ゴッポと言う名の女性
定例の島津家の土曜日の集まりに神宮寺凛が姿を見せるようになって半月近くが過ぎた。
季節は紅葉の時となり島津家の庭の木々も赤く色づいていた。
伽羅もここのところ夢を見ることはなく落ち着いた日々が過ぎていた。
もちろん、春彦の付き人である譲はいつまた春彦が突拍子もない行動に出るかを警戒し常の警備指示を怠ることはしていなかった。
この土曜日も島津家に伊藤朔に田中悠真、そして、神宮寺凛が姿を見せていた。
春彦の母親である更紗は紅葉狩りと言う事で、庭で茶菓子を食べながら集まっている男子高校生5人が何をしているのかと何気なく覗き驚いて目を見開いた。
全員、勉強用のタブレットを手に勉強しながら話をしていたのである。
原因は明日から始まる二学期中間テストで赤点を取るとヤバい伽羅の勉強と将来何になるかという話であった。
もちろん、その合間に紅葉を愛でてはいるのだが…そう言う年ごろなのだ。
悠真は既に迷いはなく
「俺は親父の跡を継いでホテル経営だな」
と告げた。
凜もあっさり
「俺は神宮寺を継ぐことになる」
一人っ子だから
「これまでの罪も全て受け止めて神宮寺の在り方を考えていこうと思ってる」
と告げた。
「成人したら父から色々教わると思うから」
卓史さんと叔父さんのことも守って生きて行きたいと思ってる
朔は悩みながら
「俺は次男だから兄が成人したら家を出ることになるから」
何をするか考えないと
「ただ、兄は俺に伊藤の持っている九州以外のホテルとかマンションとかの管理をしないか?って言ってくれているんだ」
と告げた。
「前までなら厄介払いかと思っただろうけど」
今は兄が俺の身を案じて九州から出そうとしてくれているのかもって思うようになってる
「俺はそれも良いかなぁっと思ってはいる」
伽羅は腕を組み
「俺は…勉強苦手だし絵は得意だから」
実は美術大学に行ってみようかなぁって
「みんな、絵は上手いって言ってくれてるから…ちょっと考えてみようかなぁって」
と告げた。
春彦は笑んで
「伽羅」
と名を呟いた。
伽羅は頷いて
「まあ、画家になれるとか思っている訳じゃないけど」
でも絵は好きだし
「頑張ってみようかなぁって」
と告げた。
春彦はそれを喜び
「良いと思う」
俺も応援してる
と言い、ふぅと溜息を零した。
「将来…だよなぁ」
兄の直彦にもそれは言われたのである。
『ちゃんと先の事も考えるんだぞ。将来どう生きていきたいかをな』
今いる友人たちもちゃんと自分の未来の事を考えて決めている。
春彦は大きくため息を零すと
「俺だけか」
決めてないの
と呟いた。
少し前まではIT関係の仕事に着こうと思っていた。
それは安定しているからだ。
少しでも安定した良い会社で兄の直彦に楽をさせたかったからである。
しかし。
直彦は「それは春彦自身が本当にしたいことなのか?」と言ってきたのだ。
本当にしたいことを考えて進んでほしいと。
それが自分の願いだと言ってくれたのだ。
自分のしたいこと。
簡単だが難しい。
悠真も朔も凜も迷う春彦を見て
「「「悩めるのも幸せの内だろ」」」
と告げたのである。
伽羅は春彦を見て
「きっと直彦さんに言われた時から春彦の中で将来なりたい自分に向かっている気がするけどな」
と心で呟いた。
あの時から伽羅の夢の事件の解決の時に
『今回特別な』
という言葉が無くなっている。
この探偵業を真っ直ぐ受け入れ始めている気が伽羅にはしているのだ。
それまでは直彦との生活のためのIT関係の仕事に着くという前提があったので
『今回特別な』
という扉を作っていたのだが、あの時からその扉が無くなっている。
