16 罪人庁の囚人
若干の残酷描写があります。
苦手な方はご注意ください。
〜地下後宮、罪人庁〜
俗女から傑女に昇格したブリジアは、侍女レガモンとテティを伴って罪人庁を訪れた。
「ここは、妃の方がお見えになる場所ではございません」
醜いハーフノームが恭しく腰を折った。
ノームではなくハーフノームが働いているのは、純粋なノームは子を成すこともできるが、多種族との子であるハーフノームは生殖能力がないためだ。
ノーム自身はやせ細った餓鬼のような体をしており、耳と鼻が細長く突き出ている。
決して美しい種族ではない。体は小さく、成人になってもブリジアよりも頭一つ小さい。
だがハーフノームは、醜い特徴を残したまま身長を引き伸ばしたような姿をしている者が多く、地下後宮では最も汚れた仕事に就いている。
魔王親衛隊第二部隊に所属し、総督のバブルは醜い容姿ながら魔王ジランの側近の一人だ。
「陛下から許可は得ています。ですが、どうしても入りたいというわけではありません。入れないのなら帰ります。陛下には、あなたが通さなかったと伝えておきます」
ブリジア傑女が背を向けると、ハーフノームは慌てて這いつくばった。
「お待ちください。お入りになるのを拒否したのではございません。魔王陛下の口添えでしたら、お好きな罪人を殺していただいて構いません」
ブリジアは、向けた背中越しに、這いつくばるハーフノームを覗き見た。
「……どうすればいいの?」
目の前に控えているレガモンに囁いた。
魔王はブリジアに罪人庁を訪ねるよう勧めたが、行かなければならないものでもない。
足を運んだのは、侍女レガモンが主張したからなのだ。
「ブリジア様、お帰りになってはいけません。魔王陛下の言葉をお聞きになったでしょう。囚われているのが何者か、確認する必要があります」
「確認してどうするのですか? ブリジア様、疑われることはなさいませんよう」
テティが囁いた。レガモンだけでなくテティを連れてきたのは、ブリジアにとって最も気の置けない侍女がテティであるからだ。
「囚われているのが、私が知っている方だとは限らないわ。そうでしょう?」
ブリジアが見上げると、レガモンは小さく頷いた。
振り返り、まだ這いつくばっていたハーフノームに告げた。
「陛下から、珍しい人族を捕まえたから、見物するように勧められたのです。男でも女でもないとか……案内を頼めますか?」
「ははっ。それでしたら、心当たりがございます」
ハーフノームが頷き、体を起こした。
※
侍女レガモンとテティを連れ、ハーフノームに先導されながら、ブリジア傑女は罪人庁の中を進んだ。
魔王が治める地下後宮である。罪人に対して容赦はなく、収監されているだけで拷問に匹敵するのだと、認めざるを得なかった。
収監されている多くは人族で、ブリジアが通るのを見つけると、助けを求めてきた。
ある者は生皮を剥がされたまま生かされ、あるものは頭部を腹部にめり込まされ、あるものは回復薬の中に浸かりながら、ネズミの群に体を食われ続けていた。
「……趣味が悪いです。陛下は、どうしてこんな場所を勧めたのでしょうか?」
テティが、口元を抑えながら言った。
「魔王陛下なのよ。ブリジア様にとって、おもしろい場所だと思っているのよ」
レガモンが吐き捨てるように言う。
ブリジアは首を振った。
「今の言葉、誰にも聞かれないで。陛下を非難しているように聞こえるわ。陛下が私にここに来るよう言ったのは……たぶん、警告よ。魔王陛下を裏切ればどうなるか、見せたかったのだわ」
ブリジアは気分の悪さから、喉から出てくる声が自分のものではないように感じていた。
「こちらです。肉切りの刑を受け続けておりますので、まともに話せるかわかりませんが、死にはしません。死ねない呪いをかけられていますので」
「収監するだけでなく、苦しめるのね」
ブリジアが問うと、ハーフノームは頷いた。
