夏の盛り2
「ところで、だ」
せっかく津洗に来たんだ海で泳がない手はないだろ?
そう言ったのは白露允華の親友の泉谷晟であった。
春彦も伽羅も顔を見合わせると
「「確かに」」
と同時に応えた。
有名リゾート地に遊びに来たのである顔を突き合わせて推理談議で終わるのはもったいなかった。
東雲夕矢も大きく頷き
「じゃあ、俺。兄貴たちに言ってくる」
と立ち上がった。
4人は頷いて
「「「「よろしく」」」」
と答えた。
ルフランリゾート津洗はホテルの中に更衣室があり、そのまま外へでるとプール、その直ぐ向こうに海がある。
つまり、どちらでも自由に泳げるという事である。
夕矢が兄チームに声をかけて戻ると5人で水着に着替えてプールを通り抜けて砂浜へと出た。
時刻は11時前である。
遊ぶ時間は十分あった。
空は青く晴れ渡り既に多くの人が海やプールで遊んでいる。
春彦は携帯を手にすると
「全濡れする前にちょっと勇ちゃんに送っとく」
と動画を自撮りし始めた。
晟はそれに突っ込むと
「お?勇ちゃんって…彼女?」
とおりゃおりゃと肘鉄を食らわせた。
春彦は真っ赤になりながら
「えっと…はい」
と答えた。
隠さないあたりが春彦の春彦らしさだろう。
と伽羅は思いながら
「じゃあ、俺も瑠貴ちゃんに送ろ」
と自撮りを始めた。
晟は「何だ、昨今の高校生は!」と二人に飛びついた。
「允華―!お前も力貸せ」
リア充爆発しろ!
春彦と伽羅は同時に態勢を崩して海へと突っ込んだ。
允華はそれを見ながら笑い
「いや、俺は別に気にしないから」
とさっぱりナイナイと手を振った。
夕矢は腕を組み
「同じ高校生なのに…マジ、すっげ進んでるな」
俺、まだ彼女いない
と呟いた。
もっと言えば好きな人がまだいない、だろう。
仲の良い気になる女の子はいた。
三つ葉冴姫というクラスメイトだ。
だが、親友の桔梗貢が彼女のことを好きなのだ。
いや、彼女と貢は幼い頃からの知り合いで夕矢自身も二人が上手くいけば良いと思っている。
彼は春彦と伽羅を見て
「俺もきっとそういう子と出会えるよな」
と空を見上げて呟いた。
正午まで泳いだり、水中鬼ごっこをして遊びまくった。
昼食を終えると月も交えて全員で宿題をした。
午前中だけしか海では遊んでいなかったのだが、それでも身体は意外とクタクタで春彦は夕食を終えて部屋に戻るとそのままベッドにダイブした。
伽羅も隣でダイブし
「楽しかったなぁ」
けど、携帯が無事でよかった
と笑みを浮かべた。
晟に飛びかかられて海に突っ込んだのだが直ぐに上がって携帯を拭いたのだ。
春彦は笑いながら頷き
「そうだな」
防水大事だな
と答えた。
翌日は直彦の娘であり隆の姪である太陽が朝から訪れ允華の甥の月も交えて7人でビーチバレーやスイカ割りをして楽しんだ。
兄の直彦は「まだ原稿…」と呪いを受けた人間のようにユラユラとふらつきながらも
「まあ、楽しんで来い」
と春彦たちを送り出してくれた。
春彦は思わず「直兄、身体壊さないようにな」と声をかけて見送った。
もちろん、隆が付いているのでその辺りの心配はしていないのだが、せっかくのリゾート地で可哀想だという気持ちはあった。
その日の夕方に泉谷晟は
「じゃあ、またな!」
あんまり允華にリア充ぶりみせつけるなよー!
と言って一足先に彼の家族と共に帰って行った。
翌日から東雲夕矢の親友の桔梗貢がやってきて春彦と伽羅と允華の三人で太陽と月の面倒をみながら海で遊んだ。
ただ、食事をするときには全員が集合するのでその日あった事を話しした。
主には大学の学科や学部の話だったが、翌日の夕食の席で思わぬ話題が出たのである。
いつものように4人で集まって食事を終えて話をしている時に東雲夕矢が突然携帯をポケットから出して
「あのさ、今日、友達と島に行ったんだけど不思議な花束があって」
と一枚の写真を春彦たちに見せた。
「この花…知ってる?」
そう聞いてきたのである。
春彦はそれを見て
「この百合みたいな花はハマユウみたいだけど」
と告げた。
「でも、このふにゃふにゃした花はわからないな」
花については多少の知識はあってもそれほど詳しくはない。
それに允華が
「もしかしたら九州の…霧島連山に咲くミヤマキリシマの霧の夢じゃないかな」
と告げた。
「けど普通は切り花風にはしなくて盆栽で売ってたと思うけどね」
しかも
「開花の時期は5月から6月くらいか秋くらいだったような気がする」
珍しいと言えば凄く珍しい
伽羅は「おお」と声を上げて
「凄い」
と声を零した。
春彦は伽羅を横目で一瞥し直ぐに允華に目を向けると
「そのミヤマキリシマって九州?」
と聞いた。
允華は携帯を取り出すと
「そうだよ」
と答え
「ミヤマキリシマは九州でしか自生していないんだ」
と検索した画面を見せた。
「ほら」
確かに花束のふにゃふにゃした花であった。
夕矢はふ~むと考えると
「じゃあ、あの男の人は九州の人だったんだ」
と呟いた。
春彦はそれに
「どういうこと?」
と聞いた。
夕矢は今日の探検の話をして
「何かおかしいなぁとおもったんだけど…この花束、岩の出っ張りに置いていたわけじゃなかったから満潮が来たら波にさらわれるとおもうんだけど攫われてなかったし花も咲いていたから…俺達が行く少し前に置かれたと考えるとあの人だと思うんだよな」
一日経ってたら花束自体海の底だったし
と告げた。
春彦は唇に指先を当てて
「九州か」
と呟いた。
「少し調べてみるかな」
どうしてわざわざ九州の花を縁もゆかりもない場所に置いたのか
「理由があると思うからな」
夕矢は頷いて
「わかったら教えてくれな」
と告げた。
允華もまた
「そうか…何か分かったら俺にも教えてもらいたい」
と答えた。
彼の隣では月がスピスピと寝始めている。
それに気付いた白露元が立ち上がると
「月も寝始めたし」
俺は別荘に帰ることにする