きっと、将来の春彦は誰にもできない何かをするために動くんだろう。
そう伽羅は感じていたのである。
「お金にならなくても…大切なことのために動く春彦を俺は一生応援していく」
と伽羅は青く澄んだ秋の空を見上げて呟いた。
リバースプロキシ
夕食を終えて部屋に戻った春彦と伽羅は再びタブレットを開いて顔を突き合わせていた。
伽羅はふぅと息を吐き出し
「西海道学院の中間って意外と遅いんだな」
と呟いた。
「東京だったら10月中旬から下旬だし、期末は11月下旬くらいなのにな」
春彦も頷いて
「そうだな」
10月終わりから中間だもんな
と答えた。
「でも、まあ…明日の英語の演習終わったら寝ような」
言って小さな欠伸を零した。
その夜。
伽羅は夢の中で温泉の中に立っていた。
空には星が瞬き日本家屋の部屋の明かりが夜の闇に仄かな明かりを投げかけている。
揺らめく湯船の水面。
星と月もゆらゆらと形を歪めながら映っている。
「岩風呂?」と伽羅が思ったときコツンと桶が当たり視線を向けると、長い髪が湯につかった足に絡まり一人の女性の姿が赤い血の広がりの中で力なく浮かんでいた。
「!!」
マジかっと思い、気配に振り向いた伽羅は目を見開くと
「ギャー―――!」
と声を上げた。
ガバッと身体を起こし電気を消した暗闇の部屋の中でゼーハーゼーハーと肩で息をしていた。
「こわっ」
どんなホラーだって思った
「こわっ」
と呟くと震えながら部屋を出て隣の春彦の部屋の扉をノックした。
「はーるーひーこー」
ごめん
「はーるーひーこー」
春彦はノックの音に
「ん?」
と身体を起こしかけて、続いて聞こえてきた低く小さな声に
「…伽羅の声…こわっ」
と心の中で呟きつつ扉を開けた。
「伽羅、普通に呼んでくれていいから」
反対に怖い
そう言って
「夢見たんだろ?」
と告げた。
伽羅はコクコクと頷き
「それ」
と答えた。
春彦は笑むと
「いいよ」
と中へと招き入れた。
伽羅は部屋に入りソファに座って
「夜中に悪いな」
と告げた。
春彦は携帯を手に
「いいよ」
と答えた。
伽羅は春彦を見て
「あのさ、春彦は春彦らしく道を選んだらいいと思うぜ」
と告げた。
「春彦がもし稼げない仕事についても俺バックアップするからな」
だから
「今はお金とかそういうの忘れてやりたいことをやってほしい」
春彦は驚きながら
「…伽羅…」
と呟いた。
伽羅は笑むと
「だってさ、今回特別がなくなったから」
と告げた。
春彦は目を見開き微笑むと
「ありがとう」
と答えた。
よし
「夢の話を聞かせてほしい」
伽羅は頷いて
「夢の中で俺、温泉にいてそこで髪の長いめっちゃ可愛い女の人が血を流して倒れていたんだ」
それで振り返ったら岩を持った人が立っていて
「それを振り上げて」
とガクガク震えていた。
春彦は「なるほど」と言い
「めっちゃ可愛い女の人が被害者なんだな」
とハァと小さくため息をついた。
伽羅はビシッと指差すと
「問題そこじゃないから」
と突っ込んだ。
「殺人事件が起きるってことだからな」
春彦は小さく笑って
「そうだな」
と答え
「じゃあ、被害者と犯人の顔を見たんだな」
と告げた。
伽羅は頷いた。
「みた」
春彦は応えるように頷き返し
「温泉って言ったけど温泉だけしか夢で見なかったのか?」
例えば温泉の周囲とか
「そういうのは」
と聞いた。
伽羅は考えながら
「左手に部屋があって…風呂も岩風呂だったから」
ホテルとか旅館とかそんな雰囲気だった
と告げた。
春彦は携帯を渡すと
「じゃあ、周囲の状況と被害者と加害者を書いてくれ」
特にどんな温泉だったかとか
その見えた左の部屋とか
「細かく描いてくれ」
と告げた。
