140.三枚星を挙げる時 ⑤
「おや、まだここにいたのか」
凛とした女性の声に驚き、トオルは鳥肌が立つほどびっくりして声の方を振り向いた。そこにはオリヴィアが立っており、少し後ろには春斗の姿が見える。春斗は縄で手首を縛られていた。
「先生が事件の現場に?」
「ライラー先輩、お疲れ様です」
「おう、ご苦労だったな。我が教え子が世話をかけてしまい、申し訳ない」
「いえ、生徒会副会長の役目です。秩序を守るために尽力できるのは光栄です」
アニスのバトルスーツの胸元にはエネルギー石が輝き、その下には「ロードカナル学院」の紋様。そして左腕には盾の形をした「ヴァルキュリティヤス騎士団」のエンブレムがあった。オリヴィアとアニスが親しげに話す様子を見たトオルは驚き、思わず尋ねた。
「まさか先生がミズキ副会長と同じ騎士団に所属しているなんて……。」
オリヴィアはトオルに向き直り、口元に微笑みを浮かべて言った。
「そんなに驚くことか。『源将尖兵』の資格を持つ私が、生徒たちが関与する事件に立ち会うのは当然のことだ」
トオルは目を丸くし、頭の中を整理するように尋ねた。
「いつから先生は気付いていたんですか?」
「入学直後からだ。君のように魔獣を狩らず、戦闘スキル授業も受けない心苗は数えるほどしかいない。そして君が相談に来た先日、事件性を感じた。後輩たちに少し情報を聞き回れば、今の展開は全て予想通りだ」
トオルは腰が抜けそうな気分でオリヴィアを見上げた。
「僕は先生の手のひらの上で踊らされているような気分ですが……。」
「それより、トオル」オリヴィアは微笑みを浮かべたまま続けた。「君はよくやった。入学してまだ1ヶ月未満で、自分のやり方で成果を上げた。この時点で君は十分有能な心苗だ。今後の成長を期待しているよ」
「はい、全力を尽くします!」
一方、春斗は無言のまま視線を外し、別の場所を見つめている。その様子を見たトオルは、ふとオリヴィアに尋ねた。
「先生、やっぱり石井さんは罪に問われるんですか?」
「まだ決まっていない。ただ、彼が潜入捜査を主張しているとはいえ、その立場はかなり微妙だ」
源気が封じられた状態で、春斗は嘲るように言った。
「ふん、左門トオル。この勝負は延長戦になったな。これからが本番だぜ?」
トオルは溜め息をつき、真剣な表情で告げた。
「いえ、石井さん。この勝負は僕の勝ちです」
春斗は目を見開き、問い返した。
「どういう意味だ?」
トオルは冷静に続けた。
「君が作った知恵の輪やアクセサリーのような道具には、盗聴や盗撮の機能だけでなく、源気をエネルギーとして機能を維持させる仕掛けがあった。それは、貪食者の真似と同じだ」
春斗は吊り目をさらに吊り上げ、トオルを睨みつけた。
「証拠がないお前がそれを言うのは、名誉毀損だぜ」
春斗が声を荒げる。
「いえ、証拠ならいくらでもありますよ。僕の妹も章紋術で調べ済みです。それに、悪意を付与する性質があったことも確認できていました」
アニスは冷静に言い放ち、クロディスに向き直って尋ねる。
「そうですよね?クロディスさん」
クロディスはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「はい、その通りです」
「証拠もないのに、彼女の言葉を信じるのか?」
春斗が再び叫ぶが、アニスは冷たい目で見つめたまま応じない。
「証拠が欲しいなら、自分で君が売った小道具を調べればいいだろう。それですぐにわかるはずだ」
焦った春斗がさらに声を張り上げる。その姿は、自ら罪の泥沼に足を踏み入れながらも、他人を巻き込みたいという執念を感じさせた。
「ええい、だったらどうだ! 彼は自作機元で人を盗撮していただろう。それだって罪だ!」
春斗は矛先を変え、トオルを指差した。
「みっともない言動をやめなさい!石井春斗!お前は今自分の立場を忘れたか?」
オリヴィアが霹靂に一喝した事に春斗がショックして、言葉を失った。
