捕食寄生 3
あれだけ薄ら寒かった異界の朝焼けの予兆が照らし始める。鳥のさえずりが聞こえ、童子式神は縄張りへ逃げ込んだ。
「寡黙?」
返事はなくしんと静まり返っている。しめ縄が少なくなり、テリトリー(縄張り)のそこかしこから光が漏れている。
廃屋のように手付かずになり始めている。風の音がわずかに響いた。
(魔法が解けたみたいだ。幻を見せられていたのか)
転がった椅子が枯葉に吹かれている。テリトリーのしめ縄が一様に解け始め、暗闇が薄くなってくる。童子式神は一際濃い闇の箇所に歩み寄り、手を伸ばす。
ヒビがはいり始めた空間に手が触れると、パリンと音を立てて砕け散った。
「うわ!」
縄張りが崩壊した先には朝日が昇る空があり、早朝の庭が広がっていた。現実がそこにあった。
「あれが太陽、…」
手を太陽に伸ばし、煌めきに目を瞬かせる。鳥のさえずりが耳に入る。
朝だ。
「生きとし生ける者の世界は、こんなにも色鮮やかだったのですね。目が痛いぐらいです。主さま」
呟いて庭から正門に向かう。日差しに照らされた様々な物に影ができる。童子式神だけ影はなく、髪飾りが反射して光る。
人ならざる者のいない世界。寂しいはずなのに、鮮やかで生き生きしていた。彼女は星守邸の門まで来ると、一度振り返る。
「狭い世界にいたものでした」
独り言ちると再び歩き出そうとした。
「童子式神」
呼び止められて前を見すえる。かの護法童子がご立腹の様子で立っていた。
「護法童子」
ネーハはこちらに詰め寄り、胸ぐらを捕まれ、持ち上げられた。
「魂を食べたのか!」
「当たり前でしょう。式神ですから」
何のことも無いように童子式神は虚ろに吐き捨てた。
「ああ、もう式神ではなくなってしまったようです」
「お前…!魂を食べずに得を積めば、苦悩から開放されたかもしれないのだぞ?!なぜ自ら!」
「世迷い言を。馬の耳に念仏というのを知りませんか?功徳のありがたみを式神は理解できないのです。低俗ですものね」
「貴様っ!」
「説教をしているあなたも、本当は消えたくないのでしょ?本性に背いていながら、あっしに得だの何だの。ばかばかしいったらありゃしねえ」
「──式神めが!」
「護法童子も変わらない、元は人食い魔のくせに。」
「それ以外言ったら消し去るぞ」
「消し去ってみなさいよ」
彼はその言葉へ怯えるように反応した。手が震えていた。
「虚勢もほどほどにした方が良いですよ。護法童子」
「このっ…!」胸ぐらを掴む手を振りほどかれ、ネーハは取り残される。
「あの野郎っ!…はあ、だめだ。怒りに振り回されては」
拳を握りしめ、正しき人ならざる者は深く息を吐いた。
後日、有屋 鳥子は星守邸宅を訪れる。星守一族はもう居なくなってしまった。あれだけ騒がしかった過去の景色を思い出しながら、ネーハを引き連れ、二人は空になった彼の自室を眺めた。
「馬鹿な子」
ポツリと呟き、シーツを正した。
「悪魔の声ばかり信じて、私の言葉をひとつも受け入れやしなかった」
「…」ネーハは持参した献花を床に置く。
「あなたの真の目的はなくなってしまったわね」
「はい。人間から魔物を除けませんでした。でも、まだ彼の悪神を滅する任務が残っています」
「そうね」
手袋をした右手──わずかに痺れているのか震えている様を有屋は憎らしそうに見つめる。
「有屋さま?」
「大丈夫よ。町の神々との会合に向かいましょう」
「はい」踵を返し、二人は部屋から出る。
「審判があの様な終わり方になって、不完全燃焼だったわ。主の業は解消されたとしても、残骸である式神が残ってしまっているのが気に食わない。悪神の残骸を再起不能にせしめ、女神の安寧を…」
女神の安寧。悪神の残骸──
ネーハはおぞましい考えが顔に出そうになる。表情が見えないまま答えた。
「はい」
不意にネーハは手袋に目がいき、普通に戻った。
(有屋さま、いつから手袋を?)
「ネーハ?聞いている?」
「あ、すいません。ぼーっとしていました」