伽羅は頷くと
「わかった」
と言い携帯の上で指を動かした。
外では夜の闇が広がり、街の所々でキラキラと明かりが輝いていた。
伽羅が描き終えると二人はベッドで眠り、朝日が窓から射し込むと目を覚ました。
日曜日なのでのんびりとした朝であった。
春彦は目を覚ますと眠っている伽羅を避けてベッドから降り、部屋を出た。
戸口には譲が控えており
「おはようございます、春彦さま」
お顔を洗われましたらお食事とのことです
と言い
「ところで松野宮様がおられないのですが」
もしかしてお部屋におられるとか
と聞いた。
伽羅の管理も譲の仕事であった。
春彦は頷き
「ん、ごめん」
昨日の夜に伽羅が来たからついつい一緒に寝てしまって
と事件の夢を見たことは伏せて告げた。
言ってしまったら伽羅が東京に戻されてしまうかもしれないと危惧しているのである。
譲は「さようでございますか」と言い
「かしこまりました、松野宮様にも顔を洗って広間へ向かわれますようにお伝えください」
と告げた。
春彦は踵を返すと
「わかった」
と答え、部屋に入って眠っている伽羅を起こすと
「朝食、待ってるって」
と告げた。
伽羅は欠伸をして
「わかったぁ」
と言い身体を起こして春彦と共に顔を洗うと食事をする広間へと向かった。
春彦と伽羅が服などを整えて部屋に入ると既に春馬と更紗が待っており
「「遅れてすみません」」
と二人揃って言い、席に座った。
食事を終えると春彦と伽羅は部屋に戻りさっそく昨夜の夢の検証に入った。
春彦はソファに座り伽羅が描いた絵を見た。
「彼女が被害者…か」
全く見たことない
伽羅も頷いた。
続いて加害者の女性を見た。
「この人も全く見たことない」
でも、というと状況を描いた絵を見て
「この二人は友人同士か何かだろうな」
と告げた。
伽羅は首を傾げた。
春彦は笑みを浮かべ
「だって、岩風呂の隣が脱衣所じゃなくて部屋ってことは恐らく露天風呂付客室だろ?」
一緒の部屋に泊まるって友人とか会社関係とかでないと全く無関係な人とそんなことしないだろ?
と告げた。
伽羅は頷くと
「確かに」
と答え
「けど、どちらも分からないんだよな」
と付け加えた。
それ、である。
春彦は「そこな」と答え
「けど露天風呂付客室の宿屋を調べることはできる」
と告げた。
「こういう部屋がある宿屋を探す」
何かこう特徴的なものなかった?
伽羅は目を閉じて夢で見た光景を思い浮かべた。
そう、空に星が瞬き左手に部屋がありその明かりが漏れて周囲を浮かび上がらせていた。
ゆらゆらと水面が揺れ…と伽羅はハッと目を開けると
「桶が足に当たって」
そこにタオルが入ってた!
と告げた。
春彦は腰を浮かせると
「タオル!?」
とおうむ返しに問いかけた。
伽羅は何度も頷き
「何か変わったタオルだった!」
と告げた。
春彦は慌てて携帯を渡して
「書け!」
と告げた。
伽羅は受け取ると思い出しながら
「えーと、確か」
と指を動かした。
春彦は伽羅の描いた絵を見て
「…これ…アニメ?」
と聞いた。
伽羅は「たぶん?」と返した。
春彦は「MAGI…か」と呟くと
「俺見たことない」
ファンの人なのかな?
と顔をしかめた。
伽羅は「たぶん?」と返した。
春彦は宿泊施設のタオルだと思い宿泊施設の名前が分ると期待したのである。
が、とんだ期待外れであった。
春彦は腕を組んで
「仕方ないからホテルのサイトを見ながら同じような客室があるか見てみよう」
と告げた。
つまり、振り出しであった。
伽羅は頷き
「あ」
と声を上げると
「そう言えば、允華さんの友達の泉谷さんってゲーマーだっただろ?」
意外とアニメもイケルとか?
