十四話
目が覚めたのは十七時を過ぎたころだった。カーテンの隙間からもれる斜陽が無情にも現実を告げている。
寝過ごした……。
漫画を読んでいるうちに寝ていたらしい。ソラが起きるまではと思っていたのだが。
ソラはまだ布団の中にいた。そろそろ二十四時間連続の睡眠だ。いい加減起こした方がいだろう。
「ソラ、ずっと寝てんのか?」
そっと肩を叩く。眠りは浅かったのか、すぐにもぞもぞと動いて目を開けた。
「う~ん、ぐっもーにーん」
「おはよ。ちょっと寝すぎたな。腹減っただろ」
ソラも起き上がって背伸びをする。顔色は大分よくなっていた。汗をぐっしょりとかいて悪いものが出たのではないだろうか。足取りもしっかりしており、昨日までのきつそうな雰囲気はすっかり消えている。
ぐ~、と健康的な腹の虫が鳴った。ソラの顔がみるみる赤くなる。
「さーて、夕食は作ってあるかな~」
「そこはスルーしてよ~!」
……ソラにも恥じらいがあったのか。
感心しつつリビングに行くと親父がスーツ姿で料理をしていた。野菜炒めの香ばしい匂いが鼻を通りぬけていく。自覚のなかった空腹が急に主張を始めた。
「親父、帰ってたのか」
今まで仕事だったのだろうか、親父のスーツはくたびれていた。
俺に気づくと、濁り切った目がわずかに安らぐ。
「おはよう。ソラナちゃんが熱だって?」
「だいぶ良くなったと思うけどな。悪化した感じもないし病院はいらないだろ。明日からの土日を休めば治ると思う」
「そうか」
それきり会話はなかった。明らかに学校を休んだことにも言及しない。大変な時に親父がいなかった謝罪もしない。
親父は俺に甘いから。そして、家族は迷惑をかけあうものだから。
暗黙の了解はゆるりと俺の首を絞めていった。リビングにいては息がつまりそうで、逃げるように脱衣所に行く。義足を装着したまま寝てしまったので寝汗を落とさなければ。暖房をつけっぱなしだったのでぐっしょりだ。
ズボンを脱ごうとスマホをポケットから取り出す。その通知を見て驚いた。
「じゅ、十七件……?」
マナーモードにしていたから気づかなかったが、由紀から大量の着信が入っていた。
メッセージを見ても「電話でろ」「無視しないで」「カギ開けて」と連投されている。二人きりで鍵を閉めていたから昨日のように中に入れなかったのだろう。
わざわざ家に来てくれたのに悪かったな……。
昨夜はあれだけ不安そうな声で電話してきたのだ。電話にも出らず、学校にも来なかったら心配かけただろう。すぐにかけなおす。
『朔夜……』
二コールででた。疲れ切ったような声が聞こえてくる。
「わるい、ずっと寝てたんだ。鍵もずっと閉めちゃってて……」
『もう遅いよ』
「わ、悪かったって。ソラを起こさないようにずっとマナーモードにしててさぁ」
言ってから気づいたが、これではソラと一緒に寝たと言っているようなものだ。緊急事態だから仕方なかったと説明すればわかってくれるだろうか……。
『朔夜のバカ』
淡々と恨みがましく言ってくる。本気で怒っているときの声音だ。
「看病だから仕方なかったんだよぉ……」
言い訳をするが二日連続だ。しかも、今回は俺が自主的にそばにいようと決断した。もし逆の立場ならと考えると申し訳なさがこみあげてくる。
「担任はなにか言ってたか? 無断欠席になったけど」
『知らない。学校行ってない』
「は、はあ⁉」
思わず大きな声が出る。由紀は遅刻はあれど、欠席はなかったはずだ。
胸の底から罪悪感が湧き上がってくる。
「もしかして、俺のせいか?」
『……』
無言の肯定だった。脱衣所で膝をつきそうになる。
俺がしっかりしてなかったから……。
『電話に出てくれなくて。鍵も閉まってて。どうすればいいかわからなくて』
そこまで心配してくれている間、俺は寝ていて。
