4:凶刃は月下に舞う
「はぁ……」
エルフェリアをベッドに寝かせた後、隣の椅子に深く腰掛け、溜息をついた。
シングルベッドの狭苦しい部屋。色褪せた壁紙に、年代物の机と椅子。
窓からの景色は、この部屋からの景色だと考えてもまぁ一応良い。街灯が照らす光が数多く灯る夜景は、まるで地上に堕ちた星々のよう。近場が戦場となっていたことにより、閑散とした様子のこの街は、何故か落ち着くものだった。
此処は鉱山街ファルツァー。
鉱夫や職人、凄腕鑑定士、はたまた稀代の錬金術師まで。鉱石関係の仕事を受け持つ者たちが集う、帝国一の鉱山街。
しかし、今はその雰囲気には陰りが差し、外を出歩く住人の数も、街の規模と比べたら驚く程少ない。今が夜だという事を考えても、少し異常な程静かな街並み。
「これも戦争のせいか……」
独り言が盛れる。
無理もない。
つい先日まで、数キロ東が最前線になっていたのだ。資格を持つ特殊な技術者などを除き、この鉱山街が立ち入り禁止となっていたのも数日前までだ。
逆に言えば、今この街に戻って来ている者たちは、中々酔狂な者が多いということだが。
隣に借りた自分の部屋に戻ろうと、俺は席を立とうとする。
ふと、その瞬間。
「─────っ」
ベッドの上で、すやすやと眠っていたエルフェリアの表情が少し強ばる。
悪夢でも見てるんじゃないだろうな。
もしそうだとしても、安眠効果を持つような便利な魔術など、俺は使えない。
放っておいて部屋に戻るのも忍びないな。
もう少し様子を見てから戻ろう。
時刻は深夜3時半。
草木は眠り、空に浮かぶ弧状の月が辺りを鈍く照らす。
この安宿を借りエルフェリアを寝かしつけてから、もう随分と時間が経った。
ふと、首に何かが突き刺さるような鋭い感覚。
椅子に座りながら微睡みに落ちかけていた俺の意識が、徐々に浮上する。先程とは異なる、凍るような嫌な雰囲気で、急激に体温が落ちたような錯覚すら覚える。
仕事上度々感じる、肌を刺すような嫌な予感。
腰元の刀の柄に手をかけ、辺りの空気を探る。
刹那。
視界の右側が、少し光った気がした。
キィンッ!
刃物と刃物を強くぶつけたような、高い金属音。
ような、では無い。
文字通り刃物と刃物がぶつかり合ったからだ。
居合の要領で振り抜いた刀。振り下ろされる何かを食い止めた手応え。俺はそのままの姿勢で硬直する。
俺が降り抜いた刀の先には、刃渡り15センチ程の鈍色に光る鋭いナイフ。
その切っ先が狙った先は───眠りに落ちているエルフェリアの首元。
「へぇ…私の気配に気づいていたのですか。 ルーン=ベルセルクは、宮廷魔術師であると言うのに、魔術の才に乏しいと聞いていましたが」
「誰だ、お前は……ッ!」
逆手で握ったナイフをエルフェリアに向けてるのは、異様な風貌の人間だった。
身長190センチに及ぶような長身。その痩躯を包むのは、くたびれた黒色のダークコート。頭には白色の道化の仮面を被っており、その表情を掴ませることは無い。
ゆらり、と仮面の男は身体を揺らし──
「──────────ッ!」
──俺の懐に迫っていた。
銀色の切っ先が、俺の心臓に狙いを定める。
「──死んでください」
囁き声が、聞こえた気がした。
────しかし。
空に浮かぶ三日月と、星明かりが差し込む室内。
薄暗い室内で、仮面の男のナイフがその光を鈍く反射する。
きっと仮面の男は、その下で勝ち誇った表情をしているのだろう。