と告げた。
春彦は「おお!」と声を上げると
「宿泊施設は調べるとしても…こういうアニメ好きな人ってことで声をかければいいかもしれないな」
と告げた。
携帯を手にして
「允華さんにLINE入れてみよう」
と告げた。
そして、白露允華に伽羅が描いたタオルの絵を送ったのである。
『このアニメ知りませんか?』と付け加えたのである。
が、返事は早かったが内容は思ってもいない内容であった。
『それはアニメじゃなくてマギ・トートストーリーっていうゲームのオフラインイベントの時に配られてたタオルだよ』
『同じのを晟が持ってるって隣で騒いでる』
…。
…。
春彦と伽羅は返事を見て顔を見合わせた。
「伽羅、ゲームだって」
「うん、ゲームらしい」
春彦は腕を組んで
「確か、MMORPGって言ってたよな」
允華さんが推理してたっていうゲーム
と呟き
「つまり、ゲームをしている人かも」
と告げた。
春彦はLINEで允華に
『後でお願いしたいことができるかもしれないので、またします』
と打ち込んだ。
白露允華は自室の机でパソコンに向かいながら返事を見ると
『了解』
と携帯に打ち込んだ。
ベッドでは縁に座って晟がゲーム会社のパンフレットや会社説明会のチラシを見ている。
大学三回生の秋にもなると高校2年生の春彦たちと同じように進路に悩む時期なのである。
春彦はパソコンで先ずホテル旅館などの検索サイト『ネコぱこ』にアクセスし『露天風呂付客室』で検索をかけた。
全国の何処か全くわからないのでヒットした642件の宿屋の写真を伽羅と共に確認し始めた。
昨今はインスタ映えという言葉が流行るくらいに写真が多く載っていた。
現状ではその方が春彦と伽羅には助かるのである。
一軒一軒選んでは写真を見て閉じるを繰り返した。
100軒越えてくると春彦は天井を仰いで目を閉じた。
「ここに載せていない旅館だったらどうするかだな」
その可能性はあるのだ。
伽羅は机に突っ伏しつつ
「その時は…俺の夢のバカヤローだな」
もっとちゃんとしたところ見ろ!って感じだ
と笑った。
春彦は苦笑しつつ
「そんなことないよ」
と言い
「よし!あと500軒少々だ!」
と再び作業を繰り返した。
事件がいつ起きるか分からない。
今日か。
明日か。
それとも一か月後か。
とにかく、急いで調べなければならないのだ。
譲は外の警備の指示を出しながら春彦の部屋を見上げながら
「今日は部屋でごゆっくりされているようですね」
ふぅ
と安堵の息を吐き出した。
まさか、部屋でホテルを調べて行動しようとしているとは露ともしらない譲であった。
昼ご飯を食べてその後も同じ作業を繰り返した。
そして、421軒目で二人は同時に顔を見合わせた。
伽羅は露天風呂を手前に部屋をとった写真を見て指を差した。
「ここだぁ!」
春彦はホテルの情報を印刷して
「九州の福岡県朝倉の伏流庵か」
と呟いた。
「ダメもとで允華さんに聞いてみよう」
そう言ってLINEを入れた。
『マギ・トートストーリーで九州の朝倉へ行く予定の人って聞く事できますか?』
『タオル持ってる人限定で』
允華はパソコンを打ってた手を止めるとLINEを見て
「晟、マギ・トートストーリーのタオルを持ってる人で九州の朝倉に旅行に行く人って呼びかけられる?」
と聞いた。
晟は腕を組んで
「フレとかギルメンなら聞けるけど…広範囲は無理だな」
と答えた。
「一応、フレかギルメンに声かけてみようか?知り合いのフレさんにそう言う人いるか聞いてもらう事も出来るし」
允華は頷いて
「宜しく」
と答えた。
晟は携帯を手に取りかけて止めると
「あ、雨さんに先に聞いておこう」
ロールちゃんは雨さんだけだから
とタブレットを手に取って指を動かした。
「ちょうど雨さんいるし」
『コンティニュー・ロール:雨さん(/・ω・)/』
それに
『雨:ライキくんか、何だい?』
と返った。
即効見分けがつくあたりがさすがである。
晟は
『コンティニュー・ロール:雨さんか雨さんのフレさんでオフイベのタオル持ってる人で九州の朝倉に旅行行く人知りませんか?』
と打ち込んだ。
「ま、早々いないよな」
と呟いた。
瞬間であった。
