3.異世界へ ②
二人は奈良で浮遊バスに乗り換え、平成京記念公園前で降りた。
空はすでに真っ暗だ。
トオルは150Lの大きなスーツケースを引き、穣治はリュックサックのショルダーハーネスを両手で握りながら後ろを歩いている。公園の時計台は8時半過ぎを指し示している。
朱雀門を通り、中央区の朝堂院に入ると、トオルは驚いた。閉門時間を過ぎているのに、大勢の人が行き交い、がやがやと騒がしくしている。
見送りの家族に付き添われている小学生くらいの子どもから、穣治のような社会人まで。外国人らしい風貌の者も少なくない。それでも4割ほどは、10代後半から20代前半だろうか。皆一様に、大きな荷物を持っていた。
朝堂院に集まっている人はざっと200人を超える人数だが、ここは本来の集合場所ではない。出発時間まで、院内のあちこちに人がばらけているだけのようだ。おそらくこの10倍はいる、と試算して、トオルは内心驚く。ここにいるのは、新入生のうちの、ほんの一部だ。ここが関西エリアの出発ポイントだとして、国内でも他の場所から出発する者もいる。そして、世界各地からも同じように新入生が集められているはずだと考えると、一年生は万を超える数になる。
「集合ポイントは向こうだぞ」
「分かっています。待ち合わせている人がいるので、ぼくは合流してから行きます」
「そうか」
穣治はトオルが気に入ったようで、しばらくは彼が立ち去る姿を見送っていたが、ふと空を見上げて、「ま、先に行くか」と独り言を言った。
トオルは朝堂院を過ぎ、南門へと向かう。そこにはすでに、少女が待っていた。
「内穂さん」
声に気付いた依織がこちらへやってくる。
依織はフードの付いたコートを着ていたが、正面のボタンを開き、中のブラウスが見えている。首には青いスカーフを巻いて、カチューシャと同じ金属パーツのベルトを着け、ミニスカートを穿いていた。スカートから伸びる足は、太ももまでを覆うサイハイソックスとブーツをまとい、全身をコーディネートしている。
「トオルくん、やっと来た」
アパートの片付けにちょこちょこ来てくれていた依織は、いつの間にかトオルを名前で呼ぶようになっていた。
「いつからいたんだ?」
「お昼過ぎには」
「随分早いな」
「昨日のうちに来て、この近くのホテルに宿泊したのよ」
「そうか、それは待たせたな」
「……遅かったけど、何かあったの?」と、依織はやけに心配げだ。
これからアトランス界へと出発する緊張もあるのかもしれない。
「いや?特に何も。ぼくは今日、岡山から来たから」
「えぇっ?当日来るなら朝出た方が安心ってあんなに言ったのに」
「計算の結果、問題ないようだったから。早く着くメリットもないし。出発に間に合えば良いだろ」
余裕ありげなトオルの態度が不満なのか、依織は頬を膨らます。
「何よ、心配してるのに。間に合わなかったら大変よ?」
「先日の説明会で、もし当日トラブルがあればローデントロプスに連絡し、案内者を寄越してくれると言ってただろ?」
「それは特別な事情があった場合のために備えた緊急の処置でしょ?最初から緊急頼みは良くないわ」
「それは一理あるな」
そう言ったが、トオルにはテロの懸念があった。出発に遅れることができれば、かえって安全は確保される。
クロディスのことは依織にも打ち明けていない。見えない者の話をしたところで、どんな受け止められ方をするか、トオルはすでに知っている。
それでも、出発に間に合うように行くべきか、止めておくべきか悩みながらも、最終的に行くことを決めたのは、依織の存在が大きい。昌彦と鉢合わせた日の後も、彼女は何度もアパートに来て片付けを手伝ってくれた。依織の命に危険があると知っていながら、自分だけ逃げれば後悔するだろう。
トオルは足下の、小さなスーツケースを見る。
「君はやけに荷物が少ないな」
壁のように大きなトオルのスーツケースを見て、依織はおかしそうに笑った。
「トオルくんのが大きすぎるだけでしょ。生活用品なんて向こうでも買えるんだから、できるだけ荷物は少ない方が移動が楽だって、説明会で聞いたじゃない」
