桜の下で
1章から12章くらいまではエブリスタで書いてました
ひらりと、桜の花弁が舞い落ちる。
一枚。
二枚。
三枚と。
涙のようにハラハラと零れ落ちていく。
その下で…一人の女性が埋められた男の死体を見下ろしていた。
リバースプロキシ
「美人、だったんだな」
夏月春彦は冷静に且つ冷淡にそう告げた。
三寒四温の気温差激しい3月上旬。
東宮グループが建設したリッチなマンションの一角での話である。
松野宮伽羅は泣きそうになりながら
「そう!そう、そうそう!!肩にかかる艶やかな黒髪でさぁ…めっちゃんこ美人!!」
と頷きつつ、ドーンと春彦の前のテーブルを横合いから叩くと
「ちがー!!」
と叫んだ。
「俺が言ってるのは、その女性が美人かどうかじゃなくて!!殺人だってことだ!!」
その女性が男を殺したってことだ!!
「…確かに…美人ではあったが…だが、問題はそこじゃなーい!!」
怒鳴るように言われ、春彦は殊更大きな溜息を吐きだすと読みかけていた『JAVA言語プログラミングリファレンス』という本を閉じると彼の顔を見た。
「…死体は?」
どこに埋められているんだ?
「どこに死体があるんだ?」
と言い、すっくと立ちあがると彼を睨みつけて
「案内してみろよ」
そして
「見せてみろよ」
その死体とやらを
と迫るように告げた。
彫の深い整った顔立ちに柔らかいウエーブの掛かった前髪がはらりと揺れる。
所謂、美形と言うやつだ。
美形の静かな怒りはギャンギャン叫ぶ怒りよりも怖い。
伽羅は春彦の整った顔を前にヒタリと汗を浮かべると
「あ、や…まあ」
と言い、少し考えると
「あの桜の光景は河川敷」
と記憶を遡るように呟いた。
春彦は嫌そうに顔を顰めつつも椅子に座り直すと
「河川敷…な」
場所が特定できないと意味がない
と返し
「先ずは目印になるモノを思い出せ」
と告げた。
相談には乗るという事だ。
伽羅はムムッと記憶を再生し
「工場が…あった」
チョ、コ…ロビットの看板がかかってた
と呟いた。
春彦は「なるほど」と呟くと机の上のパソコンを起動させマウスを手にした。
「チョコロビットは東糖製菓の製品だから川沿いにある工場を探せばいいか」
そう告げてマップを開けると広域地図をさっと見た。
桜の植えられた河川敷と東糖製菓の工場となると場所はある程度限定される。
彼はその二つの条件が重なった場所の地図をプリンターで印刷すると
「取り合えず、その場所に行くか」
と告げた。
伽羅は両手を組み合わせると
「春彦~」
とウルウルと涙を滲ませて彼を見つめた。
こうなることは分かっていた。
春彦は心の中で三度目の溜息を零し
「俺は将来SEになりたいんだ」
いいな
「忘れるなよ」
今回は特別だからな!
と伽羅にビシッと指を向けた。
伽羅は頷きつつ
「わかってる」
わかってる
「けど、俺にはお前しかいないんだ」
春彦、愛してるぜ!
とビシッと指を向け返した。
その時。
コンコンと扉を叩く音が響き彼の部屋の扉のところに春彦によく似た容姿の男性が立って二人を見つめていた。
「…本、借りていって良いかな?」
春彦
「いつもネタの提供ありがとう」
春彦はガクッと崩れ落ちると
「直兄…ノックは開ける前にしてくれ」
と呟いた。
春彦の兄で小説家の直彦はスタスタと中に入ると彼の本棚から『AI技術の概要』という本を手に取り
「次から気を付ける」
と殊更これからも気を付ける気はないという口調で応えて
「サンキュっ」
と言いつつ戸口へ向かい、肩越しに振り向くと
「その話の顛末…教えてくれよな」
次の小説に書くから
と二っと笑って立ち去った。
伽羅は凍ったように笑い
「直彦さん、お前以上に怖いな」
とぼやいた。
春彦はふらりと立ち上がると
「これから何があるか大体わかってる人だから」
けど
と呟くと少し言葉を飲み込んで
「いくか」
と足を踏み出した。
伽羅は頷くと
「まあ、春彦が俺の話を信じてくれるの直彦さんの影響も大きいんだよな」
親代わりだから
と呟いた。
外ではまだ桜の蕾は固く剥き出しの木の肌が武骨にその姿を見せていた。
■■■
春彦と伽羅は最寄りの駅から列車に乗ると東都電鉄とJRが合流する四辻橋で降り、線路と交差するように流れる川沿いの道へと出た。
昔ながらの店が道に連なって並び、春の桜見の季節には多くの観光客が姿を見せる。
そして、その川を挟んで向こう側に東糖製菓の工場がある。
春彦は印刷した地図を開け
「ここがお前の言っていた場所に合致する」
と呟いた。
伽羅は頷き工場を見ながらゆっくりと足を進めた。
見覚えがある。
デジャブである。
「多分、間違いない」
彼はそう言い、始めはゆっくりとだったが暫くすると足早に駆け出し立ち並ぶ一本の木の前に立つとキョロキョロと周辺を見回して頷いた。
「春彦、ここ!」
ここに死体が埋められてた
と木の根元に指をさした。
瞬間、周囲を行き交っていた数人が足を止めてギョッと彼を見た。
…。
…。
…。
春彦は慌てて駆け寄ると
「物騒な事を普通にさらりというな」
と嗜めるように言うと
「ここか」
と足で土を少し掘った。
が、何も…ない。
「だよな」
分かってた。
分かっていた。
そうそう、分り切っておりました。
春彦は心で呟き
「死体がないと…警察は動かないよな」
とハハッと力なく笑い、ちらりと伽羅を見た。
伽羅もまたハハッと笑い
「だよなぁ」
と返した。
「桜、咲いてすらいないもんな」
ハハハ
そう付け加えた。
春彦は腕を組むと
「まあ、最悪の場所は分かった」
それにここにその女性が立っていたという事は
「ここに土地勘があるか、ここに近いか、関連があるってことだ」
そこから調べるしかないか
と冷静に告げた。
そして、伽羅を見ると
