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2-4:ジェニファー・エーブル

「はい、どうぞ――」

「ありがとうございます。もう、ちゃんとしまってたと思ったのに。きっと緊張してるのね、私……」


 差し出されたハンカチを受け取ると、恥じらうように笑って見せる。周りの青いジャケットの者達は、仕方ないよというように優しげな顔を向けてくれた。

 でもハンカチを拾ってくれた彼女だけ、はっとしたように私の顔をまじまじと見ている。


「入学試練前に物を落とすって縁起が悪いですよね。ああでも研究学校生の方に拾ってもらえるなんて、逆についているのかしら」

「あなた、ついてるわよ。拾ったのは名誉島民候補生のジェニファーだもの。逆に縁起がいいに決まってるわ!」

「入学試練かあ。俺らもあのときは、なんだかんだ緊張しまくってたよな。懐かしい」


 周りがそう言ってくすくす笑う。

 ジェニファーと呼ばれた彼女だけが、真顔で私から目を離さない。


「あの、どうかしました?」


 声をかけると、彼女は我に返ったように小さく肩を震わせた。


「な、なんでもない。ねえ、あなたの名前を聞いてもいい?」

「私ですか? イリナ・アドラーといいます」

「イリナ……アドラー?」


 彼女の顔には「本当に?」という疑いと少しの怯えがあった。


 ――彼女は、私の顔に見覚えがある。私が本当は別の誰かじゃないかって、疑っている。


 そう気付くとともに、私は被っていた帽子をとった。髪の色がはっきりとわかるように。


「はい。もし入学試練を突破できたら、そのときはよろしくお願いしますね」

「む、紫……その紫の髪、地毛、なの」

「どこか変でしょうか」

「ううん、いえ、あの、知っている人によく似ているから驚いちゃって」

「あら、どんな方なんですか?」


 動悸を押さえるかのように胸に手を当てたジェニファーは、なんと答えていいかわからないようで、もごもごと「それは、その」と口の中で言い淀む。

 彼女の友人たちも不思議そうにジェニファーを見ている。

 しばらくしてようやく口を開いた。


「ごめん、説明は難しいの」

「そうですか」

「ねえ、イリナは研究学校生に誰か知り合いがいたりするのかな……?」


 ジェニファーが精一杯といった感じで訊ねてくる。


「知り合い、という表現が正しいかはわからないけれど。ちょっとした繋がりがある相手はいます」

「誰!?」


 私は持てる限りの演技力を総動員して、何も知らない素直な笑顔というやつを作った。


「ロベルト・ヴィーク。あなたと同じ、名誉島民候補生のはずなんです」


 彼女が息をのむのが分かった。それまで微笑ましそうに私を見ていた周りも、名前を聞いて怪訝な表情になる。


「か、彼とどういう繋がりなの?」


 ジェニファーは相当動揺しているようだが、それでも続けて確かめてくる。

 少しだけ考えてから、先ほどの彼女の言葉を借りて答えた。


「説明は難しいんです。ごめんなさい」

「そ……そっか。変に詮索してごめんね」

「ちょっと、ロベルトとどういう関係なのよ。気になるから教えなさいってば」


 あっさり引いたジェニファーの代わりにか、周りの友人が探る目を向けてくる。だけど私が何か言う前に、ジェニファーが彼らを止めた。


「だっ、駄目だよ、無理矢理聞き出すのはよくないよ!」

「気にならないの? ロベルトはジェニファーの――」

「いいから! 今はそんなの関係ないから」

「あのう、ロベルトがどうかしたんでしょうか?」

「ロベルトはこのジェニファー・エーブルの大恋愛中の相手。お似合いの恋人同士なんだぜ」


 横から別の男性がそう説明する。軽くけん制されたようにも感じた。もしロベルトに恋心を抱いていても無理だから諦めろよ、と。


「恋人、同士……」

「知らなかったのか?」

「ええ、そういうことは聞いていなくて。名誉島民生同士で恋人だなんて、なんだかすごいカップルだわ」


 素直に褒めた私に安心したのか、ジェニファー以外から警戒するような空気が消えた。彼女だけは、私の反応を気にするように心もとない顔だ。


「この二人の馴れ初め聞いたら、もっとかっこいいって思うぜ。ロベルトはジェニファーを、嫌味で最悪な婚約者から救ったようなもんだし――」

「もう! これ以上は変な誤解を生むからホントに駄目!」


 可愛らしく憤慨して見せつつ、どこか本気で焦った様子でジェニファーが遮った。説明しかけていた男性も、さすがに喋り過ぎだと思ったのか「ごめんごめん」と謝って口を閉じる。


「イリナ、引きとめてごめんね。入学試練頑張ってね!」

「合格したら、ぜひロベルトとの馴れ初めを聞かせてください」

「あ、えっと、機会があればね」


 顔色の悪い彼女は歯切れ悪く返事をする。私は「ではまた」と短く挨拶してその場を去った。


「イリナ・アドラー様、メッセージを預かっています」


 カフェから出る直前、入り口に立っていた従業員から折り曲げられた小さいカードを受け取る。

 開けば、中にはおそらくこの船の特別個室の部屋番号と「甘くないお菓子を用意しているよ」の一言。


 無視してもよかったけど、私は書かれている部屋へ向かうことにした。


 歩きながら、思い出して自然と笑みがこぼれる。

 自分の気分が高揚しているのがわかる……最高に性格が悪いのは承知していた。


 あの黒いコートの彼女、ジェニファー・エーブル。

 私の顔だけで、あんなに動揺させてしまうとは。


『お似合いの恋人同士なんだぜ』


 ロベルトと恋人同士だとばらされたあとは、指先が少し震えているようだった。

 けど今さらだ。だって私は、()()()()()()()()()()ここに来ている。


 セイレン島に着いたら、彼女は私のことをロベルトに報告するだろうか?

 うん、きっと言うはずだ。だって私を見てあんなに反応するということは、ロベルトの婚約者の絵姿を見たということだから。


 でも、どんな風に言う?

 あなたの婚約者が乗り込んできたかもしれないと慌てふためく?

 名前はまったく違うし、よく似た別人かもしれない。でも一国の王女ともなれば身分を偽ってやってくることもできるかもしれない。

 不安でたまらなくなるに違いない。好きなだけ悩めばいい。


 ――ままならない状況に対する、せめてもの八つ当たり。


 最初にハルにこぼしてしまった本音。そう、これは盛大な八つ当たりだ。冷静な別の自分が、今の自分を愚かだと冷ややかな目で見ている。


 でもどうせ辿り着く結末が同じなら、最後に好きにしたっていいじゃない?


 大恋愛中だという二人の、驚愕と混乱についてギリギリまで思いを馳せながら、私は特別個室のドアをノックしたのだった。

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