『雨:ゴッポが昨日から職場の人と九州旅行してる』
…。
…。
晟はそれを見て
「まじか」
と呟くと再び懸命にパソコンに打ち込みをしている允華に
「ゴッポさんが今九州旅行しているらしい」
と告げた。
允華はギンッと晟を見ると
「まじ?」
と聞いた。
晟は頷いて
「マジらしい…」
と返した。
允華は春彦にLINEで
『今旅行している人が一人ヒットしたんだけどどうする?』
と返した。
春彦は允華のLINEを見ると
「マジか」
と呟き
「しかも昨日からってことは今日の可能性もあるってことだな」
と顔を顰め
「伽羅、被害者の顔を送るからな」
と告げた。
伽羅は刻々と頷いた。
春彦は允華に
『伽羅が描いたその人の顔を送ります。その人なら今日何処に泊まるか聞いて欲しい』
と返した。
允華はLINEで送られてきた写真を見て
「伽羅君本当に絵上手いな」
と呟きつつ
「晟のタブレットに写真移して雨さんにゴッポさんこの人かどうか聞いてもらえる?」
その人だったら今日何処に泊まるか教えてもらいたいって言って
と告げた。
晟はう~むと言いつつ
「わかった」
と答え、一旦ログアウトして允華の携帯とタブレットをケーブルでつないで画像データを移動させると直ぐにログインして雨に写真を見せた。
『コンティニュー・ロール:ゴッポさんってこんなめちゃかわな人?』
雨の返答は早かった。
『雨:ゴッポ、指名手配されてるのか?』
晟は「ビンゴらしい」と呟き
「今日の宿屋聞いたら良いんだな?」
と問いかけた。
允華は頷き
「うん、あー、できたら九州での宿泊施設名聞いてくれたら助かるんじゃないかな」
と答えた。
晟はそれに「了解」と答え
『コンティニュー・ロール:指名手配じゃないんですけど彼女の宿泊施設名教えてもらえますか?』
と問いかけた。
雨はそれに
『雨:んー、ゴッポに聞いてみないとなぁ』
と答えた。
允華はあっさり
「命に係わるって言って…恐らく伽羅君の夢だと思うから」
と告げた。
晟は目を見開くと
「あれか!」
と言い
『コンティニュー・ロール:ゴッポさんの命に係わる大事件ヾ(:3ノシヾ)ノシ』
と雨に返した。
雨はそれに
『雨:10分後にログインするから待っててくれ』
とログアウトした。
そして、10分後に
『雨:今日は朝倉市の伏流庵で明日が別府のカササギの宿で帰宅だと』
と告げた。
晟はそれを見ると
「ゴッポさんは今日朝倉市の伏流庵で明日が別府のカササギの宿で帰宅だって」
と告げた。
允華は「わかった」と答えるとLINEを入れた。
『今連絡があって今九州に行ってる人はその人らしい。宿は今日が朝倉市の伏流庵で明日が別府のカササギの宿だって』
万が一今日だと時間的に切羽詰まっているので春彦と伽羅は速攻出れるように外出の準備を整えながら允華の返事を待っていた。
LINEの通知音を手に画面を見ると
「今日だ」
と言い、允華に返事をした。
『ありがとうございます、今から行こうと思うんですが…彼女と一緒に行っている人はどんな関係の人なんですか?』
そう問いかけた。
允華はそれを見ると
「今日の宿だったんだ」
と呟き、晟に
「今日が事件の日だったみたいだ」
それで
「今ゴッポさんが一緒に旅行してる人ってどんな人?」
と聞いた。
晟は固唾を飲みこむと
「間に合えばいいけど」
と呟き
「超絶速攻で聞いてみる」
とタブレットに打ち込んだ。
春彦は部屋を出ると更紗の部屋へ行き
「お、か…さん」
とシドロモドロと呼びかけると
「今から朝倉市の伏流庵へ行ってきます」
と告げた。
更紗は本を読みながらお茶を飲んでいたが思わず本を落として春彦を見た。
「伏流庵…温泉に入りたいのですか?」
春彦は少し考えながら
「あー、えー、はい」
と答えた。
更紗は「伏流庵ですね」と呟き、後ろで控えていた武藤堂山に
「直ぐに部屋の手配と譲に車で送らせるように」
と告げた。
「それから護衛を」
春彦は目を見開くと
「あ、の…急ですけど良いんですか?」
と聞いた。
更紗は微笑むと
「貴方が何時も島津配下の宿を使うと言ってくれれば安心ですのに」
と告げた。
「ゆっくり行ってらっしゃい」
明日は学校を休むのね?