「顔立ちとか覚えているんだろ?」
女性と死体の
と言い
「二人を先ず探す」
と付け加えた。
「何か特徴を思い出せ」
言われ、伽羅は頷くと
「OK」
と答え
「う~ん」
女性の方は若かった
「20歳前後ぐらい」
と呟き
「埋められてた男も若かった」
派手な服を着ていた
とぼやいた。
春彦は腕を組むと
「とすると、学生か新社会人くらいか」
と呟いた。
そして、周囲を見回し歩く人々を眺めると
「桜は咲いていないし、時間はまだあるから…周辺にその女性か男がいないか調べるのと近隣の大学も調べてみたほうがいいな」
通学している学生って線もある
と告げた。
空は昼間より少し陽が傾き、春先特有の冷たい風がゆっくりと吹き始めていた。
事件の推理なんてものは何処かの小説に出てくる探偵がすればいい。
「俺は堅実に生きたいんだ」
だが、分かっていた。
こうなることは分かっていた。
こんな事件になる前の探偵すら現れない事件を解き明かさなければならないことになるなんてこと…わかっていた。
春彦は心で呟きその空を見上げると
「まだ起きていない事件に警察も動かないしな」
と呟いた。
リバースプロキシ
伽羅は春彦と出会う以前からこういう不可思議な夢を見ることがあった。
それは大抵良くない出来事だった。
警告するように呼び掛けても信じてもらう事はできなかった。
まだ予兆すらない事なのだから当たり前と言えば当たり前なのだ。
それを最初に信じてくれたのが春彦であった。
そして、未然に解決してくれたのも春彦であった。
以来、伽羅は春彦に相談に行くようになったのだ。
春彦は地図を見つめ
「近くに女子大学…」
と言い、言葉を切った。
伽羅は地図を覗き込み
「東宮女子学院大学ってゆうちゃんの高校の?じゃない?」
とチラリと春彦の顔を見た。
春彦は顔を赤らめながら
「ああ」
と小さく応えた。
伽羅はニヤニヤ笑い
「ゆうちゃん、可愛いよなぁ」
会いにいこうぜ
「丁度良かったじゃん」
と小突いた。
春彦は舌打ちし
「彼女を巻き込むな」
行くなら高校じゃなくて大学だ
と告げた。
伽羅は肩を竦めると
「了解」
と応え
「同じ敷地内なんだから会いに来たくらい言えばいいのにさ」
とぼやいた。
春彦は耳まで赤く染めると黙って足を進めた。
二人は川沿いに広がっている店の間の路地を抜けるとその奥に広がる高級住宅街に隣接してある幼稚園から大学までエスカレータ式になっている東宮女子学院の門前に立った。
学生を守る観点から学校関連以外の人間は容易には入れない。
まして、そこにその人物がいるかどうかも分からない。
それ以上に事件にすらなっていない事件である。
どのような言い分も思いつかないのが現実である。
春彦は険しい表情の警備員の睨みを受けながら
「ここで出てくる学生の顔を確認して今日は帰る方がいいな」
と呟いた。
伽羅も「だな」と答え、不意に門の奥を見るとジッと奥の方の校舎を見た。
「ゆうちゃん、気づいた」
春彦は嫌な顔を知ると
「やーめーろ」
と手を払うように振った。
瞬間に携帯が震えた。
春彦は嫌な予感を過らせつつ携帯を手にすると表示されている名前に肩を落とした。
「ゆうちゃん」
顔を真っ赤にしつつ応答ボタンを押し
「ゆうちゃん、気付いた?」
と小さな声で告げた。
携帯の向こうから
「うんうん、チャラ男君の気配したよ」
と返り
「近くに居るの?」
と続いた。
チャラ男って。
と春彦と伽羅は同時に思った。
だが、伽羅のことを彼女はいつもそう呼んでいるのだ。
春彦は凛とした美形。
伽羅は優男の容貌だ。
そして、知らない女性にも軽くフレンドリーに接するのだ。
春彦は苦く笑いながら
「ゆうちゃんは授業中だろ?」
勉強頑張って
と優しく囁くように告げた。
が、返ってきた言葉は二人を驚かすものであった。
「うんうん、大丈夫」
今から行くね
「春彦さんの探偵業見に行く」
春彦は思わず天を見上げた。
「伽羅、お前もゆうちゃんも…何でそんなに見透かしているんだ」
伽羅は困ったように笑いつつ
「いや、俺もゆうちゃんも見透かしているんじゃなくて見えるだけで透かすことは苦手なんだよな」
ハハッと声を思わず零した。
春彦は通話の切れた携帯を見て
「まあ、こうなったらゆうちゃんに聞いてみるのが良いかもしれないか」
と言い、お絵かきアプリを立ち上げると伽羅に渡した。
「描け」
女性の方な
伽羅は携帯を受け取ると
「了解」
と答え、指を動かし始めた。
春彦は腕を組み学院の門を見つめ、彼女が現れるのを待った。
確かに渡りに船ではある。
ただ、例えここの学生でなくてもこの始まる前の事件を解くカギは当事者たちの割り出しが一番である。
ゆうちゃんこと神守勇が現れたのは10分後のこと。
長い淡い金褐色の髪をした日本人離れした少女であった。
彼女は警備員に声をかけると門の横の出入り口から姿を見せ
「春彦さんにチャラ君」
と少し離れた住宅街の角に立っていた二人に駆け寄った。
春彦は手を上げて応え、伽羅は手を上げて応えつつ
「チャラじゃなくて、俺の名前は伽羅だから」
と呟いた。
彼女は「うんうん」と頷き
「わかってるよ、チャラ男君」
と言い
「こんなところまで来るって何かあるの?ここで」
と問いかけた。
春彦は「まあ、そう言う事なんだけど」と言い、伽羅から携帯を受け取ると
「この女性見たことある?」
大学生か社会人くらいだから学院で見たことないかもしれないけど
「この辺りででも」
と聞いた。
勇は携帯を受け取り
「知ってるよ」
とあっさり答えた。
「平水万里江さんだと思う」
学院大学の3回生で有名人だよ
「チャラ男君、相変わらず絵上手だよね」
春彦は彼女の返答に目を見開いた。
「え?知ってる?」
それに有名って…大学で?
