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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
三章 恋する乙女は空回り
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十五話

「遅い。朔夜」

「なん……だと……」


 やってきた由紀は「金魚の糞」と呼ばなかった。ここ最近は気に入ってずっとあいさつ代わりにしていたのだ。言うなと反論し続けていた俺だが、言われなかったら違和感でしかない。


 由紀の目には覇気がなかった。飾らずとも人の目を引き付ける華。天性の気品。そういったものがすっぽりと抜け落ち、魂の抜け殻のような雰囲気だった。


 俺が傷つけたから……。


 改めて自分のしたことの罪深さを実感した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。靴をはくから」

「借して」


 由紀はかがんで靴を履かせる。だが手つきは淡々としており、優しさよりも義務感が先に来ているような気がした。


 ちらりと後ろにいるソラを見る。状況を把握していないのか戸惑ったように立ち尽くしていた。顔を合わせれば言い合っていたので、元気のない二人というのは新鮮だ。さっきのハプニングがあったからか、目を合わせると顔を赤くして背けられる。俺も頭に浮かぶ衝撃的な光景を振り払おうと頭をぶんぶんと振った。


「できた」


 靴ひもまで結び終わり由紀と俺が立ち上がる。立ち尽くしていたソラもはっとしたように靴を履いた。


「サンキューな」

「別に。朔夜だから」


 由紀の無表情は儚げだった。今にも仮面が崩れてしまいそうだが、その危うさが美しいと感じた。

 美術品に手を伸ばすような後ろめたさを抱えつつ由紀と手をつなぐ。

 その瞬間、心臓にわずかなささくれができた。


 由紀の手が冷たい……。


 そんなはずはない。伝わってくる体温はきちんと温かく、俺の手は優しく包み込まれている。そのはずなのに、冷たいと感じてしまった。


 俺の迷いに気づいたのか、由紀は繋いだ手を見つめて物悲しそうな顔をする。それがどのような感情なのか、俺にはわからなかった。


 外はからっと晴れていた。俺たちは住宅街を歩き出す。俺と由紀が二人で並んで、その後ろをソラがついてくる。背中にじっと視線を感じた。


「ソラ、元気ないな。まだ体調悪いか?」


 後ろを振り返って言うと、慌てて首をふった。


「大丈夫だよ~。たくさん寝たもん。あとたくさんマンガも読んだし」

「でもちょっと顔が赤い気がするぞ。熱ははかってきたか?」

「だ、大丈夫だってぇ。これは熱とかじゃなくて、その~」

「その?」

「これがチャンスなんて思いたくないし……」ぼそりと呟いた。

「……? どういうことだ?」


 ドギマギしたように視線を泳がせる。顔はさらに赤くなっていった。


「だ、だからぁ! サクヤが着替えを覗くからぁ!」

「~~~~~っ!」


 慌てて右手をブンブン振って誤魔化し、由紀への言い訳を考える。恐ろしくて横を向けない。事故だって信じてくれるかな……最近の俺、こんな事ばっかりやってんな。


「ふーん」


 だが予想に反して由紀の反応は淡白だった。興味無さそうな言葉を返すのみで、こちらを見もしようとしない。


「お、怒ってる?」

「別に」

「いやでも……」

「怒ってない」


 確かに怒気は感じなかった。無表情の仮面は微動だにしていない。

 それが逆に恐ろしかった。仮面に覆われて由紀の心がわからない。手をつないでいるのに見えない壁を作られたようで遠くに感じてしまう。


 それはソラに対しても同じだった。あんなに馴れ馴れしあったソラに距離を置かれている気がする。遠慮を感じるのだ。漫画を通じて仲良くなれたと思ったのに……。


 どうすればいいのかわからない。気まずさが続く登校に自分のコミュニケーション能力の低さを嘆くしかなかった。







 教室に着くと由紀は手を離し、さっさと早歩きで自分の席に向かった。鞄の教科書を机にしまってからは話しかけるなとばかりに文庫本を開く。背筋を伸ばして無表情に本を読み続ける姿はミステリアスな高嶺の花だった。


 おずおずとその隣の席に座る。窓際から二番目にして最後尾。いつもは居心地がいい場所だが、今日に限ってはちくちくと何者かに咎められているようないたたまれなさがあった。居心地が悪いのはソラも同じなのか元気なく席に座る。俺とは目も合わせずに周囲の人間と話していた。俺は何をするにも落ち着かず目線をさまよわせていると、ちょうど委員長がやってきた。俺を見るなり異様な雰囲気を察したのかジトっとした目を向けてくる。俺は立ち上がって委員長の隣に座った。


