彼がヒトをやめた理由
冥府から逃げ出そうとうする死者たちを捕縛しながら、じっとこちらを見ている新人に視線を向ける。
「どうした?」
「ジークさんは元人間ですよね?
どうしてこんなところに留まっておられるのです?」
さっさと転生してしまえばよろしいのに。
何も知らないらしい新人の問にジークは微苦笑を零した。
「俺は世界を呪っているからな」
その答えがあまりに意外だったようで、ぎょっと驚く新人にジークはクツクツ笑う。
「こう見えて一度世界を滅ぼしかけたんだぜ?」
「え? じょ、冗談ですよね?」
「さてな」
「ジークさん!」
情けない顔をする新人をひとしきりからかったところでジークは冥府にはじめて来た時のことを思い出していた。
世界を呪い、女神から与えられた力が暴走するままに世界を滅ぼそうとした。
そんなジークハルトを引き留めるように不意に陽だまりの匂いに包まれた。
気づけば、常闇の世界で夜の男神―――冥府を統べる王が静かに俺を見下していた。
『哀れなる魂よ。そなたに慈悲をくれてやろう』
どこか憂いを帯びた表情でけれど、淡々と王は言った。
『そなたに愛しい娘の魂を見守ることを許そう。
なれど、世界を滅ぼしかけた罪は償わねばならぬ。
我の手足となり働け。
そうすれば、愛しい娘が世界を廻る様を見守ることを許そう。
だが、忘れるな。許すのは見守ることだけだ。光の住人である娘に干渉することは許さぬ』
厳かに告げられたその言葉を俺は受け入れた。
例え人の輪から外れようとも、彼女を見守れるのならそれは救いだ。
夜の男神――――冥王は約束通り冥府の官吏となった自分に世界を廻るユリアリアを見守ることを許してくれている。
彼女が健やかに、幸福に、生きている姿を見守ることを許されている。
救いだ。救いのはずだ。
たとえ、彼女の隣を歩くのが、共に笑うのが自分ではなくとも。
「まったく、自分の欲深さに嫌気がさすな」
「ジークさん?」
「なんでもねぇよ。ほら、次行くぞ」
「ええ! まだあるんですか」
「当たり前だろ。ここに来たからにはキリキリ働いてもらうぜ?」
泣き言をいう新人の尻を蹴とばしながらジークはすべてを忘れ真っ白な魂で世界を廻る唯一に想いを馳せた。
ジークハルトの世界に色を付けた人。
ジークハルトに世界の美しさを教えた人。
ジークハルトを絶望に突き落とした人。
未だに胸を締め付けるこの感情がどういうものなのかなんて、もう分からない。
ただ、勇者にとって何をおいても幸福でいてほしかったひと。
そして、それはジークにとっても同じで、聖女しか意味を持たなかった自分が夜の男神の慈悲に縋り、その意に従って働く程に執着している。
許されるのは見守ることだけ。手を差し伸べることは、もう、許されない。
どれほど胸が痛んでも。息ができないほどに苦しくても。
それでも、その苦痛さえ悪くないと思ってしまうのだから、もうどうすることもできないのだろう。
願うのはただ、彼女の幸福。それだけはどれだけ時が流れても変わらない。
人間であることを辞めることくらいで彼女を見守れるのならそれはジークにとって幸いでしかない。