彼女は首を縦に振り
「うんうん、学院でも外でもだよ」
YouTubeで弾き語りしてアクセス数凄いんだって
と答えた。
春彦は「なるほど」と呟き
「その、トラブルがあったとか聞いたことある?」
と問いかけた。
勇はあっさりと
「ないよ」
平水さん有名だから噂あるけど
「トラブルの話は聞いたことない」
まあ私は高等部だし凄く知ってるわけじゃないけど
と返した。
春彦は少し考え
「そっか」
なら彼女の大学以外での動きを張るしかないないか
と呟いた。
「相手は男だからそうだよな」
勇はジッと春彦を見て
「平水さんのこと調べた方が良い?」
と聞いた。
「チャラ君の夢だったらよくない夢だもんね」
それに
と携帯を取り出すと指を動かして二人の前に翳した。
「これ、平水さんのチャンネルだよ」
いい曲多いよ
春彦はそれを見て
「ありがとう、ゆうちゃん」
後はこっちで調べるから
「無理はしないようにして」
と微笑みかけた。
彼女は頷くと
「わかった」
と答え
「平水さんはいつも中道通って駅に向かうから向こうで待ってるといいよ」
と住宅街の奥を指差した。
「私も今日はそっちで帰るね」
春彦は「了解」と答え、彼女が学院に戻るのを見届けると不審者を見る目つきで見つめる警備員の視線を避けるように勇が教えた住宅街の奥へと足を向けた。
太陽はゆっくりと西へと傾き夕刻の朱が住宅街に町に都市に広がった。
幼稚園生。
小学生。
中学生。
そして、高校生。
と学生が時刻毎に現れては帰宅の途について去っていく。
春彦はそれを見ながら
「そういうことか」
と呟いた。
伽羅は春彦の顔を見ると
「何が?」
と問いかけた。
春彦は離れた場所に見える門を指差し
「ほら、殆どの学生はあのまま真っ直ぐ俺たちが最初に川沿いから来た道を行くだろ?」
こっちの道を通る学生は少ない
と呟いた。
確かに中道を通ってくる学生は少ない。
疎らである。
その指差した先に授業を終えた勇が姿を見せ二人の元へと駆け寄ってきた。
春彦は彼女が前に来ると
「ゆうちゃんは何時も川沿いの道から帰るんだろ?」
と聞いた。
確信的口調である。
彼女は頷き
「そうだよ」
殆どの子は川沿いの道を通るよ
「その方が景色も良いし駅にも近いから」
こっちの道は駅の手前のビル群の裏手になるから遠回りになるの
と答えた。
春彦は少し視線を動かして
「でも平水万里江は、この道を通るんだ」
と呟いた。
「それって学院内で有名なんだよね?」
高校の彼女が知っているくらいである。
有名な事なのだ。
勇は春彦の想定通り「そうだよ」と答え
「あの川沿いの桜並木有名でしょ?」
だから
「去年の文化祭で桜並木を背景に歌を作ってって話があったんだけど私は歩いてないから作れないって言われたらしいの」
それで有名になったんだ
「桜嫌いみたいって」
と告げた。
春彦は腕を組み
「なるほど」
と呟き
「桜が嫌い…なのか、あの桜並木に何かあるのか」
と考えた。
ただ桜が嫌いなだけなら死体を埋めるのに桜の木を選ばないだろう。
それでも敢えて桜の木の下を選んだのだ。
伽羅も勇も彼を見つめて静寂を守った。
その間にも高校生の波が消え去り、それに混じるように大学生が姿を見せ始めた。
その中に…平水万里江の姿があった。
長い黒髪に品の良い美人顔である。
彼女は友人に手を振ると一人で春彦たちのいるビル群の裏手に広がる住宅街へと続く道へと姿を見せた。
そして、不意に足を止めると勇を見て
「神守さん?」
高等部の神守勇さん?
