プロローグ:上
透明な硝子窓の向こう側は遥かなる蒼穹。窓から見える翠緑の山岳と橙屋根の家々は、コマ送りのように後ろへ過ぎ去っていく。
白い煙と轟音をたなびかせ走る巨大な鉄の塊。定められたレール上を走る鉄の機械──蒸気機関車だ。
全七両で編成された汽車。その第四両目にその少女は乗っていた。
光を吸い込むように美しい白銀の長髪。同色の長いまつ毛で彩られたその瞳は、大空のようなアクアマリンの碧眼。歳の頃は16、7くらいだろうか、白を基調とした薄めの上着は、細いその身体を包み込んでいる。どこか制服めいた服だが、不思議とこの汽車と調和されていた。
彼女の座る席の近くには、誰も近寄る気配はない。
否、近寄り難いと思われていると言った方が近い表現だ。車両内を疎らに埋める人々は、彼女に興味はあっても近づく事はない。
そんな彼らの視線を気にすることなく、少女は窓の外を眺める。
貴族の令嬢のようにも見える少女だが、その近くには従者や護衛のような者の姿は見えなかった。
長距離移動用とも言われるこの汽車に乗る少女だが、持ち物は少ない。片手で簡単に運べるようなバックと、大事そうに抱える厚めの書類。それだけが彼女の持ち物だ。
手に持つ書類はもう読み終えたのか、車窓から見える景色を見るばかり。その表情は、どこか物憂げな様子だった。
「……あと数十分もしたら目的地、ね」
少女は懐中時計に目を落としながら、頭の中の到着予定時刻と比べ合わせる。
「……本当に前線で……何があったのかしら」
ポツリと零されたその言葉を聴き取れた者は、この場には居なかった。
帝国を縦断する大河エルワーズに架かる大橋、汽車がその上に差し掛かった時。
「──?」
にわかに後方の車両がざわめいた、ような気がした。
それとなく後方に目を向けようとした、その時。
「──────」
轟。
「────────っ!!!」
車内に爆音が鳴り響き、車体が大きく揺さぶられた。
轟、轟、轟。
続けて響く爆音。
その度に汽車は大きく揺れ、車内の人々を振り回す。
「何ッ!?」
後方車両の様子を確認したいが、揺れる車内ではバランスをとるのもままならない。
「──なんだよ、これ!!!」
「わぁぁぁぁあああぁあああああっ!!!」
「お母さんっ! どうしたの!? 何があったの!?」
激しく戸惑う人々、叫ぶ人々、年長者に保護を求める人々。
列車を襲う衝撃に、車内の人々は動揺を露わにする。
「──────っ」
少女も同様だった。
────キィイイッ!!!
安全装置が発動し、車輪は耳障りな高音で鳴きながら車体の勢いを押さえ始める。乗客の背中に強烈な重力を感じさせながら、列車はゆっくりと速度を落とす。
そして──
大河に架かる鉄橋、その中央付近で停止した。
動揺により一瞬起こる、恐ろしいまでの静けさ。
列車に乗っていた、地方貴族風の男が、子連れの妊婦が、余暇を過ごしていた老人が、美しい白銀の少女が、突然の出来事を上手く咀嚼できずにいる。
静寂は一瞬。
車内は混乱に陥った。
「なんだよっ!!! これ!!!!!」
「お母さあああぁあああああああぁああああん!!!!」
「何があったのだっ!! おい貴様ら、誰か説明しろっ!!!!」
恐怖、悲鳴、怒号。
状況を呑めずにいる第四車両。その中のたった一人だけは違った。
「……汽車の整備不良? いや事前にアナウンスも無かったから違う……突然の緊急事態、、まさか先日の事件にも関係が……?」
目を見開き、口元に手を添え、高速思考をする少女。
その姿はまるで乗り合わせた一般市民とは違い──
ドカッ!!!
車両後方で、車両同士を繋ぐ木製の扉が勢いよく蹴り開かれる。
固定具がひしゃげて、繋ぐものが無くなった扉は、存在した場から数席ほど前へと飛ばされていった。
またも訪れた出来事に、車内は再び静寂に染まる。
少女はゆっくりと後方車両の方向へ首を傾ける。
「あーお前ら少し黙れ。 俺の声が聞こえなくなるだろうが」
ドアを蹴り飛ばし現れたのは、三人の男。野太い声を響かせながら、第四車両へと入ってくる。
筋肉隆々とした色黒の中年に、腕に刺青をいれたチンピラ風の男、同じく禿頭のチンピラ男その2。
堂々と入って来た男達は、車両後方で足を止め、辺りを見渡した。
「一体なんなんだ貴様らは!!! 何をしたのか説明しろっ!!」
「お母さあああぁあああああああぁああああんっ!! 怖いよぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
「なんだよお前らっ!! なんなんだよっ!!!」
再び騒ぎ出す車内。
その状況を煩わしく思ったのか、眉をひそめながら、リーダー格の中年男は天に右手をかざす。
そして────
「もう一度言うぞ、お前ら少し黙れ」
ドォンッ!!!
