第三話 アンナは アリスになっても うっかりもの
「まったくなんでこの時期に来るのかねぇ!! 迷惑で仕方がないよ!!」
ルイーズは忌々しそうに首を振った。そりゃそうだ、シスコンのアルベールがせっかく結婚して家庭を築いたのだ。私なんて文字通り過去の亡霊、いても邪魔になるだけだろう。
「ごめんなさい!! でも私も屋敷に来て初めて記憶が戻ったの!! 私はすぐにここを出ていくわ、アルベールの家庭を邪魔したくないもの!!」
「だめに決まっているじゃないか!!」
ええ!? なんで!!
「使用人の私でさえ気づいたんだ。旦那様や奥様が気付かないわけがない。もしアンナ様を追い出したりしてご覧。旦那様は鬼の如くアンナ様を探すだろうさ。それが予測できないわけないだろう?」
確かにその通りだ。アルベールは確かに気弱だが、私の事になると信じられない力を発揮する。生前私に吠えた犬に対して木の棒で滅多打ちにしたことを覚えている。
「あと旦那様と奥様の関係は良好だよ。まあ夫婦仲というより主君と家臣の間柄かね。旦那様は奥様に領地の仕事を任せているんだよ」
そう言えば食堂での話もそうだった。夫婦というより、主従関係という感じがした。ここで私が出てきたらどうなるんだろう?
「アンナ様は生まれ変わって帰ってきたとしても、お二人はすぐ受け入れるだろうね。でも問題があるんだよ。これは明日奥様とお話するんだね。今日からはソフィアと同じ一緒に行動してもらうよ」
そう言ってルイーズは指をパチンと鳴らした。扉が開くとすでにソフィアが立っていた。廊下は暗く、褐色肌もあって闇に溶け込んでいるようだ。
「ソフィア。話は聞いたね。この方は旦那様たちにとって大切なお方だ。ある程度の粗相はいいけど、命に係わる件だけ動いておくれ。敵に見せつけるようにね」
ルイーズは軍人調でソフィアに命じる。ルイーズのお父さん領軍の隊長を務めていた人だ。でっぷりと太っているけど、きびきびした動きは全く変わっていない。
「アンナ様。先ほどは迷惑と口走りましたが、私としては再びアンナ様に出会えて嬉しいのです。ですが今マジェンタ家は別の問題を抱えております。息苦しくなると思いますが、先に謝罪をしておきます」
ルイーズは私の両肩を掴み、目を潤ませながら謝罪した。使用人でさえこれなのだ。アルベールなら発狂するほど歓喜するかもしれない。でもなんで奥様が私の事を知って喜ぶのかしらん?
☆
「あなたはアリスさん、です。この屋敷の新人メイドです。わかりましたか?」
翌朝、私は使用人の部屋で寝起きした。大抵使用人は二人部屋で、二段ベッドにタンスと鏡台が二台置いてあった。
ソフィアはすぐにメイド服に着替えると、もたもたしている私に言った。当然だ。今の私はアリス・クールベ。没落男爵の娘だ。
赤毛でそばかすだらけの平凡な容姿の私なんか旦那様の目に留まるわけがない。普通ならね。
「まずは旦那様たちの朝食を準備します。付いてきてください」
そう言ってソフィアは私を引っ張っていった。マジェスタ家は公爵家だから使用人の数は多い。厨房はさながら戦場だ。公爵一家の朝食を作るのだから神経を使うらしい。私たちの朝食はアルベールたちが終わってからだ。
私はさっそく朝食を運ぶよう命じられた。前菜はレタスやキュウリ、ミニトマトが載せてあるサラダだ。でもアルベールはミニトマトを嫌っている。そのまま身をかみつぶすのが苦手なはずだ。私はそっと包丁でミニトマトを4つ切りにしてあげた。うーん、お姉ちゃんは優しいね。
カーゴに食事を載せて食堂へ向かう。食堂ではアルベールと奥様にお子様のシャルル様が座っていた。どこかアルベールは奥様と距離を置いてある。夫婦仲は冷めているけど、副官として扱っているのかな。女性として扱ってもらえないのはつらいかもしれない。
私は前菜をアルベールの前に置いた。アルベールは私の事を睨んでいる。サラダのミニトマトが4つ切りにされているのを見て、目を見開いた。ぎりぎりと歯軋りしている。そんなに怒ることかしら?
奥様もちらりとサラダを見て驚いていた。そして私に向けて不憫そうな目で見ている。なんで?
あとはスープにパン、肉料理にデザートを出しておしまい。私は厨房に向かい、賄飯をもらう。今日のご飯は新鮮野菜とハムを挟んだサンドイッチだ。私はがっつりと齧りつく。
ソフィアも同じだ。だがソフィアは何か言いたそうである。
「……今日の旦那様、とても上機嫌。あんなに明るい旦那様、初めて見た」
えええええ!! あれで上機嫌なの!! 子供の頃は割と喜怒哀楽が激しかったはずだけど!! やっぱり前世で私が死んだことに影響があったのかしら。
「それとアリス。なんで旦那様がミニトマトが苦手なの知っているの?」
「え? そんなことないよ? 旦那様ってミニトマトをかみ砕くの苦手そうだから4つに切っただけだよ?」
私は必死にごまかそうとしたが無駄だった。
「はぁ……。メイド長の言った通り……。アリスはうっかりもの、余計なことしてさらに事態を悪化させると言われてた」
ソフィアはため息をつきながら言った。うがぁ! 私が社交界に出なかったのは、お父様がお前はうっかりものだから何をしでかすかわからんという理由で出なかったのだ。
人から指摘されるのはつらいよぉ……。