と告げた。
直彦も立ち上がり
「そうだな」
俺ももうひと踏ん張りして原稿が終わったからゆっくり寝たい
と目を擦った。
夕弦は笑い
「津村は鬼編集者だからな」
身体だけは壊すなよ
「夏月」
と告げた。
隆はそれに
「体調管理はしているから心配無用だな」
と腕を組んで答えた。
兄チームが解散すると夕矢達も解散してそれぞれの部屋へと戻った。
春彦は部屋に戻り伽羅と共にさっそく東雲夕矢の言っていた涙池に置かれた花束のことを調べたのである。
ただ、携帯で検索をかけることになるので大量の情報を一気に見るのは難しかった。
画面が小さいということはそういうデメリットもあるのだ。
涙池と事件で先ずは調べた。
が、それほどヒット数はなかった。
それでも昼間の疲れもあって目がチカチカした。
隣で見ていた伽羅は目を擦りながら
「やっぱり携帯で一つ一つ見ていくのは辛いな」
と呟いた。
サラと見るだけなら良いが、内容を読んで精査しなければならないのだ。
春彦も流石に「そうだな」と答え
「ホテルにパソコンがあれば明日から借りて調べる方が効率も良さそうだな」
と告げた。
伽羅はベッドに身体を投げ出して
「明日から本格的に…」
とスヤスヤと眠り始めた。
春彦は小さく笑って欠伸を零し、携帯を閉じるとふっと隣部屋に視線を向けた。
そこには漸く小説を書き終えた直彦がソファで猫のように丸くなって横になっていた。
直彦はこれまでアルバイトを雇うということをしたことがなかった。
春彦に対しても春彦自身が巻き込まれた事件に関しての詳細な話を聞いても他の事について手伝いをさせたり意見を求めてきたことはない。
だが、彼にはアルバイトとして小説の手伝いをさせようと考えたのだ。
春彦は正面に座り兄の直彦の寝顔を見ながら
「允華さんをアルバイトで雇ったのはやっぱり知識とか凄いからなのかな?」
とぼやいた。
先のミヤマキリシマの事もそうである。
それに推理クイズでどうやって犯人が犯行をしたかを当てるという話も泉谷晟に聞いて知っていた。
探偵ではないが…でも、探偵として自分は彼の足元にも及んでいない気がしたのである。
春彦自身はこれまでどちらかというと『どうして犯行に及ぼうとしているのか?』しか考えてこなかった。
それは勿論、犯人もどんな風にするのかも伽羅の夢で分っているからである。
もしこの先、事件があったとして自分はちゃんと出来るのかどうかが心配になったのである。
直彦は落ち込んだように座っている春彦を見て
「そうだな」
允華君はどうやってそうすることができたのかを考える力はあると思うが
「お前は事が起きた後の姿を見て『それを成し得ることが矛盾なくどうすればできるのか』を考える部分が抜けているな」
と告げた。
「犯人も人間だ」
魔法や超能力があるわけじゃない
「だから自らしたことを隠すためにトリックを使う」
だが
「犯人を止める力は…犯人の心の中にある澱を取り除くことだ」
だから
「お前はお前のままトリックを見破る力をつけていけばいい」
…允華君はそういう意味では良い先生になると思うがな…
春彦にとって直彦の言葉は目から鱗であった。
いま春彦は事件の解決は犯人の行動から誰かを突き止めることだと思いそうになっていた。
だが、直彦はそうではなく犯人の心を変えることだと言ってくれたのだ。
何故、そうしたのか。
それを解き明かしてその心の澱を覗くことだと。
春彦は春彦のまま足らない知識や思考をプラスしていけば良いと教えてくれたのである。
春彦は笑顔を見せると大きく頷いた。
「ありがとう、直兄」
直彦は欠伸をすると
「じゃあ、寝させてくれ」
俺も明日からバカンスを楽しみたい
と告げた。
春彦は頷いて立ち上がり、直彦に掛ける毛布を探しかけて部屋に戻ってきた隆を見た。
隆はソファの上で丸まる直彦を見ると
「直彦、猫みたいに寝るな。ベッドで寝た方が良いぞ」
と起こしかけて既にぐっすり寝ている彼に
「しょうがない」
と息を吐き出すと抱き上げて春彦を見た。
「直彦は寝かせておくから、春彦君ももう寝た方が良いな」
言われ、春彦は頷くと
「はい、直兄をよろしくお願いします」
おやすみなさい、隆さんに直兄
と立ち去った。
翌日、春彦と伽羅は夕矢と約束した九州の花が何故島の涙池のところに置かれていたかをホテルの部屋に籠って調べることになった。
パソコンはホテルで借りれるか確かめようと思ったが、直彦の原稿が終わったので借りて調べることにしたのである。
津洗、涙池、そして、九州。
それにヒットする内容のサイトや書き込みを洗い出した。
もちろん、中には九州というキーワードが消されて津洗、涙池だけのものもあった。
食事もサンドイッチなど片手で食べられるものを部屋で済ませた。
春彦と伽羅はその中で見つけた記事に大きく目を見開いた。
春彦は目を擦りながら
「伽羅、これ見てくれ」
と呼びかけた。
伽羅も目を擦りながら
「どうかした?」
春彦
と呼びかけ彼の横に立った。
春彦は頷き
「この画面を見てほしいんだけど」
と告げた。
伽羅はパソコンの画面に映る写真を見て大きく目を見開いた。
「これ!これ、これ」
スタッフがしている腕章を指差した。
春彦は目を細め
「やっぱりな」
と呟いた。
伽羅はじっと春彦を見て
「もしかして、昨日の話の途中から気付いてた?」
と聞いた。
春彦は少し考えると
「確信はなかったけど…可能性は考えた」
九州って言葉が重なるのが気にかかった
と答えた。
そして
「調べたら色々出てきて…伽羅はこっちに来てから夢とか見なかった?」
と聞いた。
伽羅は冷静に首を横に振った。
「夢見てない」
春彦は腕を組み
「そっかぁ」
どうなんだろ
と呟いた。
「まあ、全ての事件を夢で見る訳じゃないもんな」
言って春彦は欠伸を零すと時計を見た。
既に時刻は夜中の1時だ。
春彦はパソコンで見つけた記事のURLを携帯に転送し
