9.思いを運ぶ難破船 ③
三人は転送ゲートホールへやってきた。
少し広い通路は、一面が水晶壁になっており、向こうを見透かすことができる。厚さ1メートルもあるその水晶壁には、植物の彫刻が施されていた。
その壁を透かし見ると、5階の連絡橋と、さらに深い場所にロビーを眺めることができる。壁の反対側は、直径6メートルもあるエレベーターホールになっていた。ホールには横並びに6つの円柱があり、どれも150センチほどの広さがある。左側の3つには階段を上った先に円形の石板が敷かれており、細かい紋様が描かれている。また、右側の3つは透明の扉が閉まっていた。
ホールへやってきた一人が、左側の空間へ入り、階段の上の石板に立つ。すぐに石板が青い光に包まれ、その人の姿を消した。
その場は他に、一人から数人のグループまでがいたが、彼らも次々に姿を消していく。さらに、扉が閉まっている右側の空間からは、青い光とともに人が現れ、自動ドアが開くように扉から出て階段を降りた。
「おぉ」と、トオルは蛍が明滅するように、現れたり消えたりする人々を不思議な気持ちで見ている。
「これが転送ゲートか?」
依織も目に好奇心を光らせてゲートを見た。
「地球界では全く見たことがないものね。一体どんな技術で作られたのかしら?」
「チャンネルゲームの世界にある、転移陣の術式がそのまま現実になったみたいです」
「白河さんは、チャンネルゲームをするの?」
「詳しくはないですよ?たまに、大輝くんに付き合う程度です」
「そうなんだ」
三人は列に並びながら、使い方を学んでいる。
どうやら転送ゲートは、一度使うと次の転送まで5秒間のインターバルが必要らしい。
そしてトオルたちの番が来た。
三人は左から二番目の転送ゲートに上がる。タマ坊も乗り遅れないように這い上がった。
壁には10のボタンが、花びらのように丸く並んでいる。
転送ゲートならどの階層へも行けるのかと思ったが、ボタンは現在地の6階の他、3つにしかライトが付いていない。一般客の立ち入り禁止エリアへは行けないようになっているようだ。
トオルたちがボタンを見ていると、案内音声が響いた。
<行きたい階層を選んでください>
意外にも機械音声ではなく、女性の声だった。
トオルが最上階のボタンを押す。
<では、最上階にお送りさせていただきます>
音声が終わると、床の石板の紋様が光り出し、三人と一匹のロボットは足下から青い光に照らされ、包まれていく。視界が一瞬真っ白になり、一同はとっさに目を閉じた。
その頃、三階のロビーでは、ソファーエリアで待機している案内人が、船について訊ねてきた新入生に説明をしていた。吹き抜けの天井には綺麗な彫刻が施され、水晶壁には時刻を知らせる18の文字盤のうち、10のところが光っている。
「図書室はこの階層の、この先の船頭に向かって行きなさい。バーを通り過ぎて150メートル程行った先にある」
「分かりました、ありがとうございます」
二人組の新入生が離れていくと、案内人はふと振り返り、水晶壁を見上げると、意味深な笑みを浮かべて呟いた。
「間もなくイベントが始まる。さて、今年の新入生はどんな反応をしやがるかな」
ふたたび目を開けると、トオルたちはすでに、最上階の転送ゲートホールに到着していた。
美鈴は訊ねる。
「もう着いたんでしょうか?」
「そうらしい」
転送ゲートから見えるホールの角度、床の材質や色の違いから、トオルはどうやら場所を転移したのだと考えた。
三人は初めての転送ゲートに感激している。
「凄い!三秒も経ってないのに。エレベーターより便利かもね」
三人は転送ゲートを降りてホールを出た。その時、屋上の庭園が見えた。トオルたちは道を間違えないよう、一旦振り返って確認してから、すぐにレストランに入った。
アーチを描く天井は200メートル先まで続き、そのすべての空間がレストランになっていた。正面から右側の窓まではテーブルと椅子が並び、左側にはビュッフェエリアを備えている。豪華客船のように豪奢なレストランの光景に、トオルと依織は仰天し、しばらく固まっていた。
「これが……カフェレストランってやつか?」
トオルの声で弾かれたように気分が上がった依織が楽しげに笑う。
「わぁ~!素敵!食欲がそそられるわね」
