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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
五章 月の下の雪
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三十四話

 夏休みに進路調査と三者面談があった。今まで避けてきた行事だが、今回は親父が会社を休んで参加することになった。三年は課外があるため一年生の教室に集まる。


「それで、朔夜君は進学か? 就職か?」

「特に決めてないですけど、進学にしておいてください」


 担任は大きくため息をついた。


「もう三年の夏休みだぞ~。まだそんなこと言ってるのか~?」


 新しい担任はかなりずばずば言ってくるタイプだった。そうでもなければ三年は務まらないのだろう。義足になってからは遠慮する人がほとんどだったので新鮮だ。


「進学と言っても君の成績で行けるところは少ないぞ。もっと勉強しろよ~」

「浪人しますから。まだ時間はありますよ」

「いやいや……浪人ってお金がかかるんだなあ。お父さんの負担を考えれば、そんな簡単に言ってくれちゃ困るよ。ねえ、お父さん」


 担任は呆れたように親父に視線を飛ばす。


「いえ、朔夜の好きにやらせます。浪人くらいなんともありませんよ」

「あれぇ~?」


 不思議そうに目を丸くする。

 心の中で親父に感謝した。こんな俺のわがままに一年も付き合ってくれるのだ。何が何でも成功させようと改めて決意した。





 面談を終えて教室を出ると親父は急いで会社へ向かった。俺は午後の課外がある。教室へ向かおうとエレベーターに向かう途中だった。


「よ、久しぶり」


 拓海とソラが待ち構えていた。久しぶりと言っても一学期に話さなかったくらいだ。それでも、遠い昔のことのように懐かしく感じた。


「どうしたよ。まだ授業中だろ?」

「んなもんずーっと受けてられかって。せっかくの夏休みなのにナンパもできやしねえ」

「……今年は被害者が少なそうでなによりだ」


 去年の夏休みのような惨劇にはならないだろう。


「ちょっと付き合えよ。どーせ授業に出ても寝てるんだろ?」


 昨夜のバイトの疲れが残っていたので迷ったが、二人と話したい気持ちもあったので付き合うことにした。学校を抜け出して近くの喫茶店に入る。

 中は冷房が効いて快適だった。カウンターでアイスコーヒーを注文して受け取り、席に着く。杖の独特な音が他の客の視線を集めていた。


「んで、なんか用か? ソラまでサボりに巻き込んで」

「ボクが誘ったんだよ。だって初めての日本の夏休みなのにずっと勉強なんだも~ん」


 ぐでーっとテーブルに突っ伏す。日本の夏に参っているようだった。


「ソラはこっちの大学を受験するのか?」

「そのつもり~。あんまりあっちには戻りたくないもん。でももう勉強はいや~! 最近はマンガを描いてばっかりだよ」

「ソラ、マンガ描けるのか? マジかよ今度見せてくれよ」

「う~ん、ちょっと恥ずかしいけど……サクヤなら、いいよ」


 恥ずかしそうにもじもじとしている。

 以前に絵画を描いていたし、絵が上手いのだろう。楽しみだ。


「そういう朔夜はどうするんだ? 勉強、サボりまくってるって噂だぞ」


 拓海はメロンのドリンクに口をつけつつ言った。軽い質問だったが、言葉に思いが込められているようで背筋が伸びる。


「浪人してでも大学には行くよ。俺は多分、学歴にしがみつくのが唯一の生き残る手段だからな」


 バイトをして分かったのは、俺は何をやってもダメということ。力仕事はもちろん、事務や頭脳労働もできるわけじゃない。仕事と勉強なら後者の方がまだ希望があった。


「その割にサボってばかりだよなぁ」

「うるせ~こちとら忙しいんだよ」

「バイトか? よくやるよなぁ、お前も」

「……あれ、拓海にバイトの話したっけ?」


 計画は親父以外、誰にも話していない。首をかしげると拓海はニヤリと笑った。


「んなもん、目を見ればわかるだろ。何かを頑張ってる人間特有の濁り切った目だ。その中でもどす黒いのはオレの親父とおんなじだからな」

「え~、そんな俺の目は変か? つーか頑張ってるなら濁らないだろ」

「頑張って濁らないのは天才だけだぞ。目がギラギラ燃えてるやつだけ」


 拓海はソラにちらりと視線を向けてしみじみ言った。

 たしかに思い当たる節がある。サッカーで対戦した天才だ。試合終盤でへとへとになっても目を輝かせてボールを追う姿は、キラキラと輝いていた。拓海も沖縄ではサッカーの強豪にいたらしいし、思うところがあるのだろう。


