その頃周りでは
蛇崩と呼ばれる土地は、忌地、禁足地と呼ばれ昔から人が近づかなかった。大蛇が山から滑り落ちてきて、人の住処を飲み込んでしまった。
──そんな伝承もあり、人々はことさら恐れた。
しかし神聖な場でもあったとたまに古老たちはいう。
神々の住む場所へ続く、神聖なる領域。
越久夜町では考えた挙句、湿地帯の生態系を守る自然保護区として人を寄せ付けなくなった。
人ならざる者である山伏姿の式神、山伏式神は人の都合など知らない。遭難した登山者の遺体がないか探したり、大ぶりな精霊たちを食べたりと、動き回っていた。
「あら。これ」
川辺より少し奥にある場所で、山伏式神は荒れ野にこんもりとした丘を見つけた。
「こんなの見たことない。出歩いてみるものね。う〜ん、確かこれは墳墓…かしら?」
「そうさ。人ならざる者がよく知っているな」
背後から幼い子供の声がして、彼女は誰かがやってきたのに気づく。かの声に敵意は無い。
「あなたは──」
背後にいたのは地主神を倒したあの鬼神だった。
「血遅い式神よ」
「ひっ!オニっ!」
わかりやすいほどに驚いて、縮み上がる。
「そんなにビビることないだろう?」
彼は薄ら笑いを顔面に貼り付けたまま言った。
「無理言わないでっ!魔からしたらド級の捕食者よ人だって、なんでも食べちゃうって…」
「なんだいそれは。私はそんな存在なのかい…?フフ…、お前みたいな不味そうな奴食うものか」
「な、なによ…?自分が何なのか分かっていないの?」
「馬鹿だな。私はオニではあるが、お前の指す餓鬼や悪鬼とは違う」
「あ、あなた神さまなんじゃなかった?!」
ぎゃんぎゃん吠える山伏式神に、子犬を連想する鬼神。弱い犬ほどよく吠える。まさにそれを体現しているかのようだ。
「ここは私のテリトリーなの!」
「早々怒るな。私だって墓参りくらい許されたって良いんだろう」
「えっ」
可憐な仏花を手にしているのに気づき、かなり風化してしまった墳墓を見やる。
人間は故人を弔う習性があるのを存じていた。花を手向け、あの世へと送り出す。
神霊にもその習性があるというのだろうか?
「彼女の命日だからね」
「彼女って恋仲…とか?」
良い暇つぶしを見つけたと目をキラキラさせる山伏式神に、鬼神は笑ってみせる。
「まさか!仲は悪かったさ」
「仲が悪くても墓参りするのね…。理解できないわ」
「同じ生業をしていたんだ。ライバル関係ってヤツだ。彼女は、ツクヨミと言った」
──神世の時代、稀代の巫女がいた。名をツクヨミと神々が噂しているのを耳にした事がある。私も同じように、神々の声を聞き、民に伝えていた。ただ彼女と私が願っていることは同じでも環境が違った。
何よりこのムラを支えるのに必死だったし、私も民に尽くしたつもりさ。それでも現実ってのは上手くいかないものだ。
私たちは結局…。私は人の道から外れ、怨霊となる。彼女は──わからない。だが確実なのは人々からこうして忘れられたのは同じだ。
「あなた人だったの?!」
「そんなに稀な事じゃあないだろ。人も人ならざる者へ簡単に変じるのさ」
「人間どもが…?信じられない。あなたも…道を踏み外すなんて…。少し興味が沸いたわ」
「物好きだねえ?なら…話してあげよう。」
──"私"という人間は数千年前まではるか遠い国からやってきた所謂渡来人だった。
様々な地域で多大な文明が花咲き、人類は繋がりながらも生活圏を増やしていった時代だ。
この国において大陸からやってきた異国の民は様々な技術や知識を教える役割を担った。
…"私"は全くの他人でね。彼女と同様に民に尽くしたり、文化が発展していくのに喜びを感じた。間抜けなほど未来と人を信頼していたんだ。
「人間ってそういう所があるのよね。煩わしい」
彼女も、ツクヨミもそうだった。民と神を盲信していた。"私"とそっくりだ。
「そう。けど民に裏切られたのでしょう?」
ああ、裏切られたねえ。今まで輝いていた景色が幻だったかのようだった。体の中にどす黒い邪悪な者が宿るぐらいに。
私は怒り、怨念と憎悪の化身。…自身を形作る感情が尽きるまで暴れ回ったよ。
それでも心体に宿り放出される、醜い塊はなくならなかった。裏切った民を苦しめ、共に耕した自然をケガし…自らが築いたものを台無しにした。
やがてどす黒い者は怨霊──私になり、人ならざる者となり、鎮められた。神に祀りあげられたんだ。
よくある話さ。
感慨深い表情のまま墳墓を眺め、花を供えた。
「もう一人の…彼女はどうなったの?」
「もしかしたら私と同じく未練たらしくバケモノに変じているかもな…。くくく…アレがそうコロッと輪廻に還るようには思えんからね」




