9.彷徨う、黎明
短いので、本日中にもう一話投稿するかもしれません
霞む視界の中、ただ一つだけ夢を見ていた。
「……ぁ」
掠れた喉の奥から出た言葉はもはや意味を為さず、ただの音として夜道に消える。
冷たく、無機質な感触の地面が無情にも体温を奪っていった。それでも、動くことは叶わず、多少の身動ぎで精一杯だ。
「だ、れ……か」
消えかけの街灯が不規則に点滅をするその道は、昼間も日が差さない為か随分と陰気臭い雰囲気を纏っている。そんな道を誰が好き好んで通ろうとするものか。
彼を、日下部 冬稀を助けられる者など、都合よく現れる筈もなかった。
「……」
ついに、冬稀は声を上げるのを止めた。そんな事をしても救われないことを身を持って理解した彼は、ただ自身に迫りくる死を静かに待つ。
それが、唯一残された救いだと本気で思い込んでいた。
(……これで、終わりか)
夢を見ていた。
誰にも平等に与えられるはずの平穏。家族に愛され、信頼できる友と笑い合い、明日を生きる、そんな夢だ。
(――ああ、次に生まれてくるときは)
どうか、幸せになれますように。
そう願いながら、霞む視界がついに閉じられようとしたとき、
『――』
誰かの声と、長い二つの耳が見えた。
▼
「……っ、ふぁ」
何の前触れもなく、ぱちりと目が開く。意識が覚醒する。
それは、冬稀にとってはいつもの事だった。
「夢……」
昔から、自分が死ぬ夢をよく見ていた。バリエーションは様々で、それでも最後は自分がむごたらしく死ぬのは変わりない。
今日は、そんな夢の中でも、取り分け記憶に残っているフィクションではない事実を焼き増しした夢だった。
だからだろうか。布団の中で眠っていたというのに、その体はアスファルトの上に寝かされていたかのように冷たい。細い枯れ木のような手足もあの頃のままだ。
「……おはよう」
胸に手を当て、挨拶をする。それは、最近の冬稀の日課だった。自分の中で今も眠っている相棒に対する言葉。
「今日は、何もないといいね」
返事はない。余程の事がないと言葉を発さないのは知っているが、それでも冬稀は構わず語り掛ける。
「久々に、君と出会った時の夢を見たよ。そんなに月日は経っていない筈なのに、なんか懐かしく感じちゃった」
冬稀は一人、静かに笑った。
出会いは、二か月程前。突然の眩暈と共に倒れた冬稀を救ったのがラピルと呼ばれる不思議な生き物だった。出会った時以来姿を見せずに冬稀の体の中にいるラピル。時々声を掛けてくれるだけなのだが、その跳び跳ねるように元気な話し方は、いつも冬稀の中に強い印象を残す。
「今日も、頑張るから」
日下部 冬稀は魔法少女である。
それが、ラピルと出会ったその瞬間に定められた運命だった。
生物学上は男である。が、それでも一言『転身』と呟けば、その姿は可憐な少女へと変わった。同時に、クライマーと呼ばれる異形を倒す力も授かった。
故に、今日も冬稀は、力があるから魔法少女として戦うのだ。
「……行ってきます」
あくまで形式上の挨拶をして、冬稀は家を出た。まだ辺りは薄暗く、人々の営みの息遣いは聞こえてこない。が、それだけ早く出なければならない理由があった。
このまま日が昇るまで家にいれば、間違いなく何か酷い仕打ちを受けるのである。それを分かっている冬稀は、こうしていつも家族が眠っている時間に家を出るのだ。
(昨日は、母さんも、氷織も静かだったな……)
黒から青へと染まっていく濃淡の空を見ながらぼんやりと思い返した。
昨日は、何の仕打ちも受けていない。だからか、今日は少しだけ寝覚めが良かった気がしていた。
(ずっと静かだといいんだけど)
と、考えてから、それが余りにも非現実的な事だとして冬稀は自嘲気味に笑った。そんな事はありえない。
だって、幼い頃からずっと虐められてきたのだから。
父は、自分が生まれて間もなく事故で死んだといつの日か母に聞かされた記憶が、冬稀の中にはあった。まだ物心がついて間もない頃の話だ。
それから冬稀はずっと、母と、一つ下の妹である氷織と一緒に暮らしている。いや、厳密には暮らすように強制させられていた。
母と氷織は冬稀を酷く嫌っている。なのに、手元においていつも都合のいい道具として扱い、嫌なことがあれば冬稀で憂さ晴らしをするのだ。けれど、それが当たり前となった冬稀には、もはや抵抗する意思はなくただ耐え忍ぶことでどうにか明日へと生きながらえていた。
「……今日は、どうしよう」
学校に向かうには早すぎる時間だ。だから、冬稀はいつも街のどこかで息を潜めて時間の経過を待つのだ。その間、適当に教科書を読んだり、家では出来ない宿題を片付けたりするのである。
(公園、行こう)
今日の目的地は公園。つい先日、冬稀がクライマーを倒した場所でもある。そして、魔法少女として彼と話した場所でも――
「……っ」
そこまで思い出して、冬稀の脚は踵を返す。
「違う場所に、しよう」
言い聞かせるように、そう呟いて冬稀は別の場所を求めて歩き始めた。
陽は、まだ昇りそうにない。
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