第九話~もう一人の転入生
入江孤児院――元は軍のオペレーターだった入江早紀が、身寄りのない子供たちを集めたのが始まりだ。常に10人前後の子供たちを抱える早紀は、膨大となる食費や学費の為に【こどもたちのパン】の他にもハイスクールで臨時講師を勤める事もあった。その柔らかい物腰と的確な指導から、男女問わず慕われる程だ。孤児院出身の生徒が一定数いる中、ハイスクール内で由貴以上に知名度が高くなるに至る(由貴の入学以前より臨時講師を勤めていたのだから当然と言える)。
その孤児院で、今何が起きているのか――
「せんせぇ……こわいよぉ……」
「大丈夫よ。ここにいれば大丈夫」
「ほんと? こわいひとたち、こっちこない?」
「ええ、このシェルターまでは入って来れないわ」
わずか六歳の双子の姉妹、ナナとハルが早紀に抱きつく。早紀はその震える小さな体を力いっぱい抱きしめた。普段はいたずら好きの双子だが、過去の体験からか今回ばかりは早紀から離れようとしない。
それもそのはず。今孤児院には、正体不明の兵士十数人が現れていた。少なくとも、“エンバット”の防衛軍や帝国軍の兵士ではない。
そもそも郊外に位置する孤児院は、独自のシェルターを完備しているのもあってナウロティア軍による襲撃時、無理に動かずその場に留まっていた。代表である早紀がいるし、手伝いで来ていたハルナと信良もいる。
落ち着くまでじっとしているつもりだった。
だが、兵士が乗り込んできたとなると、話は変わってくる。何が目的かわからない上にシェルターが特定・占拠(もしくは破壊)される恐れがある以上、早急に助けを呼ばねばならない。
「どう? 連絡は取れた?」
早紀が問いかけた先には、地下シェルターの入り口を前に向かい合ってターミナルを操作する二人の学生、ハルナと信良の姿があった。
「とりあえず、会長に連絡しました」
「まだ返事はきてないけど、先輩か誰かが来てくれるはずです」
節電の為に非常灯しかない、薄暗い中でもわかる程の青白い顔で、しかしはきはきと答える二人からは相応の覚悟が窺える。まだ本格的な訓練や講義は受けていないはずだがハイスクールに入学した以上、荒事を避ける事は出来ない。それが二人にもわかっているのだろう。
早紀は、成長し逞しくなってきた二人の姿に誇らしさを感じると共に、一抹の不安も感じていた。
孤児院の手伝いをする生徒は、二人以外にも十人程いる。そのほとんどが孤児院に身を寄せた経験のある子供たちだ。彼らの将来について早紀は、常に迷い、悩み、考え続けている。
早紀が受け持つ講義や元軍のオペレーターという関係から、子供たちを戦う道へと導いているのではないか、と。もっと他の道が、戦う以外の未来があったのではないか、と。
実際、“エンバット”には普通の学校もある。普通に青春を謳歌し、普通にコロニー内外の企業に就職する道もあるはずなのだ。
だが実情は、子供たちの全員が付属高校を選んでいる。義理の娘までがその道を選んだ時は、夫と共に一週間もの時間をかけて説得を試みたものだ。結局娘は折れず、不安を押し殺して入学の手続きをするはめになった。今でもふとした時に心変わりがないか聞く事があるが、逆に論破されるのがオチである。
一応、納得はしている。心からの納得はしていないが。
だがまあ、今考える事ではない。
「そう、良かった」
早紀はシェルター内に設置されたストッカーの扉を見ながら口を開いた。助けが来る事が確定した以上、子どもたちの不安を煽るまいと、努めて明るい声を出した。
「――少しくらいなら、食料も毛布もあるわ。あの人たちの目的は全くわからないけど……ハイスクールの誰かが来てくれるから。それまでなんとかやり過ごせれ、ば……」
「せ、先生……」
子どもたちの顔を一人一人見つめ、言葉をかけていた早紀は、だんだん尻すぼみになっていくのを自覚した。同時に年長女子二人組が声を上げた。
「さ、三人……三人足りないよ……」
「ガイとルイと智也がいない!」
「「ええ!?」」
美波と友加里の言葉に、シェルター内は騒然となった。
「そ、そんな……皆入ったのを確認したはずなのに……」
頭が真っ白になった早紀の代わりに、信良とハルナが子どもたちの人数を素早く数える。
「確かに、あの三人がいない」
「多分あの時だよ。ほら、ナナちゃんとハルちゃんが大っきな音を立てちゃって……」
「ああ、あの隙に抜け出したのか」
二人の会話を聞いて、ナナとハルが顔を上げた。
「わたしたちのせい……?」
「ナナとハルがころんじゃったから……?」
大粒の涙をためて今にも泣き出しそうな二人に、早紀は慌てて否定した。
「いいえ、そんな事ないわ! 皆バタバタしていたし。それに――」
言いながら、だんだん可笑しな気分になってきた早紀は苦笑を浮かべた。
「それがなくても、きっとあの三人は隙を見て抜け出していたでしょう。本当に……困った子たち」
その様子を見た他の子どもたちも、彼らの悪行の数々を思い出したのか、強ばっていた表情が柔らかくなり、若干空気が弛緩した。パニックを起こさなかった事にホッとしつつも、早紀の頭はフル回転していた。
――シェルター内はこれで良い……問題はあの三人。
