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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
一章:恋する乙女は手をつなぐ
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三話

 エレベーターが三階についたのでつないだ手を離して教室に入る。まだ朝練の途中なのかほとんど来ていなかった。窓から入る風はカーテンをふわふわ揺らし、隙間から日光が入り込んでいる。静けさも相まって、この教室だけ時間がゆっくり流れているような穏やかさがあった。雰囲気を壊さないよう静かに荷物を机にしまう。


 ――もしかするとタイミングを狙っていたのかもしれない。


「ねえ月下さん、いる?」


 人工的なさわやかさが入り込んだ。入り口を見ると長身の男が立っている。ワックスで整えられた髪をかき上げ、張り付けたような笑みを浮かべていた。欧州風の整った顔つきで思い出した。たしか一つ上のサッカー部のキャプテンだ。冬大会があるのでまだ引退していないらしい。


 第一印象はイケメン。だが嫉妬と反骨がそう感じさせるのか、うすら寒い表情だった。

 拓海が女の子を口説くときと同じ笑みである。呼ばれた由紀は気だるそうに小さなため息をついて向かった。


「たしか…………先輩」

「大宮だよ。大切な話があるんだ。少し、来てもらえるかな」


 優しさが詰まった声だが、威厳や強引さもほのかに香る。自信に満ち溢れていた。

 由紀は意味ありげにこちらを見る。


「ごめんなさい。教室を離れるのは」

「うーん、困ったな。まあいいか」


 困ったように頬をかく。女子の理想を張り付けたような柔らかな微笑だった。

 それが理由なく気に食わなかった。右のこぶしに力が入る。自分を落ち着けようとゆっくり椅子に座った。


 なに、イラついてんだよ。


「実はもうすぐ選手権の決勝があるんだ。もしよければ、見に来てくれないかな?」

「ごめんなさい、その日は予定が」

「……まだ日程言ってないんだけど」


 先輩は差し出した手を気まずそうに引っ込めた。さわやかな仮面がひとかけら剥がれる。


「失礼。普通、最初に言うので」

「……」


 無表情のままだが言葉に毒がある。目の中で怒りの炎がめらめらと燃えていた。

 先輩は断られると思っていなかったのだろう。最優先で自分を優先してくれるはずだった。……その態度が由紀の癪に障ったとも知らずに。


 由紀は排他的だ。学校内で圧倒的な人気を誇っておきながら彼氏どころか友達もほとんどない。一歩間違えればぼっちになっていただろう。性格のいい女ではない。


「それに、私はもう心に決めています」

「……それってどういう」先輩は目を丸くする。

「今日も彼の家から来ました」

「なっ――⁉」


 ちらりとこちらに視線を向ける。釣られるように周囲の目もこちらを向いた。

 ちょっと待て何を言っている? ねえお前なにを言ってるの⁉


「なので先輩の期待には沿えません」

「そ、そう……なんだ……」


 しばらく無言だった。空白の時間にいら立ったのか由紀は踵を返す。


「すみません。私はこれで」


 軽く会釈して戻ってきた。あっけにとられて口をあんぐり開ける先輩を見もしない。会話時間はわずか三十秒。強引に会話を打ち切った。


 俺と由紀の席は隣同士だ。当然、俺にもさらに視線が集中する。

 クラス内で俺たちの関係は知れ渡っている。恋人でないことを含めてだ。なのに由紀の謎めいた発言。緊張感が高まり、由紀の一挙一動が注目され――


「朔夜、忘れてた。これ弁当」


 わざとらしく、見せびらかすように机にかけていた鞄から弁当を取り出した。水色の二段弁当箱を渡してくる。


 事態が飲み込めずに固まった。


「なにこれ」

「弁当。私がつくった」

「へ?」


 無表情を貫いたまま渡してくる。由紀が何をしたいのかわからなかった。弁当を作ってくれたことなんて今までなかったのだ。先輩を追っ払うための方便とも思ったが、由紀自身の弁当はきちんと鞄に入っている。


 マジで俺のために?


