エピローグ 雪解け
――病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?
純白の教会にはゆったりとしたオルガンが響いていた。
空港の誓いと神前の誓い。俺にとっては前者が重く。
力強く「誓います」とうなずいた。
隣で微笑む花嫁も同じことを訊かれ、今度は優しく「誓います」とうなずいた。
彼女の顔にもはや無表情の仮面はない。そこにはただ、聖母のような笑顔があった。
練習の通りに段差を上り、互いに向かい合う。
神父が指輪を掲げた。
――いま、誓いは果たされました。指輪はそのしるしです。途切れることのない円のように、永遠に続く愛の証なのです。
指輪を受け取り、由紀の手を握る。
なんども練習したセリフを思い出した。
「由紀さん。変わらぬ愛のしるしとして、この指輪を贈ります」
ちょっとむずがゆいけれど、紛れもない本心を込めて、左手の薬指に着けた。
決して派手じゃない指輪は、やっぱり由紀にぴったりだった。
同じように、俺にもキラキラと輝く白い光がぴったりと装着された。
その確かな重みは、幸せも永遠も信じられなかった俺たちがずっと望んでいたもの。
二人の間ですべてがつながっているようだった。
――では新郎新婦。
神父が一歩退いた。俺は由紀と目を合わせ、ベールをあげた。
穢れなき純白のウエディングドレスをまとった花嫁は、絵画に描かれた神様のように神聖で美しかった。
この世のものとは思えなくなったが、そっと抱き寄せて存在を実感する。
二度と離さない。
誓いを込めて、キスをした。
たくさんの拍手に包まれる。俺たちは確かに祝福されていた。
渡された羽のペンで結婚証明書にサインをすると、神父は穏やかにほほ笑んだ。
――私は、お二人の結婚が成立したことを宣言いたします。お二人の誓いを神が固め、祝福で満たしてくださいますように。
讃美歌が響き渡る。俺たちは腕を組んだ。
普通は新郎の右腕と新婦の左腕らしいのだけど、俺たちはその逆だ。
ゆっくりと、本当にゆっくりと段差を下りてバージンロードを歩いて行く。
たくさんの笑顔と拍手に包まれていた。親父に、母ちゃんに、ソラに、拓海に、委員長。大学で出会った友人や、近所のおじさん、病院の先生なんかも来てくれた。
母ちゃんと委員長は感激屋なのか泣いていた。心から俺たちの幸せを喜んでくれた。
けれど、一人足りない。
由紀の顔がほんの少し曇り、うつむく。すぐに顔をあげてまた微笑んだ。
「朔夜、幸せ?」
迷う余地などなかった。
「もちろん」
重々しい扉を抜けると外は快晴だった。穏やかな春風が桜の花びらを舞い上げ、天然のフラワーシャワーとなって祝福してくれている。ぽかぽかの太陽もまぶしく、世界は光に包まれていた。
マリー・フォレストは小さな教会だ。建物を出ると目の前に道路がある。けれど小さな庭は色とりどりの花に包まれて美しかった。
ここからマリー・フォレスト特有の儀式となる。俺たちは白い門を抜けて敷地の外――美雪坂に出た。
その時だった。
「由紀」
そこに、正装の中年男性がいた。髪はほとんど白く、顔のしわが印象的だ。
緊張した面持ちで由紀と目を合わせる。どこかおびえているように見えた。
「おとう……さん……?」
由紀は戸惑うようにぽつりとつぶやいた。
けれど、すぐ幸せそうに微笑む。
男の目にじわりと涙がにじんだ。それをぬぐおうとすらせず、男も優しく微笑む。
「おめでとう」
かすれて小さな声だったが、しっかりと耳に届いた。
「……ありがとう」
男のことを許せないかもしれない。憎んでいるかもしれない。
それでも、素直に祝福を受け止めた。
しばらく立ち尽くしていた由紀だが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「行こう」
足取りをそろえて美雪坂に踏み出す。急かすこともなく、遅れることもなく。
――二人で美雪坂を上りきったとき、幸せになれる。
マリー・フォレストでの式は坂道で締めくくられる。
俺たちは互いを支えあいつつ、ゆっくりと歩き出した。
それは見慣れた風景。
一軒家が両脇に並び、車の通りも多くない。うららかな日曜日の空に子供たちの笑い声がこだましているような、ありふれた日常の坂道だった。
けれど一人で上るには辛く、くじけそうになる。
ただ日常を歩き続けるだけでも、独りでは難しい。
だから――最愛の人と手をつなぐのだ。
この長い長い日常の坂道を永遠に上り続けるために。
ふと、由紀が口を開いた。
「朔夜。なんで『美雪坂』って言うか知ってる?」
まだ少し涙がにじんだ瞳、けれど幸せな笑みで訊いてくる。
考えつかず困ったように唸る俺を見て、いたずらっぽく笑った。
「もともと幸せの『美幸坂』だったけど、雪がすぐ降るから転じて『美雪坂』になったんだって。だから、この坂を登れば幸せになれる」
「……なるほどな」
雪――幸――由紀。
そのすべてが同一。言葉遊びだが妙に納得した。
この坂道には雪が積もりやすく、義足で上るのが難しい。
歩き続けると身体は苦しく、心はつらいだろう。
けれど、幸せが転じて雪になるように、雪が転じて幸せになる日が来るのだから。
きっと登り続けられる。
「ねえ朔夜」
由紀がこちらを向いて、満面の笑顔を向ける。
「私、幸せ」
今回で完結です。ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
もしよろしければ感想をくださると嬉しいです。次回作をより良いものにするためにもお願いします。




