14 魔王と勇者の邂逅
~地上・魔王領前~
魔王ジランは、魔王軍全軍を束ねる大元帥ダネス・大参謀ダキラの報告を受け、魔王城がある山脈の頂から降りた。
ダネスとダキラは、魔王に継ぐ実力者で、双子の兄妹である。魔王ジランにとっても弟妹である。
もちろん、魔王一人ではない。報告した大元帥と大参謀に加え、魔王軍を束ねる将軍たちも同行している。魔王が自ら動くときは、供をするのは通常将軍職以上である。それ以下では、魔王が行く場所にそもそも行くことすらできないからだ。
魔王は、海抜2千メートル地点で足を止めた。眼下のはるか先に人族の大国を見渡すことができる高見だが、魔王城ははるか高所にあるため、人族の国にかなり近づいたといえる。
高度2千メートルでは、植物の樹木は育たない。高山植物か、もしくは植物系の魔物によって、地面は緑色をしていた。
足を止めた魔王は、足元の土に手を触れた。
「いるな。実に厄介だ」
「移動しています。500メートルほど地下でしょうか」
ダキラが告げる。耳が動いている。ダキラの耳は、魚類の鰭のように鋭く、大きく広がっている。
「赤い月でしょうか?」
ダネスが尋ねた。
「間違いなかろう。速めに潰さねば、いずれ地下後宮が狙われよう。朕がやる。下がっておれ」
魔王の命を受け、魔将軍たちが距離をとる。魔王の力の余波を懸念してのことだ。
「魔王! ついに辿りついたぞ!」
右手に力を込めた時、叫ぶような声が山中に響いた。
魔王が気を取られた。同時に、右手に込めた魔王の力を、地面に叩きつけた。
大地が揺れるような衝撃と共に、地面が抉れた。
岩の地面に穴が空く。魔王が叩きつけた拳の中心だった。
「ちっ……逃げられた。衝撃を完全に地中の奥まで届かせることができなかった」
「魔王陛下がしくじるとは、珍しいですね」
ダネスが尋ねると同時に、魔王は一点を睨みつけた。
魔王の視線の先では、魔王軍の第4部隊将軍が人族と戦っていた。
第四部隊の将軍は、最近入れ替わったばかりだ。元の将軍が魔親王に封じられたため、空席となったことで新たな魔族が着任した。
魔王の子どもの一人でハイベルグという若者だ。魔族としての能力より、鍛え上げた剣の腕で魔族軍将軍に就任していた。
相対するのは、先ほど大声を上げて魔王の意識を散らした人族だ。
「ハイベルグ、殺すな。その者には、聞きたいことがある」
「承知しました」
激しく打ちかかって来る人族をあしらいながら、ハイベルグ将軍が答える。
魔王はダネスとダキラに向き直った。
「赤い月の正体は確かめたか?」
「移動経路から、火の上位精霊の集合体だと推測できます」
ダネスの答えに、魔王は解説を促した。視線を向けられたダキラが頷く。
「地下に、燃える水が溜まっている場所があります。人族が石油と呼ぶものですが、火の精霊はその水を好みます」
「ふむ……確かに、朕が放った衝撃が、重い液体で分散したように感じたな。では、石油が噴き出したところで暴れるだけで、特に目的はないということか?」
地を這う赤い月は、時々地表に出現する姿からそう呼ばれている。世界を滅ぼせる力を持ちながら、住処が特定できないというのは、魔王にとって非常にやっかいな存在なのだ。
「自ら意思を持っているかどうかも不明です。ですが、問題が一つ」
ダキラが言葉を濁す。
「なんだ?」
「石油が溜まっている地中と近い場所に、地下後宮がございます」
魔王の舌打ちが盛大に響いた。
※
人族の女神が遣わす勇者は、女神の加護を受けて様々な能力を持つ。どのような能力を持つかは、女神が勇者を遣わした理由によるとされる。