「こんにちは」
と呼びかけた。
勇は慌てて振り返り
「こんにちは」
平水さん
と頭を下げた。
平水はフフッと笑うと近寄り春彦と伽羅を一瞥し
「もしかして…絡まれて困っているんじゃなくて?」
と勇の前に立った。
勇は首を振ると
「いえ、春…か、月さんと松野宮さんは私の知り合いでこの近くに用があってきたので私を待っていてくれたんです」
と答えた。
春彦は頭を下げると
「ゆうちゃんのことを心配していただきありがとうございます」
と答えた。
伽羅は腕を組んで
「ゆうちゃん、可愛いからねぇ」
あなたも美人だし
「誰かに絡まれたら、俺を呼んでください…駆けつけましょう♪」
とビシッと指を差してウィンクした。
勇は「チャラ男君丸出しだよ」と笑って言い、春彦は困ったように息を吐きだした。
平水は顔を顰めると
「そうですわね、貴方のような人物が現れたら遠慮なく正当防衛をさせていただきますわ」
と言い、勇に手を差しだして
「お知り合いになる男性の方は選ばれた方がいいわ」
危ないのでお送りしてさしあげます
と告げた。
勇は「え、でも」と言いかけたが、背中を軽く春彦に押された。
春彦は彼女に
「送ってもらった方が良い」
チャラ男には気を付けた方がいいからな
と告げた。
「俺たちももう帰る」
勇は口を尖らせて
「春彦さん」
とプッと怒ったものの
「今日はそうする」
と答え、平水の方を見て頭を下げた。
「ご心配をおかけしてすみません」
宜しくお願いいたします
平水は笑むと
「参りましょう」
と歩き出した。
伽羅はガーンと口を開けて
「俺?俺か?」
そんな危ない男に見えた?
と泣きそうに春彦を見た。
春彦は「危なくはないがチャラかった」とあっさり答え
「川沿いから帰ろうか」
と歩き出した。
そして、数歩進んで肩越しに去りゆく平水と勇の後姿を見た。
川沿いには学生の姿があり、もうすぐやってくるだろう華やかな桜の季節を楽しむような明るいざわめきが広がっていた。
■■■
春彦が帰宅する頃には陽が落ちて夜の闇が町に降り注いでいた。
伽羅も自宅に電話すると春彦の家に泊まることを伝え、共に戻った。
「お邪魔します」
響く声に家にいた直彦が姿を見せ
「お帰り、今日の夕飯は冷蔵庫のをチンしてくれ」
と告げた。
「出来てから呼んでくれ」
それに春彦が
「わかった」
と答え
「隆さん来たんだ」
と呟いた。
直彦はふっと笑うと
「俺が飯作った方が良いか?」
とチラリと二人を見た。
春彦は「キッチンを破壊されたら困る」と答え
「隆さんに感謝してるだけ」
と付け加えた。
直彦はあっさり
「隆は良くできた編集者だからな」
と笑いながら言い、自室の戸を開けた。
春彦は不意に足を止めると
「あ、後で隆さんに調べてもらいたいことできるかも」
と告げた。
平水万里江の事である。
自分たちに対する態度や勇に対する態度。
桜に近付かないのに桜の下に死体を埋める。
そこにあるモノを調べる必要があると感じたのである。
直彦は背中を向けたまま
「わかった」
と答え、扉を閉めた。
春彦は台所へと向かうと兄の直彦の言った通りに準備されている三人分のワンプレートのハンバーグ料理を取り出し電子レンジで温めた。
リバースプロキシ
平水万里江のことはあっさりと春彦の想定を全否定された。
三日後の事である。
直彦の優秀な編集者は翌日に春彦の話を聞いて調べ、早々に結果を持ってきてくれたのである。
直彦の編集者である津村隆は書類を春彦に渡しながら
「彼女が事件にあったこともないし彼女の家族…平水夫妻も極々普通の金持ちだったな」
トラブルを抱えている話もない
と告げた。
春彦は腕を組み
「俺は彼女の過去に何かあったと思ったんだが…」
と呟いた。
隆はネタを溜めるためかペンを走らせながら
「まあ、サスペンスなら弾みで死なせた被害者を分かりにくい場所に埋めるためにそうするっていうのは常套ネタ」
と呟いた。
直彦はハァ~と力なく溜息を零し
「桜が嫌いで遠回りのビル群の裏手を通る人間が弾みで人を死なせた混乱状態でわざわざそんな場所をセレクトする理由がわからんわ」
とぼやいた。
「桜が嫌い」
だがそれを押しても桜の下に埋める
「そこには強い意思が働いているとしか思えんな」
春彦…
「お前だったら嫌いな桜の下に埋めるとして…どの桜でも良いのか?」
だったら
「反対にどこでも良いのと同じだな」
直彦は言い隆を見ると
「料理の腕と情報収集の腕は超一流なのに…」
と顔を顰め、席を立つと自室へと向かった。
春彦は直彦と共に立ち去りかけた隆に
「隆さん、ありがとうございます」
と呼びかけた。
隆はふっと笑うと
「これも直彦に小説を書いてもらうための一寸したサービスだからな」
と答え、立ち去った。
伽羅は「直彦さんってKING」と呟き春彦の方へ目を向けた。
春彦は腕を組むと伽羅を見て
「埋められてた男の顔も描いたか?」
と聞いた。
伽羅は頷き
「ああ、LINEに投げた」