「あんた、金曜は何してたのよ」


 荷物を整理しつつ訊いてきた。


「……寝てた」

「バカ?」呆れたように言う。

「違うからぁ! ほら、ソラが早退しただろ? 看病の途中で寝落ちしたんだよ」

「やっぱりバカじゃない」


 じろじろと容赦のない視線をぶつけてくる。強気な眼光は心の底で澱む罪悪感を打ち抜いてくるようだ。


「仕方ねえだろ。風邪ひいたときは誰かが近くにいるだけで安心するんだよ」

「そうね。だからこそ看病イベントは不倫の第一歩なのよ」

「不倫ゆーなし」


 委員長はなんでもそういう方向に持って行きたがる。


「いや真面目な話よ? 弱ってる女の子と二人っきりで優しくするなんてチャラ男の常套手段だから。多分、拓海がよく使ってるわ」

「それ男女逆じゃねえの? 女子が看病するんじゃなくて?」


 ソラの持っていた少女漫画には逆の展開があった。


「どっちでもよ。あんたが由紀に惚れた理由、忘れた?」

「……」


 俺がけがをして辛い時にそばにいてくれた。ずっと支えてくれた。

 あのとき俺は救われた。同じようにソラも救われていてほしいと思う反面、それは由紀を不安にさせてしまう。やりきれない思いだった。


 委員長は真剣な口調で続ける。


「それで、由紀が怒ってるのは看病イベントがあったから?」

「まあ、それもだけど……」


 二日間の出来事を話す。ソラを二人で連れ帰ったこと。一晩中看病をしてたこと。そのせいで由紀を締め出し、不安にさせてしまったこと。


 委員長は難しい顔をした。


「あんた間抜けねぇ。プチ喧嘩をした後に拒絶して、しかも他の女にかまけてたって。由紀が拗ねるはずよ」

「拒絶のつもりはなかったのに……。タイミングが悪かったんだよぉ」


 普段は親父の出勤や母ちゃんの帰宅で鍵が開く。タイミングが悪かったのだ。

 かみ合わない歯車がぎちぎちと嫌な音を鳴らすような、不快なもどかしさがあった。


「タイミングってのもあるでしょうけど、結局あんたがヘタレなのが悪いのよ。由紀を押し倒せばそれでハッピーエンドなのに」

「教室でそういうこと言うな!」


 彼氏すらできたことないくせに言うのだ。委員長の耳年増は加速している。

 大きな声をだしたせいか、由紀がちらりとこちらを向いた。


「あ……」


 由紀と委員長の目が合った。噂しているのがバレたのか、お互い気まずそうに目をそらす。再び文庫本に目を向ける由紀だったが、やがて耐えられなくなったのか席を立ち廊下へと歩きだした。


 ふと、ひとつの予感が身を貫いた。


 ――追いかけなければいけない。


 歯車をきしんだまま放置しては致命的なヒビが入る。これは由紀の拒絶なのだ。俺も拒絶して、由紀も拒絶する。その二つが重なってはいけない。突き動かされるように立ち上がった。


「ま、待ってくれ由紀!」

「なに」


 足を止めて振り向いた由紀は不機嫌というより疲れたような言い方だった。うっとうしいと目が語る。

 心にぐさりときたが退くわけにはいかない。


「昨日のこと、やっぱりもう一度謝ろうと思って」

「別にいい。もう遅いし」

「でも……」


 きっぱりと跳ねのけられる。無表情の仮面には踏み込めない。

 でもここで退いては委員長にヘタレと責められる。


「なにか俺にできることがあれば言ってくれよ。ちょっとでもお詫びをしたい」


 由紀は小さくため息をつく。


「……だから、朔夜は悪くない。お詫びなんていらない」

「んなわけないだろ」


 電話では裏切り者って言ったくせに。


「由紀が学校に行けなかったのも、心配させたのも俺のせいじゃねえか。何もなしじゃ俺のが気がすまねえよ」

「私が勝手にいかなかっただけだし。心配なんてしてないし」


 冷たく心を閉ざされる。

 いつもはすぐに言い返してくるのに……。


「ただ疲れただけ。今は一人になりたいの。もういいでしょ」


 いら立つように言い放ち、再び出口へと向かう。俺は慌てて追いかけた。


「疲れたなら頼ってくれよ。悩みがあるなら相談してくれよ。不満があるなら責めてくれよ。だって俺たち――」

「うるさい!」


 強く言い放った言葉に二人の足が止まる。振り向いた由紀の顔は自分の行動に戸惑っていた。冗談や揶揄ではない、本気でいら立った声。


 頭をがつんと殴られたような衝撃だった。喉に綿を押し込まれたように言葉がつまり、何も話せなくなる。がやがやしていた教室も水を打ったように静まり返ったこともあり、由紀と目があったまま時間が止まったようだった。


 声を荒げた一瞬、由紀の中に別の人格が宿ったような感覚があった。十年来の幼馴染なのにまったく知らない由紀がいた。


「由紀……?」


 知らぬ間に一歩後ずさっていた。それを見た由紀がビクッと怯えるように肩を揺らす。言い訳のように目を泳がせるが、一度言った言葉は取り戻せない。引っ込みがつかなくなったのか意志なき瞳でしどろもどろに言葉をつなぐ。


「さ、朔夜はうるさい。だから嫌い。だい……きらい……」


 自分でも何を言っているのかわからなくなったのだろう。焦りで満ちた顔は青白く、ごにょごにょと呟く口元はおびえていた。


 全身をめった刺しにされたような痛みだった。うっすらと涙を浮かべる由紀の言葉が本気なのか、それともつい出てしまったのかはわからない。それでも、俺の足を止めるには十分すぎた。


 由紀の顔が恐怖に染まる。


 俺は今どんな顔をしてるんだろう……。


「――ッ!」


 由紀は逃げ出した。俺では追い付けないスピードで走り去っていく。


「由紀! あの――バカ!」


 委員長がその後を追う。情けなくも俺は、その背中を傍観することしかできなかった。

 電話で言われたときとはまた違う、心の芯に響くような痛みだった。


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