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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
三章 恋する乙女は空回り
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十七話

 それから由紀との会話はなくなった。

 朝は迎えに来てくれる。

 放課後は俺を待っててくれる。

 でも――幼馴染ではなくなった。俺を送迎するだけの契約関係。手のぬくもりも優しさもなく、ただ冷たく淡々と仕事をこなすだけだった。


「おはよう」

「あ、ああ。おはよう、由紀」


 遅い、という挨拶も撤廃された。金魚の糞とも言われなくなった。手をつないでの登校時間はどんよりとしており、ただ言いようのない喪失感に包まれている。ただ移動するだけの時間は虚無そのものだった。


 学校について隣同士に座っても他人のようである。俺と委員長以外に友達のいない由紀は本を読んで休み時間をつぶしていた。横にいるのも気まずいので俺は拓海と過ごしている。ソラはいつの間にか友達が増えていた。


 学校生活が色褪せていった。つまらない時はゆっくりと過ぎていき、監獄に閉じ込められているような息苦しさである。最初のうちはまだよかったが、二日、三日と経つうちにどんどん辛くなってきた。今日の朝も家を出るときに足が鉛のように重くなり、学校に着くころには疲れ果てていた。

 倦怠感が付きまとう。


 ――大嫌い。


 由紀の言葉が何度もこだまする。何をするにも気力がなかった。


「そろそろ一週間か」


 昼休み。菓子パンをかじる拓海が言った。

 なにがと聞くまでもなく目線は由紀を向いている。男子からのアタックも少なくなり、一人ぽつんと弁当を広げる姿は浮いていた。


「拓海ぃ……もう俺、どうすればいいかわかんねえよ……」


 弱音を吐かずにはいられなかった。心の核をごっそり盗まれたように胸の穴を風が通りぬけていく。冬の到来を目前に控えた十一月の下旬。寂しい寒風に凍えてしまいそうだった。


「さすがに長いよな。別に朔夜が悪いことをしたわけじゃないんだろ。もうそろそろ許してもいいと思うんだが……」


 不可解とばかりに頭をぽりぽりかく。

 歯車がわずかに狂っただけだった。

 少しのミスと、少しのすれ違いと、大きな嫉妬。

 すぐに修正できると楽観視していた。

 それがどうしてこうなった……?


「由紀がなにを考えてるのか……俺にはわかんねえ」


 俺に非があったのは認めるが、なぜ急に嫌われてしまったのか。由紀の気持ちがさっぱりわからなかった。考えてもわからないのにぐるぐると思考がよぎり、何をしても集中できない。


「今までに溜まってた不満が爆発したとか?」

「うわ……ありそ……」


 今までの言動を思い返してみる。心当たりがありすぎて途方に暮れた。


「由紀は意地になってるだけよ」


 珍しく委員長が会話に混ざってきた。小さな弁当箱とイスを持ってきて拓海の横に座り、呆れたようにため息をつく。いつも一緒に食べている女子をほったらかしているところを見ると、俺たちを心配して来たらしい。


「怒りの引っ込めどころがわからないのよ。拗ねてあんなことまで言って。望月に顔向けできないだけじゃない。あのバカは……」

「でも……」


 由紀は落ち着いてから改めて「嫌い」と宣言してきた。

 あれは何なんだよ……。


「普通に考えなさいよ。嫌な人に正面から嫌いって言う? 嫌いな奴と手をつなぐ?」

「由紀は責任感が強いんだよ。放り出せないだけで……」


 委員長はうんざりしたように鼻をならす。


「これだから童貞は」


 ……委員長も恋人ができたことないくせに。


「例えばあんた、拓海と手をつないで毎日登下校できる? 無理でしょ。生理的に無理でしょ。責任感とかそういう以前に無理なものは無理なのよ」

「オレに飛び火させる必要あった?」

「拓海は少し黙ってて」


 委員長がぎろりと睨むとおとなしく引っ込む。数多の女を陥落させてきた拓海だが、委員長には弱いのだ。


「好きの反対は無関心よ? わざわざ嫌いと宣言するってそれめちゃめちゃ意識してるじゃない」

「そうかなあ……」


 あの言葉の意味はわからない。意味を考えようとしても胸に深々とささった破片が思考を鈍らせるのだ。


「でもよぉ。いくら俺を意識したって、あんなひっきりなしに告白されてちゃ……」

「あんた、それは――」

「――殴るぞ、朔夜」


 委員長の言葉をさえぎり、拓海が低い声で言った。凄みのある表情に思わず固まる。


「月下の気持ちをお前が疑うな。お前以外を好きになると思ってるのか」

「な、なんだよ。なんで拓海がそんな……」


 ぎろりと睨まれ、反論できずに言葉が止まる。厳しさを含む鋭い眼光が俺の目を射抜いた。恐ろしさに肩の力が入る。


「お前は何年月下に助けられてきた。毎朝迎えに来てくれて、放課後も一緒に過ごして。そこまで尽くしてくれた女なら信じろよ」

「で、でもさ、俺と由紀は釣り合わないだろ。金魚の糞と金魚じゃ……」


 それはずっと不安だった。俺なんかが由紀の隣にいて良いのだろうか。迷惑をかけていないのだろうか。俺みたいな欠けた人間と一緒にいて由紀は幸せになれるのだろうか。未来の隣り合う二人を想像すると一人は平凡な義足の男、もう一人は最高の美少女。それは世の理から離れた歪なものに見えた。


