第一話 弟はシスコンをこじらせていた
「今日から働かせていただく、アリスです。よろしくお願いいたします」
そう言って私はマジェンタ家のメイドたちに挨拶した。あれから16年、ほとんどの使用人はいなくなっている。
目の前にいるのはメイドキャップに緑色のメイド服を着た若い子ばかりだ。
ちなみに私の容姿は赤毛でそばかすだらけの15歳である。不細工ではないが美少女でもないね。
「ふん、男爵令嬢でもここじゃあ通用しないよ。きりきり働いてもらうからね!!」
でっぷり太った中年女性が銅鑼のような声で言った。マジェンタ家に仕えていたルイーズだ。
昔は同年代でよく社交界を嫌う私に対して苦言を呈していたっけ。今では中年太りで貫禄が出ている。
知っている人がいると落ち着くな。ちなみにルイーズは弱い相手だから高圧になるわけじゃない、相手が公爵一家でも厳しかったはずだ。
「はい。わからないことがあるのでご教授願います」
「ふむ、いい心がけだね」
ルイーズは意地悪ではないのだ。仕事に厳しいだけ。例え仕事が遅くても丁寧にやれば文句は言わないはずだ。
「あんた、さっそく屋敷の掃除をしな。ソフィアが知っているよ」
挨拶が終わり、私はさっそく仕事をすることになった。ソフィアとは黒髪の褐色肌の女の子だ。東洋人の血を引いているのだろう。年齢は私と同じ15歳だという。でも私と違って大人っぽいんだよね。無表情だけど、悟っているような雰囲気があるな。
「よろしくねアリス」
「うん、こちらこそよろしくお願いします!!」
ソフィアはたどたどしい態度で握手を求めた。私もがっちりと握手をする。
さっそくだが掃除道具を探さなきゃ。たしか一回の廊下の端にある小部屋にあるはずだ。私はすたすたとそこへ向かい、木製の扉を開ける。そこには木のバケツにモップ、雑巾などが置かれていた。16年ぶりだけどちっとも変っていないな。
「アリス、なんで掃除道具の場所がわかったの?」
ぎく! ひさしぶりの実家でつい浮かれてしまった。よく両親からうっかりものと嘆かれていたっけ。すぐ私は気を取り直した。
「なっ、なんとなくよ!! じゃあ掃除を始めましょう!!」
「うっ、うん。メイド長は厳しい人だから仕事は丁寧にね」
「わかっているって。ルイーズは怠け者を嫌うけど、真面目な人には優しいのよ」
ソフィアは黙ってしまった。まずいぼろを出したか!!
「アリス、メイド長を呼び捨てにしたら、駄目……」
注意された。ほっ、ここではルイーズは先輩なんだから敬わないとね。
なんとかごまかせてよかったわ。
「それとなんでメイド長の事詳しいの?」
ぎくぎく!! ちっとも誤魔化せてない!! どうしよう!!
「お前たち、何をしているのだ?」
背後から声がした。後ろを振り向くと若葉色のドレスを着た金髪碧眼の美女が立っていた。
この人がアルベールの奥さん、アンドレ―様なのかしら?
「こっ、これは旦那様!! 今新人の方を教育していたところです!!」
旦那様? まさかこの美女はアルベールなの? よく見るとあのドレスは生前私が着用していたものじゃない!! しかも化粧をばっちり決めているし、何考えているのこの子!!
「新人だと?」
ちらりと私の眼を見た。アルベールは昔から可愛かったけど26歳になると別次元で美形になったわね。でも女装するようになるなんてお姉ちゃんは悲しいぞ。
アルベールは私の眼をじっと見ている。まるで猛禽類のようでネズミのような気持になる。
「まさか、な」
アルベールはぷいっと私たちに背を向けた。そのまますたすたと歩いていく。
ソフィアはほっと胸をなでおろした。
「ふぅ、怖かった。旦那様は美しいけど、ちょっと怖くて」
「いやいや、怖いなんてものじゃないでしょう。なんでアルベール……、様は女装をしているのかしら? 奥様は何も言わないの?」
「……旦那様は亡き姉であるアンナ様の面影を追っているらしいの。アンナ様の部屋に入っては生前身に着けていたドレスを着たり、ベッドの上で香りを嗅いだりするのよ。旦那様の両親は死んだ者の事は忘れろと言ったらしいけど、それに反発したらしいの。爵位を無理やり奪って、両親は隠居させたのよ」
ソフィアの説明を聞いて私の頭はくらくらした。こちらのお父様とお母様は隠居していたようだ。亡くなってなくて本当に良かったと安堵しているが、アルベールの行動はめちゃくちゃである。
気弱なくせにいざ行動を起こすときは電光石火の如くだったことを思い出した。
「今、奥様はいらっしゃるのよね? お子様もいるようだし……」
そうアルベールは結婚しているのだ。子供だっている。なのになぜ私の事を忘れられないのだろうか。
「……奥様との仲は冷え切っているね。子供も貴族の義務だから産ませただけ。夫婦らしい態度を撮ったことは一度も見てないな」
ソフィアの言葉を聞いて私は暗くなった。仮面夫婦。貴族は婚約するのが普通だけど本人の努力次第では愛し合えるはずなのだ。
私がいなくなって16年、アルベールは完全におかしくなってしまったのか。
なんとか歪んだ性壁を戻したいけど、今の私はタダの新人。何かできるわけでもない。
「こら、あんたたちさぼるんじゃないよ!!」
後ろからぽかんと頭を叩かれた。振り向くとルイーズが両手を腰に当ててカンカンに怒っている。まるで石炭ストーブみたいだ。
「ごめんなさいルイーズ、様。ついソフィアさんから説明を聞くのが長引きました。どうか罰するなら私だけにしてください」
ルイーズは素直に謝れば許してくれるのだ。それに他人に罪を擦り付けることを激しく嫌う。
「……あんた、もしかして……」
ルイーズの顔が曇った。だが首を横に振る。
「ふん、殊勝な態度だね。だったらここの廊下はすべてあんたひとりでやるんだよ!!」
「はい、承知いたしました!!」
そう言って私は廊下の掃除を始めるのだった。だけどルイーズは私の後姿をじっと見ている。なんか不安になってきた……。