「寝ようか」
と呼びかけると二人同時にベッドへと倒れ込んだ。
一つは数日前に起きた九州コミュニティー放送局での殴打事件の記事。
もう一つは一年前にあの島の涙池で亡くなった女性の記事であった。
その翌日の朝、春彦と伽羅は調べた内容を告げるために直彦と隆と遊びに来た太陽と共に食堂へと向かった。
昨日は全くどころか一歩も外から出なかった。
もちろん、食事にも参加していない。
春彦たちが食堂に着くと既に東雲夕矢と夕弦、そして末枯野剛士がおり、最後にやってきた白露家の面々も交えて食事を始めた。
春彦は直彦に食事を終えると允華たちと目配せをして
「直兄、俺達カフェの方で允華さんと夕矢君達と一緒に話して来るな」
と声をかけて弟チーム全員で一階のカフェへと移動した。
月と太陽は二人でキッズランドへと遊びに向かい、そこが良く見えるカフェで4人輪になって顔を突き合わせたのである。
口火を切ったのは春彦自身であった。
一昨日の話の報告である。
「あれからずっと調べたんだけど」
そう切り出した。
允華は頷き
「夕矢君の撮ってきた花束のことだよね」
と告げた。
春彦は少し考えて
「そうなんだけど、その前に」
この前、泉谷さんが話していた九州コミュニティー放送局の推理クイズってクイズじゃないんじゃないかと思う
と携帯を見せながら告げた。
允華は目を見開くと
「は?」
と驚いた。
それに夕矢が腰を浮かせると
「俺も思った!」
と指を差した。
「ここへ来る前にテレビでしてたニュースと泉谷さんがしてた話がすっげぇ似てると思ってた」
マジマジ
「なんかさぁ、ほら、ここの行動表見てズボラな人多いなぁって思って覚えてた」
言って携帯の画面を指差した。
允華は目を見開いたまま硬直して二人を見つめていた。
伽羅は夕矢を見て
「…夕矢くんクールダウン、クールダウン」
と手で押さえる仕草をした。
夕矢はハッと気づき
「すみません」
と座り直した。
春彦は硬直する允華に
「えっと…その…」
と言い淀みながらも携帯をテーブルの中央に置くと
「読んでもらえますか?泉谷さんが話してた内容にソックリだと思うんだけど」
と告げた。
「九州コミュニティー放送局内で殴打事件」
被害者は金森雅夫
「犯人は機材の準備をしていた恩田進」
允華は大きく息を吸い込み吐き出すと
「はぁ~」
と声を零し
「確かに…そうだね」
間違いない
と告げた。
「被害者を含めた6人での打ち合わせも犯人が機材室で準備していたところも」
名前も同じだ
春彦は頷き携帯の上に指を乗せて
「それで、これ」
と告げた。
「偶然なんだけど…涙池の花束はきっとこれだと思う」
そこには涙池に転落して死亡した女性の記事が載っていた。
女性の名前は瀬田真以。
九州コミュニティー放送局で局ガールをしていたのである。
数人の知人と来ていた時に事故にあったというものであった。
島で一泊し翌日の朝に姿を現さないという事で探したら池の中で発見されたという事であった。
死因は溺死。
死亡推定時刻は明け方の4時前後。
春彦は少し考えて
「これだと思うけど…ちょっと」
と呟いた。
夕矢は不思議そうに
「何か気になることでも?」
と聞いた。
允華も春彦を見て
「その女性が好きな花もハマナスとミヤマキリシマだってことだから間違いないと思うけどね」
と告げた。
伽羅も春彦を見た。
春彦は腕を組むと
「日にちが」
と呟いた。
「もし花を手向けるなら余程理由がない限りその女性が死んだ日だと俺は思うんだ」
日付け的には明日だろ?
「おかしくないか?」
夕矢は「う~ん」と考えると
「写真を撮ったのが一昨日だから三日前だよなぁ」
微妙な日付の差だけど…
と呟いた。
允華も腕を組んで「う~ん」と唸った。
春彦は「考えすぎかもしれないけどな」と小さくつぶやいた。
けれど、普通なにか理由がない限りは日にちを合わせるはずである。
そう、その理由が春彦には気にかかっていたのである。
その時。
フロントチェックの方から騒がしい声が響いた。
「ここがルフランリゾートのフロントか」
「船のチャーターだけだからウロチョロしないでね」
「カメラは回さないで」
允華は声の方に目を向け
「…あ」
と声を上げた。
春彦と伽羅は肩越しに振り向き、夕矢も顔を向けて少し騒がしい一団を見て目を見開いた。
「「九州コミュニティー放送」」
今まさに話をしていた放送局である。
夕矢はその中の一人を見ると
「ん?」
と首を傾げた。
允華は「どうしたの?」と聞いた。
夕矢は顔をしかめて
「一昨日あった人に似てる人がいる」
あの時は帽子とグラサンしていたから顔は分からないけど
「輪郭が何となく」
と呟いた。
春彦は允華と顔を見合わせた。
気になる。
それに春彦には彼らの腕章も気になったのである。
伽羅の見た夢と同じ腕章である繋がりがあるかもしれないと感じたのだ。
伽羅は春彦と允華の今にもついていきそうな雰囲気に
「あ、のさ」
直彦さんたちに俺が言いに行ってくる
「行きたいんだろ?春彦」
それと允華さん
と告げた。
春彦は伽羅に小さく頷いた。
「頼む、伽羅」
夕矢は慌てて
「俺も行く」
と告げた。
伽羅は頷いて
「わかった」
と立ち上がると駆けだした。
春彦と允華と夕矢は立ち上がり九州コミュニティー放送局の方へと足を向けた。
その時、その中の一人が急にパーカーを目深に被ってグラサンを掛けたのが春彦の視線の橋に映った。
「?」
だが、夕矢が言った人物ではない。
春彦は気にはなったものの今はその人物についての詮索は横に置くことにした。
允華が代表して彼らに歩み寄ると
「テレビ局の人ですか?」
と声をかけた。
人数は6人。
その中の髪の短い女性がにこやかに
「九州コミュニティー放送局であの島へ取材に行くんです」
と弾んだ声で告げた。
「私、アナウンサーの相原千恵子と言います」