「自作のロボットが入ってるんだ。自衛ランクの武装になるらしく、交通機関に乗るには外を歩かせるわけにいかなかった」
「ははぁ、なるほどね。さて、出発の時間も近いし、広場に行こうか」
「うん」
依織が前、トオルが後ろになって歩いていた時、同じくアトランス界へ向かう昌彦が二人を見つけた。卒業してもまだ内穂依織と行動を共にしているトオルを見て、嫉妬の炎が燃えさかる。声はかけなかった。
古跡エリアを出て、まだ新しい公園に移動する。緩やかな坂のような階段を上ると、開けた広場に出た。真ん中には高さ三メートルもあろう石が輪のように並んだ、石塚のパブリックアートが見える。一つ一つの石には上向きのライトが付いており、空に向けて光が柱のように放たれている。石塚の下にはローデントロプス機関の制服を着たエージェントが立ち、広場の外側には警備員たちが配置されている。
依織と連れだってやってきたトオルに、穣治が声をかけた。
「左門くん、彼女が例のご友人か?」
「はい」と、トオルは小さな声で応じた。
「可愛いお嬢さんだな」
依織の美貌については反論の余地もない。トオルが黙っていると、
「トオルくん、このおじさんは?」
「えっ?お、オジサンって、俺のことか?」
相手が十代とはいえ、まだ若者のつもりでいた穣治は、さすがにショックを受けている。
「内穂さん、こちらは元冒険家の金田さんだ。ここへ来る道中で、たまたま新幹線に乗り合わせた」
「そうなんだ。トオルくんって、意外にコミュニケーション能力あるんだね」
「いや。金田さんが勝手にグイグイ話しかけてきただけだ」
「勝手にグイグイ!?」
「事実ですよ」
穣治はそれ以上、トオルに言い返すことを止め、一番伝えたいことだけを端的に言うことにした。
「俺はまだ、26歳だ」
年齢を聞いて、依織は頷く。そして、花が開くような微笑みを穣治に向けた。
「そうなんですね。初めまして、金田さん。内穂依織です。私はトオルくんと同じ高校のクラスメイトです」
「ほう、羨ましいな。クラスメイトの若い男女同士が共にアトランス界へ行くなんて、ロマンチックな駆け落ち留学だな」
トオルは無言になった。伏せた顔がほんのりと赤い。
一方の依織は、何事もないように微笑んだままで応えた。
「金田さん、勘違いしないでくださいね。私たち、ただの友だちですから」
「あぁ、そうなのか。ジョークだ、ジョーク」
「止めてくださいよ、そんなジョーク」
依織は楽しそうに穣治とやりとりを続けている。
トオルはまだ熱い顔を悟られないように、そっと顔を逸らした。
合格発表から今日の待ち合わせまで、二人は何度も顔を合わせていた。依織は自分の秘密を守ってくれたことに対する恩返しのように言っているが、交友関係も広い彼女が、わざわざトオルを構うのは、それだけが理由ではないように感じていたのだ。
トオルとて、若い男。容姿端麗な依織と親睦を深めるたびに、彼女が一体どういうつもりで自分と関わっているのか、淡い期待も抱いていた。だが、何の躊躇もなく「ただの友だち」と公言する依織の言葉を聞いて、やはり自分は根暗のロボットオタクとしてしか見られていないのだと、告白もしていないのに振られたような気持ちになった。
その時トオルは、ある嫌な気配が近付いてきたことに気付き、うんざりした表情で振り向いた。二ヶ月前より太り気味になったその男が依織に声をかける。
「内穂さん、あいつに関わるのは止めなさい。ろくなことになりませんよ」
「あなた……トオルくんの従兄弟の。どうしてここに?」
「俺の名は左門昌彦ですよ」
依織は昌彦がこの場に現れたことに、少し苛立ちを感じていた。
「どうしてここにいるんですか?関係者しか入れないはずですけど」
「俺もセントフェラストの新入生ですから。こんな陰気くさいオタク、放っておきましょう?俺は、学力は並ですけど、源気については、そこそこ心得てますよ」
「あら。どんな力があるのかしら?」
依織が試すように言うと、昌彦はよくぞ聞いてくれたとばかり、自慢げな顔をした。
