自棄 3
そうしている内に指が透け始めた。彼は自らの消滅を確信する。
「神威ある偉大な星…そなたには苦しめられた…それも、もう終いじゃ」
存在がばらけ始めた寡黙は垂に手を伸ばす。
(吾輩らは過去など、時間などに縛られぬ。しかし確かに"そち"には過去があった。戻らぬ過去がのう…)
夜空を吸い込んだような髪を靡かせ、眩く輝いていた時代があった。それは白昼よりも夜に神聖さを発揮した。危ない双眸をぎらつかせ、世界をねめつけた時代があった。
「この世界は嫌いだ」
いつぞやの"彼"はそう吐き捨て、這いずった。神々に流れる蛍光色の体液を垂れ流し、倭文神はそれを見下ろした。
「世界のせいにするな」と言ってやった。
髪を捕まれ視線を合わせられる。
今なら世界にするな、と吐いた己を責める。世界は酷く意地悪だ。この星は悪意を突きつけてきた。
「世界が嫌いだったのは私だったのだ」
光の中で幼い織女が振り返る。女神に連れられた織女はまだ純朴な雰囲気をまとっていた。寡黙はそれを眺めていた。穢れに染った自らの手を見やる。織女は寂しい顔をして、服を握りしめ俯いてしまった。
「己がなんなのかも分からなくなってしまった。あの織女と遠くかけはなれてしまった。ケガレてしまった…」
「終わるのね」いつの間にか横にいた──幻想の、神世の巫女が言う。
「ああ、ここで終わるのも悪くない」
有屋は歪みが正されていくのに焦った。繊維をなくしていくしめ縄を前に舌打ちする。
(女神が治めていた歴史がなくなってしまう!たとえ歪んで壊れていても、女神が生きていた証。なくしてはいけないの!)
(私に倭文神の力を止めるほどの神力はない。クソ!)
ネーハの手も。繊維質となり、ばらけ始めた。初めての出来事に彼は怯える。
「な、なんだこれはっ?!有屋さまっ」
「……しょうがないわ。諦めて」
(そうだ。失念していた──有屋さまにとって私はただの小間使い…!いやだ!死にたくないっ!)
恐怖に歯を食いしばり、布をやぶこうとじたばたともがいた。
「ああっ!ちくしょうっ!」
そんな時、しめ縄の修復が一時停止する。軋んだ音を立てて、それは甲高い錆び付いたような悲鳴をあげる。好転した状況に護法童子はパッと顔を明るくさせた。
対照的に、倭文神は新たに現れた来客を睨んだ。視線には山の女神がおり、こちらを冷酷に見下している。
「邪魔をするな…!」
ケガレに塗れた形相で牙を剥き、追い払おうとした。女神は手をかざすと寡黙の念力を遮断し、弾き返す。ザザザッと地面に転がり、土埃が舞う。
「私の時空をいじっていいと、いつ言った?」
「…か、寡黙っ!」
童子式神が駆け寄ろうとしたが、糸で阻まれる。
「死なば諸共!」
「待て。そこのお嬢ちゃん、山の女神がお話ししたいことがあるようだよ。そうだろう?お嬢さま?」
緊迫した空気の中鬼神が現れ、惨事を止めさせる。山の女神は冷酷な表情を緩め、息を吐いた。
「はあ…そうだったわね」
「先輩…!私がいながら、申し訳ございません。倭文神を止められず…」
有屋 鳥子は足元の糸が邪魔をして動けずに情けない顔を伏せ、冷や汗を垂らした。
「…あなたならしょうがないわ。倭文神、あなたは後で私と話しましょう」
「…」
皆が揃い、真っ暗のテリトリーが弾けた。




