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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
三章 恋する乙女は空回り
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二十一話

 ナイフを振り下ろすとき、刃先は自分自身にも向けられているのだと知った。

 学校を出ても、バスに乗っても、街に着いてもソラの顔が頭から離れない。

 砕け散った感情が闇に消えていくあの一瞬が忘れられない。

 ただ歩くだけで息が絶え絶えになっていた。騒がしく行きかう車の音がどこか遠くに聞こえた。


「休む?」


 さすがに由紀が心配そうに言ってきた。このままでは倒れると思われたのだろう。


「いやいい。あんまり遅くなれないしな」

「じゃあせめてこれ飲んで」


 水筒を差し出される。自分のも持っていたが、余裕がなかったので受け取ってぐびぐびと飲んだ。ありがとう、とお礼を言って返す。


 ここに来るまでの会話は少なくよそよそしい由紀だったが、根本的な優しさは変わっていなかった。俺が本当に困っていたらすっと手をさし伸ばしてくれる。


 くっそ、勝てねえな……。


 何があっても想いは揺るいでいなかった。惚れた方の負けなのだ。

 だから素直にそれを伝えればいい。それだけなのだ。たったそれだけを避け続けて十年も幼馴染のまま進展しなくて。人を傷つけてしまった。


 告白のシーンを思い浮かべてみるとどきりと心臓が跳ねた。もし由紀の無表情の仮面をはがせなかったらと思うと恐ろしくなる。崖っぷちに立ち、一歩間違えれば奈落に真っ逆さまだ。

 無駄に意識してよそよそしく歩き出す。十一月なのに首筋に汗が垂れ、つないだ手もじめりと湿っていた。身体は暑いのに暴れまわる心臓は冷たく、寒風がその周りを通りぬけていく。


 世の中のカップルはこんな試練を乗り越えているのか……?


 周りを見るとカップルだけでなく、仲のよさそうな夫婦も目に入る。彼らすべてが勇者に見えた。

 パニックを抱えたまま役所に着く。何度も着た場所なので職員とも知り合いだ。手をつないだまま入ってしまったので温かい目で見られてしまった。


 しばらくすると名前を呼ばれたので窓口に行き、差し出された書類を書いていく。

 その間も頭は真っ白、うわの空だ。由紀が担当者と何かを話していたが、内容はさっぱり覚えていない。流されるままにしていたらいつの間にか手続きが終わっており、外に出ると空が暗くなっていた。


「帰ろ」


 寂しげに由紀が言った。もうつき合わせる理由はない。このまま帰るのが自然な流れなのだ。

 いつ告白すればいいのだろうか。もういきなりこの場で言ってしまうか? あまりにもムードがないが、遅ければ遅いほど事態はこじれていく。ソラを拒絶した以上、もう覚悟を決めなければいけないのだ。


「そ、その前に、ちょっと公園に寄らないか」

「早く帰りたい」


 俺といるのを嫌がっているのかとドキッとしたが、その声からは嫌悪の色は見えない。

 しかし説得は難しいので由紀の優しさを利用することにした。


「足が痛くてな。ちょっと休憩したい」


 役所では立ちっぱなしだった。ギリギリ嘘ではない。

 由紀はわかったとばかりに頷いて歩き出す。

 夜のとばりが下りて街明かりがキラキラと輝きだす時間。

 夜空を見上げても星は見えなかった。




 公園の明かりは中央の街灯一つで保たれていた。さほど広くはなく、遊具も少ない普通の公園だ。だがけたましい街中にありながら虫の声さえ聞こえるここは、周囲とは隔絶した雰囲気があった。


 俺たちはベンチに座る。他には誰もいなかった。


「――話があるんだ」


 自分で言っておいて、ついに始まるんだと緊張した。頭の動きがどうにも鈍い。

 返事はなかったが、続きを許された雰囲気だった。薄暗く由紀の顔は見えにくいので僅かな息づかいや仕草で判断するしかない。


「今まで悪かった。俺がバカだったから……」

「……別に。朔夜が謝る必要は」

「それでも」


 由紀の言葉を遮る。俺が主導権を握らなければ。


「それでも、謝らせてくれ」


 座ったまま横の由紀に向かって深々と頭を下げる。こうしないとスタートラインに立てない気がしたから。

 由紀はしばらく無言だったが、ふっと息を吐くと俺の肩に手を乗せた。


「ごめんね」


 それが何に対する謝罪かすぐにはわからなかった。俺は顔をあげてじっと由紀の目を見る。この星空よりも暗い、暗闇の瞳だった。


 許されたのかな……。


 わからないが空気が緩むのを感じてもう一度由紀に向き合う。

 覚悟を決めるために深呼吸。かっと目を見開いた。


「もう一つ、言わなきゃいけないことが」


 由紀はそれで察したのか立ち上がろうとする。迷う暇もなくその手をつかんでいた。


「帰ろ」

「話が終わったらな」


 両者無言のまま、時が凍り付いたように動かない。静かな公園がこの世のものではないように思えた。

 ここまでくると意地の張り合いだ。永遠のような一秒が過ぎていく。

 次第につかむ手の力が入り過ぎてしまい、由紀が顔をしかめたところで慌てて手を離した。意外そうに俺を見下ろしたが、再び座ってくれた。


 空気が張り詰める。剣呑ささえあった。映画のような告白のシーンではない。


 それでも――俺は口にしていた。


「由紀が好きだ」


 たった一言。それだけで閉塞感を生み出していた何かが壊れたような気がした。

 ぽろり、涙がこぼれる。

 由紀は泣いていた。

 その意味をはかりかねて、戸惑う。


「前に言った……朔夜のこと……嫌い……」


 絞り出すようにして言う。その様子に既視感を覚えた。苦しそうに頬を引きつらせている。それはまるで――


 ――ナイフを振り下ろす直前のような。

 ――その刃先は自分自身にも向けられていて。


「あれは……今も……嘘じゃない……」


 けど、と続くのを期待したが、それきり由紀は黙ってしまった。

 遅れて理解した俺にナイフが襲い掛かってくる。肉が裂かれ、皮がびろんとリンゴのようにみっともなく垂れた。


「そうか」


 俺は立ち上がり手を差し出した。


「帰ろうぜ」


 俺たちは公園を出る。うるさい街の中に戻り行きかう人混みをかき分けていく。

 せわしなく歩く人々はみな目的をもって歩いていた。その中で、一人だけ取り残されていると思った。

 横断歩道を前に立ち止まる。赤信号を前にぞろぞろと人が集まってきた。先頭から彼らを振り返り、このままみんなで永遠に足止めされないかな、と妄想した。


 自分の思考の行き所がわからなくなってぼーっとする。他人事のように音が遠い。

 それがいけなかったのだろうか。

 うつむいていた俺はヘッドライトで照らされるまで突っ込んでくる車に気づかなかった。

 とっさに由紀を押し出したのは覚えている。それは本来、義足の踏ん張りでは出せない力だ。とっさゆえの奇跡だろうか。


 しかしそんな力を出して転ばないはずもなく。

 由紀の悲鳴だけが妙に印象的だった。


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