女神は、世界における自らの目的を果たすため、異世界から都合のよい者を呼び寄せるのだ。
一つ言えるのは、遣わされた勇者の目的には、必ず魔王討伐が含まれ、勇者は魔王を倒すのに必要な力を与えられている。
勇者の存在は、魔王ジランといえども軽視できない。
だが、より深刻な脅威が迫っている時に、全てを投げ打って勇者を排除しようとするほど重視してはいなかった。
大参謀ダキラと大元帥ダネスに、地中を移動する通称『赤い月』の対処を命じた後、勇者の姿を求めた魔王の前に、魔族軍将軍となったばかりの王子ハイベルグが膝をついた。
魔族軍の8将軍の中で最も若輩で能力も低いが、他に適任がいなかったため将軍職に就いた若者だ。
弱いと言っても、標高2万メートルを越える山頂に存在する魔王城に装備なしに登頂し、小さいながらも飛行能力を持ったドラゴンを従えるための実力は有する。
最低でも、自力で魔王城に到達し、ドラゴンを従えられない者は、将軍職は与えられない。その場合、将軍位は空席のままとなる。
ハイベルグに負傷の形跡はなく、勇者の姿はない。
「かの者はどうした?」
「逃がしました。申し訳ございません」
魔王はダネスに視線を向けた。魔王が地中に集中する中、勇者の能力を分析しているとすればダネスかダキラだ。
「転移魔法を使用したようです。魔道具を使用している様子はなかったので、自らの能力かもしれません」
「転移能力の所持者であれば、捕えるのは難しかろう。ハイベルグ将軍に罪はない。転移能力を持つとわかっただけでも、十分な成果だ」
「恐れ入ります」
魔王が這いつくばるハイベルグ将軍に背を向けようとした時、地面に広がる赤い沁みに気づいた。
「あれは?」
「勇者が持ち帰ろうとしましたので、阻止しました」
「従者か?」
「存じません」
戦いに巻き込まれたにしては、場所が不自然だ。標高2000メートルであれば、人族にとっては生活する場所ではない。
勇者が持ち帰ろうとしたのであれば、勇者の関係者に違いはないだろう。
怪我をした理由は不明だが、魔王は魔王城に連れ帰るように命じ、怪我をした人族では、魔王城の環境は耐えられないと報告を受けた。
※
魔王が魔王城に戻ると、魔王親衛隊の中で唯一随行していた魔王軍第五部隊総督のカムイが進言した。
「陛下、魔王城を修復する必要があります。お疲れではないでしょうが、今日のところは地下後宮にてお休みください」
魔王城が傾いたのは、魔王自身の攻撃によるのだ。地中を移動する『赤い月』に攻撃を放つ瞬間、勇者によって気を散らされた。
衝撃波が飛び散り、遠く魔王城がそびえる山頂で地崩れが起きていた。
魔王親衛隊第五部隊は、ゴーレム部隊と呼ばれる。
総督以下隊員たちは、死体を継ぎ合せ、生命のない体を魔力で動くようにしているためにゴーレムと呼ばれるが、自分で考え、動くことができる。
ただし生前の記憶は失っている。
カムイは魔族の死体をつなぎ合わせたゴーレムである。魔族は数が少ない上に死後の肉体も腐りにくいため、魔族の死体はほとんどがゴーレムとして再利用されるのだ。
「捕まえた勇者の従者も地下後宮で監禁せよ。地下後宮であれば、居場所を特定したとしても、勇者には入る方法がわからないはずだ」
「承知いたしました」
地下後宮は、入ることも出ることも難しい。
勇者が入り方を知っていたとすれば、魔王に近しい何者かが裏切ったことになる。
「確か、リディオス総督が勇者に両手足をもがれていたな。まだ生きているのか?」