宜しくね
それに隣にいた男性が
「ここでハッスルするんじゃなくて向こうでハッスルしてくれよ」
と苦笑を零した。
そこへホテルの従業員が姿を見せた。
「チャーター船のご用意が出来ました」
実はこちらの三名のお客様も同じく島へ行かれる予約が入っておりまして
「同乗お願いできればと思うのですが」
春彦は隆が手を回したのだと理解した。
それに一番年配の男性が
「ああ、いいよ」
君たちがいる方が良い撮りができる
「君たちカメラが回るけど良いかい?」
と聞いた。
允華は頷いて
「はい、大丈夫です」
同乗させていただき助かります
と答えた。
年配の男性は笑いながら
「いやいや、こっちこそ」
と言い
「俺の名前は近浦金一」
今回のロケハンのプロデューサーだ、宜しく
と告げた。
そして、隣にいた髪の長い女性が
「私は松高百合よ」
アナウンサーと違ってメインは私だから
「一緒に楽しみましょう」
とチラリと千恵子を見た。
千恵子は一瞬ひくっと引き攣ったものの
「確かに松高さんが局ガールですけど」
と言い
「瀬田さんは優しかったんですけどね」
池でおぼれ…
と言いかけて、周囲を見回して俯いた。
それに隣にいた男性が
「彼女の事は」
と首を振って、直ぐに允華たちを見ると
「俺はディレクターの飛田隼人だ」
宜しく
と軽く会釈した。
百合も不機嫌そうに
「そうよ、波に流されるなんて運がなかったのよ」
と腕を組んで呟いた。
そして、後ろにいた男性がパンパンと手を叩き
「それより早く乗船して島へ行きましょうよ」
と告げ
「俺は音声担当の小泉政治、よろしく」
と付け加えた。
最後にカメラを持った人物が
「島津春馬だ」
カメラ担当だ
と短く告げた。
パーカーを目深に被りサングラスをしたままの挨拶であった。
春彦に允華、そして、夕矢も合わせて9名での出発であった。
伽羅は一階へと戻り島へとチャーター船が出ていくのを見つめ
「俺―!」
忘れられたぁ
と叫んだ。
直彦と隆は彼の後ろに立ち
「…完全に忘れてたな」
「ああ、4名だったのに3名って言っちまった」
と伽羅の肩を軽く叩いた。
直彦は去っていく一団を見つめ
「まあ、いい機会だ。伽羅君、詳しく経緯を聞かせてもらおうか」
と告げた。
隆もニコヤカに
「じゃあ、月君と太陽の子守りも兼ねてそこのカフェでコーヒーでも飲みながらでいいね」
と告げた。
伽羅は涙に暮れながらその場に崩れ落ちた。
春彦は離れていく津洗の海岸を見つめ
「伽羅、4名ってアピールしないとダメじゃん」
とぼやいた。
允華は春彦の横に立つと
「伽羅君どうして来なかったの?」
と聞いた。
春彦は腕を組むと
「来るつもりだったと思うけど」
忘れられたんだと思う
と呆然と呟いていた。
夕矢は思わず離れていく海岸に向かって合掌した。
「伽羅さん」
船は島に着くと9名を降ろして大きなクーラーボックスを3個と9個のリュックと機材などを置いて
「では、明日の夕刻にお迎えに上がります」
と津洗の方へと戻った。
春彦は、允華や夕矢と共に手伝いながら荷物をキャンプ場にあるロッジへと運んだ。
太陽は南天に差し掛かり時計は11時を知らせていた。
ディレクターの飛田は一通り荷物をロッジに運び終えると近浦に声をかけた。
「荷物運び終わりましたので」
昼食後に予定通り神山展望台から神の池に行きますが
近浦は頷き
「ああ、今回は責任者としてだけ参加しているから現場運用は任せる」
と返した。
「金森君とは詳細の打ち合わせは済んでいるんだろ?」
飛田は頷きジーパンの後ろのポケットから紙を取り出すと同じくポケットに入れていたペンでチェックを入れて
「はい」
と答え、キャンプ場の中央に集まっていた面々に
「昼食後、1時から神の池から神山展望台を回るので機材チェックよろしく」
明日は蛇の池と涙池な
と呼びかけた。
「昼食は1と書いているクーラーボックスに弁当が入っている」
さっさと食べて行動!
それにロケ隊の面々が
「「「「はーい」」」」
と答えた。
飛田は夕矢の方を見ると
「あ、君たちはゆっくりで構わないよ」
と笑顔を見せた。
春彦も允華も夕矢もホッと息を吐き出し相原千恵子が
「僕たちー、お弁当どうぞ~」
と呼びかけると、それぞれお弁当を受け取り草原に座った。
夕矢は飛田を見て
「ディレクターさんが一番忙しそうだよな」
ジーパンの後ろポケットもパンパンに紙とペンが入ってるし
「黄色のシミ出来てる」
と呟いた。
允華はそれに飛田のポケットを見て
「夕矢君、目が良いね。言われても分かりにくい」
と言い
「もしかしたらシャークアイさんと同じくらい目が良いのかも」
とぼやいた。
夕矢は顔を向けて
「シャークアイさんって?」
と聞いた。
允華は小さく笑いながら
「ほら、晟のゲームの話したよね」
MMORPGの
と言い、夕矢が頷くと
「そのギルドのメンバーで映像を見る目に特化した人がいるんだ」
僅かな氷の色の違いとかね
と告げた。
「もしかしたら映像解析とかそういう事している人かも知れないね」
夕矢は「そうなんだ」と呟いた。
允華は頷き
「そうそう、ロケの構成はね」
と説明した。
「責任者はプロデューサーだけど現場監督はディレクターなんだ」
だから今みたいにスケジュール管理とか指示とかも彼がするんだ
「中心人物と言えばそうだね」
プロデューサーとディレクター兼用ってこともあるくらいだからね
「特に今回は色々あったから実務上のことは飛田さんが兼ねているんじゃないかな」
と告げた。
春彦は「そうなんだ」と呟いて見つめた。
允華がかなりの知識の持ち主であることが春彦にはよくわかった。
先の花の件についても。
そして、今のロケ隊の役割の事についても本当によく知っていると感じたのである。
食事を終えると松高百合が三人に声をかけた。
「君たちはどうする?」
私たちと一緒に神の池と展望台から島を回らない?
