記憶
護法童子が来た次の日だった。そんな事情など露知らず、主から命令があり、童子式神らは星守邸宅から少し離れた場所での任務を遂行する。
台風がやってくる前の静けさはどこか不気味だった。異界でも人ならざる者の気配が全くしない。どこかに隠れて居るのだろうか?
寡黙も同行する事になり、結界をはる。結界といってもただ、式神の縄張りである、と片割れがしめ縄を張るだけだが。
(あれからずっと、アイツの言葉が頭から離れねえな)
「あたしと勝負しようよ。どっちが先に"何者か"になれるか」
(何者って…)
鬼神の目的は式神から分霊するのではなく、上位的存在を作る事──。
(分からないのは、あっしが何者かになるのを望んでいるって奴だ)
(何者って何だ?あっしは式神だ。それに、鬼神とは本当"知り合い" だったのか?覚えてない)
(もしも分霊だったら。それは、それだけは覚えている気がする…ただ)
(何の神だったのかは、覚えていない。しかし、まさか自分が…式神システムの呪縛に呑まれるとはな…)
式神システムとは──
『式神システムは画期的でした。しかし代償は大きく、システムから脱することができなくなる式神たちが大勢いるのも事実でした』
『自分が何者か、忘れてしまうのです』
『式神たちはその現象を知らないわけではないのです。だけど忘れてしまう式神になってしまったら式神でしかなく、皆同じ存在になります。変わってしまった"存在"を戻せはしません』
(あっしは特別だと思っていた。自分だけは大丈夫だと。式神になった、という事実を覚えているし、今の姿や魂が本来の物だとは思っていない。だが、例外なく式神であることを失念していた)
「おめえは覚えてるんスか?」結界を張り終わった二匹は休憩していた。
「何を?」無に徹していた寡黙は答える。
「何って。式神になる前の事を」
「いきなりなんじゃ。ふうむ。覚えている…と言ったら?」
「えっ!覚えているんすか?」
馬鹿正直に驚いた童子式神に、彼は呆れたような顔をしたがまた読めない様相に戻る。
「覚えてないと言ったら?」
「バカにすんじゃねー!」
やっと茶化されていると分かり、怒りを顕にした。
「そちが分霊だった頃を知っていると言ったら?吾輩を憎むかもな。いや、主のように全てを憎いと思うかもしれぬ」
「え、な?なんですか?」
「例え話じゃ。覚えている、という事が幸せってワケじゃない」
掴みどころのない、謎かけの如し言い方に彼女は戸惑う。
「えっ、うーむ…」
「吾輩はそちと同じく都合のいい出来事しか覚えない主義での。さ、今は主の命令に従う。それに集中しろ」
「むう。おめえってここの分霊?あ、精霊だったんスか?」
「…」
寡黙は知らんぷりして答えない。
「おーい」
「主に怒られたくなければ、任務に集中しろ….。過去はどうにでもなる。現在はどうにもならない」
「はいはい。つまんねーヤツ」
防犯灯が辺りを薄暗く照らしている。秋の空気を吸い、溜息に変えた。
(──アイツの言葉は頭から離れない。頭ん中はごちゃごちゃだ。主さまに命じられるのは変わりないし…でも、あっしは式神なんだ。今はそういうことにしておこう)