リディオスは、魔王親衛隊第一三部隊を率いていた半人の総督だ。勇者が人族の国に出現したため、真っ先に対処を命じられ、両手足を失って運び込まれた。
「存じません」
ゴーレム部隊は地上にも地下にもいるが、総督であるカムイは戦闘力を評価され、ずっと地上で勇者対策に従事していた。
地下後宮に運ばれたリディオスのことは、知らないのだろう。
「そうだな……朕の首を容易にとれないことは、勇者もわかったであろう。シレンサ、ベルジュ」
「はっ」
腰の曲がった老魔女が忽然と現れ、美しく蒼白な吸血鬼が床を持ち上げて姿を見せた。
「勇者の捜索を任せる。この近くに潜んでいるのであれば、狩れ」
「遠くに逃げた場合はどうなさいますか?」
魔王は、尋ねた吸血鬼ベルジュを振り向いた。
「居場所がはっきりしているのであれば、付近を治める魔親王に討伐を命じるが……居場所が不明であれば、懸賞金をかけよ。褒賞は……望むものを与える。勇者を裏切るに足る金額とせよ」
「承知いたしました」
ベルジュが床の下に隠れた。まだ活動時間ではない。しばらく寝てから行動するのだ。
魔女のシレンサが水晶玉に呼びかけているのを聴きながら、魔王は地下後宮、憩休殿に転移した。
魔王城の敷地内からであれば好きな時に転移できるのは、魔王だけである。
※
魔王は地下後宮に転移すると、憩休殿に止まらず、すぐに外出した。
各宮殿の主人は、外出の際に自ら歩かず輿に乗ることが許されているが、魔王が突然現れたため、輿の準備が間に合わず、輿を担ぐ役割のホムンクルスたちがわらわらと狼狽えている間に、魔王は憩休殿を後にした。
「陛下、どちらへ」
それでも魔王を一人で歩かせるわけにいかず、魔王親衛隊第一部隊の総督ガギョクをはじめ、護衛の魔物たちが集まってきていた。
「老練殿だ」
「承知いたしました」
応えると、ガギョクが両手を叩いた。
老練殿への道筋を、魔物たちが綺麗にする作業が始まる。
魔王は気にせず大股で歩き、魔物たちが狼狽えるのは、いつもの光景だ。
魔王が老練殿に入ると、老練殿の熟女たちが慌てて飛び出してきた。
「陛下にご挨拶を申し上げます」
老練殿の主人、人族のリルトが膝を付く。老練殿に住む他の妃たちも揃っていた。
「立て。リディオスを見舞いに来た」
「陛下自ら……あの子は幸せ者です」
「あれは朕の子でもある。当然のことだ。容態は?」
「口が利ける程度には回復いたしました」
「それは重畳。どこにいる?」
「老練殿で養生させております。規則違反なのは承知しておりますが」
リルト公妃は、申し訳なさそうに頭を下げた。
人族の命は短い。魔王の感覚で一瞬の間に、人族は成長し、年老いる。
「そうか。リディオスは成人していたな。後宮に止まるのは規則違反か……自ら歩けない状態であればやむを得まい。歩けるようになるまで、赦免する」
「陛下の恩情に感謝申し上げます」
「案内せよ」
「直ちに」
リルト公妃は立ち上がり、老練殿内部に魔王を導いた。
※
老練殿の一室で、魔王親衛隊第一三部隊の総督リディオス公子が横たわっていた。
黒く焦げていた肌は生来の白い肌に戻っているが、手足はほぼ根元から切断されたままだ。
「陛下」
ほぼ根元しかない手足でばたばたと暴れているのは、魔王に対して礼を尽くそうとしているのだ。
手も足もないため、ただベッドの中で暴れているように見える。
「そのままで良い」
「感謝いたします」
「リディオスが持ち帰った勇者の情報は、聴取したホムンクルスたちから聞いた。まだ話していない内容はあるか?」
「リディオス、陛下に隠し事はダメですよ」
魔王の背後から、母親そのものの口調でリルト公妃が口を挟む。
