人と魔の狭間
「人間が人魂を食べるなど…わたくしはどうしてよいのやら」ため息をつき、陰々滅々たる気持ちになる。
星守一族に伝わる呪法を使い、魂を可視化したのだという。人が使役する呪法に疎い童子式神だが、多分、誰も知らないのではなかろうか?
秘宝中の秘法なのではないだろうか?
それを使役できたのは、彼が星守の末裔だったからだろう。
(霊力もないのにどうやって…)
「どうもこうも」一方、主は平生だった。憎らしいほどに。
「幾多の主にお仕えしてきましたが、あなたさまのような行動をしたのは初めてです。人間が魂を食べたらどうなるかお分かりですか」
童子式神はあええ凄んだ真顔で言った。彼は気にしていない素振りで、「さあな」
「主さま!」
「今まで、つまらなかっただろう?何もできぬ主の元にいて。お前には人などどれも同じに見えるのだろうからな。魔に近づいた人の魂はどんな臭いがする?」
「そんなの…」
言い淀んで狼狽える。
「お前も人らしくなったものだ。そんな顔をするのは、俺の魂から養分をもらっているからだろう?死神」
「あっしは死神ではございません、式神ですっ!」
主は寝室のカーテンの隙間から三日月を見やる。知らぬ間に一度新月になったのだろう。
いつだったろう?
「鬼になろうが何になろうが、オレは知ったこっちゃない。むしろ好都合だ」
「そうですか…」
しばし黙り、童子式神は椅子から降りた。
「主さま…。どうか、人の道をはずれても人である事を蔑ろにしないでください。わたくしが分霊から蹴落とされたように、人から転落しては…」
「転落じゃない、昇華だろ」
幼いまま時が止まったこの人間が歯を見せつけて笑う──久しぶりの笑顔だった。白々しいほどの、笑顔だ。
「は、はぁ…」絶望した。
(なんだこれは?…人ならざる者の魂を、あっしは食えるのか?主さまの魂は何か異質なものを宿している。起爆剤を与えれば──確かにあっしはそう思った。けど、けどまさか)
「たましいを」こちらが言う前に、主が遮ってきた。
「魂を食べろと、夢のオレが言ったのだ」
(まただ…夢、なんて)
「神域の起点の際も、あの扉の際も主さまは言い当てられました。その夢とやらは」
「予知夢なのか、それともオレがもつ能力なのかわからない。しかし夢の自分が囁くんだ」
「まさか主さまの言う理想もそうなのですか?」
「さあ…初めからそう決まっていたのかもしれぬな。夢にでてくる己が望んでいたのかもしれない」
「そお…ですか?」
訳が分からず首を傾げる。いや、理解などしたくはなかった。頭が拒否している。
「わたくしは主さまが分かりません」
「良いんだ。真意が分からずとも。結界やテリトリーを壊すよりも、魔のように魂を食い、人の肉体にありながら幽世に近づく。それが近道だった…」
「人が人魂を食べるなど…本来は有り得ないことです」
人ならざる者や人間の魂を食べてしまえば、存在が不確かになる。それを彼は知らなかったのだろうか?
主である人間の余命はわずかだろう。
衰えきった手がこちらを呼んでいる。仕方なく椅子に座り直し、撫でられた。
「人をなめるなよ。執念をもてばなんだってできる」
童子式神は絶望した顔で主の柔らかい笑みを仰いだ。
夢に出てくる見知らぬ少女。綺麗な烏の濡れ羽色の髪を結い、または伸ばし、美しい勾玉を貰い──貧しかった子供はやがて女性になり、政に巻き込まれていく。
彼女は皆から巫女に近い言葉で呼ばれていた。なら、今でいうシャーマンなのだろう。
或いはその少女になっている夢を見た。本来そうだった様な、確信を持てる感覚。
物心ついた時から彼女は夢に出てきた。素性の分からない娘は神々に祝福され、その笑みは無邪気に輝き、娘自体輝いている様だった。
自分も生まれ落ちた環境に祝福されれば良かったな、と僻んだりした。とある式神の主である人間は思う。
しかし夢の中の女性はずっと幸せそうではない。あんなに清らかだった景色は沈み、幾つか歳をとり大人になった娘は憎しみに悶え、ある名を呼ぶ。
呪詛の様なその名を、聞く度に"その人"へ会ってみたいと考えるようになった。──山の神よ。
手を伸ばし、山の女神に触れようとする。しかし山の女神は急に現実味を帯び、こちらを叱る。
「何しているの?無駄なことをしないで」
子供時代の彼はぬいぐるみを手に佇む。山の女神は部屋を出ていき、一人残された。
…空っぽだ。
なぜ、山の女神はあの女にそっくりなんだ?
座り込み泣き出す、夢の中の少年は孤独に苛まれた。