言われ、春彦は允華と夕矢を見て
「俺は涙池の方を見てくる」
と答えた。
が、重なるように夕矢の言葉が響いた。
「俺、一緒に回る」
意見が二つに分かれたのである。
春彦は慌てて
「あ、俺一人で大丈夫」
と言い
「夕矢君、涙池の行き方だけ教えてもらえる?」
と聞いた。
どうしても花束に関係した局アナの水死事故が気になって仕方なかったのである。
春彦の言葉に夕矢は腕を組むと
「う~ん、分った。案内する」
一昨日回ったし
とあっさり転換した。
允華は百合を見ると
「ということで、俺達は向こうから見て回ります」
と告げた。
百合は詰まらなさそうに
「そう?結構距離あるから遅くなるわよ」
と言い
「気を付けてね」
と立ち去った。
三人はロケ隊が右側の道から神の池の方へ行くのを見届け、左側の蛇の池から涙池の方へと足を向けた。
允華は春彦に
「ロケ隊が気になっているから神の池に行くと思ったんだけど」
と呼びかけた。
確かに気にはなっている。
事件も彼らの局に繋がっている。
それに伽羅が見た夢に関しても彼らの腕章がキーポイントになっている。
あの顔を見せないカメラマンも気がかりだ。
しかし、それ以上にあの事件の起きた状況を把握しなければならないと感じていたのである。
春彦は歩きながら
「あの二人どうして違うのかなぁって気になって現場を見に行こうと思ったんだ」
と答えた。
それに允華と夕矢が首を傾げた。
春彦は立ち止まると二人を見て
「千恵子さんは涙池でおぼれたって言ってただろ?」
瀬田真以さんの事故のこと
と言い携帯を出すと
「記事にも『池に沈んでいるところを発見し』って書いているだろ?」
と説明した。
允華も夕矢も頷いた。
春彦は携帯をポケットに直して
「けど、あの人は『波に流されるのが』って言ったんだ」
そう言う風に言うって何か確信があるからそういう言葉が出たんじゃないかと思って
と告げた。
「俺、涙池行ったことないからちゃんと確認しておこうと思ったんだ」
允華も唇に指をあてると
「確かに、池に沈んでいるところを発見し死亡が確認されたって記事だから普通は池に溺れたって思うのが普通だよね」
それを
「波に流されるっていう表現を使うことはそうであることを知っていると考えられるね」
と告げた。
「俺も行ったことないから状況分からないし」
行こう
允華の言葉で春彦は頷いて夕矢の先導で涙池へと急いだ。
往復4時間ほどの長いコースである。
つまり片道でも2時間必要なのである。
鬱蒼と茂った道を進み、三人は陽が少し西に傾いた頃に池に到着した。
林から抜けると柵のされた池があり満潮時には海からの海水が入るくらい海岸と隣接していたのである。
海側へ行くところには注意書きの看板があった。
夕矢は引き潮で波際が離れていることを確認して昨日の花束のあった場所へと進んだ。
「ここに花束があったんだ」
やっぱりもう流されちゃってるけど
と言いかけて、池の方を見ると目を見開いた。
池の中に花束が沈んでいたのである。
ハッとして允華が携帯を手にすると指を動かし
「もしかして…そう言う事だったら」
と言って動かしていた指を止めた。
春彦は夕矢と共に允華に一歩近づいた。
允華は二人を見て
「これは俺の想像だから確信も何もないけど」
と前置きをして
「去年の今頃の満潮時間は明け方の3時半くらいから5時前くらい」
と言い
「もし、彼女が何かの理由でこの海側で眠らされていたら満潮時に波によって池へと押し流されておぼれてしまうことになる」
それを仕組んだ人間がいたとしたら
「そしてそれを知ってしまった人がいたら」
と告げた。
その意味。
春彦は允華を見て
「けど、その時間帯のアリバイって事情聴取で聞かれるだろ?」
と告げた。
允華は春彦を見て
「潮の満ち引きだったら睡眠薬とか使えば自分がいなくても自然とその時間に波が彼女を池へと沈めてくれる」
と告げた。
「アルコールで眠らせたりもできるし」
方法はあるよ
春彦は允華を見て目を見開いた。
直彦の言葉を思い出したのである。
『お前はお前のままトリックを見破る力をつけていけばいい…允華君はそういう意味では良い先生になると思うがな』
「どうすればそれを矛盾なく成し得ることができるのか」
だよな
允華は静かに笑むと
「そうだね」
錯覚や思い込みがトリックの一番の餌になると俺は思ってる
「一種のマジックみたいなものだと」
と告げた。
夕矢は横で
「ほへー」
と声を零した。
「それで?」
もしそれを仕組んだ人がいるとしたら
「誰?」
春彦は允華と同時に
「「松高百合」」
と告げた。
春彦は夕矢を見て
「彼女は突発的に相原さんがその話題を出したことで後ろめたさが沸き立ったんだと思う」
彼女をそうやって殺したという
「だから、咄嗟に本当のことを言って自分を弁護したんだ」
流されるのは運が悪いって
と告げた。
允華もまた
「記事にも載っていない犯人だけが知りえる事実を口にできるのは犯人だけだからね」
と告げた。
夕矢は頷き
「そうか」
と言い
「けど、証明する何もないよな」
と告げた。
「空想だって言われて言い逃れされたら終わりだと俺は思うけど」
確かにそのとおりである。
夕矢は沈んだ花束を見て
「でも、この花束はやっぱりその瀬田真以さんへの供養の花束だったんだ」
と呟いた。
春彦は頷いて
「…そうだな」
それに
と小さくつぶやいた。
春彦には気になっていることがあった。
そう日付のことだ。
そんな考えに耽る春彦に允華が声をかけた。
「そろそろ戻らないとロッジに着くのが夜になるね」
陽は傾き日暮れの気配を漂わせている。
ロッジに戻るのに時間がかかるだけに何時までも佇んでいる訳にはいかなかった。
春彦は頷き、三人で来た道をゆっくりと戻った。
途中、蛇の池へと差し掛かったところで先頭を歩いていた夕矢が一瞬足を止めて
「な」
と声を上げた。
な?とは?
