鬼神の目覚め 5
「か、寡黙っ」
腐り始めたしめ縄を見つめている寡黙を童子式神は引き止める。フッと振り返った彼はわずかに鬱陶しいと眉をひそめた。
「なんじゃ?」
「あの神社は…確か地主神が祀られているようですね」
「そうじゃ、この町の土地の守護を任されている。…何故それを?」
「え…いやぁ、そんなに町のことしらないなぁ~と思いまして」
土地の守護神である神が坐、社。寺院になる場合、その寺院を守護する神をさすようだ。確かにあの神社の様式は権現造りだった。
神仏習合の名残である。
「そちは頭がすっからかんで忘れっぽいからのう」
「むう」
「地主神である神は、通常は町の最高神から勧請・選抜された者じゃ。この土地に存在する人ならざる者でありながら知らぬとは、恥ずかしいぞ」
「さ、最高神…」
「最高神も知らぬのか?」
寡黙はどこか呆れたような、納得した顔をする。
「いえ、それくらい知っておりますよ。町を形作ったルールと勧請された神々をまとめる神でしょう。この星にいる限りは覚えておかないと、地球ジン失格っス」
「そうじゃ、見直した」
「バカにしすぎっス…。あの」おずおずと童子式神は口を開く。
「む?」
「その地主神は、実は変わった服を着た子供の姿をしてはいませんか?」
「…いや、…なぜ吾輩に聞くのじゃ。神の御姿など一端の式神が知るわけがなかろうが」
「おめえは物知りでしょ。知っていると思って」
「ふむ…物知りとな」寡黙はかすかに嘲笑する。表情の乏しい彼のそれを目の当たりにして、内心ムッとした。
「吾輩にも知りえないことはある。そちは首を突っ込まずに何も知らねでよいのじゃ」
「ムム」
その反応を見やり、しめ縄をくぐっていった。──くんくんと微かに香った風を嗅ぎ、外は雨だと気づいた。
「呼ばれた気がするんス。あっしを誰かが呼んだんス」
「君を?」
「ええ」
縄張りの暗闇を眺めながら、近くにあった椅子に座り、思考を巡らした。
(──あの魔は、魔であってそうでない。神社から出てきたとしても、地主神ではなかった。神は神域から容易にではしないのだから)
しゃがみこみ、優しく頬に手をやる人ならざる者の顔は知己をみるそれだった。
──それはそうさ、呼んだのだからね。
(あっしを知っている…?)
──式神になる前、自らは分霊だったのだろうか?
(…とても大切なことを今でも忘れている。まるで削げ落ちたかのように記憶が失われている──そうなるくらい、あっしには思い出したくない過去があるのだろうか?)
(に、人間ではあるまいし)
分霊であった頃の名を思い出したら、式神から脱せるかもしれない。当時の力を、理想を取り戻せるかもしれないのだ。
(あの魔はあっしの過去をしっている)
「怠るな。ゆらぎを掃き清めよ」
「…え?」
あれから寡黙が再び戻ってきたのか、ぬっと闇から現れる。
「わっ!びっくりするッス」
「そちは何故吾輩を寡黙と呼ぶ」
「えっ、えっ…それは、呼びにくいじゃーねすか。」
「ラベリング、というわけか。それとも名で縛りつけ、逆らわぬようにと…。吾輩を恐れているのか」
「な、なんスカ。そんな風に思っていませんよっ」
心外だ。ラベリングなどして束縛するほど悪いやからでは無い。しかし寡黙はさらに不服な表情で言う。
「名など、式神には必要ない」
「ま、まあ…確かにあってもなくても、支障は来たしませんけどぉ」
「ならばくだらぬことに囚われるな。さあ、ゆらぎを掃き清めろ」
「はいはい!分かりましたよ!」
鬱陶しそうに返事をするが、あちらは何処吹く風である。童子式神を彼は病んだ目つきでそれを眺めていた。