十八話
「ソラ? 弁当食べないの?」
ぼーっと見つめているとカナに指摘された。
ボクははっとして誤魔化すように箸を動かす。
「食べるよ食べるよ! たくさん食べるよ!」
おばさんが作ってくれた弁当はおいしい。イギリスでの昼食はカフェテリアだったから慣れないが、おばさんの愛情が伝わってくるようで好きだった。
「変なの~」
カナはくすくすと上品に笑う。隣の席に座る彼女は日本でサクヤの次にできた友達だ。背は小さく眼鏡をかけており、公園のタンポポのようなかわいらしさがある。誰にでも好かれる落ち着いた子だった。
「ねね、話の続きだけど、ソラって望月君と一緒に暮らしてるんだよね? 男の子と一緒に住むってどんな感じなの?」
「う~~~~~ん」
好奇心に満ちた顔で訊かれるが、どう答えていいかわからない。
最初は楽しかった。あこがれの王子様と一緒に暮らせるなんてお姫様みたいだと舞い上がっていた。おじさんは優しいし、ごはんはおいしいし、マンガを読んでても怒られないし。息のつまるイギリスの豪邸よりもずっと家が広く感じた。
けど今は――サクヤに看病されたあの日からは、少し息苦しい。脱衣所で出くわすと恥ずかしいし、風呂上がりのぼさぼさ髪を見られたくないし、サクヤとの距離が近すぎるから心臓がどきどきしっぱなしで苦しいし。気を張り詰め続けているような感覚だった。
男子と一緒に暮らすのは難しいのか。それとも、好きな人と一緒に暮らすのが難しいのか。
「毎日がテーマパークって感じかなぁ」
「ごめん、よくわからないよ」
こくりとかわいらしく首をかしげる。
「ジェットコースターは楽しいけど疲れるじゃん。毎日が楽しくて、ドキドキして――でもちょっと大変みたいな」
「毎日遊ぶのは疲れるもんねえ」
うんうんと同意される。カナは聞き上手で話しやすい。
「それに、最近はどうすればいいかわからないよ」
無意識のうちにサクヤを目で追っていた。ミオとキンジョーの二人と一緒に食べている。何やら深刻な顔をして話し合っているところを見るとユキのことだろうか。すごく仲が良さそうであの輪に入っていけないのは疎外感だ。
「あ~、望月君と月下さんが喧嘩したらしいもんね。ソラもあんまり望月君と話さなくなったし。やっぱり家でも元気ないの? 気まずいとか?」
「家では話してるよ~。ボクは喧嘩してないもん」
「でも来たときは隙あらば『王子様っ!』って飛びついてたよね」
「……サクヤも大切だけど、今はカナも好きだもん」
「そ、ソラ~!」
口元をほころばせて頭をなでられる。髪が乱れるから「う~」と抗議したけど「まあまあ」と押し切られてしまった。
カナが大切なのは本当だ。でもサクヤに近づけない理由はまた別にある。
顔を合わせられないのだ。面と向かって話そうとすると心臓がバクバク鳴りだし、顔がとんでもなく熱くなる。言葉はつっかえてうまく出てこないし、出たとしても聞き取れないほど早口になってしまった。ボクとは違うボクに乗っ取られたかのようにあらゆる制御が効かなくなる。逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまう。だから夕飯の時以外はサクヤから逃げ回っていた。最近は下校もカナと一緒だ。
学校でもカナと過ごすようになったのに、ふとした瞬間にサクヤを見ているから不思議だ。
「ちなみに、ソラって望月君が好きなの?」
「もちろんだよ~。サクヤだけじゃなくて、日本の人はみんな好きだよ」
「うーんと、そうじゃなくて」
言いにくそうに顔をしかめ、むむむと言葉を選ぶ。
「恋人になりたい? ハグしたい? キスしたい?」
言われて想像する。ボクとサクヤが恋人になって、ハグをして、そのまま顔を近づけて唇を合わせ――
「ぱふ……」
妄想だけでくらくらした。心臓がバクバクいっている。