指を弾き、天井を飾る灯りを爆破した。
パラパラと、破壊された灯りの破片が床に落ちる。黒い煙が天井付近の窓から排出されていく。
「────魔、術……」
誰かが呟いた。
「おーやれば出来るじゃねぇかお前ら。ちょっくら俺たちの話を聞いておくれよ」
男はゆっくりと手を下ろし、笑った。
「あー今度騒いだら────殺すからな?」
殺意に目を光らせて。
男の言葉に逆らえる人間はここには居なかった。
男によって強制的に作られた静寂。車両内の全員が恐怖に目を染め、震えながら男の言葉を待った。
全員が察していた。
この男たちがさっきの轟音を響かせて、汽車を停めたのだと。
「数週間前だよ、俺たちがヴェルナー伯爵がファルツァー近辺で商談をすると聞いたのは。 そしてその交通手段がこの汽車だと聞いたのも」
大人しくなった乗客に満足したのか、男たちはゆっくりと歩きだした。乗客一人一人の顔を念入りに確かめながら、話を続ける。
「しかも今回の商談は相手方の機嫌取りの為に護衛も連れないときたもんだ。 金を獲るにはうってつけの奴だと思ったよ」
静かに泣き肩を揺らす子供と、その母親。しっかりと顔を確認して、また隣の席へ。
「ここまで言ったら解っただろ? ヴェルナー伯爵よぉ、俺らお前の命を助ける代わりに大金が欲しいワケ」
地方貴族風の服装をした男の顔をゆっくりと眺め、また次の席へと向かう。どうやら彼ではないらしい。
震える老人の顔を確認し、次の席。
「なぁ~そうだろう? オッサンよぉ」
少女の斜め後ろの席。
もう秋とはいえ、まだ暖かい空気の中、厚い皮のコートと帽子を着こなす初老の男。
初老の男の前で、中年男は足を止めた。
「……一体何が目的だ。 金か? 今の私に手持ちは殆ど無いぞ」
一見普通の町人に見え、とても貴族には見えない初老の男。しかしその瞳は鋭い光が点っている。貴族同士の心理戦にも似たやり取りを繰り返してきた、年季の籠った瞳だった。
彼こそが、帝国貴族ヴェルナー伯爵。
「へぇ、俺らに目を付けられても動揺一つしねぇ…… ヴェルナーのオッサン、お前中々の狸だな」
対して狩人の如く爛々とした瞳で睨みつける中年男。
一触即発の空気が場に流れた。
「はっ! 人質にしようとするお貴族様を殺すワケにはいかねぇからなぁ……ちょっくらこっち来いや」
バキッ!
「────ッ!」
刹那、中年男がヴェルナー伯爵の頬を強く殴った。
衝撃に耐えきれず、通路に倒れ込むヴェルナー伯爵。被っていた山高帽は吹き飛び、白髪混じりのブロンドの短髪が明らかになる。
「まぁ殺さなきゃ何してもいいってことだよなぁ!」
再び拳を振りかぶる中年男。
狂気に瞳を光らせながら拳を振り下ろす中年男。
衝撃に耐えるべく歯を食いしばるヴェルナー伯爵。
声を押し殺し泣く子供と、その子を強く抱きとめる母親。
車内に乗り合わせた老人は目を見開きながらも何もできない。
部下の二人はニヤニヤと笑いながらその光景を眺めている。
そんな中。
「──やめなさい」
車内に凛と響く銀嶺の声。
銀髪の少女がゆっくりと立ち上がり、発した言葉だった。
中年男の拳はヴェルナー伯爵を打ち抜く寸前で止まっていた。
誰もが困惑に包まれる中、少女は一人男たちの近くまで歩み寄り、告げる。
「貴方たちが欲しいのは身代金なのでしょう? それならば乱暴はやめなさい。 死にかけている伯爵だと、軍が切り捨てる可能性があると考える事は無いの?」
「………………は? 」
男は身を起こし、少女の方に向かい合う。
「おいおいおいおい、何処かで見た顔だと思ったら」
中年男はオーバーなリアクションをしながら、頭を抱えて笑う。
少女に怖気付く様子はない。
「伯爵様にお会いしようと参上したらまさかまさかのお方が乗り合わせているとは! はぁ本当に笑いが止まらねぇよ!」
心底可笑しそうに笑う中年男。倒れ付しながらも、そんな少女の顔を見たヴェルナー伯爵は驚愕に打ち震えた。