…。
…。
春彦は暫く固まったあと
「あ、帰ったら勉強頑張ります」
おか、さん
と答えた。
まさかそんなところで事件が起きるとは、である。
春彦と伽羅は譲が運転する車に乗り先を急いだ。
外は既に夕焼けの朱に染まり夜がもうすぐ訪れることを教えていた。
春彦のいる島津家邸宅から朝倉市の伏流庵まで1時間半ほどかかる。
春彦も伽羅も沈みゆく太陽にハラハラしながら祈る思いで流れゆく景色を見つめた。
その時、春彦の携帯が震えた。
允華からLINEが届いたのである。
どんな人物と彼女が今旅をしているかが送られてきたのである。
春彦はそれを見ると視線を伏せた。
伽羅は春彦の様子を見て
「何かわかったのか?」
と聞いた。
春彦は小さく頷いた。
「急がないとな」
車は暮れ始めた道を駆け抜けた。
車が伏流庵に着くと春彦と伽羅は飛び降りて駆け出した。
マッハである。
譲は慌てておりかけたが「あ」と言う間もないほどの二人の行動に唖然とするしかなかったのである。
春彦は宿に駆け込むと島津家のご子息の到着と言う事で待ち構えていた女将と仲居の歓迎を受けた。
女将は深く頭を下げると
「島津家のご子息様がお泊りいただけるとは」
ようこそお越しいただきました
と告げた。
春彦は携帯を取り出すと
「すみません、こちらの方が来られていませんか?」
と問いかけた。
女将は驚くと
「もしや、島津家のご関係のお方…だったとか」
と呟いた。
春彦は思わず
「はい!俺の知り合いです!」
と告げた。
伽羅は思わず
「言ってしまった!!」
と心で叫んだ。
譲は後について飛び込みかけて
「えええ!?」
と心で叫んだ。
女将は慌てて
「こ、こちらで」
と部屋へと案内した。
春彦は譲を見ると
「すみません、待っててください」
と言うと女将について足を進めた。
伽羅もむんっ気合いを入れると春彦の後に続いた。
春彦は女将が
「こちらです」
というと
「すみませんが、ここで」
と言い、戸を開けると
「すみません!ゴッポさん!!」
と足を踏み入れた。
髪の長い愛らしい女性が奥の部屋の更に向こうの露天風呂へ足を踏み入れようとしていた。
その後ろに彼女と共に泊まろうとしていた女性が立っていた。
マギ・トートストーリーでゴッポと名乗っていた女性…本名、港川絢華は驚いて振り向いて春彦を見た。
「その名前知ってるって!?どちら様―――!?」
春彦はズンズンと中に入ると絢華の背後に立っていた女性の手を掴んで引き上げた。
袖がグンッと伸びて中に重いものが入っていることを知らせていた。
春彦は彼女の袖の中に手を入れて石を取り出すと
「こんなことをして…どうなるんですか?」
と告げた。
「彼女とどうして…いや、北村という人とどうしてちゃんと話をしようと思わないんですか?」
桜井市子さん
絢華は石を見て桜井市子を見つめた。
「どういうこと?桜井さん」
桜井市子は崩れ落ちると
「だ、だって…貴女と結婚するって言ってから…お腹に子供がいるのに貴女と結婚するから一緒になれないって言われて」
と泣きながら彼女を見ると
「私のお腹には北村さんの子供がいるの」
お腹の赤ちゃんのお父さんになってほしかったの
「この子のために…二人でちゃんと育てたかったの」
と両手で顔を覆った。
春彦はふぅと息を吐き出すと
「そんな理由で彼女を殺してしまったら」
それこそ生まれてくるお腹の赤ちゃんを誰が守るんですか?
「どちらにしても貴女はその子を抱いてあげることができなくなるんですよ?」
貴女が刑務所から出てくるまでその子は母親と会えなくなるんですよ?
「それでも子供の為だって言うんですか!」
と告げた。
絢華は困ったように息を吐いて
「桜井さん、あのね、北村と結婚なんてしないし」
あいつのいつもの出まかせよ
と告げた。
「職場でも余り話してこない貴女が急に九州旅行を誘うなんて…北村の事で相談あるのかと思ったら」
まさか命狙われていたなんて
桜井市子は俯いて
「ごめんなさい…でも北村さんは港川さんと結婚の約束をしているって言ってたわ」
と告げた。
絢華はハァ~と息を吐き出すと
「あいつ絶対にぼこる」
と言い
「本当にそんな約束もしてないし北村は他にも総務の香川さんや悠木さんにもちょっかい出してたわ」
と告げた。
市子は驚くと
「嘘!」
と叫んだ。
絢華は怒りながら携帯を鞄から出すと電話をかけて市子に渡した。
「本当よ!なんなら香川さんに聞いてみなさい」
私、彼女から相談受けたんだから