当然、リディオスも承知していることだ。
「……陛下、確信がなかったため、ガギョクたちには言わなかったのですが……」
「うむ」
「私の配下の半分は純粋な人族です。その中に、裏切り者がいたとしか思えないのです。そうでなければ、たとえ勇者だとはいえ、ここまで恥辱を与えられることなどがありましょうか」
「疑わしいのであれば、全員を殺すか?」
魔王は当然のこととして言った。リディオスは首を振る。かろうじて、首だけなら動かせる。
「陛下直属の人族は、第一三部隊に集められています。それを全員殺したとなれば、人族から恐れと反感を買うでしょう。裏切り者たちが入り込んでいるのなら、利用するべきかと」
魔王親衛隊第一三部隊が全滅したというのは、リディオスが襲われた時に従っていた者たちだけである。魔王を指示する人族も多い。全体の数からすれば、ほんの一部だ。
「危険だと思うが……利用するか。自信はあるのか?」
「手足さえ戻れば、必ず私の手で、勇者と勇者に従う裏切り者を始末して見せましょう」
「陛下、裏切り者であれば、私に心当たりがあります」
「母様、後宮の者が、政治に口出しするのは禁じられております」
進み出たリルト公妃を、ベッドの上からリディオスが止めた。
魔王は振り返る。
「後宮から出られないリルトに心当たりがあるのであれば、それは後宮の問題なのだろう。言ってみろ」
魔王の言葉を受け、リルト公妃は涙ながら訴えた。
「私のリディオスをこんなにも傷つけたのは、トボルソ王国の第一王女を救出しようとしている者たちに他なりません。かの国は、人族の国の中でもっとも歴史が古く、由緒正しい国ですが、力はなく、滅亡の危機に瀕しております。勇者が湧いたのも、かの国からと聞き及んでおります。何卒陛下、来奇殿のブリジア俗女を、徹底してお取り調べ下さい」
「証拠はないのだな?」
魔王の一言に、リルト公妃の顔から血の気が引いた。舌をもつれさせながら、口を開いた。
「まだ……でございますが……」
魔王の腕が動く。リルト公妃の頬が貼られ、体ごと吹き飛んだ。
「母様!」
「証拠もなく、朕の妃を貶めるとは何事か! 二度はないぞ!」
「陛下、母はもう意識がございません。典医を……」
ベッドの上でばたばたと暴れるリディオスを、魔王は見下ろした。
「典医では、治療はできても再生はできん。魔女シレンサを遣わす。手足が生え次第、調査を開始せよ」
「はっ。承知いたしました。あの、母は……」
「放っておけ。朕が力加減を間違えるものか。数日で意識が戻る。朕が誤って妃を殺してしまうほど未熟であれば、地下後宮はとうの昔に崩落しておる」
「御意」
ベッドの上のリディオス公子を残し、魔王は寝室を出た。
部屋の外で、魔王親衛隊第一部隊の総督ガギョクが控えていた。
魔王に用があるわけではないだろう。魔王に仕えること自体が仕事なのだ。
「魔王様、お済みですか?」
「来奇殿に行く」
「はっ。来奇殿に向かう!」
ガギョクの叫びに、魔物たちが反応する。
老練殿から来奇殿までの道の掃除を始めるのだ。
「ガギョク」
「ここにおります」
魔王は歩きながら、第一部隊総督を呼んだ。
「ブリジア俗女は、人族の王国の後継者としては、初めて後宮に入内したのであったな」
「はっ。そのように記憶しております」
「彼の国から勇者が出たことと、関係があるのか?」
「調査いたしますか?」
「方法があるまい。勇者を捉えて拷問でもしないかぎりな」
「では、いかがいたしますか?」
「そうさな。まずは、本人に確認する」
魔王の足は早く、すぐに来奇殿の前に到着した。