「俺は、作ったものを風船のように宙に浮かべられます」
昌彦は魔術師のような手つきで源を宙に集めると、その源を「LOVE」の文字に変えた。風船のようにふわふわと浮かぶ文字を見せつけながら、「凄いでしょう?」と言わんばかりの表情をしている。
正直、依織には、昌彦の能力の実用性がさっぱり分からなかった。
しかも、その見せ方は俗っぽくて、源使いであれば子どもでもすぐに習得できるものだ。予想以上のセンスのなさ、公衆の場で能力をひけらかす無神経さと危機意識のなさ、それらを全く自覚していないことが分かるビッグマウス……。
呆れた依織は、「それは凄いですね」と答えるに留めた。
トオルは、昌彦が痛すぎる空振りをしている様子をしばらく見て、ため息をついた。せっかく叔父一家との縁が切れたというのに、アトランス界の新生活にまで干渉されるのはごめんだ。彼との衝突はただただ、気力を無駄遣いするだけだと、トオルは自分に言い聞かせる。
「ま、源気のことなら、何でも俺に聞けば間違いないですよ」
自信過剰な昌彦を、依織は一蹴した。
「お気持ちだけで結構です。あなたのその、入門レベルの知性では、私の疑問には答えられないでしょうから」
「な、何だと?!それは、このガラクタオタクが、俺よりも優っているってことですか?」
「別に、そのためにトオルくんと仲良くしてるわけじゃないですし、そもそもあなたには関係ありません」
「こいつは指名手配された異端犯罪者の子どもですよ!」
わざと大声で言った昌彦の声に、周囲の目が集まる。怪物を見るような恐怖の目、許せないと怒る断罪の目。これまでにも幾度も受けてきたそれらのストレスを感じながら、トオルは口をつぐんでいる。
「それは、トオルくんとは関係ないでしょ!?」
依織がつい声を荒げたとき、穣治が場の空気を和ませるような明るい声で、
「ハハ、少年、君は彼に恨みがあるんだな。詳しいことは分からないが、器の小さい者の人生はつまらないぞ?」
それは穣治が多くの国々を探検するなかで気付いたことだった。
昌彦にとって穣治もまた、異質な人間だった。冒険家らしい穣治の風貌は、昌彦を少し萎縮させた。トオルが見知らぬ人にまでフォローされることが許せず、トオルに向かって威嚇するように唸った。
「調子に乗るなよ。お前が犯罪者の子どもだって事実は、たとえ異世界に行ったって変わらないからな」
それだけ言い捨てると、昌彦はトオルに背を向け、去っていった。
トオルの表情が暗くなる。昌彦の言っていることは、紛れもない事実だ。そのことを、誰よりも悩み、苦しんでいるのはトオル本人なのだから。しかし、トオルの辞書に、「歯には歯を」という文字はない。
依織には、昌彦の去っていく姿すら不快で、腹立たしく感じられた。
「あの人、どうしてあんなに酷いこと言えるんだろう?あんまりじゃない」
「仕方がない。彼にとってぼくは、母親の命を奪った憎い存在でしかない」
「そんなの……トオルくんが悪いわけじゃないじゃない?!悪いのはテロを起こした犯人でしょ?」
「でも、あの日出かけたのは、ぼくの誕生日プレゼントを買うためだった。ぼくという人間がいたせいで、彼は母親を失った。それはもう、ぼくが殺したも同然なんだ」
「トオルくん……」
トオル自身、自分のために叔母が亡くなったことは切なく、苦しい事実だった。叔父や昌彦に叱責されるたび、トオルは自分が犯罪者の息子であり、彼らの大切な家族を奪った悪人であるという気持ちが増大していった。
「なるほど、君も大変なんだな。しかし、どんな人生にも闇はかならずある。辛くても、前向きに生きていれば、鮮やかな景色が見られることもある」
穣治の心脈リズムのパターンを聞いていると、トオルは心優しい機関のエージェントと話し合ったことを思い出した。それは、一度聞いたら忘れられない、温かいシンフォニーのような音だった。
その明るい声が、トオルの心を少し楽にした。
数分後には、広場は混み合い、いよいよ出発の時が近付いていた。




