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幼馴染と手をつなぐ  作者: 高橋もみぢ
一章:恋する乙女は手をつなぐ
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プロローグ 極東の王子様

 冬の極東で出会った王子様には左足がなかった。




「な~にやってんだお前。迷子か?」


 路傍に座り込むボクに一人の少年が話しかけてきた。

 驚いて顔をあげる。


 ――まさか話しかけられるなんて。


 これまで道行く人はボクの金髪を見てそそくさと去っていった。遠巻きな同情はボクの孤立を深めるばかり。雪でぬれたアスファルトは痛いほどに冷たかった。誰にも助けを求められずパパを待つこと三時間。頭に積もる雪を何度もはらううちに手の感覚はなくなっていた。


「……」

「やっぱり日本語わかんねーのか? う~ん、俺も英語わかんねえしなあ。もしかしてフランス語か? ぼ、ぼんじゅ~る?」


 少年の言葉はほとんど理解できない。

 おそらくボクと同じ十歳くらい。黒髪は短くツンツン。柔和な顔は人懐っこく身長相応の幼さを感じさせる。


 特徴的なのは目だ。日本人特有の真っ黒な瞳。乾燥を知らないうるんだ双眸はきらきらと光を反射しているのに、闇の底のような瞳を持っている。光と闇をあわせもったような目は魅惑的でしばし視線を外せなくなってしまった。


 悪人には見えない。だが日本語、そして日本人という未知に恐怖して警戒した。意識しないうちに全身がこわばっていく。


「親父とかーちゃんはいないのか? こんなとこで座ってたら寒いぞ。英語で言うと……ふぁーざーとまざー?」


 両親の話だろうか。よくわからないまま首を振る。

 よくしゃべる――楽しそうな子だな。


「やっぱり迷子かー」


 少年は考え込むように顎に手をあてる。しばしの沈黙。

 名案とばかりに指を鳴らした。


「じゃあ俺といっしょに探そうぜ。ずーっとここにいるよりいいだろ? 実は俺も迷子でさ。親父を探さなきゃいけねーんだ」


 手を差し出された。言葉はわからないが一緒に行こうと言っているのは雰囲気でわかる。さりげなく、何気なく、会ったばかりのボクを助けようと手を差し伸べた。損得勘定のないまったくの無邪気な顔だった。


 わずかに迷い、困惑した。知らない人について行ってはいけない。イギリスなら常識だ。不可解な優しさの裏には悪意が潜んでいるものである。


 だが――理性の決断よりも早くその手を握っていた。ほとんど直感だ。この少年なら大丈夫。思いっきり手を引っ張って立ち上がる。


「ってうおっ!」


 代わりに少年がずっこけた。お尻を打ち付けて痛そうに顔を歪めている。

 自分で差し出したくせにこけるなんて。

 疑問はすぐにとけた。顔ばかりを見て気づかなかったが少年の左足は金属製だったのだ。雪雲の隙間から差し込む弱々しい太陽の光に照らされて銀色に輝いている。


 人の身体を支えるにはあまりに細く感じた。少しのことでバランスを崩すのも納得だ。それを承知でなお差し出してくれたのか。


「いってぇ……やっぱりバランス取れないな、これ。由紀がいないと慣れねーなぁ」


 ズボンをはたいて少年は立ち上がる。また手を差し出してきた。


「行こうぜ」


 少し冷静になって再び逡巡した。連絡のつかないパパを待ち続けるべきなのか、それとも自分から探してみるべきなのか。常識で考えればここに留まるべきだ。この少年とは会って数分。親切を信用する方がどうかしている。


