伏した。

 魔女シレンサの背後に、白く簡素な服を着た、節くれだった人影が表れた。


「バブル総督、何用か?」


 魔王が声をかけたのは、魔王親衛隊第二部隊の総督、ハーフノームのバブルである。

 バブルが膝をついて報告した。


「皇后様がお見えになってございます」

「おひょひょひょ。では、私はこれにて失礼いたします」


 魔女シレンサは、床の中に沈むかのように姿を消した。

 ハーフノームのバブルが下がり、代わりに金色の肌を持つ魔族の美女、デジィ皇后が姿を見せた。

 非常に整った顔立ちで、化粧せずとも肌が金色に輝いている他は、人族とあまり変わらない。だが、デジィは魔王ジランに比肩する生粋の魔族である。


 デジィの気分次第で、目の周囲や頬が七色に輝くことがある。

 広い地下後宮の妃に、純粋な魔族は皇后のデジィだけだ。


「皇后、執務中である。何用か?」

「あら。妻が夫に会いに来るのに、理由が必要ですの?」


 魔王は、仕事中であることを示すために、壁に映し出された世界地図を見せようとした。

 だが、魔女シレンサの退出と同時に消えている。

 壁を示そうとした手を虚しく開閉させ、魔王は言った。


「その理屈では、後宮中の妃がひっきりなしに朕のところに押し寄せることになろう」


 金色の肌を持つデジィは、普段まとう衣も輝くものに限定している。

 ゆったりとした長襦袢のような服は、緑色の光沢を放っていた。


「側室は、妻ではありませんでしょう。妻と名乗っていいのは、皇后である妾を置いてほかにおりません」

「ふむ。『嫁』ならどうだ?」

「同じことです」


 魔王は言いながら、含み笑いをしていた。


「陛下、何がおかしいのです?」

「『魔王様の嫁でございまちゅ』」

「はっ?」


 デジィ皇后は体毛も金色のため、あえて描いてある眉を逆立てた。もちろん髪も金色で、デジィの髪で施した刺繡はどんな金糸よりも鮮やかだという。

 怒ったのではなく、魔王が何を言ったのかわからなかったのだ。


「いや。先日、そう言った妃がいた」

「世間知らずなのでしょうか? それとも、私の地位を脅かす自信があるのでしょうか」

「まだ、8歳の人族の小娘だ」


「……では、ブリジア俗女ですね。来奇殿のコマニャスによく言っておきます」

「いや。構うまい。地下後宮に一人しかいない魔族の女が皇后であり、朕と同様、寿命を持たぬことはすぐに知ることになろう。その地位を本気で脅かそうと考えているわけではあるまい」

「庇うのですね。陛下、その娘が気に入りましたか?」


 デジィは穏やかに笑っていたが、笑みが妙にぎこちなかった。


「人族の国ではあるが、王位を継承する権利を持ちながら、朕の側室になることを希望したのだ。よほどの覚悟で来たのだろう。まだ地下後宮になじんでもおるまい。少し様子を見てはどうだ」

「ええ。ようございましょう。魔王とは思えぬ、お優しさですわね」


「妃に優しくあることは、間違っているか?」

「いえ。ただ……普段からそのお優しさを人族らに示せば、世界の統治はもっと楽に進んだのではありませんか?」

「世界の統治は、人族の統治ではない。朕に従わぬ魔物たちを支配するのに、人族らにも協力させねば、特に人族はつけあがる。何より、後宮の者は、政治には口出しできぬ。そう取り決めたではないか」


 デジィが腰を折る。実に優雅で美しい所作に、肌が反射した光が踊る。


「失言でございました。ただ、広い世界に向けるお顔と後宮でのお顔が、あまりにも違いましたので」


 皇后デジィは穏やかに笑う。魔王は大きな机に戻り、腰掛けた。


「さあ、朕はこれから、世界中から寄せられる奏上に目を通さねばならん。皇后も後宮の管理で忙しかろう」

「では、これにて失礼いたします。新しく入った人族の俗女をお気に召したようなので、いかほど骨抜きにされているか、確かめたかったのです」

「結果は?」

「鏡をご覧ください」


 皇后は言うと、光を乱反射させながら身を翻した。

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