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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
五章 月の下の雪
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三十七話

 空港のシルエットが見えてきた。

 なのにまだパトカーは追いかけてきている。さらに一台増えていた。山奥とはいえ平坦な道がほとんどだから今のところ馬力負けはしていない。


「しつこいなぁ、もう!」


 空港までついてこられたらいよいよ観念するしかない。バイクから降りるときに囲まれたらひとたまりもない。


 とうとう振り切れないまま敷地に入った。駐車場は広いが一般客も多く、パトカーではスピードが出せない。その隙に徐々に減速しつつ距離を離し、正面入り口まで走らせる。


 だが中に入れば徒歩だ。義足では間違いなく追いつかれる。


「ここまできて……‼」


 怒られるのはいい。罰金くらいならいくらでも払う。

 けど今だけは。あと一時間だけでも時間が欲しい。

 正面入り口が見えてきた――


「突っ込むよ!」

「は⁉ おいまてさすがに死ぬわ!」

「だーいじょうぶ! ブレーキかけながらだから! というか止まれないんだもん!」


 直後、身体に強烈な加速度が加わった。がくんと傾いてソラの背中に身体が押し付けられる。しがみついて吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえた。


「急ブレーキすぎだろぉぉぉぉ!」


 ギギギと不快な音が聞こえる。溶けたゴムのおかしな匂いが漂ってくる。

 次の瞬間、バイクともども左側面から玄関前の壁に叩きつけられた。


「がは――」


 どしん! と大きな音が響く。身体のすべてを粉砕するかのような激痛に声が漏れ、叩きつけられた壁の下にずるずると倒れこんだ。


「いってぇ……」


 幸い、俺もソラも左腕から突っ込んだ。減速がギリギリ間に合ったのか頭は打っていない。腕の骨は折れているかもしれないが、義足も無事だった。


「サクヤ……大丈夫……?」


 ヘルメットをとったソラが顔を歪めて訊いてくる。相当痛いのか左腕を抑えて泣きそうな顔をしていた。


「あ、ああ。ソラは?」

「ボクは全然へーき。うまく突っ込んだし」


 二人でなんとか立ち上がるとすぐにサイレンが聞こえてきた。事故の音で場所もバレている。追い付かれるのは時間の問題だ。


「サクヤ、行って。多分、ユキはまだ中に入ってないから」


 涙を浮かべ、笑顔で言う。痛いくせに我慢しやがって……。


 俺は壁を支えにしてなんとか立ち上がる。胸のあたりが焼かれ続けているように痛い。

 二人して満身創痍だった。身体のすべてが悲鳴をあげ、少しでも油断すれば気を失いそうだ。


 警察を振り切ってたどり着けるのか……?


 その時、聞きなれた声が聞こえた。


「朔夜! さっさと行け!」


 拓海だ。

 建物の中からこちらに走ってくる。いつもの金髪なのに、俺と同じ水色の病衣を着ているので周囲からは浮いていた。


「な、なんでここに……?」


 わけがわからなかった。

 拓海は険しい顔つきで駆け寄ってきて、入口の自動ドアを指さす。


「ここはオレたちに任せろ。月下はいま美緒が足止めしてる。さっさと行かないと間に合わないぞ!」


 熱くまくし立てる。黒い瞳には力強い炎が宿っていた。


「ま、任せろってどういう……」

「わざわざ朔夜の母ちゃんに相談してこの服譲ってもらったんだぞ。嫌だとは言わせねえからな!」


 俺の身代わりになるってことなのか……?


 たしかにヘルメットで顔はバレない。服で隠れて義足も見えなかっただろう。でも、拓海は何もしてないってのに……。


 一秒ほど葛藤した。だが拓海の強い眼差しを見て、すべてを飲み込んだ。


 ――ありがとう。


「わかった」


 壊れかけの身体を叱咤して走り出した。

 親友に背を向けて、俺は行く。

 余計な言葉はいらない。背中を向けあっても拓海の激励は届いてきた。

 ならば全身全霊でその祈りに応えるのみだ。

 たとえ、まともに走れないとしても。

 呪いのように金属の足が付きまとっていたとしても。

 俺は、由紀のもとへと向かった。








 無数の赤色灯がどんどん近づいてくる。

 あっという間に包囲されてボクたちは捕まるだろう。けれどそれでいい。ボクたちは、ヒーローとヒロインの道を切り開くのが役目なんだから。


 サクヤの背中は遠ざかり、無事に建物に入れたみたいだ。入れ替わった瞬間は見られていないはず。ボクたちが囮になればきっとたどり着ける。


 少し、寂しくもあった。ボクはまだ、サクヤが好きだから。胸の中に灯る炎は以前のように燃え盛ってはいなくても、暗闇の中のろうそくのように暖かく心を照らしている。そのろうそくに蓋をして二人のハッピーエンドの手助けをするのは、ほんの少し痛かった。


 でもそれはちくりと痛む程度。あの日のように、大火事となって制御できないほどではない。

 ボクは満たされてしまったんだ。祈るようにマンガを描き続け、持て余した激情をすべて注ぎ込んだ。出版社に応募したら受賞してみんなから認められた。一年以上日本で過ごして友達もたくさんできた。サクヤがいなくても、ボクはこの世界で生きていけるようになった。


 マンガのヒロインやお姫様のようにヒーローの手を借りることはなかった。孤独に原稿と格闘し、努力を重ね、居場所と栄光を手に入れた。


 まるで主人公みたいだ。ボクはこんなにも強かったんだ。


 そう、強くなってしまったんだ。




 ボクは、たった一人の力で、立ち直ってしまったんだ。




 手に入れてばかりの一年だったのに、胸にぽっかりと穴が開いたようだ。

 ふいにぽんと頭に手が乗せられる。キンジョーの大きな手だった。


「悪かったな。いろいろ大変なことに巻き込んで」

「別にいいよ。大好きな人たちが幸せになってほしいってのは、ほんとだし」

「……朔夜は中に入ったからもう見られねえ。泣いていいんだぞ」

「違うんだよ。涙が、でないんだよ」


 見上げた空は青かった。どこまでも広がる蒼穹は吸い込まれそうなほど深く美しい。その中心で、冬の優しい太陽がまぶしく世界を照らしている。キラキラと輝く太陽の下で、ボクたちは走り続けていた。


『そこの二人、動かないでください!』


 パトカーが目の前に集結し、中からたくさんの警察が出てくる。忌々しそうにボクらを睨みつけ、じりじりと詰め寄ってくる。威圧感のある制服は社会そのものだった。


 恐怖はなかった。最初から覚悟はできていた。

 太陽に祝福されたボクたちの青春は無敵なんだから。

 ボクは目を閉じて手を組む。



「頑張れ。王子様」



 二人の未来が、ずっとずっと、幸せで満たされていますようにと、祈った。


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