「お前、何をしようとしてるんだ?」

「……」


 まっすぐに目を合わせられて戸惑った。ソラのつばを飲み込む音が聞こえる。

 さて、話していいものか。計画が由紀に漏れるのは避けたかったが、この二人は俺を心配してくれている。誤魔化すのは不誠実だろう。


「計画があるんだよ」


 二人に詳細を話す。お粗末で、滑稽で、何のひねりも意味もない計画を。

 案の定、ソラはぽかんと口を開けて固まり、拓海は爆笑した。


「うっわ~~~~! バカだ! こいつバカだぁ!」

「あ~も~うるせぇなぁ! いいだろそれしか思いつかなかったんだよ!」

「そんなのに一年もかけるとか不器用なやつ~。お前らめんどくせ~」

「めんどくさくて結構!」


 なにしろ金魚の糞が金魚を落とそうとしているのだ。多少滑稽でもやるしかない。


「ボクは好きだよ? まあ、スマートじゃないけど、むしろかっこ悪いけど」

「か、かっこよくなくていいし!」


 改めて計画を見直すとたしかにかっこ悪いな……。拓海のようにはいかない。

 でもまあ、それが俺のやり方なわけで。


「つーか、それ相当大変だろ? しかも月下の第一志望、東京の大学だぞ。失敗すれば永遠にさよならじゃないのか?」


 初耳だった。校内で注目されているが、クラスが違えばそこまではわからない。

 とはいえ想定内だ。由紀の学力ならかなり偏差値の高いところに行ける。母親の保険でまとまった金もあるので進学が現実的になったのだろう。


 ……もし母親が死ななければ大学には行けなかったかもしれない。皮肉だった。


「別にいいって。これ以上失うものなんてないし、あとは俺が頑張るだけなんだから」


 大変かもしれない。失敗するかもしれない。

 でも、頑張るしかない。由紀にならば、いくらでも祈ることができる。


「へぇ――覚悟はできてると」


 目を見て問うてくる。俺は力を込めた。


「ここまで来たしな。あとたったの四カ月だし、楽勝だって」


 実際は血反吐を吐く思いだった。勉強をしないと言ってもそこは受験生。毎週の模試、課外、宿題……。夏の暑さもあり、身体も精神も限界すれすれだった。


 でも、由紀が大切だから。その思いだけで、いくらでも力が湧いてくるから。


「困ったときは言えよ? どうせオレなんかは暇してるんだから」

「……助かる」








 ソラのマンガはまさしく『祈り』だった。自分ではなく、誰かのための物語である。

 うぬぼれでなければ、それは俺への祈りだ。ヒロインの『頑張れ』というセリフが妙に印象的だった。

 インターネットなんかでは『頑張れ』は無責任の象徴の言葉として言われることが多い。俺も同感だった。どんな状況であれみんな頑張っている。義足でこれ以上何を頑張れと言うのか。


 けど――ソラのマンガはすっと胸に入ってきた。キャラクターが、そして、ソラ自身が苦しみながら寄り添ってくれるように思えた。


「ありがとう……」


 感想はただ一言、そう伝えた。ソラは満足したように笑ってくれた。

 俺はアルバイトを続けた。夏を乗り越え、二学期になっても毎日のようにシフトに入った。周囲が完全に受験モードに切り替わり、ぽつぽつと推薦組の進路が決まり始めてきた。そうでなくとも受験モード一色だ。誰もが必死に教科書にしがみつき、目の色を変えて頑張っていた。


 そんな中、俺は進路すら決めず、勉強もせずにアルバイトに明け暮れている。人生の転換点となる十八歳を投げ捨てていた。頑張っているのに、もがいているのに、ずっと同じ場所で足踏みをしている。同級生に置いて行かれるような寂しさがあった。