『どうにもならなくて。不安になって』
昨日の今日でこんなに不安にさせてしまった。
『……朔夜の、バカぁ』
電話の向こうで泣きそうな声が聞こえた。
また由紀を泣かせてしまった。その事実は腹の底で煮えたぎる罪悪感になった。
「……悪かった」
やらかした直後ではどんな言葉もチープになる気がして謝ることしかできない。
情けなくなった。ただでさえ由紀とは釣り合わない俺なのだ。せめて誠実でいることが精いっぱいできる努力のはずなのに。
『朔夜なんて嫌い』
ぐさりと胸を刺す。初めて言われた言葉だった。
重く言い放たれた言葉は真実味を増して膨らんでいき、胸をえぐり続けて抜けてくれない。いつの間にか歯を食いしばっていた。
『裏切らないって言ったのに……』
「う、裏切ってないって! ずっと寝てただけだから! ソラの看病をしようと思っただけで……」
――違う。二日連続で一緒に寝るというのは、それだけでもう裏切りなのだ。
委員長の言葉が逃げ場を塞いでくる。
「……ごめん」
『朔夜は正しいってわかってるけど……でも……この裏切り者ぉ……』
何も言えなかった。由紀に責められるまま、スマホ片手に立ち尽くす。
『朔夜なんて嫌い。大嫌い……』
そう言い残して電話は切れた。ツーツーと無機質な音が俺を責めたてるようだ。
――大嫌い。
その日、夜に寝るまで由紀の言葉が耳の奥に残っていた。
あっというまに土日が過ぎた。由紀とは一度も会わなかった。着信もなければメッセージもただ一つとしてこなかった。
由紀の家まで菓子折りもって謝りに行こうとしたが、メッセージを送っても返事をくれないので行けなかった。まさか突然押しかけるわけにもいかず、買ったお菓子は紙袋の中で眠ったままだ。
でもこれでよかったのかもしれない。謝って済む問題ではないし、俺だけすっきりしようしても意味がない。また同じ間違いを犯さないためにも、胸に刺さったとげの痛みは必要なんだろう。
月曜の朝。ベッドから起き上がった俺は自分に渇をいれた。どんなに怒っていようと由紀は俺の家に来る。まずはそこからだ。失った信用を取り戻すためには膨大な努力が必要となる。
シャワーのために階段を下りる。寝ぼけた頭を吹き飛ばさなければならない。
気合十分に浴室のスライド式のドアを開ける。
「え?」
「あ……」
着替え中のソラがいた。上は何も来ておらず、下も今まさにフリルのついた白のパンツを脱ごうと手をかけて――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
同時に叫ぶ。飛びつくように両者ドアを閉めようとしたのでごつんと頭をぶつけてしまった。
「っ~~~~!」
ソラは痛そうに後ずさって額を手で抑える。だがドアはまだ閉まっていないので部位は隠されていない。見てはいけない部分に目が吸い寄せられ――
「ほんぴゃぁっ!」
それに気づいたソラが顔を真っ赤にして勢いよくドアを閉めた。もう遅いが、俺も慌てて目をそらす。
「な、ななななななななんでサクヤが⁉ いつ起きたの⁉」
「わ、わりっ! 寝ぼけてた!」
「その割にはタイミングが良すぎるよお~!」
テンパってるのか早口だ。俺も焦ってドア越しの土下座をする。
「わざとじゃないんだって! 信じてくれ!」
「わかってるよわかってるけどそうじゃなくてぇ! そういう問題じゃなくて~!」
ソラの困ったような叫びが響く。とにかく俺は謝り続けるしかなかった。
今度からは気をつけなきゃ……。
前回はソラが恥ずかしがらなかったのでなあなあになっていた。女子と一緒に住んでいるのだ。男は気を配らなければならない。気合十分だったつもりがが空回ってしまった。
ソラが恥じらいを覚えたのは成長なのだが……。
……網膜に焼き付いた鮮烈な映像は忘れられそうにない。