第5話 アンドレは 実際は アンドレ―だった
その夜、私は奥様の部屋に来た。ルイーズも一緒だ。
この日、私は散々だった。頭の上に植木鉢が落ちてきたり、階段から突き落とされたりしたのだ。
どれもソフィアが間一髪で助けてくれたし、犯人も捕まえてある。どれも奥様の実家から来た使用人らしい。なんでそんなことをするのかしら? 意味が不明でとても怖い。
アルベールは私の事など無視している。やっぱり気づいてないのかなと淡い期待を持った。
「旦那様には一切話していないよ。そんなことしたら犯人たちはおろか、オセアン家も滅ぼす勢いだからね」
ルイーズが教えてくれた。確かにアルベールなら私を傷つける人間を許さないだろう。でもオセアン家に何の関係があるのだろうか。そう言えばアルベールの唯一の友達アンドレは元気でやっているかな。一度も会っていないし、一生会うこともないだろうし。
私は奥様の部屋に入った。本棚がびっしりと並んでいる。まるで書架だ。奥様は机の前に座り、書類を読んでいる。
「奥様、アリスを連れてきました」
「ご苦労様ルイーズ。あなたはそこにいてちょうだい。ではアリス、そのソファーに座ってくださいな」
私は奥様に勧められてソファーに座った。私はまだメイド服を着たままだ。
奥様は優雅にソファーに座る。美しい銀髪に整った顔立ち、それにドレスから溢れんばかりの巨乳。私はそっと胸に手をやる。見事なまでにまっ平だ、女として完全に勝っていると思う。
「アリス。あなたは16年前に亡くなったマジェンタ家の長女、アンナ様の生まれ変わりと聞いたけど、間違いないかしら」
ぶっは!! いきなり単刀直入に尋ねる!? もちろん私は違うと答えた。
「そんなわけありませんよ、誰がそんなことを言ったのですか? あっはっは、いきなりこの屋敷に来て前世の記憶を取り戻すなんてありえないじゃないですか!」
ルイーズがごほんと咳払いした。いけないいけない、聞かれてないことをべらべらしゃべっちゃった。奥様は目を丸くしたが、すぐに気を取り直した。
「私にとってアンナ様は思い出深い人です。よくうちの主人と一緒に遊びましたし、紅茶も淹れてくれましたね」
「そうなのですか。あれ? 旦那様は女性を誘ったことありましたっけ?」
アルベールは友達がいない。いたのはアンドレだけだ。それに奥様に紅茶を淹れたわけがない。入れたのはアンドレだけなのだ。奥様は勘違いしていないだろうか。
「ああ、当時の私は女らしさが皆無でしたね。それと私はアンドレ―であって、アンドレではありませんよ」
それを聞いて私は思い出す。アンドレは銀髪の少年に見えた。だがルイーズは確かこう言っていた。アンドレ―様と。アンドレ―は勇ましい女という意味があるのだ。
「ええええええええええええ!! あなたがアンドレなの!! 何よその胸!! 立派に育っちゃってぇぇえええええ!!」
私は立ち上がり、奥様、アンドレ―の胸を見て絶叫を上げた。だって野獣のような少年が実は女の子で、巨乳の美女に成長したんだからびっくりだよ!!
だけどアンドレ―は額に手を押さえながら、首を横に振った。
「そのうっかり加減、間違いなくアンナ姉様ですわね」
しまった!! つい口走っちゃった!! 早速誤魔化そう!!
「違います!! 私はアンナではありません!! 大体木登りと狩りが得意な女の子なんているわけないでしょうが!!」
「それを口走っている時点で、あなたがアンナ姉様だと告白していますよ」
後ろでルイーズが大きなため息をついた。ああ、ばれてしまった。どうしよう。
☆
「落ち着きましたか?」
私はソファーに座り、しばらく黙り込んだ。途中でソフィアがお茶を持ってきたので、それを飲む。とてもおいしい紅茶だった。
「まさかあなたがアンナ姉様の生まれ変わりなんて信じられません。ですが証拠を突きつけられた以上現実を受け入れましょう。よくぞ戻ってきてくださりました」
そう言って奥様、アンドレ―は優しく私の手を掴む。野獣のような少年時代と比べて絶世の美女に育ったな、アンドレ―。女の私でも羨ましいぞコノヤロー。
「ですが問題があります。これは我が実家というか、家長のジル・オセアン伯爵のせいでもあります」
アンドレ―は真剣な顔で言った。そうアンドレ―はオセアン伯爵の娘だ。いったい何の問題があるのだろうか。
「我が父はアルベールが側室を作るのを恐れています。何しろ私とアルベールは恋愛結婚ではなく政略結婚だからです。子供もなんとか我慢して産みました」
政略結婚。貴族の間では普通のはずだ。幼少時に友人として過ごしてきたのだ。今更男女の間柄になるなど抵抗があるのだろう。それにアンドレ―にしても夫に女として見てもらえないのは屈辱だろうな。
「私としては今でも心は男です。アルベールに胸を揉まれたり、合体するのは嫌悪感がありました。子供を産んだ痛みはどんな戦場よりも痛みを伴いましたが、それはそれですね。問題はシャルルは女の子だと言うことです」
え? シャルルは男の子の名前だよね? 女の子なのに偽っているの? なんで?
「父上が嫌がるのです。男の子でないと後継ぎになれない。男を産めない女など存在価値がないと目を血走らせて私を説得したくらいですからね」
別に娘だけでも婿養子を迎えればよいのでは? 確かにマジェンタ家は公爵だ、領地経営の勉強をした部屋住みの次男三男を迎えれば問題はないはずである。現に私の父、ああ、アンナの方だけど、子爵の次男婿養子に来たのだ。それでおじいさまに散々鍛えられていたのである。
「ジル卿はそれが許せないのです。後継ぎは長男でなければならぬ、婿養子など言語道断と。そして旦那様が他の女性に心を許すことを認めないのでございます」
ルイーズが深刻な顔で答えた。今時長男至上主義なんて流行らないと思うけどな。それにマジェスタ家の問題に対して、オセアン家が口を出すのはおかしいと思う。
「父は狂っています。アルベールの寵愛が他の女に移れば私が追い出されると信じ切っているのです。実際はマジェンタ領内の運営の一部を任されているから、そんな心配はないのですけどね」
アンドレ―はため息をついていた。それに苛ついている様子だ。元々10歳のアンドレ―も野獣ではあるが曲がったことが大っ嫌いな性格だった。それは子持ちの人妻となった今でも変わっていないようである。なんか嬉しくなっちゃった。
「私が実家から連れてきた使用人の中には、アルベールに懸想した人間を片っ端から片付けようとするものがいます。とはいえ金で雇われて弱い者いじめを愉しむ屑しかいませんけどね」
アンドレ―は吐き捨てるように言った。父親がそんなくだらないことを目論んでいたことに腹を立てているのだろう。でもどうして実家を訴えないのだろうか。
あ、ジル卿が狂っているからだめなんだろうな。訴えたら一気に頭が爆発してマジェンタ家に戦争をしかけそうだ。
「もしあなたの正体がアルベールにばれてしまえば、あいつはあなたを寵愛するでしょう。そしたらオセアン家、父上はあなたを抹殺するために戦争を仕掛けるでしょうね。うちは没落貴族でマジェスタ家の援助があるというのに……。弟はまだ10歳なので後継ぎとしては頼りないのです。あと2年、黙っていただければなんとかなるのですが……」
2年てどんな意味だろう? 私にはさっぱりわからなかった。
アンドレーネタは、ブルターニュ花嫁異聞という漫画で意味を知りました。