凍りついたような空気にアニスは腕を組んで、春斗を一瞥した後、トオルに目を向ける。
「石井の質問の答え、ルールでは、左門くんが追跡している対象は事件に関与する人物のみだ。彼が撮影した映像は、迅速に生徒会に渡されている。正当な協力行為と見なされるはずだ。もちろん、被写体となった彼女が抗議すれば問題になる可能性はあるが」
その言葉を聞いて、トオルは胸をなでおろす。彼の行為がぎりぎりセーフと判断されたことに、安堵したのだ。
アニスは再び春斗に視線を向け、目を鋭く細める。
「それに対して、君はどうだ? 潜入捜査と言っていたが、君が彼らの中に入り込んだことで、執行機関に一度も連絡が取れず、音信不通になった。君の言う“潜入捜査”の本心や動機、不純すぎないか?」
春斗が口を開こうとした瞬間、トオルが割って入る。
「僕は彼の言葉を信じています。人質を解放する際に、頑強な擬似体を倒すため協力したのは事実です。貪食者は源使い経験者でないと対処が難しい。密着する状況下で外部との連絡が途絶えるのは仕方のないことだと思います」
予想外の擁護に、春斗は呆然とした表情を浮かべた。
オリヴィアは目を閉じ、薄い笑みを浮かべながらトオルの言葉に軽く頷く。そして提案するように言った。
「ふむ、左門くん。君たちのこの勝負、私に預けてみてはどうだ?」
「先生、それは……知っていたんですか?」
「さっき彼を取り調べた際、白状した。勝負自体は左門くんが勝ったが、それが今後も有効かどうかは、彼の行動次第だ」
「それはどういう意味ですか?」
「ライラー先輩の提案だ。石井春斗があの3人の犯行に協力していた件については、処分を保留とする。ただし、今後彼が新たな罪を犯した場合、先の罪も含めて起訴する」
「わかりました。僕はそれで構いません」
「では、ライラー先輩。石井さんを署まで連れて行きます」
「頼むよ」
サンジェストール騎士団の団員二人が左右から春斗に近づき、彼を飛空艇へ連行した。
その途中、春斗が振り返り、トオルに向けてつぶやく。
「石井さん!君は、自分より優れた相手にリベンジしたい気持ちがあるんだろう? 僕には理解できなかったけど、時には下を見てみればいい。僕なんて成績上位10位に入ったこともない。君のほうが十分、秀でていると思う」
「ふん、可愛げのない馬鹿だな」
春斗は軽く吐き捨てると、騎士団員に促されて飛空艇に乗り込んだ。
アニスもそれに続き、飛空艇は静かに空を舞い上がる。
オリヴィアがその様子を見送る中、依織が突然話を振る。
「ねえ、トオルくん。意外と女子に人気なんじゃない?」
唐突な質問に、トオルは戸惑いながら首を傾げる。
「僕が?」
依織はいたずらっぽく微笑み、顔を近づける。そしてわざと胸元を強調する仕草を取った。
「トオルくんみたいなステルス属性の人が、女子にちやほやされるのって面白いね?」
甘い笑顔の裏に妙な圧力を感じ、トオルは冷や汗をかく。
「いや、みんなただの友達だよ。普通の意味でね」
「ふ〜ん、そうかな?」
「でも、それはみんなと同じで……依織さんのことも好きだよ」
依織は笑っていない目でじっとトオルを見つめた。そして軽く微笑んで言う。
「そう。お気持ち、嬉しいわ」
その言葉を聞いたトオルは、依織を他の女の子と同じく「普通の友人」としか見ていないことを暗に告げた形になってしまう。それに気づいていないトオルは、自ら恋の芽を摘み取っていた。
その様子を見ていた穣治は顔を手で覆いながらため息をつく。
「ダメだ……これは救いようのないフラグだ」
美鈴は苦笑いを浮かべ、大輝は何が起きたのか理解できずに黙っている。
クロディスは肩をすくめ、慈愛に満ちた笑みを浮かべながら呟いた。
「あらあら、成就するには途方に暮れるようですね」
夜空には、赤と青の二つの月が輝いていた。無数の星々と色鮮やかな透明な結晶がきらめき、絵画のような幻想的な光景が広がる。涼しい風が頬を撫でる中、トオルたちが追っていた事件はひとまず幕を下ろした。