「檻の中にただいるだけなら、単なる怠け者です。私もそんな檻なら、入っていたいものです」
「……そう。じっくり見たいわ。レガモン」
「はい」
侍女レガモンが地下後宮で流通している銀貨を渡すと、ハーフノームは恭しく受け取った。
通貨は人族の文化だが、現在では亜人のみならず魔族や魔物にも広まっていた。
ハーフノームは銀貨を手に、散歩にでも行くかのようにふらりと立ち去った。
ブリジアは、ハーフノームの姿が消えるのを待ち、案内された檻の鉄格子に近づいた。
ハーフノームは、肉切りの刑を受けていると言っていた。
檻の中で、真っ赤に染まった肉の塊のようなものが倒れていた。
人の形に見える。
だが、手足は短い。
短いのも当然だ。
天井から、巨大な刃物が落ちてきた。
床に倒れた人型の右手にあたる場所を、ちょうど1センチ、切り落とした。
血が吹き出る。
倒れていた人型が絶叫した。
檻の近くに立っていたブリジアの頬に、血しぶきが飛んだ。
ブリジアは動かなかった。
恐ろしかった。
気味が悪かった。
だがそれ以上に、衝撃だった。
ブリジアは、それが数日前に会いにきた、トボルソ王国ナイレシア公爵家の嫡男アイレだと理解していた。
後宮に入るために、生殖器を失ったと言っていた。
だから、魔王は男でも女でもない、珍しい人族だと言ったのだ。
魔王が本気でそう思ったとしても不思議ではない。
魔王は後宮に多くの人族の妃を持つが、人族の男とはほぼ接触がない。
「……アイレ様」
ブリジアは呟いた。
檻の中でのたうっていた肉の塊が、びくりと反応した。
体を起こした。
両手の手首から先が、両足の足首から先が、失われていた。
真っ赤に染まった床の上に、輪切りにされた肉片が転がっている。
輪切りにされた肉片をつなぎあわせれば、手と足の形になるのだろう。
肉切りの刑とは、徐々に肉を切り刻んで行く刑罰なのだ。
自らも真っ赤に染まり、苦しみのたうったためか人相も変わり果てていた。
だが、ブリジアに会いにきた元婚約者であることに間違いはなかった。
「ブリ……ジア……」
「はい」
ブリジアに向けられた視線は、険しく、凄惨なものだった。
だが、ブリジアに向けられた悪意のためではない。
ブリジアは、檻の側に立ったまま動かなかった。
「どうして、こんなことに……」
「ブリジア」
アイレは、手首から先がない右手をブリジアに伸ばした。
ブリジアは逃げなかった。
逃げてはいけないのだと感じた。
「ブリジア様、この者とは他人です。そろそろ」
「テティ、お黙り。ブリジア様は、見届けなければならない。ご自分が、何に挑もうとしているのか」
ブリジアを下がらせようとするテティを、侍女レガモンが止める。
鉄格子の隙間から、肉の断面がはっきりと見える、切断された手が近づいてきた。
すでに血が止まっている。檻の中では、刑罰が執行されている。簡単には死なせてもらえない。
ブリジアは、赤い腕が自分の髪に触れるのを黙って受け入れた。
髪留めがある場所だと、ブリジアは悟った。
「うん……これでいい。君が望めば、勇者は君を妻に迎えるだろう。幸せにおなり」
アイレは笑った。直後に、左足の肉が1センチそぎ落とされた。
「どうすれば、あなたを助けられるの?」
「私はもう、助からない。もう来てはいけない。行くんだ。魔力が貯まれば、髪留めの色が変わる。行きなさい」
「ブリジア様」
テティが囁いた。
ブリジアは、レガモンを見上げた。レガモンが、ブリジアに何を見せたかったのかはわからない。
ブリジアには理解できなかったが、レガモンは小さく頷いた。
レガモンの頷きの意味など、もはやブリジアには関係なかった。
「魔王様にお願いするわ。こんな酷い目にあっているのだもの。どんな罪であれ、もう償えたはずよ」
ブリジアは背を向けた。
「ま、待て! 私はそんなことは頼んでいない。そんなことをすれば、君の身が……」
アイレの言葉を聞かず、ブリジアは罪人庁を飛び出した。




