二十七話
しばらく歩いているとクリスマス色は薄まってきた。季節に左右されない店――小物屋や寝具屋、スマホカバー専門店なんかが並んでいる。気になる店に入ってはいくものの、俺も由紀も購入はしなかった。あのエプロンほど気に入るものは早々見つからない。
さらに歩くと格式ばった店が増えてきた。時計屋や宝石ショップなど学生には届かない代物が並び、人の数も減ったように感じる。
その中でふと、由紀の足が止まった。目を奪われたように一点を見つめている。
「なにかあったのか?」
視線を追うとガラスの奥に純白のドレスが飾られていた。シミ一つない花嫁のための衣装は、幸せの花が満開に開いたような美しさだった。俗物的なものであふれるこの場所において、ガラスの奥の空間だけは神聖で不可侵の領域のようである。
「きれいだな」
「……」
見とれているのか由紀は何も答えずフラフラと寄っていく。店の看板はマリー・フォレストと書いてあった。美雪坂にある結婚式場はここでドレスショップもやっているらしい。しばらくの間、ドレスの前でふたり立ち尽くしていると中から店員がやってきた。
「ウエディングドレスをお探しですか?」
心臓がどきりと跳ねた。黒の制服をした女の人である。
「い、いえ! 俺らまだ高校生なので!」
「あら、そうなんですか。すごく仲が良さそうなのでてっきり」
ほほえましそうに笑みを返される。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「どうです? もしお時間があれば試着だけでもできますよ」
「そ、そうなんですか? えーっと、どうするよ由紀」
まだ見つめている由紀の脇腹をひじでつつく。我に返った由紀にもう一度説明するとしばらく考え込んでいたが、
「遠慮しておきます」
どこか悲しそうに言った。店員さんは特に気にした様子はなく「何年か後には当店にお越しくださいませ」と言って奥に下がっていった。
「いいのか? 時間ならあるし遠慮することなかったのに」
「別にいい。恥ずかしいし」
たしかに高校生カップルで来るのは舞い上がっている感じがして恥ずかしい。それに気づかず迷っていたのは、やはり俺も由紀のドレス姿を見たいと思ったからなのか。
……十分舞い上がってるな、俺。
「なら次はあっちに入ろうぜ」
ドレスから離れた由紀の視線は隣のジュエリーショップに吸い込まれていた。白い壁と並んだガラスケースは高級感が漂い近寄りがたい雰囲気はあるが、ここまで来たのだから見物くらいはいいだろう。ほんの少しを勇気をもって店内に入る。
陳列された指輪はまぶしいほどの照明に照らされてきらきらと輝いていた。貴金属に興味のない俺でも思わずため息が出るほど美しい。冷めた目でイルミネーションを見る由紀すらを黙らせる威力があった。
「ひゃ、ひゃくま……」
輝きには理由があった。驚いて思わず桁を数えなおす。
持っていても何の役にも立たないただの輪っかが百万円。理解も想像もできない世界だった。
「クリスマスプレゼントはこれがいい」
「絶対無理だから!」
ツッコミつつもどきっとした。由紀も本気で言っているわけじゃないだろうが、これ婚約指輪って書いてあるし……。
ただ似合うだろうなとは思った。野暮な装飾は一切なく、素材のよさを極限まで突き詰めることで美しさを発揮している。控えめながらも強い光を放つ姿は由紀にぴったりだ。
う~む、なんとか金を稼いで卒業するころには……いや絶対無理だな。普通にバイトをしても難しいのにこの足じゃあ。
「……冗談だから。そんな真剣に悩まなくても」
「悩んでねえし。即断即決無理だから」
からかうような微笑みで返される。強がっても胸の内を見抜かれているようだった。
「本当にいらないから。私には似合わないし」
「そうか? ぴったりだと思うけど。だいたい、冗談でも欲しいなんて言うなら欲しいと思ったんだろ?」
冗談の中に本音は漏れるものだ。由紀が俺の心を覗けるように、俺も由紀の嘘はかなりの割合で見抜く自信がある。
図星だったらしく由紀は渋い顔をした。
「この指輪は幻みたい。きらきら輝いて、幸せそうな光に包まれて。でもまぶしさに目を閉じたらすぐに消えてしまいそうで。……だって、幸せは幻だから」
淡々とした口調だったが、どこか切実なものを感じた。現実主義の由紀がこんなことを言うのは珍しい。理性ではなく、魂から出たような言葉だった。
「んな寂しいこと言うなって。百万円もするんだから消えたら困るだろ」
とは言いつつ由紀の言葉に共感していた。どんなに輝いたものも、それが幻だったかのように消えてしまうことがある。伏線もなく、理不尽に、何でもない日に忽然と。
どんなにサッカーが上手くても事故にあってはボールを蹴られない。いきなりすべてを奪われるのはそう珍しいことじゃない……。
だから握る手の力をこめる。今ある幸せを逃さないように。
「朔夜はすぐ失くしそう」
「俺を何だと思ってるんだ。……いや、間違ってないか」
由紀の目は煌めきから離れない。
いつか――と、密かに俺は決意していた。
外に出ると日も落ちてすっかり暗くなっていた。夕食は家族と食べる由紀は帰らなければならない。デートはまさに一瞬のうちに終わっていた。自覚のなかった充実感のある疲労が全身に押し寄せてくる。
半日一緒にいたのに話題は尽きなかった。由紀と回るショッピングモールは見るものすべてが新鮮で、あれやこれやと話が移っていく。もともとお気に入りの場所ではあったが、こんなに楽しい場所なんだと痛感した。
けれど夢の時間は終わり、帰りのバスに乗り込む。窓から見えるイルミネーションが遠ざかっていく。伝わってくる由紀の体温とごとごと揺れる車内は穏やかで、心地いいながらも終わってしまう淋しさがあった。
「朔夜、ありがとう」
優しい声で言った。
「俺こそ。楽しかった」
大成功というほどではない。緊張してうまくしゃべれないことや、必要以上に落ち込んで空気を悪くすることも多かった。
それでも楽しかった。由紀と一緒に遊ぶのは夢のような時間だった。
「また来ような。冬休みでも、来年でも」
「来年の話は鬼が笑う」
「笑わせとけって。笑い殺してやろうぜ」
未来を思うと胸が躍る。あの事故以来、ぽっかりとできてしまった胸の穴が埋まったような気がするのだ。この満たされた感覚がずっと続くならば、この世界も悪いもんじゃないって思える。
しばらくすると家の近くのバス停に着いた。俺と由紀の家の中間にあるのでここでお別れだ。
「暗いし送っていこうか?」
「絶対来ないで。むしろ私が朔夜を送る」
「ここからなら大丈夫だって。え~っと、だから……」
「うん……」
言葉に詰まる。じゃあな、の一言が出なかった。つないだ手を離せずにお互い無言のまま一分、二分と過ぎていく。夜の冷え込む空気にさらされたからか、この温もりを離せない。誰もいない住宅街で二人ぽつんと立ち尽くしていた。
「朔夜……」
切なげな声が届く。胸がきゅーっと縮むような愛おしさに包まれた。
そこからは自然に、それが当然であるかのように。
気がついたらキスをしていた。いつもより、少しだけ深く。
脳がしびれるような感覚だった。唇もなかなか離れなれなかったが、永遠のような時を終えてまた見つめあった。とろんとした由紀の目に導かれて抱きしめる。頼もしく見えていた由紀の身体は想像していたよりずっと柔らかく、華奢だった。
「また明日……な……」
言いつつもなかなか家に帰れなかった。




