142.エピローグ 捨てるもの、新たな目標 ②
トオルはソファに移り、腰を下ろした。
依織も近くにあった円筒形の椅子を引き寄せ、腰掛ける。
「今日もバイトか?」
「うん、夕方ごろの時間帯ね」
「それ、キツくないか? 午前中に金田さんたちと魔獣を狩ったり、素材を集めたりしたばかりだろ?」
「まあ、そうだけど……生産性に関われるスキルをまだ覚えてないから、稼ぐには仕方ないの。」
「でも、あるじゃないか」
「何が?」
「依織が作った剣や盾さ。それを売ってみればいい。特別な性質や機能がなくても、丈夫さだけで需要はあると思うぞ。加工方法を工夫すればもっと価値が上がるし、それは買い手買った後次第だろ?」
「もうやってるよ。一対一の交渉でね。でも、店舗がないから効率が悪いし……貸しポイントにも限度があるわ」
依織はため息をつき、言葉を続けた。
「ところで、トオル君はどうして魔獣狩りにもっと付き合わないの?せっかく戦闘スキルが優れているのに、もったいないわ」
「僕は……コダマがまだ修復できてなくてね」
トオルは苦笑いしながら、両手を軽く広げてみせた。
それを見て、依織はトオルがつけている手袋型の法具に目を向ける。
「その法具があれば十分戦えるんじゃない?」
「いや、僕はあまり戦いが好きじゃないんだ。それよりも、機元使い獣や武具アイテムの開発に専念したいと思ってて……」
依織はジト目でトオルを睨みながら、嫌味っぽく言った。
「真面目猫をぶっちゃって。どうせ妹とベタベタしたいだけなんでしょ?このド変態!」
依織は顔をそらしながら、さらに言葉を重ねる。
「みんなにバラしちゃおうかな〜?」
「だから、そういうのが違うだって……」
トオルは冷や汗をかきながら困った顔をする。
依織はじっと彼を見つめていたが、数秒後にはその興味を失ったようで、肩をすくめ、ため息をついた。
「でも、いいなぁ……身内の人が学校の先輩で、いつでも相談できるなんて。羨ましい。」
「依織さんは、バイト先に相談できる先輩がいないのか?」
「いなくはないけど、みんな忙しいから、ゆっくり話を聞いてもらえる時間がないの。それに、他の人と共に先輩を訊ねると個人的な悩みって他の人には聞かれたくないし」
依織は眉を寄せ、少し悩んだ表情を浮かべながら続けた。
「この間、担当教諭に相談したけど、軽いヒントをくれただけで、あとは自力で探せって感じだったの。結局、時間が倍かかっちゃうし、効率が悪いのよね。」
依織の悩みを聞きながら、トオルは小さく頷き、提案する。
「じゃあ、休日とか連休を使って、うちに泊まってみる?クロディスも忙しいけど、毎日帰ってくるし、相談に乗ってくれると思う」
初めての誘いに、依織は心の中で小さくガッツポーズをしたが、平静を装って尋ねる。
「それって本当に大丈夫なの?お邪魔にならないかな?」
「クロディスの友達もよく遊びに来るし、後輩に紋章術を教えたりもしてるよ。困っている人を助けるのが好きだから、依織さんも頼ってみたら?」
「でも、先程、クロディスを断ったじゃないか、今更、またお願いするなんて、失礼じゃないか?」
「考え過ぎない、彼女は寛大だから、今のうちに頼みないとチャンスが逃れるよ」
少し考えたあと、依織は小さく頷いた。
そのとき、アイラメディス用の服装に着替えたクロディスが現れ、トレイに2人分のお茶とお菓子、果物を乗せてリビングに戻ってきた。
「クロディス、今日も出かけるのか?」
トオルが尋ねると、クロディスは薄く微笑みながら答える。
「ええ、結社の仕事があるから。でもお二人はどうぞゆっくりしてね」
依織は思い切って話しかけた。
「クロディス先輩、私、休日にお邪魔してもいいですか?」
「もちろんよ。気が向いたらいつでもいらっしゃい」
目を大きく開き、楽しそうに依織は言った。
「ありがとうございます」
クロディスは優しい口調で続ける。
「でもね、何でも焦ってしまうのは禁物よ。」
その言葉を聞きながら、依織は過去に行ってきたイメージ訓練の数々を思い出していた。たいまつを見つめたり、足湯に浸かったり、砂塩に全身を埋めたり――。クロディスがその思念を感じ取ったかのように微笑みながら言う。
「それらをちゃんとやってきたのね。でもね、エレメントのイメージを掴む訓練では、欲張りすぎないことが大切よ。まずは一つ、しっかり選んでみて」
「分かりました。」
依織が頷くと、クロディスは優しく微笑みながら手を挙げて言った。
「では、依織さん、またね」
依織に別れを告げたクロディスは、今度はトオルに向き直る。
「トオル、私、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
「あっ、タマ坊、見送ってくれてありがとう」
クロディスの足元にいたタマ坊が彼女について玄関まで歩いて行き、そこで立ち止まった。クロディスが出かけると、その背中が見えなくなるまでじっと見送っていたタマ坊は、ようやく扉を閉めた。
クロディスが去り、トオルと依織は二人きりになった。
小屋の中で男女が二人きり――。その状況を意識した依織の心臓はドキドキと高鳴り、止まらない。さらに、先ほど見たトオルとクロディスの親しげな様子を思い出し、つい頭にエロチックな妄想が浮かんでしまう。顔が赤くなるのを感じながら、依織は照れ臭そうに言った。
「トオルくん、外を散歩しない? 初めて来たから、この辺りを見て回りたいの。」
「分かった。案内するよ。」
そう言って二人が出かけようとしたとき、タマ坊も後をついてきた。
トオルがタマ坊を見下ろして尋ねる。
「タマ坊も来るのか?」
タマ坊は一緒に行きたいとばかりに、小さくジャンプして意思を示す。
それを見た依織は、目を細めて微笑んだ。
「うん、一緒に行こうね、タマ坊。」
依織はタマ坊に微笑みかけ、3人、2人と1匹が外へと出かけいった。