と春彦と允華は驚いて
「どうした?」
と声をかけた。
が、彼は慌てて
「いや、あの…こっちは良いのかなー?って思って」
…見るの
と告げた。
…。
…。
今は観光目的じゃないし…と允華があっさり
「調べたかったのは涙池だから良いよ」
観光はまた今度ゆっくりしよう
と告げた。
まさに「ですよね~」である。
春彦と允華と夕矢の三人がロッジに戻ると思わぬ人物が姿を見せた。
伽羅である。
「春彦----!!」
と、伽羅が駆け寄ってきたのである。
春彦は驚くと
「伽羅!良く後追い出来たな」
と告げた。
伽羅は何度も頷き、ロッジの中央に集まる6人のロケ隊の他にいる二人を指差した。
「九州県警の刑事さんが二人来て一緒に乗せてもらった」
一人はシュッとした30代くらいの男性で
「九州県警の刑事で名前は天村日和という」
九州コミュニティー放送局の殴打事件を担当していたんだが気にかかることがあって
「再度聞き込みを」
と手帳を見せながら告げた。
もう一人は20代後半くらいの明るい感じの男性で
「天村刑事のぱっしり…ではなくて、部下の西野悟です」
とちゃらけたところもある人物であった。
春彦は伽羅と允華と夕矢の4人で夕食を終えた後に始まった事情聴取を聞く事になった。
というのも部屋は中央のダイニングと個室のような部屋が4つしかなかったからである。
それにプロデューサーの近浦が
「ダイニングで十分です」
とさっさと済ませてもらいたいという事で、ダイニングで雑魚寝する予定だった4人も事情聴取に付き合う事になったというわけである。
ただ、アナウンサーの相原千恵子が
「局ガールの松高さんと私からです」
険しい顔しないで
「お茶どうぞ」
と彼女がお茶を配り歩いた。
飛田は松高の隣に立つとお茶を受け取り
「気が利くな」
と笑った。
彼女は鼻で息を吐き
「配るのは愛想のいいアナウンサーで良いでしょ」
と返した。
島津春馬は相変わらずグラサンをしたまま口を閉ざして首を振って断った。
春彦は彼のことも気になっていたのである。
彼はずっとフードとグラサンをしたまま顔を見せていない。
来るときの船内でも、である。
夏の日差しを遮るのにグラサンは有効的だが船の中でもかけているというのはあからさまに不自然である。
春彦も千恵子からのお茶の差し入れを手で制止して
「俺、寝る前に水分とらない派だから」
と断り、伽羅の耳元に唇を近付けると
「今日、夜中抜け出すから」
と囁いた。
伽羅は差し入れのお茶を手に目を見開くと横目で春彦を見た。
春彦は悟られないようにと指を立ててシッと言外に言い
「どうしても今日なにかある気がして」
だから
「後で起こすから」
と告げたのである。
最初に聴取を受けた近浦は被害者の金森雅夫の代理で殴打事件の時も放送局にはいなかった。
カメラマンの島津春馬も依頼を受けたフリーカメラマンで事件当日には放送局にいなかった。
つまり、関係のない第三者となる。
飛田隼人は当時の事情聴取と同じように
「俺は金森さんと一緒に打ち合わせに出てました」
金森さんが戻らなくて探そうという話になるまでトイレにも行っていなかったので
と告げた。
小泉政治はふぅと息を吐き出すと
「ええ、俺は確かに途中でトイレに行きましたけど5分くらいで戻ってますよ」
他のロケハンから戻ってきて直ぐに言われて我慢できなかったんですよ
「急な打ち合わせで飛田さんが急だからみんなの分の行動表は張っとくから向かってくれって言われて急いで部屋に向かったんですよ」
トイレも我慢してね
と肩を竦めた。
「生理現象まで疑われたらなぁ」
相原千恵子もまた
「私はトイレにも行ってないです」
急だったんですけど先にトイレ行っといて良いよって後やっとくって言われてトイレ行って参加したので
「金森さんがいなくなってみんなで探すときはバラバラでしたけど」
と告げた。
松高百合は腕を組んで
「前も言ったけど私は確かにトイレに行ったけど何もしてないわ」
犯人は恩田だったんでしょ
「私がしたわけじゃないわ」
と呟いた。
天村は6人の話を聞き
「実行犯は恩田でしたが彼が自分は脅されて行ったと自白しているので調べないわけにはいかないんですよ」
と告げた。
全員が顔を見合わせた。
春彦は天村に
「脅されて行ったってことは、彼は脅されるようなことをしたんですよね?」
それは何ですか?
「実行したという事は脅される内容が本当だったから言いなりになったってことだと思うけど」
何だったんですか?
と聞いた。
天村は「ほーほー」と呟き春彦をちらりと見て
「君も探偵君かな」
と告げた。
春彦は慌てて
「いえ」
と伽羅を横目で見た。
伽羅は「春彦は俺の夢ハンター」スィングと告げた。
…。
…。
今ここでそれ?と春彦は心で叫んだ。
天村はぷはっと笑い
「恩田はまだ吐いていない」
と言い
「余程のことをしたんだろうが」
と腕を組んだ。
春彦は「そうですか」と呟いた。
近浦は呆れたように
「先ず恩田から全て聞いてからでないと」
明日も撮りがあるので我々はこれで
と告げた。
天村もそれ以上は言いようがなかった。
春彦と伽羅と允華と夕矢はそのままダイニングで雑魚寝した。
天村と西野は近浦から
「警察の方はそこの部屋で寝てください」
見張られているようで気味が悪い
と一つの部屋を宛がわれたのである。
一つは相原千恵子と松高百合。
一つはフリーカメラマンの島津春馬と音声の小泉政治が使った。
最後の一室は飛田隼人と近浦金一であった。
それぞれ部屋に入り近浦は息を吐き出すと
「まったく金森のピンチヒッターなんて引き受けるんじゃないかったか」
とぼやいた。
飛田はそれに
「しかし、恩田が誰かに言われたというなら怖いですね」
と呟いた。
近浦はハァと息を吐き出し
「こりゃ、一杯やって寝ないと」
と言い、飛田は笑いながら
「近浦さんは変わってない」
持ってきますよ
「こっそりね」
と部屋を出て少しして缶ビールを二本手に戻ってきた。
同じ時、松高百合はそわそわしながら相原千恵子を見ると
「警察官がいるってなんだか怖いわね」
と言い、紙カップを二つ置くと
「ジュース付き合わない?」
とオレンジのペットボトルからカップに注ぎ一つを千恵子へと渡した。
千恵子は飲みながら
「本当ですよねー」
と言い小さく欠伸をすると
「明日も撮りがあるので、寝ますね」
とそのまま眠り込んだ。
夜の闇と共に静寂が広がり春彦は目を開けると闇の中をじっと見つめた。
今日が1年前に涙池で死んだ九州コミュニティー放送局の局ガールだった瀬田真以の命日なのだ。
絶対に動きがあるはずである。
春彦は扉が開く音を二つ聞き、階段を下りて外へ行く二つの影を見るとそっと置き上がって隣で眠っている伽羅と允華をゆすった。
が、夕矢も誰もがくーくー眠って起きる気配がなかった。
「…まさか、あのお茶に睡眠導入剤でも入っていたのか?」
と呟き、既に姿を消した二人の事を考えると仕方ないと立ち上がった。
隣で眠っている伽羅を見て
「伽羅、後は頼んだからな」
とそっと呟きロッジを後にしたのである。
ただ、扉を開けて春彦の行動を見ていた人物には気付かなかったのである。
夜の闇が支配する林の中を春彦は先行く二人を追いかけた。
二人が向かう先が涙池であることは分かっていた。
空から降り注ぐ月光。
風に揺れる木々がその光さえ遮り真の闇をそこここに広げている。
その闇を潜り春彦は懸命に足を進めた。
自分の行動は朝目が覚めた後に伽羅が允華と夕矢に伝えてくれるだろう。
きっと大丈夫だと春彦は確信していた。
春彦が危惧していた通りに二人は涙池まで来ると言い争う声が響いていた。
一人は飛田隼人。
一人は松高百合であった。
飛田は彼女を前に
「お前と恩田と金森が真以を殺したんだな」
と告げた。
松高は鼻で息を吐き出すと
「知らないわよ!」
彼女は溺れたのよ?
