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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
三章 恋する乙女は空回り
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十六話

 しばらくして委員長だけ戻ってきた。追い付いたがきっぱりと拒絶されて何も訊けなかったらしい。ごめん、と謝られて微妙な空気のまま一日が始まった。由紀は二時間目の始まるころにようやく帰ってきた。


 由紀との喧嘩はすぐに噂になった。金魚の糞がフラれたらしいと聞きつけたのか、休み時間のたびに由紀目当ての男子が集まってくる。そのせいで廊下にでられず、俺の隣の席で気まずい時間を過ごしていた。


 会話はない。外を見るつまらなそうな由紀の顔が窓に映っていた。だがその憂鬱は美しく、薄幸の少女を思わせる。集まった男子からの人気はさらに高まっていった。その勢いは昼休みになっても衰えず、むしろ勇気ある者が教室に入り込んできた。


「月島さん、これ受け取ってくれないかな」


 四限目が終わってすぐ、上級生の男子が手紙を持ってきた。野次馬の注目にも動じない堂々とした態度だ。平均よりやや高めの身長から優しく由紀を見つめている。


 この優男は一目見て気に入らなかった。名前すら知らず嫌う要素などどこにもないのにだ。粘っこい感情が湧き上がるのを抑えられない。


 嫉妬だ……。


 この程度何でもないと自分に言い聞かせても制御できない。


「ごめんなさい」


 由紀は一瞬だけこちらを見たが、すぐに先輩に視線を移して頭を下げた。手紙を受け取ってすらいない。あまりにも早すぎる拒絶に先輩は戸惑っていた。


「ごめんなさい」


 もう一度頭を下げる。表情をピクリとも変えない、あまりにもそっけない門前払いだった。先輩は諦めたのか肩を落として教室を出ていく。勇者をたたえる拍手が廊下から聞こえてきた。


 俺は胸をなでおろしてイスにもたれかかる。だがすぐに罪悪感が押し寄せてきた。

 たったこれだけで胸をちりちりと焦がすような嫉妬を抱くのだ。由紀はどんな気分で夜を明かしたのだろう。


 どうしようもなかった。ソラのホームステイをやめろとは言えない。あそこで看病をしないわけにもいかない。由紀のために見捨てるなんて言ったら、人間として大事なものが失うような気がした。

 でもそのバランスをとれるほど器用でもない。何かしないといけないと思いつつ、何かをしたらそのすべてが空回ってしまいそうで足が重かった。


 時間が解決してくれるのだろうか……。


 今はもうどうしようもない。家から持ってきた弁当を持って拓海の隣の席に座る。今日も教室に残って俺たちを見ていた拓海は、何も言わずに受け入れてくれた。


 ちらりと振り返って由紀を見る。教室の中でそこだけ不可侵の防壁がはられているような異様さがあった。窓から入る光で艶やかな黒髪がきらめき、白い肌が鮮やかに映し出され、まるで一つの絵画のようだった。わずか数メートル離れただけで果てしない距離を感じる。隣の席ならばギリギリ防壁の中だったのかもしれない。


 ぼーっと見とれる俺に拓海がパンをかじりつつ言った。


「ま、とりあえず時間をおこうぜ」


 もっきゅもっきゅと咀嚼しつつ気軽に言ってくる。間抜けな態度は深刻さを出さない配慮なのかもしれない。


「それじゃ何も変わんねーんじゃ?」

「オレだって謝るときに三日くらい時間をおいてただろ。そういうものなんだよ。美緒から聞いたけど、どっちも悪くないと思うぞ。ならお互いの感情を整理するまで余計なことはしない方がいいだろ」


 拓海は真顔だったが、声色は優しかった。バリトンの声が心地いいテンポで耳から入り込み、焦りで満ちた心を落ち着かせる。無駄に張りつめていた神経がほぐされていくようだ。


 さすが修羅場をくぐり続けている人間だ。どっかの耳年増と違ってアドバイスの説得力が違う。女性を騙すための悪しき知識だが、今はかなりありがたかった。


「つーか今までがベタベタしすぎなんだよ。月下に甘えてばっかりだから金魚の糞になるんだ」

「金魚の糞ゆーな」

「よかったな卒業できて。金魚がいなくなったからこれからはただの糞だ」

「卒業どころか劣化してんじゃねえか!」


 拓海はクククといたずらっぽく笑う。


「金魚にくっつきたかったら頑張るんだな。高みで待ってるから」

「高みにはいかねーし! 俺は一人で十分だし!」


 ハーレム願望なんてない。ただ、由紀と一緒にいられれば……。


 拓海に呆れつつ母ちゃんの弁当を食べる。俺の好物で埋め尽くされ、冷めてもおいしく仕上げる手腕は見事だった。文句のつけようのない理想の弁当。そのはずなのに、どこか物足りなく感じた。


 由紀がまた作ってくれたらな……。


 再び由紀を見るとちょうど誰かがやってきていた。廊下から見つめていたキノコ頭の三人組だ。横一直線に並び、肩をこわばらせて歩いている。彼らの目にも由紀の発するバリアが見えているのか躊躇していたが、意を決したように踏み込み声をかけた。