「なぁ──────エルフェリア王女様よぉ!!!」
車窓から吹き込む風が腰まである長い銀髪を揺らす。
何も言わないその表情は肯定と同じだった。
「──私が行方不明となったら確実に軍部、それも“宮廷付’が動くわ。 そんな事態になったら貴方たちは逃げられないでしょう。 幸い、私がこの列車に乗っていると知っている者は殆ど居ない。 今のうちに撤退すべきではないかしら?」
「ほう……俺たちと交渉しようってんのか。 王女様、アンタ自分が人質だってこと忘れてないのか?」
「今、貴方たちがとるべき最善の選択肢は、ここから撤退することよ。 今ならまだ逃走成功する確率もあるでしょうからね」
絡み合う視線。
中年男の黒目を少女──エルフェリアの碧眼が強く見据える。
「はっ!俺たちがそんな脅しに屈すると思ったのか? 捕まるリスクなんぞ織り込み済み、伊達に盗賊やってねぇよ」
中年男の強い発言。諦める気は無いらしい。
「では私を人質にすればいいわ。 その代わりヴェルナー伯爵を解放しなさい」
「正義感が強いお姫様だな。 そんな事する筈がないだろう? おい、お前ら、こいつらを後方車両に連れて行け。 傷一つ付けてくれるなよ、彼女が噂の通りの王女様なら、それだけで人質としての価値が無くなるかもしれん」
中年男の言葉を聞き、二人の部下はエルフェリアの両手首に、白銀の手錠を嵌める。そしてヴェルナー伯爵を叩き起し、同じく手錠を嵌めた。
(……魔術式の封印をする印が彫られた手錠……どうしてテロリストなんかがこんなものを……)
手錠を掴み、部下たちは後方の車両へと歩き出す。
「酷い……」
自然と言葉が漏れた。
男たちは三人で全員では無いらしい。 後方の車両は他の仲間によって制圧され、一般市民は手を縄で繋がれ、猿轡を口に嵌められていた。
車両は全部で七両編成。
その中の最後尾、七列目へと連れられたエルフェリアとヴェルナー伯爵は、その中へと放り込まれた。
「痛っ!」
倒れ込むエルフェリアとヴェルナー伯爵。その姿を見て満足したのか、男二人は元の車両へと戻った。魔術を封印されてしまったら少女と老人ではどうにもならないとの判断らしい。
第七車両。元々物置だったのか、客席は無く殺風景な様子。置かれていた筈の避難具もテロリストらによって棄てられたらしく、本当に何も無い車両。
いや、何も無い訳ではない。
最終車両の最後尾付近。
そこには一人の少年が手錠をされ佇んでいた。
奇妙な少年だった。歳はエルフェリアと同じくらい。帝国では珍しい鴉のような黒髪に、漆黒の瞳。黒のベストの上に灰色のハーフコートを羽織る少年。町人とも貴族とも軍人とも取れない服装。
何よりテロリストに捕まったというこの状況下でも、一切動揺していない。その平常心の姿が、逆に不気味だった。
「……貴方は?」
何もする事が無いので、エルフェリアは黒髪の少年に話しかけてみる。捕まっているということは彼も貴族の人質なのだろうか。
「あー、俺はルーン。 親の形見の剣を持っていたら危険人物と勘違いされたみたいでここに連れてこられたんだ。 君らは?」
「私とこのおじいさんは……人質。 身代金調達目的の」
自分とヴェルナー伯爵の身分は上手くぼかす。16、7の少年なら貴族についてよく知らないだろうとの判断からだ。
万が一のためにも自分たちの身分は知られない方がいい。
「……出会い頭でなんなんだが、一つ提案がある」
「提案……?」
少年──ルーンの漆黒の瞳がエルフェリアの眼を射抜く。
「──奴らを殺さないか?」
こんにちは、米田です。
この度は拙作にお目通し頂きありがとうございます。
気に入って頂けたら、評価、ブックマークの方もよろしくお願いいたします。感想などお聞かせください、確実に私のモチベーション維持に繋がります。
さて。
出来る限りに毎日投稿頑張るつもりです、是非次の話も読んでいただけると嬉しいです。
ツンデレって……いいよね!
では。