 ためらっていると彼が笑った。


「心配すんなって。俺が探してやるからさ」


 思わず息をのむ。

 春の陽光のような笑顔だった。ぽかぽかの陽気にあてられて、警戒と孤独で凍てついた心が氷解していく。


 誰も彼にも見捨てられ、頭と肩に雪が積もるだけだったこの町で、唯一その顔だけが暖かく感じた。


 少年と冬の太陽が重なって後光が見える。

 でも太陽と表現するのはイヤだった。それはソラナ――太陽を意味する名前を持つボクの専売特許である。パパがボクに付けてくれた大事な言葉だ。

 黙ったまま恐る恐る手を取る。ただ一つの笑顔で警戒はすっかり消えていた。理屈なんて関係ない。ただこの手の温かさを求めた。


「よーしっ、その意気だ。いくぞ!」


 少年の左手に引っ張られて歩き出す。義足ではバランスが悪いのかふらついている。そんな彼を支えるように手をつないだ。




 高架下にやってきた。左手には飲食店が立ち並び、空腹を刺激する匂いが漂ってきた。

 右手にはちょっとした公園がある。しかし高架に日を遮られてじめじめしていた。

 通りの人は少ない。電車も雪で止まっているらしく静かだ。コツコツとボクたちの足音だけが響き、広い街中で取り残されたようだった。


「腹へったか?」


 こちらを向いて言う。心配されているのはわかったが、具体的に何を言っているのかはわからない。わからないまま首をひねった。


「違うか~。じゃあ寒くないか?」


 再び首をひねろうとすると冷たい風が吹いた。寒風は首の周りを絡みつくように吹き付ける。くしゅん、とくしゃみが出た。


「やっぱ寒いんじゃねえか。頭に雪がのってるもんなあ。……よし、ちょっと待ってろ」


 周囲をきょろきょろと見まわした少年は、ある店を見つけると一目散に走っていった。ぽつんと取り残されること三分。紙袋を二つ持ってスキップしつつ戻ってきた。義足だから不格好なスキップだった。


「ほれ、それやるよ」


 片方を差し出される。意図がわからず困惑していると無理やり持たされた。

 態度から察するにプレゼントらしい。だが信じられなかった。見ず知らずのボクに対してなぜこんなことをするのだろう。


「それやるって……あ、わかんねえのか。しゃーねーなあ」


 ボクの持つ紙袋から白いベレー帽を取り出してぐりぐりとかぶせてきた。大人用だからかボクの頭にはぶかぶかだけど暖かかった。積もっていた雪の残滓はすぐに溶けていく。


「それなら雪も平気だろ。ちょっとでかいけどすぐに大人になるって」

「……」


 どうして? と目で問う。さすがに申し訳なかった。

 じぃっと目を合わせると少年は頬を染めて目をそらす。


「別にお前のためじゃねえよ。親父から小遣いもらったんだけど、無駄遣いをすると怒るんだ。プレゼントなら無駄遣いにはならねえだろ?」


 照れ隠しをしているのは伝わった。早口で言い訳を並べているんだろう。

 それがおかしくて思わず吹き出してしまった。


「な、なんだよ。何がおかしいんだよぉ」


 恥ずかしそうに言う。あたふたする様子がかわいくて安心した。

 だから素直になれた。


「アリガトウ」


 少年は呆気にとられたように目を丸めた。失敗したかと焦ったが、すぐに笑顔でボクの頭をぽんぽんとなでた。


「な~んだお前、日本語うまいじゃねえか」


 ボクたちは笑いあった。日本に来てから初めて笑った気がする。

 少年のとなりは心地よかったのだ。寒空の下で冷え切っていたはずの身体はいつのまにか暖かくなっていた。少年とつないだ手から春が流れてきたのだ。


「――ソラナ!」


 その時、ボクの名前が聞こえてきた。振り返るとスーツ姿のパパが走っていた。真冬なのにびっしょりと汗をかいている。ディロー社の社長であるパパはいつも車で移動するので珍しい光景だ。


 タイムリミット。もう終わりか。

 考えがよぎり、自分でも驚いた。見つけてくれて嬉しいはずなのに名残惜しい。無意識に少年の裾をぎゅっとつかんでいた。気づいてから恥ずかしくなり慌てて離す。

 十二時を過ぎたシンデレラのように、駆け寄ってくるパパの方へと歩き始めた。




 そうしてボクは少年と別れた。

 聞くところによると、少年の父親はパパの会社の部下らしい。

 でもそんなことどうでもよかった。

 別れ際。迎えに来たリムジンに乗り込んで窓を開ける。少年は道の真ん中で立ち尽くしていた。だがその顔は安堵で満たされている。


「迎えに来てよかったなあ。もう迷子になるなよ」


 別れを惜しんでいるのはボクだけなのか。もやもやとしつつ窓から顔を出して手を振った。向こうもとびきりの笑顔で手を振り返す。

 言葉はわからなくとも通じ合えた気がした。


 車が発進した。笑顔がどんどん遠ざかっていく。冷たい空気が直撃するのもお構いなしに窓から身を乗り出して手を伸ばした。さらに遠ざかる。


 それでも脳裏に焼き付いた彼の笑顔が鮮明に見えた。カーブを曲がって見えなくなるまで目を離せなかった。

 やがて見えなくなると窓を閉めて座席にもたれかかり深いため息をつく。


「……」


 隣に座るパパに少年の話をしたいと思ったが、そういえば名前すら聞いてなかった。

 太陽のような人だった。でもそれはソラナ――太陽を意味するボクの名前の特権だ。別の呼び方を考えなければ。


「――王子様」


 英語でつぶやいた。イギリスにおいて大きな意味を持つこの名前。それにふさわしいと思えた。灰かぶりのシンデレラに手を差し伸べる、そんなおとぎ話のように。


「ねえ、パパ――日本にはね、王子様がいたんだよ」


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