祝福
2週間後、合格通知が学校に届いた時、町の人はちょっとした興奮状態であった。
人々はビビアンを見つけるとそっと近づいて「おめでとう」と言って去っていく。控えめな祝福なのはレベッカが落ちたせいだ。レベッカの両親が大々的に娘の優秀さを喧伝していたため、町の人はレベッカこそ合格するものだと信じこんでいた。
ただし共同井戸の水汲み女たちはまったく控え目ではなかった。
「あんた、やったんだね。ああ、全く、なんって子だろうね」
「貴族になってもあたしたちのこと忘れないでおくれよ」
「あのね、おばさん。試験に合格しても貴族になるわけじゃないの。あたしみたいな平民は途中で辞めることも多いから、これからが大変なんだよ」
「ビビアン、もっと上品な喋り方しなよ。『あたし』なんて言ってたら、学校、おんだされちまうよ」
がはは、と女たちが笑う。町より、学校より、井戸の周りがビビアンにとっては一番楽しい場所だった。
「あ、ばあちゃん、久しぶりだね。瓶だしてよ、水ならあたし……わたし、が汲むからさ」
久しぶりに会った年老いた女に声をかけたビビアンは、老女の様子が以前と違うことに気がつく。ほとんど開いているように見えない女の目は白濁していた。その目がきらりと光ったかと思うと涙がとめどなく溢れはじめた。
「えらいねえ……、がんばったねえ、りっぱなことだねえ……」
蚊の鳴くような細い声の、絞り出すような祝福の言葉だった。
「ありがとう……ございます」
泣き出したくなるのを堪えながらビビアンは感謝の言葉を述べた。
その日の夜、家でささやかなお祝いをした。招待客はブレットのみ。テーブルにはパン、チーズ、蜂蜜、ハム、それから久しぶりに作った暖かい豆のスープだ。食材はビビアンの母の仕事先から祝いとして貰った物だ。
「奥様がね、これをあんたにって」
母はそう言うと、美しい形の砂糖菓子の入った瓶と蜂蜜壺をビビアンに渡した。
「ええ、お砂糖なんて貰ってもいいの」
「これはよい品だね。ビビアン、寮に持っていくといいよ。友だちにも振る舞いなさい」
ブレットが言った。ビビアンのような地方の出で金もツテもないものは、学園内にある無料の寮に入ることが出来る。衣食住の心配はないのだ。
「友だち……出来るかな……」
「作らないといけない。学園生活は学生同士の助け合いが欠かせないよ。寮には同じ境遇の学生が集まってくる。みんな不安で仕方ないんだよ。私もそうだった。だから、友だちと協力して学園生活を乗り切るんだ」
ブレットの言葉を聞くビビアンの脳裏にはバリーの姿があった。でもこれからの首都での生活にバリーはいないのだ。
「これは私からだ」
ブレットが2冊の本を渡す。
「首都で流行っている詩集だよ。上流階級ならみな暗唱できる。こちらは古語の物語だ。まだ読めないだろうが、いずれ授業で習うだろう。この辺りも君に教えたかったが残念だが時間がない。首都に行くまでの残りの時間で言葉と立ち居振舞いを直すことにしよう」
「『あたし』を『わたし』にするかんじですか? でも、あた……わたしは水汲み女ですよ」
「安心しなさい。私を誰だと思っているんだい? 駄飼いの倅だよ」
ブレットはにやっと笑った。
ささやかな祝いの会が終わり、先生を見送ったあと、ビビアンは母と一緒に片付けをしていた。食器を水を張った桶につけながら、ビビアンはふとこんな風に母と台所仕事をすることがあと何回あるのだろうかと考えた。
(学園に行っても休みになったら帰ってくればいい。本当に? 首都に行くのに3日もかかるのに? 1年帰って来られないの? 1年たって仕事を始めたらどうなるの?)
そんなことをつらつらと考えていると、いつの間にか母が後ろに立ちビビアンの姿をじっと見ているのに気がついた。母は手に持っていた布をビビアンに渡した。
「私にはこれくらいしか用意できないのよ」
それは母の得意な刺繍の入った付け襟だった。
「お母さん、これ。売り物じゃないの?」
「あなたのために作ったの。服はね、あんまり持たせて上げられないからね。これを付けれは少しはマシになるでしょうよ」
「お母さん、あたしっ……」
行きたくない。お母さんと一緒にいたい――ビビアンは頭に浮かんだ言葉を飲み込んだ。
「ありがとう。あたし、うれしい。」
母はそっとビビアンを抱き締めた。