式神になるという事 3
言い捨て、スタスタといなくなる寡黙を目で追うも気が収まらなかった。
「おめえは…あっしが式神でなくなったら、どうするのですか?」
ピクリ、と彼の肩が反応した。
「…なんと言った?」
「え、えっと、あっしが式神でなくなったら、どうするのですか?…と言いました」
「…くだらぬ、まことにくだらぬわ」
あからさまに不機嫌になる寡黙に焦り、あわあわと取り繕った。
「気に触ったのなら申し訳ないッス」
「ふん」眉をひそめたまま、キッと鋭く睨む。その様相を前に彼にも心があるのか、なんて場違いな感想が浮かぶ。
人ならざる者のくせに、人の心を持ちえているのか。
「なあ…アイツはお前の問いになんて答えたんだ?」
主がカーテンから覗く月を遠望し、本を閉じる。疲れているのか、どこか茫洋としていた。
「アイツ…?寡黙のことですか?」
「ああ、その寡黙とやらは…」
「待ってください。主さま、寡黙はいつもいるじゃないですか」
「…」彼は癇癪で割ってしまった──床に転がる水瓶が反射する月光をジッと眺める。
「俺がいる世界とお前がいる世界は異なる。この部屋が異界との交差点なのだ。お前にとっても、俺にとっても。そいつとお前にも、きっと交差点がある」
「…?は、はあ…」
(主さまは時折意図が読めない言葉を言う)
「そういえば、主さまは鬼とあったのでございますか?」
「鬼?あの赤い角の生えたやつか?」
「い、いえ。不思議な格好をした子供の姿をした…」
「ああ、あれか。夢という異界だ。人は夢で自由になり、魂の旅をする。そう本で読んだことがあるが…実際に人ならざる者か、あるいは悪魔か…あのような者に出会ったのは初めてだ」
この主に特別な能力はない。異界や人ならざる者も可視できず、世にいう霊感や第六感──超能力もない。ごく普通の人間だった。
「式神は夢を見ないので、分かりかねますが、人は夢路を通して異界に行くのですね?」
「さあ、昔はそう思われていたのかもしれないな」
「鬼、か。シャレた名を名乗るじゃないか。──俺はあいつと昔会ったことがあるのかもしれない」
「夢、でですか?」
「さあ、夢ではない別の世界で」
本を枕の下にしまい、主はベッドに寝そべる。濁ってどろんとした瞳をして、天井を見上げた。
「お前も式神ではない別の世界を生きれるといい」
「主さま…」
陰鬱とした目つきの彼に童子式神は眉を下げる。希望的観測はあまり好きでない。
「そういえば最近不思議な夢を見る。太古の昔の人々の生活、神々の声、または…暗い辛い記憶」
「はあ…」
「あまりにもリアルで寝ている気がしない。困ったものだ」
「主治医に言った方が良いのでは?」
「──山の神を見たんだ」主が天井を仰ぎながら言う。
「や、山の神?あの…山の?」
「ああ、昔話できいた山の神だ」
「あっしは知りませんでした、ずっとここにいるはずなのに」
「山の神は不思議なことに人の姿をしていた。皮肉なことに憎たらしい人の姿でね」
「それは…幻想なのではないでしょうか?」
突飛な発言にしどろもどろになる。
「幻想だとしても、オレにはリアルなんだよ」
「はあ…」
「まだどこかでこちらを見ている。山の神はこの町にいて、どこにもいない。いるとしたら人に混じって何もかも見通しているのだろうな…俺も見ているぞ。いずれ山の神から座を奪う」
童子式神は理解出来ず首を傾げ、内心怯えた。
(人間にしか感じられないこともあるものなのか?)
「あっちから睨んでるに違いない。山の神が結界を壊した俺に怒っていた。地主神がいなくなったのは俺のせいだ、と」
「え…」常軌を逸した言葉をつむぐ主が理解できない。理解するほどの頭は無いが、これほどまで正気でない言動は初めてだ。
(あっしが、人ならざる者が人間を理解できないのは、常なのに。…いや、これは人間の言う言葉なのか?まさか、鬼神にいじられたのか?)
「無茶なのは分かってる。馬鹿げたことをしているのだ、俺はたまに自分がバカバカしくなるよ。自分の理想を町に押し付けているだけなのだと、我に返る」
「理想…」
「別の世界の俺は、山の神と話すんだ。何度も怒られて、怒り返して。いやな夢だ」
「そう…ですか」
「……」
「主さま?」静かになった主を見遣り肩を落とす。スヤスヤと寝息を立てている人間を背に、ホッと安堵した。
──り、理想なんてっ、抱いてっ!叶わないのに…!
不意に山伏式神の言葉を思い出し、滑稽な、反抗心のような不形容な気持ちになった。
「叶わないのでしょうか、主さま」