──────しかし、残念ながらその刃が届くことはない。
何故なら、男の手首から先は、存在しないからだ。
ドチャ。
俺の心臓に届く直前。男の握るナイフが、手首の先ごと地面に落ちた。
「……は?」
男は状況が理解出来ない様子で、一瞬の硬直が生まれる。
──俺はその隙を逃さない。
手首を切り落とし、振り抜いた刃。
返す刀で、首元を真一文字に切り裂く。
「一体俺を誰だと思っている?」
その言葉を男が聞き取れたかは定かでない。
次の瞬間、喉元から鮮血を散らし、男は倒れ伏した。
外から動揺の雰囲気を感じる。
遠見の魔術か。
背中に視線を感じ、そう結論付ける。
「……10、11、12……。 気配からしてあと12人か」
俺の視線を受け、外の連中が激しい動揺を見せる。
引こうにも引けない雰囲気。この感じは、誰かの命令か。
刀身に付着した血液を払うようにして、再び鞘に刀を戻す。
この男は、暗闇から突然出現したように感じた。大方、高度の気配遮断能力の持ち主だったのだろう。帝国軍に所属していたなら、そこそこの地位も狙えただろうに。
外の連中も、雰囲気からして、全員魔術戦専門の好戦的な魔術師たちだ。動揺を抑えたら、全員で一気に決めに来るだろう。
俺はひとまず、エルフェリアの安全を確保しなければならない。
毛布を捲り、背中と足を抱えて持ち上げる。
髪と同じ銀色に縁取られたまつ毛。すやすやと眠るその様子は、倒れる前の狂乱具合とは似ても似つかない。
部屋の扉を蹴り開けて、廊下に出る。そのまま隣の俺の部屋へ。
全く同じ間取りの薄汚い部屋。
まるで王女様には似つかないな。
この部屋を借りる際、意識があったのなら文句を言われてそうだ。
外の連中は困惑しているようで、まだ誰も手を出して来ない。
俺はゆっくりエルフェリアをベッドに下ろし、毛布をかける。
自分の命を狙った殺人鬼の死体が置かれた部屋に、彼女を寝かせる訳にはいかないからな。
彼女は典型的な善人だ。
自分の命を狙った者とはいえ、その命を奪ったと知れば悲しんでしまうだろう。きっと表面上は高潔に取り繕い、夜、枕に涙を流すような様子で。
俺は彼女の澄み切った心を汚すものを許さない。
出会ったばかり、まだ何も知らないのに、お前に何が分かる。
そう、俺の中にいる人格は告げている。こんな奴の為に、お膳立てなどするべきでは無いと。
しかし、俺は彼女の優しさを守りたい。
今の俺が捨ててしまった、その優しさを。
窓を閉じ、レースのカーテンを閉める。
そして、ドアノブに手をかけ、扉を開き部屋を出た。
──今の俺は。
九人を救う為に、一人を切り捨てる。
自分は本当に守りたい者を守れなかった。だから、多数の為に、少数を切り捨てるのも厭わない。
俺の出してしまった結論。
下してしまった審判。
部屋を出た瞬間、焦熱の豪炎が俺を襲う。
まだ俺のように成っていない彼女。
まだ何も失わず、自分の正義の為に動ける彼女。
何時かは俺と同じように成ってしまうかもしれない。
歪んだ感情で、自らだけでなく他人をも傷つけるかもしれない。
まだ何者でもない無垢の聖女。
感情を優先するという行動から、合理を優先する魔術師らしからぬ少女。
俺が憧れた、御伽噺の英雄の道を歩む王女。
居合で炎熱を斬り裂き、腕を振るい焦熱を振り払う。
──これはほんの不躾な俺の感情だ。
壁を蹴り、天井を駆け、先程の男と同じ仮面をした刺客の首に刃を振るう。
