3:其れは遥か彼方を見据える瞳
疎らに生える木々の下、雑木林を歩くこと数分。
元々は採れた鉱物を運んでいた道だったのだろう。整備された石畳は、丈夫な足場を形作る為、足を疲れさせない。
列車を降りた後に乗った馬車が通った道もここを見習え。
俺は歩道の左側に備え付けられた、線路に目を向ける。
この線路は今は使われていない。使われていないと言うには其れの整備状況は綺麗で、長い線路を見ても錆一つない。
それもそのはず。この線路は、一週間前はまだ使われていたからだ。
この線路は、ファルツァー鉱山麓の駅と、その西2、3キロにある鉱山街ファルツァーを繋ぐレールだった。
俺たちが向かう先、ファルツァー鉱山麓の駅は。もう現在の地図の上には存在しない。先の″消滅″現象の予測中心地点だったからだ。
先程から無言で歩いていた俺たち二人。
「────あ」
エルフェリアの声が、静寂の場を崩した。
「……見えてきたな」
少し先で、雑木林は終わりを告げている。林の木々の間から、空を染める西日が見えてくる。
俺たちの前方数十メートル。そこから先に存在しないのは、雑木林の木々だけではない。
俺たちの歩む、石畳の道路も。隣を走る、蒸気機関車のレールも。いや、視界に見えるはずの、俺たちが歩んでいる大地も。
視界が拓けてくる。徐々に終わりを迎える雑木林の中の道。
「……これが」
「──────」
俺の隣で、エルフェリアが息を呑む。
俺は一度この光景を見ていたので、彼女よりは驚きは少なかった。しかし、やはりこれには圧倒される。
何度見ても、この光景には慣れないな。
俺たちの目の前に有った光景は、大地を森ごと削り取ったようなクレーター。俺たちの居る場所からほんの僅かに先から、半球状に大地が陥没している。
クレーターの直径は恐ろしく長い。この場から、クレーターの反対部分までの直径は、調査によると丁度1キロメートル。半球状に削られた大地の、深度は最大500メートル。
魔術が一般化しているこの世界でも、恐ろしく非現実的な光景。
──此処は地図上から消えた戦場跡。
「これが……″消滅″現象……」
エルフェリアは呼吸を忘れたような蒼白の表情で、削り取られ失われた大地を見つめる。
「この現象は、どうもこの先に『存在していた』鉄道駅を中心に起きていたらしい。 丁度ここから500メートル先には、帝国軍物資運搬用の汽車が出入りしていた」
「この先に……駅が有った……?」
その情報と、今のこの光景を結びつけるのは難しい。
なにせ、大地が存在しないから。
「……エルフェリア」
「──────────、」
俺の呼び掛けに、平静を取り繕うようにして応える。エルフェリアは深く息を吸い、吐き出す。
「……えぇ、分かってるわ」
「…………よし、行くぞ」
それから数分。
俺たちは半球状のクレーターを降り、消失跡の中心部真下に当たる位置──鉄道駅直下500メートルの場に来ていた。
「本当に生きた心地がしなかったわ……」
エルフェリアは顔色を悪くし、四つん這いになって息を整えていた。
手に持っていた彼女用の大きめのトランクは、今は俺の左手にある。今の俺の姿は右手左手のトランク二刀流に、腰に下げた刀。
客観的に見てもただの不審者だ。
さっさと起き上がれよ、俺に荷物持たせるな。
ちなみにエルフェリアがこんな状態になっている理由。
「まぁ普通に考えて、500メートルの深さがあるこのクレーターを降るのは、そこそこの度胸が必要だよな」
それは深さ500メートルのこの大穴を降りたという状況から。
「……ルーン、貴方ね……、アレは『降る』なんて言う生ぬるい表現で表していい行動じゃないわ……」
「うるさいな、お前はただ俺に掴まってただけだろ」
「貴方ね……普通に考えて、クレーターを降りるのに『飛び降りる』なんて誰が考えるのよ……。 普通端に掴まってゆっくり降りるでしょう……?」
いいだろ、そうしたお陰で500メートル降りるのに数十秒しかかからなかったんだから。
「貴方は自称常識人気取ってるけどかなり頭がおかしいわ、断言出来る」
「……失礼な」
エルフェリアの愚痴を聞きながらまた数分。
三半規管が落ち着いたのか、エルフェリアはもう立てるようになっていた。
「おい、そろそろ自分の荷物くらい持てよ」
「ちょっと遠慮するわ、誰かさんのせいで気分が悪くなっていたから」
どうやら俺に荷物を持たせたままでいるつもりらしい。
「……ところで、もうやるのか?」
「貴方だって早く帰りたいでしょう、こんな場所からは」
そう言ってエルフェリアは上を見上げる。
上にぽっかりと空いている円状の縁。俺たちが降りてきた直径1キロメートルの穴は、ここからはとても小さく見える。
天球の空は、夕日が沈み始め、辺りは少しづつ暗くなり始めていた。
「よし、じゃあ始めるわね」
深く深呼吸をして、エルフェリアは瞼を閉じる。空色の瞳は瞼で隠され、その感情を映さない。
そのままゆっくりと右手を持ち上げ、閉じた右眼に宛て、その表情をも隠す。
少しづつ、神焔の如く高まるエルフェリアの精素。それに共鳴するように、溢れ踊りだす周囲の魔素。
溢れ出る王族の魔力に触れ、俺の五感はいつもに増して敏感になり始める。俺の精素が反応しているのだ。
「″其れは遥か彼方を見据える瞳、万物を見下ろす星の如し″」
エルフェリアの右眼を中心に、魔力が乱舞する。
そして──
エルフェリアが右眼に添えていた手を外し、ゆっくりと下ろす。悠久の時が過ぎたかも思えた一瞬の後、ゆっくりと両瞳を開く。
左眼は何時もと同じ、空を鏡写しにしたような蒼穹の瞳。
右眼は──、万物を焼き尽くす神焔のような、緋色の瞳。
術式効果をもつ特殊な瞳の事を、この世界では″魔眼″と呼ぶ。
先天的なものから、後天的なもの。開眼の条件はほぼ不明。鍛錬により開眼するものもあれば、感情に応じて開眼するものもある。
ただ一つ分かることは、″魔眼″は何か特別なものを「視る」力を持つ。
エルフェリアの持つ魔眼。
其れは時を越えて、過去を視ることが出来る。
言うなれば、″過去視の魔眼″。
「私は、この魔眼で『この地に起きた現象の原因』を″視る″」
緋色の右眼を見開き、直上──″消滅″現象が起きた中心部、鉄道駅に視線を向けた。
刹那の硬直。
「──エルフェリアッ!?」
倒れ込むように、エルフェリアが膝をついた。
俺はその身体を支え、その表情をみる。
苦渋、しかし彼女の信念はまだ折れていない。
「あああああぁあああああぁああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁッ───!!!!」
体温が一気に上昇し、身体がふらつき始めた。
振り絞るように叫びながらも、一心に何かを『視ている』。
永遠にも思えた一刹那。
エルフェリアは意識を失い、倒れ込んだ。