兵士たちに見つかる前になんとか連れ戻さなければ。恐らくハイスクールの救援が駆けつけるまで、逃げ続ける事は出来ないだろう。だからといってここから動けば、シェルターの場所が特定される可能性もある。それに、子どもたちだけを残していく事は――
「早紀さん」
沈思黙考していた早紀を見かねてか、良信が声をかけてきた。
「今、エマージェンシーコードを発信しました。こちらの危機感は伝わるはずです」
「でも三人の命の危険には変わりないから、私たちが出て保護に向かいます」
「――えっ?」
チラリと向けられた視線の意味を正確にくみ取り、さも当然と言うようなハルナの言葉に、早紀はまたも慌てた。
「ちょっと待って! 相手は、恐らくだけど正規の軍人よ!? あなたたち二人だけで敵う相手では……」
「それなら、なんの訓練も受けていないあの子たちの方がもっと危険です」
いかに危険かを語ろうとした早紀だが、良信に正論で返されてしまう。
「でも……」
「それに、無理に立ち向かわなくてもいいんですよ」
「え?」
言い淀んだ早紀は、続いた言葉に虚を突かれた。
「子どもたちを守るのが最優先です。僕たちは助けが来るまで時間稼ぎをするだけでいいんです。武器もありますし」
良信は言いながら、ハルナがシェルター内の倉庫から持ち出してきたものを掲げて見せた。必要な時に丸腰では守れるものも守れないと用意していた拳銃類だ。唖然とする早紀たちを見て、二人はにっこり笑みを浮かべた。
「真っ正面からぶつかるより、遥かに安全でしょ」
――★☆★――
付属高校学生寮の地下シェルターには、決して大きくないが小さくもないざわめきで満ちていた。
それもそのはず。シェルターの半分程を埋め尽くす生徒たちがひろげたホロモニターの全てに、授業や訓練でしか見た事が無い、“EMERGENCY”の文字が躍っているのだ。
「誰が発信者だろ」
「まさか悪戯?」
「んな訳ないだろ。それならとっくに解除されてるって」
「じゃあ、今以上の緊急事態ってなんなんだよっ」
「知るか! 俺だって聞きたいよっ」
様々な憶測が飛び交い、フレニカは陰鬱とした気分になった。今のこの状況で、何をどう言おうと事態が好転する事はない。彼らとてわかっている筈なのだが、未曾有の事態に言わずにはいられないのだろう。気持ちは理解出来なくもない。フレニカも恐いのだ。どう言い繕っても、恐いものは恐い。
だが、それ以上に陰鬱な空気を纏っているのは隣で蹲る少女だろう。元々重たい空気で満たされていたシェルター内で、そこだけさらに落ち込んでいる。
「ぐすっ……あたし、何でここ選んだんだろ…………ううっ、もうやだぁ……」
ぐすぐすと鼻をならしながら愚痴をこぼすのは、ちょうど一年前にオペレーターコースに転入してきた神木愛子。肩までの黒髪をお下げにした、大人しい性格の少女だ。
その口振りから、よく調べもせずに転入を決めたようだ。どうしてそこまで急ぐ必要があったのか、ちゃんと調べる時間もなかったのか気になるところだが、夢加がその正体を見破ってしまったおかげで詳しく聞かないまでも、だいたい察せられてしまっている。その夢加は、愛子のそばに寄り添って慰めている。
「愛ちゃん、大丈夫だよ。今、防衛軍が動いてるらしいし、何よりうちの軍事科も動いてるって」
「あ~、確か、うちらの世代って逸材が揃ってるとか……」
「そうそう。C組のライトとか、D組の大とかさ。A組の由貴と静哉もスゲーよなぁ」
夢加の言葉に、マリエと真人が同調する。のんきに聞こえる口調はわざとだろう。少しでも不安を取り除こうとする気遣いだ。効果の程はともかく。
ちなみに夢加と真人の二人は幼馴染同士で、実は両想いではないか、とはマリエの弁。
それはさておき。パイロットコースに通う真人は、ライトに次ぐ実力者として注目を浴び始めており、真人と愛子を除く面々が、お前もだろ、という目で見つめた。
ハイスクールでは、機械科を除く7クラスがそれぞれ一個小隊として扱われる。個人の成績には分隊・小隊成績も加味される為、できるだけ戦力が偏らないよう、入試や定期考査の成績によってクラス分けが行われる。既にエース級として頭角を現している生徒(コマンダー、オペレーター、パブリック、サイバーコースは現場対応力が高い生徒)が、最低でも一人は組み込まれるようにする為だ。
先に真人が上げた四人の他にも、A組にメカニックコースの鈴本夏紀、B組には真人本人とエージェントコースの篠崎渚、C組にコマンダーコースのロンドレグ・リルフューズ、D組にはパイロットコースの佐田栄介などがいる。
視線を受けた真人は戸惑った表情を浮かべるが、
「そもそも、転入なんてしなきゃよかったんだ……」
いまだにぐすぐすと鼻をならす愛子の言葉で、なんの慰めにもなっていない事がわかり、ただでさえ重い空気がさらに重くなる――
「「!」」
そのタイミングで、重い空気を払拭するような軽やかな音と共にホロモニターに変化があった。
「これは……」
ありがとうございました
補足
シェルターにはもちろん、学生だけでなく地域の住人たちも避難しています
彼らにはホロモニターは見えていないので、学生たちの騒ぎの理由がわからず、混乱の渦中にいましたが
一部の冷静な生徒が状況を説明し、どうにか宥める事に成功します