──この任務を通して、彼女の行く末を見てみたい。
廊下の窓を破り、投入されたナニカ。ナニカは床に衝突し、内部の火薬を炸裂させる。手のひら大の爆弾だ。
──俺にはとある目的がある。
爆煙を左腕で払い、爆煙の中を無傷で抜ける。そしてこちらを狙う、刺客の一人に狙いを定める。助走をつけ駆け出し、窓を勢い良く蹴り破る。
ここから見える刺客たちは、全員道化の仮面をつけていた。まるで月下の仮面パーティーだ。
ここは4階。何もせずに落下したら只では済まない。
空中という隙だらけの場へ飛び出た俺を逃す刺客達ではない。俺の姿を見るや否や、四方八方から魔力の奔流が襲う。
燃え盛る豪炎に、凍てつく氷槍、天駆ける閃光の稲妻に、真空を切り裂く魔力の刃。
それらが直撃する寸前、俺は刀を持たない左腕を天へ大きく振るう。刹那、空中から自由落下する筈だった俺の身体が、何かに勢い良く押し出されたように不自然に宙を駆ける。
全二回の後方空中回転。向い家屋の屋根に飛び乗った俺は、その勢いを殺さず、刀を抜き放つ。
──俺の目的の為には、今の帝国を形作るありとあらゆる存在と敵対しなければならない。
常人の身体強化などでは成しえない、神速の起動。そのまま壁を蹴り、一人、二人と其の首に刃を振るう。
切り離された頭部と共に、白色の仮面と赤黒い鮮血が宙を舞う。
──彼女の行く末を見たい、そんな気持ちの中にある打算がある事を、俺は自覚している。
屋根の縁を蹴り、夜の街を駆ける。
認識出来ない程の勢いで空へと飛び出した俺の身体は、再び空中で特殊な軌道を描き、先で魔術を放つターゲットへと向かわせる。
首を逸らすと、雷閃は前髪を掠め、通り過ぎていく。一発直撃するだけで致死の魔弾。
魔力光が瞬き、幾重もの魔術の多重層が俺を襲う。俺は再び奇妙な空中軌道を起こし、その全てを危なげなく回避する。
──だが、それでいい。
──俺は変わらなくていい。
九人目の刺客を血の海に沈め、再び他の刺客へと狙いを定める。
「……こ、このバケモノがッ!」
街灯を蹴り、抜刀で切り裂く直前、仮面男のそんな声が耳に刺さった。
残りの二人はもう戦意を喪失しているようだ。魔術による自己強化を用い、全力で逃走に費やしている。
しかしそれを逃す俺では無い。
──彼女は俺を護衛として利用し、俺は彼女の身分を利用する。
地を駆け、風の加護を受け、再び神速の抜刀を用いる。
一瞬、鯉口から放たれた、仄暗い魔力。
次の瞬間には、刺客の頭部は身体から離れ、鮮血が尾を引く。
──利用し、利用される関係。そんなものが一番気楽でいいだろう?
俺は俺に言い聞かせながら、最後の刺客目掛けて方向転換をする。
ここから反対側に逃げたらしい。この辺りには気配を感じないが、大気の流れがそう告げている。
再び異様な空中軌道を描き、屋根に飛び乗り、駆け出す。
夜の闇に、真紅に染まった白銀の刀身が仄かに煌めく。
俺の敵は、誰一人逃がさない。
数百メートルを数秒で駆け抜け、走り逃げざるターゲットの後ろ姿が眼下に映る。
空を蹴るように軌道を変え、迫り、迫り、振り抜く。
腕にかかる骨を断つ鈍い感触。
同じく仮面の刺客は、その頭部を月下に散らす。
十数名の命を奪い、幽鬼のように夜闇に佇む俺の姿。
ふと、感じた。
『殺人』という行為に対し、もう何も感じなくなった筈の心。
命を狙う目の前の『敵』を排除する。只それだけの行為。
それなのに。
それなのに、何故俺の口角は上がっているのだろう──。