「新聞でもそう書いているわ」
と告げた。
飛田はそれに
「ああ、だが波に攫われたとは書いていなかった」
お前はそれを知っていた
と言い
「お前と恩田と金森が真以に無理やり酒を飲ませて眠らせたとき…俺はちょうど真以と電話をしている時だった」
お前たちがしたことを俺は全て聞いていた
「真以と俺は付き合っていたんだ」
と睨んだ。
松高は驚いて飛田を見ると
「…な、まさか」
と一歩後退った。
飛田は冷めた目で松高を見て
「取引に応じたら俺の知っていることは黙っててやるなんて…言葉を信じてノコノコついてきたのが運の尽きだ」
と飛びかかると抑え込んで睡眠薬を無理やり飲ませた。
春彦は慌てて飛び出しかけて他の人の気配にサッと身を隠した。
「だれか、いる」
そう自分だけだと思っていたが、他の人の気配がしたのである。
闇は深く目を凝らしても視認できなかった。
飛田は眠った松高百合を満ち始めた水の中で柵に凭れさせ
「真以のところへ行って謝罪しろ」
というとザブザブと歩いて元来た道を戻った。
春彦は彼を見送り暫く周囲を警戒していていたが静寂が広がり、月明かりだけが木々の間を通って地上へと届いていた。
「気のせい、だったのか?」
どちらにしても彼女を救わなければならない。
例えどんな理由があっても…死なせるわけにはいかなかった。
春彦は意を決すると林から出て海水が流れ込み始めた涙池の海側へと足を進めた。
ロッジでは飛田がこっそりと戻り、同室の近浦の携帯のアラームを弄るとズボンを鞄の中に仕舞ってあらかじめ用意していた代わりのズボンを枕元においてベッドへと身体を横にした。
「真以…お前の無念を晴らしてやったからな」
そう言って目を閉じた。
翌朝、ロッジではけたたましい近浦の携帯のアラームが眠っていた他の面々を叩き起こした。
伽羅は目を覚ますと同じように飛び起きた允華と夕矢を見た。
他の人々も驚いて飛び起き、ロッジのリビングに姿を見せ始めた。
伽羅がはっと寝ぼけ眼で
「…春彦がいない」
と允華たちに呼びかけた。
所謂、点呼の始まりである。
それを皮切りに相原もまた
「そう言えば…松高さんもいない!」
と叫んだ。
天村は慌ててまだ誰も出てきていない部屋の戸を叩いた。
「おい!」
誰かいるか!?
おい!!
声に寝ぼけながら小泉が姿を見せた。
「ど、したんですか?」
まだ早いんじゃ
言った彼に
「もう一人は?」
と聞くと小泉は振り返り
「…!?」
いないです
と答えた。
近浦は「どうなってんだ?」と叫び
「取り合えず探しに行くしかないか」
着替えて探しにいくぞ
と部屋へと入った。
飛田も相原も小泉も部屋へいったん戻ると着替えて姿を見せた。
允華と伽羅と夕矢も慌てて顔を洗いに向かった。
允華は小さく息を吐き出すと
「春彦君、無事だったら良いんだが」
と呟いた。
伽羅は祈るように窓の外のまだ明け切らない空を見つめて允華と夕矢に
「春彦は涙池に向かってる」
昨日の夜中に瀬田真以さんの事件の犯人と先の殴打事件の犯人が動くだろうと予想して動いたら追いかけるって言っていたから
と告げた。
「起こしてくれると思ったんだけど…多分、俺起きれなかったんだと思う」
直彦さんも来てるし…大丈夫だと思いたいけど
允華は目を見開くと
「直彦さんが?」
と聞いた。
夕矢も自分を指して
「俺、昨日の帰り道で直彦さん見たから…やっぱりそうだったんだ」
と告げた。
「あの分かれ道で直彦さんって呼ぼうとしたら『シーっ』って言われたから」
允華は思わず天を仰いだ。
伽羅は二人を見て
「俺が夢で直彦さんが春彦を鎮める夢を見たから…」
直彦さんもそれを気にしてきたんだ
と呟いた。
允華はふぅと息を吐き出し
「わかった」
と答え
「松高さんはいなかったし…春彦君は彼女を救っている最中かも知れない」
犯人は彼女を瀬田真以さんと同じように殺すつもりだから
「眠らせて放置してきたに違いない」
それを助けているんだろう
と告げた。
「昨日の聴取で犯人だろうと思われる人物は戻っていたから…今は春彦君と直彦さんを信じてその犯人を捕まえてから迎えに行こう」
夕矢も大きく頷いた。
允華と伽羅と夕矢が犯人である飛田隼人を追い詰めているころ、春彦は睡眠薬によって眠らされている松高を満ち潮の中で懸命に支えながら目の前に現れた人物を睨んでいた。
「島津春馬さん、でしたね」
そのサングラスとパーカーのフードを取ったらどうなんですか?