 けれど月日は残酷で、いつの間にか十一月も半分を終えていた。教室の窓から見える桜の木はすっかり色づいている。美しいが、落葉に向かって進んでいくような恐ろしさがあった。タイムリミットは刻一刻と近づいている。


「足りない……」


 金はギリギリ足りなかった。後半になって勉強が忙しくなり失速したのが原因だ。

 給料日は十五日。来月の給料を合わせたとしてもギリギリ届かない。

 拓海に聞いた話によると、由紀の志望校の受験日は十二月十六日。その後に立て続けで第二、第三志望も受けるらしいので、帰ってくるころには受験は終わっているそうだ。その後は自由登校になり学校に来なくなってしまう。前日の十五日がラストチャンスだ。


 即日払いの日雇いをインターネットで検索する。そのほとんどが肉体労働だ。それ以外には工場の袋詰めなんかが多い。立ちっぱなしだろうし、俺にできるのだろうか……。


「やるしかない、か」


 まず今の職場に電話をかけて十一月いっぱいでやめると伝えた。電話に出たバイトリーダーは俺に気を遣ってか残念そうにしていたが、十二月以降に働く意味はない。名残惜しさを感じつつも「お世話になりました」と言って電話を切る。


 次にネットで見た日雇い募集に電話した。気性の荒そうなおっちゃんの声が聞こえる。

 日雇いに参加したいこと、こちらが義足であることを伝えるとさらに語気が強くなった。


『義足ぅ? うちは六時間立ちっぱなしやぞ? ふくろ詰めゆーてなめとらんか?』

「い、いえ、そんなことは……」

『わるいが遊びじゃねーんだ。他のバイトと同じ仕事量ができないやつに同じ金は払えん。他の奴がかわいそうだからな。それで、できるのか、できないのか』

「……厳しいです」

『ならこの話はなしだ。わるいな』


 がちゃん、と受話器を置く音がした。ツーツーと無機質な音が耳に届く。

 あまりに意外な反応でしばらく茫然とした。スマホを耳から話すまで一分以上かかった。


 嬉しかったのだ。


 純粋に社会人として能力を評価基準にされた。できるのか、できないのか。俺の社会的立場やレッテルではなく、能力主義のもとに判断が下された。社会に過保護に支えられてではなく、自分の足で立ち上がり、こけたのだ。膝をすりむいて痛かったけど、生身の足の痛みだった。


 正直者の罵倒は生身の足が痛み、偽善者の慰めは金属の足が痛む。


 断られたが俄然やる気が出た。第二希望のところに電話をする。今度の工場長は気弱そうな人で、義足だと伝えるとさらに恐縮して採用してくれた。ありがたいしそうしてくれないと困るのだが、認められていない気がして複雑だった。

 それでも金は大事で、俺のちっぽけなプライドよりよっぽど効率的に身体を守ってくれる。わだかまりをぐっと飲みこむと目がさらに濁った気がした。


 金の算段は付いたので今度は委員長に電話をかける。


「もしもし委員長、頼みがあるんだけど」


 深夜なので寝ているかと思ったがすぐに出た。勉強していたのだろうか。


『なに? あたしは文系だから宿題は見せられないわよ』

「ちげーって。由紀のことだよ」


 計画について一通り話す。その段階でどうしても俺には無理な箇所を頼んだ。

 すでに内容については拓海から聞いていたのか、驚きはしなかった。


『……頼んでくるって予想はしてたけど、中々難しいわね……』

「そんなにか? 同じクラスだろ?」

『だって不自然じゃない。勘ぐられるわよ』

「そこをなんとか頼むよ~。できれば三日以内。いや、絶対に三日以内!」

『あんた、図々しくなったわね……』


 呆れたようなため息が聞こえる。けれどどこか嬉しそうだった。


『まあ、そこまで頼まれちゃあしょうがないわね。あたしに任せなさい!』

「……ありがとう」


 委員長の志望は難関国立らしい。一日が大事な共通テスト前のこの時期に受け入れてくれるのは、本当にありがたかった。


『あんたが素直に頼ってくれるんだもの。その代わり受験が終わったらカラオケに付き合いなさいよ』

「ああ、いくらでも。由紀も拓海もソラも誘ってみんなでな」


 そのころにはきっと仲直りできているはずだから。


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