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あの事

作者: 京理義高

 足取りが重かった。


 行き付けの飲み屋は目と鼻の先である。座りたいというわけでもない。


「今日は忙しかったですね」


 声を掛けて来たのは後輩の斎藤君だった。彼のさわやかさは、どう訓練しても得られない。


 先輩思いで、頭が下がる。


 私の返答を待つ間もなく、美人二人組みの受付嬢が駆け寄い、合流した。黄色い声援がモノクロの空気を彩る。排気ガスの匂いが仄かな香水に変わった。


 面接の基準は一般教養と美貌である、なんて人事が言っていた。二人も充分招致の上で、自分たちの持ち味を存分に使っている女性達だ。女として生まれてきたことを楽しんでいる。


 雑談しているのは私とは違う人間のようだった。


遅れて到着した部長、課長を交えて、


「それでは、今後の発展を祝いまして」


 乾杯した。


 インテリアデザイン、ベンチャー企業が新たな組織図になった祝い、わたしは主任に昇格した。


 部長、課長は低年齢層に負けじとテンションが高かった。


「おっ!」


 だの、


「よっ!」


 だの、大声を挙げ、場の空気を盛り上げている。


 今はバラバラになってしまったのだが、二年前に一つのプロジェクトを組んだ縁があり、このメンバーで騒ぐ機会が多かった。


 誰一人とっても輝いている存在だなと常日頃思っていて、集まる場ではより際立った。


 いずれは、有名な企業とさせる大きな夢を抱えた精鋭達である。


 それに引き替え、わたしはプログラマ以外なにもできないし、いつ別れても可笑しくない綱渡り状態の妻がいるし、浮ついた話もないし、明るい方でもないし、夢も持っていない。


 面白くなくても、取りあえず笑っているだけの存在だった。


 金の為に働いているというのはこういうことだと思う。


 この道を選んだのは、ブームだったからで、要はまわりに流されたのだ。


 他にやりたいこともないし、加えて不況である。


 夢を追うんだと格好付け、辞めるメリットは何もない。


 パワハラだの、セクハラだの、用語規制だの、嫌われたくないだの、怒らせないだの、発言には随分とナーバスにならざる負えない風潮になってきた。彼らはアルコールが入っても、それらの枠範囲内で最良の言葉を選んでいた。


 否、彼らには当たり前のマナーなので、関係ないのだ。


 余裕さえ感じさせられるし、人に対して蔑まなくとも楽しむ術を知っている。


 悩みで場の空気を壊すぐらいなら、無理して盛りあがろうと出来るのだ。


 場の空気からすると、二次会はカラオケになるようだった。


 朝まで遊び切るパターンである。わたしの年齢以上になると、これが出来る機会は格段に下がってくる。


 故に、あの事、が気になって、まったく酔わないなんてことは絶対告白は出来ない。ドン引きどころか、週明け、まともな会話をしてくれるのかもわからなくなる。


「俺、この会社辞めたいっす」


 そう、ちょうどこんな感じは最悪で、ありえないのだって、


 え??


 確かわたしの耳に聞こえてきたような……


「聞いているんですか?」


 斎藤君は浅黒い真面目な顔で訴えていた。


 わたしにではなく、部長にだ。


 場が、凍りついた。


 どんな仲好サークルにも匹敵するであろう平和な飲み会である。とっさのフォローができるはずもなかった。


 珍妙だったのは、斎藤君の発言が、集まったメンバーの心の泥を流すフラグだったことだ。


「実は、わたしもなんだよ」


「部長もなんですか!」


 と課長が目を見開けば、受付美女二人も賛同してきた。上司の悪口から始まって、さっき以上に盛り上がっているのだ。


 こいつらありえない、


 この会社ヤバい、


 やり切れなくなったわたしは、ウィスキーをボトルオーダーして、ストレートでグイグイ空けていった。


 つうか、マジウケるんだけど、


 楽しくなってきたわたしも真面目ぶるのは止めた。


「皆の話って、聞かれていたらチョー、ヤバいんじゃねえ?!」


 とぼけた顔してエグイんじゃないかYO! YO!


 ふざけて言ってみた。否、自身の仮面を剥いだだけのだった。


 その日は、ずっと清々しかった。


 

 週明け、見事に省かれていた。


 きっちりとした体裁がある会社である。目立たないわたしだけに、表面的にはわかりづらい省きだった。 


 左遷された友人は、右も左もわからない土地で読書好きですと自己紹介し、シュールレアリズム文学マニアであることを溢し、一か月もの間、変人扱いされたらしいが省かれてはいない。むしろ彼の持ち味として定着させていた。


 わたしの場合、あの事、そう、調子にノッて若者ぶったのがいけなかった。


 突発的に襲ってくるピーターパンシンドロームがある。憧れなのかもしれないし、単にモノマネをしたいだけなのかもしれない。先週の飲み会で乗り気じゃなかったのは、あの事がしたくてうずうすしていたからだ。


 すっかり参ってしまったころに、課長がこっそり教えてくれた。


「恐らく、君の言葉に腹を立てているわけじゃないと思うんだ」


 本当に気の毒だったねと付け加える。そこにいるのはいつもの課長、調和を乱すぐらいならわたしを省いていることも見て見ぬふりをしていたので驚いた。


――では、どうしてでしょうか?


「似合わない、からだと思う」


――似合わない。


「四十面の男が若者チックにしていたら、似合わない。受付嬢二人からすれば、キモいらしい」


――これから、どうするべきでしょうか?


「いつもの君に戻るんだ。ゲロゲロ、ナウい、チャンねー、よっこいしょ、てな言葉を使いこなす君にね」

 

 わたしはパソコンオタク歴が長い。コミュニケーションを断った時期、得た言葉の数々を改めて聞くと、顔が熱くなってきた。


――絶対条件でしょうか?


「社長命令だ」


 部長が社長へ報告し、ドロップダウンしたというのだ。受付嬢二人はわたし達のやりとりを見て、何やらしゃべっている。


「わかりました」

 

 

 季節が五度変わった時、私は出世街道を爆進した。頂点に立てば、あの事をやり放題であっても文句は言われない。というか、ベンチャー企業を立ち上げた。


 客と打ち合わせの時も、たまにあの事をした。その後は決まってすっきりした気持ちになる。


「社長、この書類どうしますか?」


 わたしに質問してきたのは息子だった。社員は息子のみ、でも充実していた。


「机の上にでも置いてってくれ」 


 今までにない分厚い書類は、倒産に関する書類であった。


 チョーヤバいんだけど……


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