美鈴が中を覗き込むと、席はざっと6割ほどは埋まっているようだ。
「ちょっと混んでいますね。空いているテーブルはあるでしょうか?」
ぱっと見渡したところ、三人が一緒に座れるテーブルが見つからない。
「もう少し探しましょう」と依織が言って、広いレストランを歩いてみるが、なかなか空席が見つからなかった。
「よぅ!来たか君たち」
振り向くと、穣治がいた。
「金田さん?」とトオルが近付き、依織と美鈴もついていく。
穣治はちょうど四人がけの正方形のテーブルに着いていた。テーブルには食べ終わった後の皿や食器類に、コーヒーが注がれたカップが置かれている。彼はそのテーブルに一人で座っていた。
「金田さんもお誘いしようと思って客室まで行ったんですけど、出かけたって聞いて。ここに来てたんですね」
「ああ、それにしても運が良いな。ちょうど相席していた人がさっき離れたところだ。食べ物を取ってくると良い。ここで待っててやる」
「ありがとうございます」
「では行ってきますね」
依織と美鈴がビュッフェエリアへ行こうとしていたので、トオルも後に続こうとした時、「左門くん」と穣治が声をかけた。
「何ですか?」
「ビール、頼んでいいか?」
「ぼくはまだ未成年なんですが」
「ハハ、ここは地球界でもヒイズルでもない。こだわりすぎる必要はないさ。相席のお礼ってことでどうだ?」
「……この世界にもビールはあるんですか?」
穣治はにやにやと笑った。
「あるさ、頼むぜ少年。別に金がかかるわけでもない。損はしないだろう?」
そこまで言われれば、トオルに断る理由はない。平成京記念公園で昌彦に罵られた時、庇ってくれた恩も感じていた。トオルは無表情なまま、肩をそびやかす。
「仕方がないですね。泡はなしですか?」
「何だ、よく知ってるじゃないか」
「定食屋でバイトしてたことがあるので」
「そうか、普通で頼む」
「分かりました」
トオルはテーブルを離れ、ビュッフェエリアへ向かう。タマ坊も着いてきていた。
――そうか、ここはもう、地球じゃないのか。
穣治に言われて急に、ここが未知の世界であるという現実が身に迫ってきた。とはいえ、地球界で身につけたマナー、モラル、常識を忘れたわけでもない。急に「守らなくて良い」と言われても戸惑うばかりだ。それに、地球界の掟から解放され自由になった反面、地球界の法律で守られていた安全も同時に失われる。新入生たちがこのアトランス界での新たな掟を知らない以上、この船は無法地帯と言えた。
クロディスが言っていたように、もしこの船上で行われるのが予定されているサプライズイベントではないなら、もうすでに、どこかでテロリストたちが動き始めているかもしれない。確信はなかったが、ここに来る前に見たガードマンたちの様子にトオルは違和感を覚えていた。テロリストが新入生の中にいるのか、それともこの世界の悪の勢力の仕業かは分からないが、これだけ大きな船を攻撃するのであれば、相手は複数人だと踏んでいた。敵はどこに身を隠しているのか。トオルはビュッフェエリアの彩り鮮やかな料理を皿に盛り付けながら、そんなことばかり考えていた。
和食、洋食、中華にイタリアン、フレンチ、インド料理まで。ビュッフェエリアには地球界の様々な土地の料理に似たものが並んでいる。だが、どれも少しずつ使われている食材やその色に違いがあり、斬新な創作料理ばかりだ。見た目にも美しく、香りだけでも食欲をそそられるそれらの料理を、新入生たちはどんどん皿に盛り付けていく。トオルも料理を取り終えると、今度は飲み物のコーナーへ行き、自分用に不思議な色をしたソーダ系のジュースを、そしてジョッキを手に取り、頼まれていたビールをなみなみと注いだ。
トオルが席に戻ると、依織と美鈴ももう戻っていた。依織は食事を口に運びながら、楽しげに穣治と話している。ここに着くまでに色々と話し、船内では美鈴が部屋を替えてもらったりしたことで、警戒心が解けたらしい。依織はリラックスしているようだった。そんな二人の話を、美鈴は小さな口に食べ物を摂ってもぐもぐさせながら、大人しく聞いている。
トオルはトレーをテーブルに置き、ビールを穣治に渡した。
「はい」
「おう、サンキューな」
穣治は早速一口、ビールを飲んだ。
「それで、それからどうなったんですか?」と、続きを促すように依織が訊ねる。