2-5:特別個室で(2)
三週間ほど前、ヴィーク侯爵は自分の領地に第二王女を招いた。コラクがティシュアに完全に吸収されることが発表されたとき、公国内で何が起こるかわからないから念のためにだ。
特に息子の婚約者には、無事でいてほしいからと。
彼の真の目的に気付けたのは、残念ながら招かれた後だった。
「ロベルト様は、あなたが逃亡している原因とやらには関わってはいないんですか」
「彼は今回の帰省期間にヴィーク候の領地には戻ってこなかったわ。私達……コラク側とヴィーク候の間で問題が起きたとき、彼はその場にはいなかった。事情は知らされているかもしれないけど」
一体どんな問題が起きたのか、具体的なことはハル達には言っていない。悪いけど、そこは簡単に明かせない。
それで協力を断られたらそれまでだと思っていたけど、ハルは構わないと言ってくれた。下手に踏み込みすぎるのもまずいと察したのだと思う。
「休暇前、ロベルトは知り合いの男爵家の領地の視察をすると触れ回っていたな。ガラス工芸品の工房が多くあるらしくてね。精霊の加護で、ガラス加工時に彼が傍にいると完成度があがるんだ。面倒だけど懇願されて仕方なくって楽しそうに言ってたね」
ロベルトはそんな風に周囲に言っていたのか。
あのときはまだ、ロベルトとジェニファーのことは何も知らなかった。短い帰省期間だから仕方ないと諦めていたけど、酷い温度差だ。
「ヴィーク候にとって彼は、保険だったのかもしれないわ」
「保険?」
「万が一に王女と……私と関係が拗れても、事情を知らない恋する相手がいれば、簡単にヴィーク家が見限られないと踏んだのよ。困って頼る先がロベルトになってくれれば、やりようがあると考えたんでしょう」
「実際、君は婚約者を頼ろうとセイレン島に向かっている。保険は成功だね」
笑いながら悪戯っぽく続けるハルを横目で睨む。実際は頼るためではなく、逃亡ついでに個人的八つ当たりをするために向かっている。それを知った上の冗談だ。
私は話を戻すように、新聞に目をやった。
「人の噂って侮れないわ。この新聞だけにしか載ってなくたって、もたもたしてたら船に乗れなかった可能性もあったかも」
入学試練まではまだ数日ある。研究学校の臨時便以外を利用してセイレン島に向かっても、問題ない。
状況次第でギリギリまでトウカに潜むことも考えていた。さっさと船に乗ったのは正解だった。
特別列車に無事に乗れたことも大きい。
あの列車は精霊の力を借りて動かされていて、普通の倍のスピードが出せる。もしあの列車に乗れなければ、トウカにつくのは明日か明後日あたりになっていた。
あの列車は他よりも運賃が高く、十日に一回しか運行しない珍しい列車だ。しかも、精霊の気分次第では途中で力を貸してくれなくなることもあるという。
でも列車は止まることなくトウカについてくれた。
――運も味方してくれた。
精霊の力とは珍しい上に、安定して借り続けられると断言できないもの。
たくさんの民が日常的に頼れる力にはなり得るのは、神秘の力ではなく蒸気機関を中心とした、人間の技術力だ。
そういう考えが、コラク王が公国の終わりを決断する一因にもなった。帝国の技術力がもっと入ってきやすい形のほうが、長い目で見れば国民のためになるだろうと。
だけど個人レベルの話なら、頼れるのならとてもありがたい力だ。
「あの列車に乗ってよかったわ」
もちろん、頼れるのは精霊の力だけじゃない。
「改めて、ハルに匿ってもらえたのは助かった……ありがとう」
「ふふふふ、どういたしまして」
「どうしたの、その変な笑い方」
「嬉しいだけだけど?」
得意げにするハルが掴めない。本気で嬉しがっているようにも見えるけど、何がそこまで嬉しがる要素なのか心当たりがないから、こちらは不安になる。
ノアをちらりと見ると、やれやれと苦笑しているだけだ。
落ち着かない私は、カフェでのことを報告することにした。
「そういえばカフェで遭遇したの。ジェニファー・エーブルに」
「え。何したんですか」
ぎょっとしたのはノアだ。
「失礼ね。帽子をとって挨拶しただけよ。あと、いくつか質問されたことには答えたけど」
「どんな質問ですか……。というか、彼女はあなたに気付けたんですか?」
「ええ、明らかに反応してた」
思った以上に冷たい声になってしまった。
「他には見せないことになっている婚約者の絵姿を、彼は恋人に見せていたみたい。それも、顔を見てすぐに気付けるほどにしっかりと」
コラク公国とはまったく関係のない、第三者にほいほいと。
なかなか会う機会を作れないから、代わりにと特別に作った小さな絵姿。セイレン島に持ち込む許可が出たのは離れた相手を想うためにであって、現地で作った恋人に見せる許可は出されていない。
「ヴィーク家には本当にがっかりさせられたわ」
悔しい。帝国との窓口として、そして懸け橋として、たしかに信頼できる部分もあったのに。
「ジェニファーからは、なにを質問されたの」
ハルが訊ねてくる。まあ、彼の立場としては気になるのは彼女のことだろう。
彼が積極的に協力してくれる本当の理由は、そこにあると踏んでいる。
私はちょっと得意げに答えた。
「セイレン精霊研究学校に知り合いはいるかと聞かれたから、素直に答えたわ。ロベルト・ヴィークとちょっとした繋がりがあるってね」
「強気でいくね」
「どうせ島で交わす会話を早めにしただけよ。ジェニファーは動揺してたわ。なんとか取り繕っていたけど、かなり混乱していたわね」
無駄に嫌みだなと冷静な自分が思う。でも、ここで私や彼が望んでいるのは、こういうことであるはずだ。
私がロベルトがジェニファーの関係を知っていることは、ハルには伝えてある。
ハルに語ったセイレン島へ行く目的は、「亡命のために入学試練を受け、そのついでに裏切られた婚約者として彼らを揺さぶってやりたい」、だ。
そしてロベルトとジェニファーに個人的な因縁のあるハルは、自分の仕返しも兼ねて私の計画に乗った。
……はずなのに、返ってきたのは思っていたのと違う反応だった。
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