と答えた。
春彦はLINEを起動して画像を落とすと
「じゃ、捜査第二段だな」
と言い
「直兄の言う通りにあの桜の場所にこの人物を埋めることに意味があるとするなら」
今度はそこから調べた方が良いな
と立ち上がった。
「彼女が大学三回生なら21歳」
図書館で21年間であの桜のところで事件がなかったか調べる
伽羅は「了解」と答えた。
瞬間、春彦は彼を見て
「だが、俺は将来SE目指してるからな」
忘れるなよ
とビシッと指を差した。
伽羅は目を見開くと
「今ここでそれ?」
と内心言いつつ
「わかった、けど…俺にはお前しかいないから」
愛してるぜ、春彦
とビシッと指を差し返した。
二人は図書館へと出向き、四辻橋で起きた事件を調べた。
図書館の新聞のデータベースで『四辻橋 事件 事故』をキーワードにである。
ところが、桜の名所の一つだけあって事件と事故の数は少なくはなかった。
しかも平水という名前もなく男の写真が載っている事件もなかった。
春彦はそれらの記事を一つ一つ見ながら
「多いのは車の事故だな」
それに
「花見客が川に落ちるとか…飛び込むとか、か」
と呟いた。
伽羅も目を擦りながら
「自殺もあるな」
けど死んだらダメだ
と呟いた。
春彦は横から覗き込みながら
「ゲーセンで万引きして逃げてる最中の男子高生に」
雑誌モデルの女子中学生もか
「多いな」
と呟いた。
ただ、どれも平水という名前ではない。
春彦は腕を組み
「取り合えず印刷して一つ一つ細かく調べていくしかないか」
と唸った。
二人は記事を印刷して持ち帰り情報を精査することにした。
が、マンションの前に勇が立っていたのである。
「春彦さんにチャラ男君」
やっぽー
春彦は慌てて駆け寄ると
「ゆうちゃん、学校は?」
と問いかけた。
平日である。
勇はにっこり笑うと
「今日は撮りの日だったんだよ」
と言い
「はい、お土産」
と東糖製菓のチョコ菓子がぱんぱんに入った紙袋を差しだした。
「直彦さんもチョコ好きでしょ?」
チャラ男君も食べていいよ
伽羅は両手を合わせると
「ありがとうございます」
ゆうちゃん、やっさしー
と笑った。
春彦は受け取りながら
「あ、そうか」
と呟き
「学院でも大学の彼女がゆうちゃんを知っていたのは…もしかしてこういうことか」
と袋を見た。
彼女は雑誌やCMなどで時々モデルをしている。
所謂、有名人である。
春彦は不意に紙袋を伽羅に渡すと鞄から先ほど印刷した紙を取り出した。
「ゆうちゃんと俺達に対するあの時の態度…モデル…あの桜…」
多数ある事件や事故の中で類似する状況のものがある。
春彦は小さな片隅に載っていた記事を目に
「雑誌モデルの女子中学生の自殺」
と呟いた。
そして、彼女の手を掴むと
「サンキュ、ゆうちゃん」
おいで
「直兄もチョコ喜ぶ」
と自宅へと急いだ。
夢が実際になる前に。
ただの夢で終わるように。
その時が来る前に事件を解決しなければならない。
春彦は家に戻ると直彦にチョコの袋を渡し
「隆さんを呼んでくれ」
急いで
と告げた。
直彦は驚きながらチョコの袋を受け取り
「…わかったが」
何故
「チョコ?」
と思いつつも、前を通りすぎていく三人を見送り携帯を手にした。
「隆、直ぐ来い」
その一言で彼が姿を見せたのは30分後であった。
春彦は問題の桜の木で首をつって自殺した女子中学生の記事を見せて
「この記事の詳しい情報を教えてもらいたい」
と告げた。
「当時の関係者…彼女の周囲の人間関係とか」
プロダクションとかも含めて
「出来れば警察の当時の調書もあると助かるけど」
隆はふぅと息を吐きだすと直彦が持っていた袋からチョコを一つ手に取り
「直彦、これくらいの駄賃はもらうからな」
と告げた。
直彦はニッと笑うと
「次の新作も、な」
と答えた。
隆は「明日の夜には持ってくる」というと立ち去り、翌日の夕刻に約束通り姿を見せた。
その情報には警察での事情聴取などもきっちり含まれていたのである。
彼が言うには「蛇の道は蛇」という事らしい。
■■■
女子中学生の自殺は3年前の春の日のことであった。
早朝に花見に来た老夫婦が少女を見つけ警察へと連絡したのである。
彼女の名前は早川有里江と言い少女モデルをしていた。
仕事は順調でプロダクションの期待も大きかったらしい。
トラブルらしいトラブルもなく…当時は何故自殺をしたのかと騒ぎにもなったがプロダクション側が騒ぎを大きくしないように働いたらしい。
春彦は渡された資料と幾つかの写真を見て目を細めた。
彼女が所属していたプロダクションのダンス教室でのレッスン風景の写真を正面に座っていた伽羅と勇に見せた。
「このガラスの向こうに映ってるこの子…似てないか?」
レッスンしている彼女を含めた訓練生たちをガラス越しに見ている少女と。そして青年。
伽羅が描いた桜の下に埋められた人物に似ていたのである。
リバースプロキシ
伽羅は目を見開くと
「確かに、こいつだ」
