125.決戦の時 ⑦
美鈴は上階層と繋がる梯子を登って来た、その様子を見て近づいてくる。
「倒せたの?」
大輝は肩を聳えて応じる。
「分からん。倒したから奴は動かないし、反応もない」
二人はトニーの状態を確認したが、体は微動だにせず、呼吸も止まっていた。
「これって……死んでいるんじゃない?大輝くん、やりすぎだよ……」
「お、俺のミスなのか!?奴は紋章術が得意だから、もっと耐えると思ったんだ……」
人命を奪ってしまったかもしれないという現実に、美鈴はショックを受け、手で自分の首を押さえた。涙が目に浮かぶ。
「これからどうしよう……犯人を捕らえるためとはいえ、命を奪ったら、その責任は……」
「俺たちがやらなきゃ、やられていたのはこっちだろ?奴が倒せるのがもう精一杯だ」
「そんなことは分かってるけど……」
「このことが起こると思ったら、先にこちらに見にきた」
声を聞くだけで心が癒されるような女声が響き、二人は振り向いた。すると、美鈴が目を丸くして驚いた。
魔導士の心苗が現れ、黒いマントをさっと羽織る。マントの裾は七つの尻尾のように分かれ、揺れている。整った小顔に鋭く長い耳、薄青い肌。そして歩くたびに太ももまで伸びた青い髪が揺れていた。
「クロディス先輩?どうしてここにいますか?」
「私はトオルと意識が共有できるから、依織さんが植物の擬似体に攫われた時、こちらも動き始めたの」
クロディスは倒れているトニーのそばにしゃがみ込み、優しい口調で言う。
「可哀想な方ね…生まれてから一度も愛されることなく、ただ人の幸せの味を知りたくて、ずっと紋章術を使って悪戯をしてきたんだね」
大輝が腕を組みながら言う。
「そんな奴に同情する必要なんかないだろ?」
美鈴は鋭い視線で大輝を睨み、毅然とした口調で返す。
「命を失った人の前でそんなこと言わないで!」
クロディスはトニーの体を触れながら、彼の思念を感じて、一層切ない声で言葉を続ける。
「当たり前の幸せを享受してきたあなたたちには、彼の気持ちが理解できないかもしれないけれど…彼は生まれてすぐ母親に捨てられ、ずっと放浪の人生を送ってきたのよ…」
間違い事が気付いた大輝が口を噤む。
涙が滲む美鈴が震える声で尋ねた。
「あの、この人は…救われるんですか?」
「心臓も息も止まっているから、普通なら助からないかもしれない。でも、紋章術なら可能よ。彼の体にはまだ源気が残っていて、魂も離れていない。今のうちに救えるわ」
クロディスは手に契紋石を取り出し、金と白に輝くその石をトニーの胸元にそっと置いた。
「ラ〜」
甲高い歌声が響き、契紋石が光を放つと、成人の背丈ほどの紋章が展開された。
「『蘇生』」
紋章の光を受けたトニーの体が動き始め、かすかに口を開いた。
「くっ…うぅ……」
自律神経が再び動き出し、トニーの胸が微かに上下する。脈も打っている。
「うまくいったみたいね」
まだ完全に回復していないトニーが、薄く目を開けた。朦朧とした視界の中に、クロディスの小顔が浮かぶ。
「ここは…死の世界か?……死神の顔がこんなに美しいとは……」
「ふふ、あなたはまだ生きていますよ。ドニ・イラーリオさん、もう悪戯はやめて、幸せは自らの手で掴むものですよ」
「俺が…幸せを掴めるのか?」
「ええ、誰でも幸せを求める権利があります。でも、その前に、あなたが犯した罪を償わなければなりませんよ」
クロディスの言葉は、トニーの心を穏やかにし、憤怒や嫉妬、憎しみといった感情が洗い流されていく。彼にとって、こんなにも優しく扱われることは生まれて初めてだった。
「す、すみませんでした……」
「ゆっくり休んでください。これからは、いろいろな苦労が報われるはずです」
「ああ……」
トニーは抵抗することなく、そのまま眠りについた。
「凄い…これは蘇生術ですよね?クロディス先輩」
「ええ、ただ詠唱には時間がかかるから、いつも契紋石の型に保存しているの」
その凄さに感心する美鈴をよそに、不満げな大輝は腕を組み、吐き捨てるように言う。
「ふん、わざわざこんな奴を救う必要なんかないだろ。どうせまた人を襲うかもしれないんだ」
「人は誰しも過ちを犯すものよ。罪を償うチャンスは与えなければならない。何もかも命が大事に扱いしないと」
クロディスは、一件が終わったどころがトオルの意識を感じ取り、立ち上がった。
「さてと、私はトオルの所に行かないと。あちらは戦いが難航しているみたいね」
「俺また戦える。共に行くぞ」
大輝は荒々しい声で言い、美鈴も胸に手を当てて言った。
「私も手伝わせてください」
「いえ、トオルのことは私に任せて。もうすぐロードカナーの生徒会に所属するサンジェストール騎士団の人たちが到着するわ。あなたたちはここでドニ・イラーリオさんを見守っていて」
「犯人の見張りか……つまらないな」
「大輝くん、先輩にそんな態度は失礼よ?」
美鈴が注意すると、大輝は退屈そうに肩をすくめた。
「君たちの体調を考えると、無理をして戦うのは良くないわ。彼を見守るのも大切な役目よ」
「そうですね。それに、左門くんとの賭け勝負もありますから、私たちは彼が託されたこのことを最後までを果たさなければなりませんね」
「では、ここは君たちに任せる」
初めてクロディスに頼られた美鈴は、嬉しそうに頷いた。
「私たちに任せてください。先輩もお気をつけて」
クロディスは風の紋章で動きを加速させ、二人を残して通路を駆け抜けていった。