143.エピローグ 捨てるもの、新たな目標 ③
二人は裏庭をゆっくりと散策しながら、岩のように固化した巨木の下や望楼で足を止めた。
依織は宙に輝く紋章や、庭を静かに流れる水のせせらぎを眺める。その風景には、そよ風が通り抜け、葉が優しく囁くような音が響いていた。それはまるで自然が奏でる音楽のようだ。
目を引くのは神秘的な巨木に埋め込まれたように見える巨大な青い宝石。その美しさに何度も目を奪われ、知らず知らずのうちに心が癒される。
「気持ちがよくて、落ち着く場所ね」
「そう? ここに住んでいると、あんまり意識しないけど」
「魔導士にとっては絶好の環境じゃない? この宿、体感できるものはすべて自然そのものだもの」
「まあね。この寮の住人は魔導士が九割だけど、他の属性の人もいるよ」
「へえ、そうなんだ。どころで、トオル君は普段ここで自然元素のイメージトレース訓練をしてるの?」
「いや、ここじゃないよ。みんなに見られるし、全然落ち着けない」
「ふふ、それじゃあどんな場所でやるの?」
「ついてきて」
そう言って、トオルは依織を連れ、望楼を後にした。二人は庭を抜け、遠くに見える湖を目指して歩き出す。細い小道を進むと、寮の裏口が見えてきた。壁はないが、身分を確認する石塚がそびえている。
前を進むタマ坊は、トオルの目的地を知っているかのように、先導するように這い進んでいく。時折立ち止まり、後ろを振り返ってトオルと依織を確認する姿が微笑ましい。
森道を抜けると徐々に視界が開け、広大な湖岸が見えてきた。足元には湖岸沿いの小径が続いているが、その先がどこへ向かうのかは分からない。途中で別の道に分岐しており、それぞれが寮の別館へと繋がっているらしい。
「わぁ〜! 湖だ!!」
広い湖を目にした依織は、歓声を上げながら小走りになり、草が茂る緩やかな斜面を降りて岸辺へと向かう。
「依織さん、僕の訓練する場所はここじゃないよ。もっと先だ」
依織はすでに遠くへ走り去っていたが、明るい声が返ってくる。
「それは後で行くわよ〜〜〜!」
仕方なくトオルは肩をすくめ、マイペースでゆっくりと彼女の後を追った。
湖岸にたどり着くと、目の前には10数キロメートルもの広さを誇る湖が広がっていた。岸辺は天然石で覆われ、水面が微かに波を立てながら穏やかに揺れている。遠くには山々が霞み、空には数百メートルの高さに浮かぶ島が見える。その神秘的な光景に、ただ見惚れるばかりだ。
靴を脱いだ依織は、裸足で水に足を浸しながら微笑む。
「冷たくて気持ちいい!」
水を小さく蹴ってはしゃぐ彼女の足元で、防水機能を備えたタマ坊も水に飛び込んで楽しそうに跳ね回っている。
「依織さん、水遊びくらいならいいけど、あまり遠くへ行かないで。深いところだと溺れるよ」
「大丈夫でしょ? 泳げるし、ダイビングユニットを使えば自由に潜れるわよ」
「この湖は水深が数百メートルもあって、地下には複雑なトンネルが広がっているんだ。どんな魔獣が棲んでいるか分からないし、急に襲われるかもしれない」
「それなら狩って倒せばいいだけじゃない?」
肩をすくめ、涼しげに笑うトオルが言う。
「依織さん、その辺は随分と成長したんじゃない?」
「そうかな?」
「最初は何もかも怯えて手足が動かなかっただろ?」
「まあ。金田さんたちと魔獣狩りのパーティを何度も組んだおかげかしら。大型の魔獣も倒した経験が増えて、対処方法が分かれば恐れは消えるものよ」
トオルは冷静な口調で返す。
「情報をしっかり持つことで不安が減るのか。それにしても、未知の挑戦を前にしたその度胸は大したものだよ」
依織は首をかしげながら答える。
「赤に交われば赤くなる、ってやつかもね? 怖がって動けなければパーティの仲間に迷惑をかけるだけだもの。足手まといにならないようにちゃんと戦わないと」
依織の真剣な姿勢に感心したようにトオルは頷く。
「それは本当に依織さんのすごいところだよ。優等生の鑑だね」
依織は振り返り、軽く笑いながらトオルを見つめて言った。
「お世辞はどうも。トオル君だって、セントフェラストに来てから随分変わったよね?」
「そうか? 僕、そんなに変わったかな?」
「変わったわよ。つれない性格は相変わらずだけど、口調が少し柔らかくなって、甘苦になった。それって誰の影響かしら?」
浮いてない表情を持つトオルは肩を聳え立つ。
「さあ、分からない」
「しかも、あの日、従兄弟の昌彦にあんなことを言うなんてね。すごく見直したわ。」