と指を差した。
勇も「うんうん、似てる」と答え春彦を見て
「それとこの子は知ってるよ」
ショウカって子だよ
「TGU10っていうグループの一人」
と少女の方を指差して告げた。
春彦は彼女の言葉をおうむ返しに呟き
「TGU10か…とにかく、この自殺が伽羅の夢の事件の裏にあるのは多分間違いないと思うからそこから調べるしかないか」
と告げた。
それに勇は
「TGU10かぁ…知ってるのルキちゃんだけなんだけど」
と言い
「もしかしたらいけるかも…ちょっと待ってね」
と携帯を手にするとピポパと押した。
春彦が顔を向ける間もないほどの早業であった。
彼女は向こうが出ると
「もしもし、ルキちゃん」
勇だよ
「今、ルキちゃんの好きな夏月先生の家に来てるよ」
とニコニコしながら言うと携帯から悲鳴が響いた。
「うそ――――!!」
一輪挿しの恋人…の夏月先生様の家――――
「ひー」
ズルい――――
かなりの声量であった。
さすが歌い手である。
…だが。
…だがで、ある。
伽羅は小さな声で
「直彦さんも怖いけど、ファンも怖いな」
と呟いた。
春彦は耳を押さえながら
「ゲイノウカイ…スゴイナ」
とぼやいた。
勇はニコニコ笑いながら
「でね、ルキちゃんオフの日ある?」
と聞いた。
彼女は荒い息を吐きだし
「今日は、ダメ…けど、行きたい…まじ行きたい」
ちょっと
「スケジュール確認する」
と言って、駆け出す音が響くと周囲の音だけが返る数分の時間が立ち去った。
その後、二日後に会う約束が取れ、春彦は勇と伽羅と三人で彼女と落ち合う事になったのである。
季節はゆっくりと進み、桜の木々にはまだ固いが花の色が小さく姿を見せ始めていた。
北城ルキは勇と同じ年の少女であった。
ショートカットの闊達とした少女で何よりも作家夏月直彦のファンであった。
春彦と伽羅と勇の三人は彼女とマンションの近くの駅の改札で合流した。
ルキは何故か有名どころのケーキの箱を持って春彦の前に立つと頭を下げた。
「先生様に迎えに来ていただけるなんて…勿体ないです!!」
春彦は慌てて
「や、俺はその弟で…作家は兄の方です」
と答えた。
勇も笑いながら
「ルキちゃん、そうだよ」
春彦さんのお兄さんが夏月先生だよ
と付け加えた。
伽羅は頷き
「そうそう、KING直彦さんだから」
それにしても
「君すっごく可愛いねぇ」
TGU10の応援する
「頑張って!」
とグッドマークの合図を送った。
ルキは伽羅を見て
「…私、こう見えてもチャラ男好きじゃないので」
と返した。
伽羅はガクッと崩れ落ちた。
「俺?やっぱり俺か?」
あの時も
勇は伽羅の肩を軽く撫でると
「ちょっとチャラいだけなんだよ」
きっとちゃんとチャラ君の良さ気付いてくれる人いるよ
と憐れみを含んだ目で見た。
春彦は「ゆうちゃん、慰めるならちゃんと慰めた方が良い」と言い、ルキを見ると
「伽羅は良い奴だから安心して」
取り合えず家にどうぞ
と誘うように歩き出した。
ルキは頷きチラリと伽羅を一瞥し
「はっきり言ってごめん」
でも
「親しそうに近付いてきて騙す奴いるから」
と勇を見ると
「勇ちゃんもごめんね」
と頭を少し下げて足を踏み出した。
勇は首を振ると
「大丈夫だよ」
チャラ男君も優しいから
「気にしてないよ」
と答えた。
伽羅は立ち上がると
「そうそう、慣れてるから大丈夫」
と笑い、足を進めた。
マンションでは直彦が部屋から4人が入ってくるのを見つめていたのである。
ルキが直彦と挨拶を交わし、持ってきた一輪挿しの恋人の初版本とソロセレモニーという最新本にサインをもらうとリビングで春彦たちと話を始めた。
春彦は隆からもらった例のレッスン写真を見せ
「この青年のこと知ってるかな?」
と問いかけた。
ルキは嫌そうに顔を顰めると
「知ってます」
多田誠司
「ここのダンススクールの講師の息子でショウカとグルの嫌な奴」
と告げた。
「この前、ユリエちゃんのお姉さんも同じこと聞きに来たけど」
その、やっぱり何かあったの?
何か分かったの?
「勇ちゃん、何か知ってるの?」
と、立て続けに問いかけた。
勇は真剣な目を向けられ、ちらりと春彦を見た。
春彦は険しい表情を浮かべ携帯を取り出すと
「お姉さんって人もしかして…この人?」
と見せた。
伽羅が描いた平水万里江の絵である。
ルキは頷き
「そう、ユリエちゃんの異母姉妹のお姉さんなの」
でも仲が良くてね
「私とユリエちゃんとシュリちゃんの三人でデビューした後でいつか曲書いてもらおうって言ってくれてたほどで」
と俯き
「ユリエちゃんがあんなことにならなかったら三人でデビューするはずだったんだ」
なのに
と勇を見ると
「ユリエちゃんは勇ちゃんと少し似てて明るくて強くて、絶対自殺するような子じゃなかったし…私、この二人が何かしたのかも思ってたんだ」
と呟いた。
春彦は彼女をちらりと見て
「それは何故?」
ショウカって子を好ましく思ってないから?