市子は電話口に出た香川露子という女性から話を聞き他にも女性がいることを知るとボロボロ泣きながら深い溜息を零した。
香川露子の時は悠木照子と結婚する約束があると言ったそうである。
飛んでもない人物のようであった。
春彦は崩れ落ちたままの市子の前に座ると
「俺は、確かに子供は両親が共に育てた方が良いと思ってる」
けど
「俺は直兄に大切に育ててもらったからわかるんだけど」
誰か一人でも心から愛して育ててくれる人がいたら幸せになれると思う
「貴女がその子供を愛して、愛して、育てればその子はきっと貴女の愛で幸せに育つと思う」
と告げた。
「両親が揃っていても二人ともに愛情がなくて振り返りもされなかったら両親がいても不幸だ」
市子は涙を浮かべながら何度も頷き
「北村さんのこと好きだから…時間はかかると思うけど」
ちゃんと話をしてけじめをつけて
「この子を私が愛して育てていこうと思います」
と告げた。
絢華は微笑むと
「私も力になるから」
言ってね
と告げた。
市子は絢華に抱きつくと
「本当に、本当に、ごめんなさい!」
ありがとう
と号泣した。
絢華も抱きしめ返すと
「わかってくれたらいいの」
と微笑んだ。
絢華は自分の姿に気付いて慌てて浴衣を羽織ると春彦に
「命を助けてくれてありがとう」
と微笑み
「日和ね、今日何度も連絡入れてきて色々聞いてきたから変だなぁとは思ったんだけど」
と告げた。
「でも、誤解されたまま殺されなくてよかったわ」
北村は絶対にボコるけど
「本当に最低な奴だわ」
と憤慨しつつ
「ところで、もしかして君がテリアーサー君?」
と問いかけた。
春彦は首を振ると
「俺は違います」
ときっぱり否定し
「彼は今一生懸命チャレンジしてますよ」
これからの生きる道に向かって
と告げた。
彼女はクスッと笑うと
「そうか」
と言い、携帯を翳すと
「じゃあ、リアル探偵君」
この借りは必ず返すわ
と告げた。
春彦は笑むと携帯を彼女の携帯と向かい合わせてLINE交換すると
「お言葉に甘えて、必要な時は本当にお力お借りします」
と答えて、彼女と市子に会釈して部屋を後にした。
伽羅も手を振ると
「じゃあ、ごゆっくり」
と告げて部屋を出たのである。
そして、部屋の前で警護をしていた譲に春彦は
「お騒がせしてすみませんでした」
と頭を下げた。
譲はふっと笑むと
「島津の宿の事です」
と短く返して言外に『大目に見ます』と告げた。
二人は女将から用意されていた部屋に移動し大きく目を見開いた。
伽羅は広々とした豪華な部屋に
「すごっ」
こわっ
と言い、出された豪華な料理に
「まじっ」
とガクガクと震えた。
春彦も「…すごっ」と思いつつ周辺に立つ人影に
「今回は島津の宿だったから動けたけど…本当に色々大変だな」
とぼやいた。
部屋には本格的な風呂が内湯と露天と二つあり露天は紅葉を讃えた日本庭園風の庭にあった。
春彦はその庭から見える月が浮かぶ夜景に目を細めた。
兄の直彦には両親の事を聞いたことがある。
だが、兄から告げられた言葉は
『母親は死んだ。お前の父親は生きているのか死んでいるのか分からない』
その言葉だけだった。
寂しい時もあったかもしれない。
それでも兄である直彦に自分が大切にされ愛されて育てられたという自負があったから不幸ではなかった。
幸せだった。
春彦はふっと前に神宮寺凛の言った言葉を思い出した。
『神宮寺家の長男以外は長男が無事に成人したら戸籍を抹消される。だから叔父に全ての罪を押し付けようとしたんだ』
『叔父さん、俺の父を許してくれ。祖父と父がしたことを』
27年前の話の時に言った彼の言葉だ。
両親がいても…神宮寺静祢は幸せではなかったのかもしれない。
春彦は一色卓史が27年前の真実を話すと言ったことを思い起こして
「27年前の真実」
そこに俺と直兄の出生の秘密もあるはずだ
と呟いた。
兄の直彦には両親の事はまだ伝えていない。
直接会った時にきっちり話そうと思っている。
兄の父親であろう秋月直樹が既に亡くなっていることも。
ただ、母親の磐井栞については…春彦にもその後の事は分からなかったのである。
どちらにしても近いうちに必ず27年前の全てが明らかになるだろう。
春彦はそう考えながら伽羅と共に秋の庭が見える宿の一室で眠りについた。
この時、夜の闇は深々と降り新しい夜明け前の深い深い闇の刻へと歩を進めていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。