「早く受け取って」


 本気か演技かはわからないが、顔を紅潮させている。

 正直、どきっとした。


「お、おう」


 照れくさくなって気の利いたことが言えない。弁当を受け取っていそいそと鞄にしまう。

 沈黙。先輩を含め教室が凍り付く。泳いだ目が先輩とあった。


 き、気まずい……。


 助けを求めて拓海を盗み見ると声を殺して笑っていた。机に突っ伏して肩が震えている。


「あ、あー、じゃあ俺は帰るよ。じゃあね月下さん。また次の機会に」


 由紀の返事を期待していないのかすぐに去っていく。ちらっと見えた横顔は口元が引きつっていた。

緊張感から解放され俺は息を吐き出す。しばらくして教室ももとの平常を取り戻した。


「あの先輩、めんどくさい」

「いやちょっと待てお前ぇ!」


 静けさを保つ努力を放棄して叫ぶ。周囲を見ると、いつもの口論かと呆れる女子と、嫉妬の目を向ける男子で二分化されていた。


 ――なんであんな奴が弁当をもらってるんだ?


 男どもの心の声が聞こえるようだ。


「なに」

「心に決めてるってなんだよ! 彼の家から来てるってなんだよ!」

「先輩の試合に行かないって心に決めてるし、今日は朔夜の家を出発して学校に来た」

「ほんとだ微妙に嘘はついてない!」


 意図的に情報を省略しているが嘘ではなかった。余計に質が悪い。


「というかこの弁当はなんだよ。今まで一度も作ってくれたことないじゃねーか」

「材料が余った。最近、料理してる」

「由紀が?」

「なに、不満?」

「いや別に」


 由紀が料理をしているのは調理実習でしか見たことない。それもかなり下手だった。いきなり料理を始めたというのは意外だ。


 もしかして俺のために……?


 口元を覆い隠す。にやけ顔を見られたくなかった。


「あ、ありがとな」

「気にしなくていい。材料が余っただけ」


 素直じゃないなぁ。

 こんなことで最高の日だと思えるなんて。男ってちょろい。






 前言撤回。ひどい一日だった。

 由紀が先輩をフった噂はすぐに広まり、その原因である俺も時の人となったのだ。隣のクラス、果ては先輩後輩が休み時間に集結して品定めのような視線をぶつけてきた。


 さすがに放課後は数を減らしたが、いまも教室の窓から数人の男子が覗いている。言葉こそ聞こえないが、彼らの表情から「なんであんな奴が?」「金魚の糞」と伝わってきた。改めて他者の評価を突き付けられるとどんよりする。