と問いかけた。
ルキは少し考えると
「それは、正直あるけど」
私を騙そうとした奴ってこいつ、多田誠司だったの
「それもショウカの差し金だったんだ」
とはっきり告げた。
「こいつダンススクールの講師の息子だからダンスを教えるってレッスン後に誘ってきて…その、変なことしようとしたの」
その時、偶々夏月先生の本をカバンに入れていて
「それで思いっきり殴って逃げた」
二冊ほど入れてて効いたみたい
「シュリちゃんにも言い寄っていたらしいし」
ユリエちゃんにもきっと近付いていたと思う
春彦と伽羅は同時に直彦のハードカバーの分厚い本を思い出し
「「二冊…か」」
と呟いた。
伽羅はルキを見ると
「直彦さんが君を守ってくれたんだ」
本当にごめんね
「俺の態度がそれを思い出させたんだ」
と苦く笑みを浮かべた。
ルキは首を振ると
「私の方こそごめんなさい」
みんながみんなそうじゃないってわかっているけど
「ごめんなさい」
と頭を下げた。
伽羅は「そんなことないさ」と笑み
「俺は大丈夫」
気にしないで良いよ
「それより平水さんが聞きにきてなんて言ってたんだ?」
と聞いた。
ルキは思い出しながら
「うん、この多田誠司の写真を見せられて知っているか?ってことと、ユリエちゃんが亡くなる前の日のこと聞かれた」
あとショウカのことも
「だから、ダンススクールの講師の息子だってこととショウカの彼氏って言ったけど」
その私やシュリちゃんにしようとしたことは言わなかった
と告げた。
春彦は立ち上がると
「聞いて来たってことは…急がないと事態はもう動き出してる可能性が高い」
と言い、ルキを見ると
「平水さんの家を知ってる?」
と聞いた。
ルキは戸惑いつつ頷き
「はい」
と答えた。
勇は春彦を見て
「今から行こう…止めないとだめだよ」
と告げた。
「せっかくチャラ君が教えてくれたんだよ」
手遅れになったらダメだよ
伽羅も立ち上がりルキを見ると
「君には辛い話になるかもしれないけど…手伝ってくれる?」
俺は彼女を止めてあげたいと思ってる
「きっとそのために夢でつながったと思うからさ」
もしかしたら
「誰かの止めてほしい思いが俺の夢に繋がったのかもしれないから」
と微笑んで手を差し伸べた。
ルキは伽羅を見つめ
「よくわからないけど…わかった」
と微笑み
「私もユリエちゃん好きだったし」
お姉さんも良い人だから
と伽羅の手を掴んだ。
春彦は直彦の部屋の戸を開けると
「直兄、行ってくる」
と告げた。
直彦は窓際に立ちながら振り向き
「わかった」
と答え
「小説でも…そうなんだが、ただの正論だけで人の心は動かせない」
忘れるな
「止めるために動くなら完全に止めろ」
と頷いた。
春彦は頷き
「わかった」
と返し、マンションを後にした。
その夜は温かく…固い桜の蕾もゆっくりと解れはじめていた。
■■■
『もうすぐデビューするの』
ルキちゃんとシュリちゃんと
『曲、作ってね』
私たち楽しみにしてる
ずっと。
ずっと。
不思議に思っていた。
そんな妹が死ぬはずないって思ってた。
平水万里江は鞄にナイフを入れると
「有里江、気付いてあげれなくてごめんね」
だけど
「無念晴らしてあげるから」
と呟き、家を後にした。
温かい春の夜。
桜の蕾は赤い花先を見せて咲き誇ろうとしていたのである。
春彦は伽羅達三人と共に平水家へと訪れた。
一歩違いであった。
彼女の母親は
「万里江なら今お友達に会いに行くと出かけました」
と告げた。
春彦は母親に
「どこへ行かれたか分かりませんか?」
と聞いた。
「急ぎなんです」
母親は困ったように
「その、貴方達は」
と言いかけた。
それにルキは横に立っていた伽羅の手を思わず握って勇気を出すと
「私、ユリエちゃんと…歌手になろうって約束してたルキって言います」
ユリエちゃんのことで
「お姉さんが大変なことをしようとしているかもしれないんです」
教えてください!
と告げた。
母親は一瞬顔色を変えて少し戸惑いつつ
「でも、そんな…」
と呟いたものの
「…貴方、万里江と有里江ちゃんのことを…知っているの、ね」
と問いかけた。
ルキは頷き
「はい!」
と強く答えた。
母親は息を吸い込み携帯を出すと春彦たちに見せた。
「携帯の位置情報だから…間違いないと思うわ」
春彦はそれを見つめ
「…工場裏だ」
というと
「ありがとうございます」
と答え、駆け出した。
母親は「もし何かあったら…」と唇を開いた。
「連絡をしてちょうだい」
お願いします
春彦は頷きながらも足を止めることなく駆けた。
間に合え。
間に合え。
間に合ってくれ。
そう祈りながら。
リバースプロキシ
工場裏は定時になると殆ど人通りはなくうす暗い闇が広がっているだけであった。
そこに多田誠司が姿を見せた。
「ま、こっちは準備もしているし」
此処なら人目もないし
「まして指定してきたのは向こうだから好都合だな」
向こうもその気なのかもしれないか
ハハッと笑った時に現れた人影に目を向けた。
「平水万里江さんですね」
TGU10の曲…書いてもらえますよね
万里江は多田誠司の顔を見つめ
「その前にお聞きしたいことがあります」
というと
「3年前にデビューしようとしてた少女モデルを殺したの貴方でしょ?」
ショウカという彼女に言われて
と告げた。
多田誠司は目を細めると
「は?何の話を行き成り」
と吐き捨てた。
万里江は一枚の入場券を見せると
「ここのバンドハウスで貴方の話を偶然耳にして…調べさせていただいたの」
正直に言っていただいたら
「脅すだけで許してあげますわ」
曲の作成料倍額で
と笑みを浮かべた。
多田誠司は真顔になると彼女に近付き
「ほぉ、金持ちの癖に金を脅し取ろうって?」
確かにショウカに言われてデビュー前の三人に声をかけたさ
「ルキはかってぇ鞄で殴りやがって…シュリのやろうは誘いにすら乗らなかった」
それでユリエでしょうがないってカメラ用意して脅しネタを作ろうとしたら
「抵抗しやがって…あんまり暴れるので押さえつけたら…動かなくなったってわけだ」
まあ上手くごまかせたし
「ショウカはTGU10に入ってデビュー…まあいいじゃんって喜んでくれたからな」
と笑い、万里江に手を伸ばした。
「お望みどおりに今回も同じ手でいくか」
おあつらい向きに
「人の来ない場所を選んで呼んでくれたからな」
瞬間に万里江はナイフをカバンから取り出した。
「やはり、あの子を…妹を殺したのは貴方だったのね!」
自殺するはずがないって思ってた
「努力もしないで…そんなことで…デビューするなんて…」
多田誠司は顔を歪めると
「はっ、あぶねぇだろうが」
使い慣れない野郎が人を刺せるか!ってーの
と万里江の手首をつかんだ。
万里江は強い男の力に逆らうように動かし
「絶対に…許さない!」
貴方もショウカって子も!!