 ひどい格差だ。俺と由紀が一緒にいるのはただ幼馴染ってだけで……。


「しょーもねーこと考えんな。釣り合ってるとかお似合いとか、だれが決めたんだよ」

「……」


 真剣な表情で真っすぐに俺を目を見据える。普段はへらへらしているので気づかないが、拓海が凄むと迫力があった。その真剣さが俺のためを思ってと考えると下手な言い訳も茶化しもできない。一年ほどの付き合いで初めて見る顔だった。


「月下の性格だぞ? 自分の幸せくらい自分で決めるだろうよ。その女がお前のためにここまで尽くしてくれたんだ。その真心を裏切るなよ」


 脳裏によぎったのは、どんな日であろうと「遅い」と迎えに来てくれた由紀の姿。けがをしてからの六年、一日たりとも休まずに来てくれて……。


 俺が由紀を信じられなくてどうする。

 もう二度と裏切るわけにはいかないのに。


「あの子は全部自分の意志で決めるのよ。関わりたくない人は全部門前払い。喧嘩をしても登下校に付き合ってくれているのは、そういうことよ」


 委員長もしっかり由紀を見ている。

 由紀が孤立しているのは高嶺の花だからではなく、単に性格が悪いから。

 わがままで、気が強くて、絶対に自分の意見を曲げない偏屈もの。協調性なんてない。

 でもなぜだろうか。どうしてそれが全て魅力に見えてしまうのだろう……。


「……悪かった」


 頭を下げると拓海も気まずそうに顔をそらした。


「いや、いい。オレも言い過ぎた」


 気まずい空気が流れる。ズボンのすそをぎゅっと握り沈黙に耐えていると、委員長がパンパンと手を鳴らした。


「ま、とにかく由紀の隣に――あの性悪ぼっちの隣にいられるのはあんただけってこと。責任とって付き合いなさい。できれば押し倒しなさい」

「健全な範囲でだから! ……少なくとも卒業までは」


 覚悟を決める。

 委員長は優しく微笑んだ。


「ちゃんと仲直りしなさいよね。あの子をぼっちにするのは気が引けるもの」


 切実な表情で祈るようにこぶしを握っている。

 やっぱり委員長はその名に恥じないおせっかいだ。友人のトラブルに首を突っ込み、だれよりも解決を願っている。


 それは拓海も同じだ。自分はちゃらんぽらんしているくせに、俺のことになるとこんな真剣な顔で考え込み、俺が間違えたら全力で説教をしてくれる。


 その優しさは嬉しかった。大嫌いという鳴りやまない残響が少しだけ収まった気がする。


「ありがとな」


 感謝は一言で片づけられないと思ったが、とにかく言葉にしたかった。

 二人とも照れたように頬をかく。変な空気になったので無理やりに話題を転換した。


「それにしても由紀が拗ねてるだけかぁ。あんま想像できんな」


 いつも毅然としており、我が道を行く由紀だ。拗ねて自分の行動を曲げるというのは意外だった。


「あんたらが今までに喧嘩をしなさすぎだったのよ」

「いやしてたぞ? 子供の頃なんか何度したか」


 小学生は些細なことで言い合いになる。サッカーと野球のどっちが面白いかで壮絶な言い合いをしたこともあった。いま考ええばアホらしいことだ。


「でもそれ全部あんたが謝ったんでしょ? しかもすぐに」

「決めつけるなよ。低学年の頃はハーフハーフだったぞ」


 高学年ごろから力関係は由紀が上になった。そのころになると美少女はもてはやされる。圧倒的な人気を得ていた由紀に逆らうのはクラス全体を敵に回すことになったのだ。


「尻に敷かれすぎてるからよ。従順な犬が突如噛みついてきたらびっくりするでしょ? それで拗ねたのよ」


 憐れむような目を向けられる。少しムッとなった。


「じゃあもうどうしろってんだよ……」

「そりゃもう押したお――」

「それ以外で」


 委員長は口をとがらせてつーんとそっぽを向く。恋愛経験がないので何も言えなくなったんだろう。


「態度をはっきりさせることだろうな。月下を安心させる。それからだ」

「拓海が言うとギャグに聞こえるな……」

「オレは真面目なんだが」


 真顔で返される。普段の行いゆえに説得力は薄かったが、それが一番だと思う。少なくとも委員長の案よりは――


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