 だが――本筋に入る前に「ごめんなさい」と頭を下げられてとぼとぼ帰っていく。三人の背中は小さく丸まっていた。新たに三人ほど勇者の屍が増えたのだ。にもかかわらず廊下で由紀を見つめる男は減らない。マンモス校というのを考えてもとんでもない人気だ。その後も続いて数人の男子が突撃してきたが、すべて撃沈していた。そのたびにちらちら盗み見てしまう。


「朔夜、いまのうちに由紀の靴箱を見てみないか」

「なんで?」

「予想では二十枚は入ってるぞ。ラブレター」

「見るのはマナー違反だろうが。……って、そんなに入るもんなのか?」


 少女マンガで見た展開だ。四次元ポケットのごとく詰め込まれているのだろうか。


「果たし状は二十枚入った」

「……お前が全方位に敵を作るからだ」


 女性関係で恨みを買いまくってる。


「百人斬りを達成するのは俺と月下、どっちが早いか勝負だな」

「するな。てか由紀はたぶらかしてるわけじゃないし! クズはお前だけだし!」

「ならお前も泣かせるなよ。一度捕まえたら離すな。オレと同類になりたくなければな」

「……わかってるって」


 男子が由紀に押し寄せているからだろうか。

 また心がささくれだっている。




 放課後。俺と由紀はチャイムが鳴っても動けないでいた。

 帰宅には由紀の助けが必要だ。ずっと黙っているわけにはいかない。どちらが話しかけるかとチキンレースが行われていた。


「ゆ、由紀、帰ろうぜ」


 いつもはすっと出る言葉もかなりの勇気が必要だった。なんとか笑顔を作って何でもない風を装う。由紀はうつむいたまま苦い顔をしていたが、やがて意を決したように顔をあげた。


「先に靴箱行ってて。これ職員室に持ってく」


 引き出しから茶封筒を取り出す。厳重そうに封がしてあった。


「なんだそれ」

「奨学金の申請」


 余計なことをきいた……。


 一年ほど前から俺と由紀の間に「金の話はタブー」という暗黙の了解ができた。きっかけは由紀の母ちゃんの言葉だ。


 ――望月家はずるい。障害年金で暮らせるなんて。


 陰口をきいた由紀は激怒してしばらく口をきかなかったらしい。


「わかった。靴箱でな」


 まさか一緒に行くとは言い出せなかった。由紀の背中を見送りつつ教科書を鞄に詰める。

 由紀は四月にも奨学金を申請していた。今回はさらに追加でしたのだろう。同じように育った幼馴染だが、家庭の違いが根本の違いとなって表れているようでもやもやした。


 靴箱に向かい先に履き替えておく。由紀の靴箱をすきまから覗くと十を超える手紙が入っていた。


「んな古典的な……」


 と思ったが、由紀にはメッセージも呼び出しも通じない。他に方法がないのだろう。

 待っていると由紀がやってきた。いつもはピンと伸びた背筋がほんの少し丸まっている。靴箱のラブレターを発見するとすべてを取り出して鞄にしまった。


「全部読むのか?」


 聞かずにはいられなかった。


「一応。誠実な告白には誠実に返す」


 由紀にこっぴどくフラれた先輩のことを思い出した。由紀の中であれは誠実ではなかったのだろう。

 ……俺はどうなんだろうか。

 由紀に対して誠実だろうか。由紀の気持ちに対して真摯に向き合えているだろうか。


「朔夜。帰ろう」


 由紀の差し出す手を握る。やっぱりその手は冷たかった。

 無言で坂道を下る。いつもは心地いい沈黙だが、今日は張りつめて痛いほどだった。自然と調律されるはずの歩くテンポが微妙に狂う。汚い不協和音のような気持ち悪さがあった。


「……朔夜」


 震える唇から弱々しく発せられる。言葉が迷いで揺れているようだった。

 ごくりとつばを飲む。頭の中で言葉が作られず、ひねり出すように返事をした。


「なんだ」

「今朝のことだけど」

「あ、ああ。別に俺は気にしてな――」

「朔夜が嫌いって、嘘じゃないから」

「――え?」


 驚いてうつむいた横顔を見る。信じられなくて目をじっと見つめた。


 嘘じゃ……ない……?


「朔夜なんて、嫌い」

「……」


 思わず顔を覗き込むも、無表情の仮面は俺を拒絶して言葉の真偽は見えなかった。

 頭の中が真っ白になり現実感がない。地面がふわふわと雲のようにゆれ、身体が自分のものじゃないみたいだ。つないだ手の感触はなく、白い世界で一人ぼっちになったような気分。自分がなにを考えているのかさえわからない。


「それだけ」

「そう……か……」


 会話なんて続くはずがない。

 魂が抜けたように歩き続けた。家にたどり着くまでの記憶はすっぽりと抜け落ちていた。


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