と強く怒鳴った。
多田誠司はにやりと笑い
「反対にあんたのあられもない姿を取って…曲を書いてもらうぜ」
ショウカの頼みだからな
と奪い取った。
そして、ナイフを向けて
「さあ、反対に俺が脅してやるぜ」
妹と同じように
と足を踏み出した。
万里江は強く足を踏み込むと飛びかかりかけた。
その時、声が響いた。
「そこまでだ!!」
同時にライトが二人の姿を浮かび上がらせた。
春彦は多田誠司が用意していたカメラの横にあった懐中電灯を手に二人を見て
「多田誠司…貴方の話は貴方が用意したこのカメラに全て入っているし…俺達の携帯にも入っている」
全て明らかにされる
と言い、万里江を見ると
「貴方がこいつを殺しても妹さんは喜ばない」
だから
「法の裁きをうけさせるんだ」
と告げた。
万里江は首を振ると
「ダメよ、絶対に許せない…ユリエがどれほど無念だったか」
あの子がどんなに努力してデビューしようとしていたか知ってる
「だから!絶対に許せない!!」
と拳を握りしめた。
ルキはその姿に顔を歪め
「私もわかる」
赦せないし許したくない
「でも…」
と顔を伏せた。
「私、でもと思うけど…言葉見つからない」
そうだ。その通りなのだ。
春彦は直彦の言った意味を理解した。
正論では…済ませられない。
そういうモノなのだ。
伽羅は息を吸い込むと多田誠司を見て
「あんたは今夜ここで死ぬ運命だった」
平水万里江さんに殺される運命だった
「けど!」
それを変えてほしいと願う何かが俺にその運命を教えてくれた
と言い
「それはあんたの命を守ることや許すことじゃない」
きっと
「平水万里江さん、貴方の未来を守りたいって思う何かの…誰かの願いだったと俺は思う」
その願いが俺に夢を通じて教えてくれと思う
と告げた。
勇は笑むと
「それは、きっと…ユリエさんだと思うよ」
自分のために自分の大切なお姉さんの未来を壊したくないよ
「ただ、お姉さんがその話を聞いたのは…自分は自殺したんじゃないってこともきっと知ってほしかった…真実を知ってほしかったからだよ」
私だって
「思うもん、真実は知ってほしい…でも春彦さんの未来を壊してほしくないって」
と告げた。
その姿は万里江がいつか見た彼女の異母兄弟の姿によく似ていた。
『私幸せになるよ』
『だからお姉ちゃんも幸せになってね』
…お母さんは違っても姉妹なんだもん…
春彦は愕然と崩れ落ちる多田誠司からナイフを奪い、万里江の前に立つと
「許さなくていい…許す必要はないし、そんな非道を赦す人間になる必要もない」
だけど
「こいつらと同じことをすればあなたも同じ罪の地獄に落ちる」
だから
「ユリエさんはその罪の地獄に大切なお姉さんが…貴方が落ちないように願ったんだと思う」
と見つめた。
万里江は両手で顔を覆い泣き崩れた。
川沿いの一本の桜が綻ぶように開き、月光の下で淡い薄紅の花弁を咲かせた。
自ら撮ったカメラの映像で多田誠司は3年前の自殺が再捜査されて逮捕に至り、ショウカもまた共犯として今までの罪が明らかになると共に追及されることになった。
平水万里江はその後、桜の前で妹の友里江とルキとシュリに送るはずだった曲を披露した。
時が移ろう中でも懸命に冬を乗り越え美しく咲く桜と妹たちを例えた綺麗な曲であった。
■■■
それから数日が過ぎ…春彦はプログラミングの勉強をしながら不意に手を止めると携帯に入った勇からのメッセージを見て笑みを浮かべた。
『春彦さん、今日は撮影行ってきた妖精の衣装着たよ☆彡』
可愛い写真もアップされていた。
『ルキちゃんも今日は一緒(*’▽’)誰かに写真送ったみたいだよ』
その時、部屋の片隅で眠っていた伽羅の携帯からLINE通知音が響いた。
誰からの通知か春彦には簡単に予想できた。
そして、隣の部屋では兄の直彦が隆の監視の下で小説を打ち込んでいる。
桜の季節は過ぎ去ったが、春彦の周囲ではいつもの穏やかな風景が広がっていたのである。
END
ここまでお読みいただきありがとうございました