越久夜間山〈稲荷の狛狐 山の女神の伝承〉2
二匹は互いに負けぬよう廊下で威迫した。退魔の力がなければ胸ぐらでも掴んでやりたいくらいだ。
「護法童子。あれがおめぇの使役者か」
「なんだ?隙を狙って奇襲でもするつもりか?」
「まさか」
「あの人間から貴様を祓ってやる」
彼は目をギラつかせて宣告する。こちらも睨みつけ、お互い道を譲らない。
「祓えるのなら祓ってみればいい。あっしは主さまの式神だ。主さまの魂はあっしのものだ」
「魂に固執するとはなんと浅はかな生き物。そうして負け犬らしく虚勢を張っていろ」
「お前こそ、牙を抜かれた腑抜けのくせに」
「あ?」
「神の加護などというマヤカシに騙された間抜けな魔物が。そうやって正義ヅラして、使役者にへつらっていろよ!」
童子式神の挑発に護法童子はビキッと血管をうかした。
カン、と召喚した錫杖を地面に打ち当てると、式神はガクリと膝をつく。またあの能力だ。
「魔の分際で、私に楯突くとはな」
「くっ」
(主さま。魂をこんな奴に奪われてたまるか)
「なんとマヌケな。ハハハッ」
歩いていく後ろ姿を眺めながら、手をつきながらも歯を食いしばった。
「くそったれ!」
有屋という世話係が去ってから、ひとしきり癇癪を起こし、主は息を切らしていた。破れたカーテンと散らばった花瓶、荒れ果てた部屋が月明かりに暴かれる。
「鳥子め…!」
まだ気が収まらぬのかベッドの上で苦悩し、ギリギリと歯を食いしばり、拳を握りしめる。
「主さま…あまり無理すると…。リラックスできるようハーブティーでもお持ちしましょうか? 」
「──あいつは邪魔しかしてこなかった!今回もそうだ!くそ…!くそっ!」
「あ、主さま……」
(あっしは人間関係までに、主さまの全てに干渉できない。式神は主の命令を聞き、叶えるだけの存在なのだから。全てを管理してしまえば、人間の魂は無味無臭に成り下がる)
「しかし主さま、あっしはまだおります。星守一族の呪法なるものはまだ効力があるのではないでしょうか?」
(人間たちはこの星の力を使い、呪術師という名称の存在になった。地球に流れているエネルギーを、人らは我がモノにしようと試行錯誤したのだろう。あっしは彼らの歴史などよく分からない…人間は皆同じにしか見えぬのだ)
「ああ…だが、もう星守一族に伝わった呪法を二度と見れないんだよ。あれは…ああ、お前になんか話したところで何も…」
額を押え息苦しそうにする主に、童子式神は戸惑う。
「俺は先が短い…はやく、理想を叶えなければ。鳥子に計画が知られようが、なりふり構っていられないのだ」
「その鳥子という者は何者なのですか?」
何気ない問いかけに、彼は固まった。そして生気のない笑いをもらす。
「は、はは…お前がそんな風に…いよいよ、俺はあの世送りにされるのか…!」
「…?」
理解できずに眉をひそめる童子式神は見守るしか無かった。
「あの世とはどんな所だ?教えてくれ、死神!」
「あっしは式神であって」
「はあ…お前に問い詰めた所で何もならん。分かっている、だが気持ちが収まらねえ!クソが!」
再びベッドを殴る人間にこちらは焦りを覚える。予想しているよりも終わりが近いのか。
「主さまは錯乱しております。このままではあっしらへのエネルギー供給も時間の問題かと」
ミーティングを兼ねて、主が居ない間に寡黙と童子式神で荒れ果てた部屋を片付けていた。
「…もう無理かもしれぬな。外部に漏れてしまったのなら、主の野望は潰えたにも等しい。誰も知らぬからこそ実行出来た荒行じゃった」
「…そんな…諦めるんスか?!」
「諦めるも何も、其方の野望ではないのだぞ?ただ吾輩らは主の願いを叶えるだけ」
「あ、あっし…の願いは…」
たどたどしく反論しようとするも、彼が怖くてできなかった。
「なんじゃ?其方、式神になった理由を思い出したのか?」
「い、いや…思い出してはないですが。普通でしょう?おめぇーだって願いがあって式神になったのでしょう?」
「──ふぅむ。危険な兆候じゃ」
「えっ?」
「…吾輩らは主の願いを叶える、唯一の存在じゃ。じゃがのう、式神は主に過干渉しはしない、魂に執着すれど、後は蠱毒魘魅を冒した無惨な結末へと転落していくのを待っているだけじゃ。助言も救済もせぬ」
「え、ええ」式神は歪ににこつく。式神システムを話した記憶が脳裏に過ぎる。
「其方がそのようなタブーを冒せば、この町にも何らかの余波が出るかもしれぬのう」
(もう、出ているのでしょうね。寡黙…)
心の中で密やかに呟くと、割れた手鏡を拾う。自らのは映らない。
「また鏡を買ってもらわなければならないですね」
まじまじと眺め、割れたガラスが月明かりを反射して煌めいた。