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忌縁奇談  作者: すずなか
序開
3/12

 キャンパスを出て、駅とは逆の方向へと向かう。

 桜並木が見事だが、まだ夕方というには随分早い時間にもかかわらず、人通りは疎だった。

 それほど歩いたわけでもないが、桜並木がビル群の街並みに変わり、早足に横断歩道を渡る人々と、車の交通量が多くなる。

 スマートフォンで地図アプリを立ち上げて、画面を見ながら目的地へと向かう。

「っと、ここか」

 思わず見逃しそうな細いビルの隙間にある路地に滑り込むと、強い風が吹き込んでいて、背中から押されるようだった。

 ビルとビル。建物が乱立している中、急に青々とした木々が見えた。石造りの玉垣の内側に、目隠しする様に立つ木々。左右から伸びる玉垣のちょうど真ん中には、白木の鳥居がある。

 鳥居の手前にある石柱には『八公神社』と書かれていて、扁額に「忠護大神」と名前があった。

「はちこ……いやいや、やぎみ、かな?」

 声に出してみると何やらまずい気がするのを、首を振って振り払った。

 それから、鳥居の前で一礼して、境内へと足を踏み入れると、空気がヒヤリとしていて、呼吸がし易い気がする。車のクラクションすら遠くに聞こえて、凛と張り詰めた静けさが心地いい。

 参道の右端を通り、手水舎で手を洗って口を漱ぎ清めると、目の前を青い蝶がひらりと舞って、拝殿へと飛んで行った。それに導かれるように参道を歩くと程なく、拝殿にたどり着いた。

 都心だというのに辺りはしんとしていて、古めかしいがよく手入れの行き届いた境内を見回してみたが、人の姿を見つけることは出来なかった。

 参拝を済ませて社務所へ向かう途中、不意になにかに視線を感じて振り返る。

 むくむくとした体つき、柔らかそうな白の毛皮、くるりと巻いた尻尾。黒黒とした湿った鼻に、困ったような顔。三角形の厚みのある耳がぴこりと動いて、笑ったような口元から、ピンク色の舌がのぞいた。

「柴犬……」

 犬の種類に詳しいわけではないが、テレビやネットで見たことのあるそのフォルムは、自分の知っている犬種の中では柴犬のようだった。どうして境内に犬が、とも思ったが、この神社の由縁を思えば自然な気もした。

 柴犬と見つめあっていたところに、後ろから土の上を歩く足音が聴こえてきて、振り返ると人当たりの良さそうな笑みを浮かべた神主が立っていた。

「こんにちは」

 紫袴の装束を身に纏った、初老の神主から穏やかな声がかけられて、こちらも名乗り頭を下げる。

雅楽代(うたしろ)雪哉(ゆきちか)の紹介で参りました、雅楽代蓮水です」

「ああ、雪哉さんから話は聞いているよ」

 顔を上げると穏やかな笑みに、一層柔らかなものが混ざる。

八公(はちこう)神社の神主、佐々木(ささき)(まもる)といいます」

 自然な動きで立ち上がり袴に手をかけた白いむくいぬの頭をゆるりと撫でて、佐々木さんは「よろしくね」と微笑んだ。

「お世話になります」

 改めて頭を下げると、頭を犬にそうしたようにするりと撫でられてしまったが、特に嫌な気持ちにはならなかった。

「じゃあ境内を回りながら、日程の相談をしましょうか」

 佐々木さんがそういうと、大人しく彼の傍に座って目を細めていた犬がすくっと立ち上がり、くるりと巻いた尾を揺らして、社務所へと歩いていった。

「しらたまさん、よろしくお願いしますね」

 その背というか尻というかに佐々木さんが声をかけると、くるりと巻いた尾が左右に揺れた。

「しらたまさんって言うんですか」

「そう、彼の名前はしらたまさん。君の先輩だからね、優しくしてあげて」

 そう人差し指を立てて穏やかに笑った佐々木さんに、なんと答えていいものかわからず、のほほんとした様子に揶揄われたのだと気づいて、苦笑いを返した。

「とは言っても、ここは本殿と社務所くらいしかない小さな神社だから、すぐに回れてしまうのだけれどね」

 佐々木さんのいう通り、相談などする間もないほどすぐに回れてしまった。

 この八公神社は、過去化け物退治に駆り出され、居なくなってしまった主人を待ち続け、数多の化け物たちからその家と、周囲の人々を守ったとされる1匹の犬を祀ったとされる。忠義と守護の犬神を祀るということで、家内安全を祈願する人や厄落としに訪れる人が多いという。

 本殿の傍にある小さな木造の社務所の中に入ると、整理整頓された机とお守りなどを収める箱が積まれた棚に、参拝者にお守りなどを授与する場所の端には、和紙と硯が置かれていた。

「ここには巫女の方が居ないので、授与や祈祷受付なんかは僕か、たまにお手伝いで来てもらっている地元の方が行っています。蓮水くんが奉仕に来てくれるようになれば、お願いしますのでまた追々説明していくね」

 汲み出しにお茶を注ぎながら、佐々木さんが説明をしてくれる。何か手伝える事はないかと聞いたら、今日はまだいいと言われてしまい、大人しく座っているのだがなんとなく落ち着かない。

「あの、佐々木さん」

「護でいいよ、どうしたの?」

 首を傾ける佐々木さん、改め護さんから視線をそらして見てほしい方を見ると、俺の視線の方向をみてころころと笑った。

「ああ、しらたまさんが気になるかい?」

 社務所の中で腹を上にして眠る、全く野生の失われたしらたまさんの姿がそこにはあった。

「数年前から姿を見るようになって、今も飼い主さんも探しては居るのだけれど……。なんで、飼い主さんが見つかるまでの間でも、この神社に居てもらってるんだ」

「そう、なんですか」

 困ったような声色で、全く困っていなさそうな笑顔でそう言うのに、曖昧に頷くことしか出来なかった。いつの間にか起き上がったしらたまさんが、こちらをじっと見つめてくるのに目が合ってしまった。

 困ったような三角形の眼で見つめてくるこのむく犬に、何か違和感を感じるのだが、じっと見つめてその正体がわかるはずもなく、俺は諦めて視線を逸らした。視界の端で、しらたまさんが大きなあくびをしているのが、見えた気がした。



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