そう呼びかけた。
恐らく先の気配は彼だったのだ。
春彦は更に
「俺たちに顔を見られると不味いことでもあるんですか?」
と睨んだ。
島津春馬はふっと笑みを浮かべるとサングラスを外してパーカーのフードを取った。
春彦は目を細めて
「やっぱり」
と呟いた。
夜明け前の白闇の中で浮かぶ姿は伽羅が夢で見た直彦の姿であった。
春彦は真っ直ぐ見つめ
「直兄に似ているというより…俺に似ているのかもしれない」
と呟いた。
春彦は直彦とよく似ていると言われるが、髪の色合いや瞳の色は違うのだ。
どちらかというと目の前にいる島津春馬の方が春彦に酷く似ていた。
もっともソックリというわけではないが。
春彦は波に押されそうになりながら
「貴方は一体何者なんです?」
と聞いた。
が、島津春馬はふっと笑うと
「わからないのか」
というと
「薄情な奴だな」
と春彦の襟を掴むとそのまま押し倒した。
波の中で足を取られてひっくり返った春彦は懸命に手を伸ばした。
鼻から口から水が入り込んで来ようとする。
目の前には水面に浮かぶ自分によく似た島津春馬の顔が浮かんでいた。
死ぬ、かもしれない。
いや、それだけじゃない。
松高百合も死ぬだろう。
それはさせられない。
と島津春馬のパーカーを掴んだ瞬間に島津春馬は春彦を引き上げると
「…なんてな」
それは無理そうだな
と立ち上がり後ろを振り向いた。
「夏月、直彦…か」
春彦は咳込みながら
「な、お…兄…なんで?」
と春馬の背後に現れた直彦を見た。
直彦は春馬を睨み
「そのまま春彦を沈めていたら俺がお前を沈めてた」
もっともそこまでするつもりはないみたいだがな
と言い、春彦の側に行き安堵の息を吐き出しながら松高を背負い直すのを手伝い島津春馬を横目で見た。
「春彦、その島津春馬はお前の兄だ」
本当のな
春彦は大きく目を見開いた。
島津春馬は大きく笑うと立ち上がり
「夏月直彦…お前こそ何者だ?」
血も繋がっていないくせに
「気持ち悪いくらい似てるな」
と告げた。
春彦は混乱する頭を持て余しながら、直彦と春馬を交互に見た。
直彦は春彦と松高百合を林に移動させると
「当り前だ」
俺と春彦の育ての親の野坂由以は事故死した俺の父に似た男を求め
「お前たちの父親の島津春珂は彼女を探していたんだからな」
と告げた。
「何故、わざわざ春彦に会いに来た」
来なければ島津家は春彦を知らないままだったかもしれないのに
春馬は唇を噛みしめ
「反対にそこまで知っていて何故島津に知らせなかった」
かなりの礼金が入ったはずだ
と睨んだ。
直彦はふぅと息を吐き出すと
「金で弟を売るか?」
腐ってるな
と言い、春彦を見ると少し間を置いて
「春彦、お前は島津家へ行け」
と告げた。
春彦は驚くと
「直兄…俺は…」
と言いかけた。
直彦は厳命するように
「いいな」
行くんだ
と告げた。
春彦は俯くと唇を噛みしめた。
直彦は大きく息を吸い込み吐き出すと春彦の頭を撫でて
「捨てられた子犬のように泣くな」
と言い
「島津の事は俺が関与できることじゃない」
どちらにしても何れはお前が決着をつけることだ
「お前がもう少し自分の道をしっかり考えられるようになったらと思っていたが仕方がない」
と告げた。
「見て来い、お前の本当の家を」
あんな兄のいる家だがな
春馬はむすっとしたまま
「…お前、何様だ」
偉そうに
と舌打ちしていた。
直彦はふぅと息を吐き出し
「お前よりはましだ」
と言い
「春彦、俺がお前の兄であることに変わりはないからな」
と付け加えた。
春彦は直彦を見つめ、小さく頷いた。
その後、ロッジに戻る途中で迎えに来た伽羅と允華と夕矢の三人と合流して全員で戻ったのである。
伽羅は春彦に
「直彦さんは春彦が心配だからって一緒に来たんだけど…真実を知りたいから暫く身を隠すって」
とこっそり告げた。
「俺は夢の事もあって心配だったんだけど直彦さんが俺は絶対に春彦を死なせないから信じてほしいって言ったから」
信じることにした
「最近、兄が勉強教えてくれたり挨拶に行ってくれたりするだろ?」
なんかさぁ
「先に生まれただけなのに守ってくれているんだなぁって…ありがたいけど兄って大変だなぁって思ってさぁ」
きついこと言われたり怒られたりするけど
「きっと俺の為なんだろうなって思うようになって直彦さんを信じることにした」
春彦は笑みを浮かべると
「そうだよな」
と言い、他の人たちと話をする直彦を見て
「俺も信じる」
と呟いた。
『金で弟を売るか?腐ってるな』と言ったのだ。
『俺がお前の兄であることに変わりはないからな』と言ってくれたのだ。
きっと意味があるのだ。
春彦は手錠を掛けられて俯いている飛田を見ると歩み寄り
「飛田さん、貴方がどれほど三人を恨んでいるか…想像は出来ます」
貴方は白いミヤマキリシマを置いていた
「花言葉は初恋」
愛し合っていたんですよね
「その思いを込めておいたんですよね」
と言い
「あの三人を許す必要はないと思います」
彼らがやったことは許されることじゃない
「彼らは裁かれます」
と告げた。
飛田はちらりと春彦を見て
「だからどうした」
お前はそれでもあの女を助けたじゃないか
と告げた。
春彦は飛田を見て
「ええ、だけど俺は全員助かって良かったと思ってます」
と言い
「それは彼らの命を惜しんでではなく貴方が彼らを殺してしまっていたら瀬田真以さんに花を手向ける人が誰もいなくなってしまうから」
と告げた。
彼女を愛して彼女を思い出して
「花を手向けてくれる人がいなくなってしまうから」
飛田は唇を噛みしめると両手で顔を覆った。
「あの日から真以の事を忘れたことなど一日もない」
春彦は笑むと
「彼らは正当に裁かれます」
貴方は彼女への愛を守ってください
「復讐心などで汚したりしないでください」
と告げた。
「復讐心は恐らく彼らを殺してもずっとずっと繰り返し貴方の心を蝕みながら永遠に続いていく」
きっと真以さんへの愛にとって代わるくらいに
「愛ではなくて復讐心だけになってしまう」
…貴方が苦しくても乗り越えない限り…
「許さなくていい」
だけど
「復讐心を花束と一緒に海へ流して忘れてください」
飛田は上を向くと涙を零し
「君は、難しいことを言うな」
と少し笑って
「だが、そうだな」
きっと俺は真以への思いも忘れて復讐鬼になっていただろうな
と告げた。
「あいつらを殺しても心の中で更に何度も殺し続けたに違いない」
だが敵を取らない俺を真以は許してくれるだろうか
春彦は笑むと
「きっと貴方を愛していたら彼女は復讐鬼になった貴方より彼女を愛し幸せに向かう貴方の方を望むと思います」
貴方を愛していたんだから
「愛する人の幸せを望みますよね」
と告げた。
飛田は頷き
「努力する」
彼女の笑顔を思い出しながら
と告げた。
チャーター船が来ると全員が乗り込み津洗へと戻った。
意識を取り戻した松高百合は怒りを露わにしたが瀬田真以にしたことを言われると蒼褪めて黙り込んだ。
恩田進も全てを自白し、金森も意識を取り戻して全てを自供した。
三人は相応の罰を受けることになる。
春彦の実兄である春馬は
「お前が九州にくる準備はしておく」
また連絡する
と言い残し、彼を守る為に極秘についてきていた護衛と共に九州へと戻った。
彼からの連絡を待って九州へ行くことになるだろう。
8月に入り様々なことがあったものの長かった夏休みもそろそろ終わりを告げようとしていたのである。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があります。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。