人と魔の狭間 2
秋が深まる静かな夜の日に、安静にしろと言いつけられた主は、自室で読書をしていた。
童子式神はぼんやりとそれを見ている。彼がいつも何を読んでいるかは分からない。が、人間が使う文字など解読できないのだから元から興味はなかった。
いきなり文庫本を閉じると、ポツリという。
「外の空気を吸う」
「主治医に安静にしろ、と言われているでは無いですか」
「いいや、歩く」
困った事にあの人間はヨレつきながら廊下に出て行ってしまう。慌てて後をついていくしかない。
「無理して動くとお体に悪いですよっ」
ジロリと睥睨すると、壁に手をつきながらゆっくりと歩き出した。階段を上がりながら二階のベランダに向かう。
「主さま──」
「これから、物事は動くのだろうか」
「えっ」
「…神使どもが勘違いしているとおりに、山の女神の御神体を手に入れる」
ポツリと口にして、階段を見下ろした。そこには闇が蟠り、奈落の底にも思えた。
「この町の神々と女神は必ずこちらに会いに来る。その時が勝負だ。ルールをリセットする」
「どのようにですか?」
「山の神にルールを変えさせる」
「は?」あまりの言葉に固まる。童子式神は思考停止し、足を止めた。
「それには…人質に値するモノが必要だ。例えるならば、神域の起点にある重要な物」
主が手すりをなぞりながらいう。「神域の起点にある──女神の御神体ですか?」
「そうだ。山の神の御神体と引き換えに、リセットを要求する」
「…可能でしょうか」
「可能なら既に誰かがやっているさ」
乾いた笑いを漏らし、彼は自虐的になる。
「死にに行くようなもんなんだ。オレは多分、明日死ぬかもしれないくらいに余命がない。なら、最後に傷跡を残すんだ」
(主さまはよく言っていた)
──魔や人だけで"運命"を左右する楽園を作ろう。人も魔も同じ位置についていたはずの、言わば原始の頃のような楽園へ。
原始を満たしていた虚無こそが真実だと。いつだか誰かが式神システムを決めたように、自分がルールを定めれば──
「加えて神域の起点にゆらぎやケガレをぶち込む。あの場が町の母体なら、聖なる場にケガレ──バグとなる因子をぶちこんでやろう」
「それでは越久夜町はぐちゃぐちゃになり破綻します」
「越久夜町は壊れて当然だ。破壊と創生。それがなければ町は再生しないのだから」
「…」
「ゆらぎを集めさせたのはこのためだ」
二階に置かれた古めかしい椅子に座り、テラスから星を眺める。童子式神は月の眩さに目を細めた。
太陽は見た事がないが、月の明るさはやはり嫌いだ。こちらを暴く光のようで。
テラス窓をソッと空け、外の空気を浴びる。空ではぎゃあぎゃあと夜鳥が飛んでいく。
「遺棄された神域を手中に収め、利用したのも無駄じゃなかった。陣取りゲーム、という意味もあったがゆらぎを効率的に集められた」
主は風に吹かれながら静かに言う。
「"能無し"なりによくやっただろ」
「…はい」
しがない式神はそれを見遣り、虚ろな顔をする。互いは見つめ合い、しばし暗闇に沈んだ。
しばらくぼんやりと時間を過ごし、主を助けながらも自室に送り届けた。既に疲れきった彼はベッドで、ぐったりと横たわっている。
「主さま。睡眠薬は飲まれましたか」
「あんなもの、効きやしない」
「しかし…」
「なら、眠れるまで話に付き合ってくれ」
「…分かりました。」
「さっきの続きだが…反応がないのをみるに神域を占領し、結界を壊したところで神々はすぐ修復するだろう」
カーテンから差し込む薄い光を眺めながら、ぼんやりという。
「稲荷の神使にはやられた。領地を奪われたがテリトリーを破った意味はあったんじゃないか?神使どもの思考を固定させることができた。我々が山の女神の本体を狙っているという…あちら側が描き出したシナリオに、乗っかれたのも」
「はい」
「それに結界を壊した所であまり越久夜町へのダメージは少ないと判明した。幾重にも結界やらが貼られては放棄されている。魔の視点を得てそれが分かる。テリトリー、防御壁、ゆらぎ。まるで目をつぶっていたかのように、景色が違う」
信仰を得られず消滅してしまった神の跡地。
「この町は穴あきだらけだ」
目をつぶり、主は寝返りを打つ。それを式神は見守る。
「近々、神域の起点に向かおう」
「はい…」