「朔夜、落ち込んでる?」


 無表情だが、からかうニュアンスが含まれていた。帰り支度をしつつ、机に突っ伏す俺の後頭部をつんつんとつついてくる。


「落ち込んでねーよ」

「……金魚の糞」

「だから金魚の糞を由紀が言うなっ!」


 がばっと起きてにらみつける。


「やっぱり気にしてるし」鼻で笑われた。

「この状況で平然としてる由紀がおかしいんだろぉ」


 注目されているのは由紀も同じだ。学校中のニュース、その渦中である。金魚の糞ごときに弁当を作るなんて気が迷ったのかと先輩から問い詰められていた。


 ……せめて俺の聞こえないところでやってほしかった。


「言ってくる奴はミカンの皮と思えばいい。そうすれば気にならない」


 励まそうとしているのか少し優しい声だ。

 即座にアドバイスできるあたり人気者としての場数が違った。


「そうは言ってもよ……ミカンの皮でも冷ややかな視線は心にくるし……」

「ごめん。生ゴミと糞じゃ朔夜の方が下だった。配慮が足りなかった」

「お前は励ましたいのか貶したいのかどっちなんだよ」


 由紀はくすくすと笑う。きょう初めての笑顔だった。

 まあ、言い方に難あれど大声を出すくらいに元気を取り戻したから感謝だ。

 帰り支度を終えたのか鞄を閉じて手を差し出してくる。


「帰ろ。明日になれば噂も落ち着く」

「あ~待ってくれ。ほら、拓海と約束があるんだ」


 二股をかけた先輩に謝らなければならない。拓海だけでは事態が収拾しないだろう。

 謝るのは気乗りしないが、拓海は俺の助けなしには……。


「ん? オレだったら昼休みに行ったから問題ないぞ」


 ちょうど拓海がやってきた。教科書は入っていないであろう鞄をもって帰る気満々だ。


「問題ないって……謝ったってことか?」

「ああ。弁当食い終わってからな。知ってるか、人が一番許しやすいのは満腹の時なんだ。昼飯を食い終わったくらいに行くのがベストなんだよ」


 しれっと言う。あれだけの修羅場を自力で解決できるのもなのか。

 ……できるんだろうなあ。そうじゃなけりゃ十股なんてできない。


「許してもらったのか?」

「優香ちゃんとは復縁してもらえた。早苗ちゃんはまだだな。多分、三日くらいしたら怒りが収まるタイプだぜ、あれは」


 懲りずにどちらともヨリを戻す気らしい。おぞましい計画でも無邪気に語られると怒る気になれない。俺は大きくため息をついた。


 ――また、頼ってくれねえのか。


 毎回こうなのだ。拓海が問題を起こした時、手を貸そうとしてもいつの間にか自力解決している。まるで俺の助力を拒否するように。


「金城、懲りてない。最低。またバレろ」

「ふふん、優香ちゃんに『早苗ちゃんが嫉妬するから内緒な』って付き合ったから対策済みだぜ~」

「……」


 呆れた由紀が目を細める。加速するクズっぷりに言葉も出ないようだ。


「それより朔夜は大丈夫なのかよ。三年生にも話題になってるらしいぜ」


 軽く言ってくる。瞳は心配そうに揺れていた。


「ま~明日になれば落ち着くだろ。念のため今日はもう帰る」

「そっか」


 拓海は安心したように由紀を見た。二人がなにか通じ合ったようにうなずくと、拓海は身をひるがえし「じゃ、オレはデートだから」と手を振って別れた。鼻歌とともにリズムよく背中は揺れていた。また別の彼女かよふざけんな。


「帰るか、俺たちも」


 鞄を持って由紀と手をつなぐ。秋になって気温が下がったからか温かく感じる。

 いつもより少し強く握られている気がした。


 特に会話もなく歩く。靴の履き替えを手伝ってもらっていると数人の生徒がちらちらこちらを見てきたが、頭の中でミカンミカンと繰り返して無視した。気にしないのが一番だ。


 すっかり陽が傾いていた。薄暗い紅色が西の空を染め、大通りの街灯がぽつぽつと点灯している。冬がすぐそこまで迫っていた。ついこの前まで暑かったのに、この時間になれば寒いくらいだ。冷たい風が木々の葉を揺らしている。


 帰りは美雪坂を下らなければならない。これは義足にとって最難関だ。

 肉体の膝を再現できないので踏ん張りがきかずにバランスを崩してしまう。緩やかな坂ならリハビリでも練習したが美雪坂はそうはいかない。一人ではほとんど不可能だった。

 目だけを動かして由紀を見る。顔は夕日に照らされて紅くなっていた。無表情だがなんとなく温かみを感じる。


 手をつなぐのは仕方のないことだ。不可抗力である。

 だが由紀がどう思っているかはわからない。こんなに近くにいるのに、ずっと一緒で性格を知り尽くしているのに、本音を語り合ったことはなかった。嫌がってはいないと信じたい。


 思案していると家に着いた。坂を下った先の一軒家。三角屋根も白塗りの壁も等しく夕日の紅に染まっていた。由紀の家はこの先のアパートなのでお別れだ。


「ここまでありがとな。それじゃ、また明日」


 手を離して玄関前の階段を上り、扉に手をかける。


「……朔夜」


 か細い声だった。振り向くと由紀が複雑そうにうつむいている。

 ためらうように視線をさまよわせていた。


「どうした?」

「……なんでもない。また、明日」


 表情を変えないまま由紀が踵を返し、俺が扉を開ける。


 その時だった。


「――王子様ぁぁぁぁ!」


 特徴的なイントネーションの日本語とともに、家の中から金色の弾丸が飛び込んできた。

 それは流れ星のごとく。義足でよけられるはずもなく、金髪が俺の腹に突き刺さった。


「がふぅぅ⁉」


 ドシン!


 勢いのまま外に放り出されて尻もちをつく。二人分の体重を乗せてアスファルトに打ち付けられ、鈍い痛みが走った。


「やっと、やっと会えたよ~! よかった~!」

「いって……」


 上半身を起こす。小柄な金髪の少女が俺の膝に乗っていた。

 人形と見間違うほどの可憐さを持った少女が。

 笑顔は晴天、動きは子犬、弾む声は鈴のよう。そんな少女が。


「やっと会えたよ! 王子様っ!」


 …………誰?


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