こっちに来たときはサクヤに抱き着くなんて何ともなかったのに。むしろボクから突撃するくらいだったのに。なんで、今はこんなに息苦しいんだろう……。
思考を現実に戻して顔をあげるとカナがニヤニヤとしていた。
「そっかー。かわいいなぁ、もう」
またなでなでされる。カナのペットみたいだ。
「でも大変だね。望月君には、ほら」
ユキに視線を向ける。弁当を早々に食べ終わり、一人で読書をしていた。
クラス中からちらちらと目を向けられていてもまったく動じていない。ユキの周りだけ別次元の空間があるようだった。
――美しい。
孤高の花の美を前にして息をのむ。ブラックホールのように視線が吸い込まれて抗えないなかった。少女マンガのヒロインのように、おとぎ話のお姫様のように、ただそこにいるだけで存在感を放っている。
「でもチャンスじゃない? ケンカしてるならさ」
カナに言われてどきりとさせられる。言葉に詰まったボクは黙って首を振った。
チャンスだと思いたくないのだ。ユキと喧嘩をしたサクヤは辛そうだ。一緒に暮らしていると、日に日に落ち込んでいくのが手に取るようにわかる。なんとか慰めてあげたいけど、その原因を作ったのはボクなのだ。それはユキからサクヤを奪い取るようで――少女マンガの悪役のようで嫌だった。落ち込んだサクヤを慰めればもしかすると好きになってくれるかもしれなけど、そんなの卑怯だ。
――なんとしてでも奪い取ってしまえ。
悪魔のささやきが聞こえてくる。正々堂々なんていらないと。
それが辛く、苦しかった。メインヒロインのように何もドロドロした気持ちを抱えずに王子様と結ばれたい。ユキを蹴落としたいとか、このまま仲直りしてほしくないとか、嫌な気持ちを抱きたくなかった。そんなことを考えるなんて汚い奴だともう一人の自分が罵ってくるようだ。
サクヤに近づけないもう一つの理由がこれだった。これをチャンスにとサクヤと仲良くなったらダメなような気がして。悪者になりたくなくて。
「そっか。真面目だね」
褒めてくれるカナが唯一の救いだ。いたわるように微笑んでくれる。学校が楽しいと思えるのはカナのおかげだった。
でも――見ているだけなのはやっぱり辛い。サクヤとユキは喧嘩をしてても、ふとした瞬間に仲の良さを感じるのだ。会話は少ないけど、だからこそ以心伝心を感じる。
それはキンジョーとミオにも言える話だ。三人でしている会議には入り込めないバリアがあった。どれだけ頑張ったとしてもボクはよそ者で、日本に来て二週間も経ってなくて、長い時間をかけて紡がれた絆には敵わなくて。
イギリスにも日本にもないボクの居場所はなくて――。
――いや。カナっていう友達ができたじゃないか。
「で、カナには好きな人いるの~?」
暗くなった空気を振り払うようにからかってみる。「い、いないよぉ」とあわあわして返される。必死に嘘をつく姿が可愛らしくて「え~だれだれ~?」とさらにからかってみる。
「そ、そうだっ! 今日の放課後はどうする? またうちに来る?」
「ぶ~、話をそらされた~」
「勘弁してぇ~」
泣きつかれたのでこの辺で止めてやる。あまりやるとかわいそうだからね。
「またカナの家に行ってみたいな。バイクかっこよかったもん」
「ほんと? じゃあお父さんに言っとくね。今日は何に乗りたい?」
「何があるかわかんないよ~」
カナの家はバイク屋だ。しかしそれだけじゃなく、すぐ近くにサーキット場を所有している。サクヤと一緒に帰りたくなくて一度だけお邪魔したときに乗せてもらったのだ。爆音とともに駆け抜けるのは気持ちよかった。
「じゃあ適当に見繕っておくね」
機嫌よさそうにスマホで文字を打っている。
バイクに興味があったわけじゃない。けれど少女マンガを楽しめる気分ではなかったし、放課後にサクヤと距離をとれるのでカナに付き合っていた。意外にも楽しかったので感謝している。でも――
こんなはずじゃなかったんだけどなあ……。
自分が何をしたいのかわからなくなってきた。




