2.視線、根暗男子に推測を
夏の暑さが徐々に身に染みてきた今日この頃。エアコンなどという上等なものがない我が校では、例年通り窓を開けることでどうにか夏を越そうとしていた。
しかしこの時期はまだ、頬を撫でる心地の良い風が吹く。
いつであろうと眠気を誘う風は今日も例外なく吹いており、窓際の席の俺はその恩恵を感じることができた。
そうして教師の声と教科書を捲る音を子守歌に眠るのだ。
眠るのだが――
(かれこれ四十分は視線を感じるんだけどー!?)
もはや、痛い。
なんか、背骨にチクチクと痛みすら感じている気がするのだが、もしかして呪いの類をお持ちなのだろうか。俺を凝視しながら机の下でわら人形とか打ってたりしないだろうか。
(実は見てなかったり……)
窓の外を窺うふりをして、そっと横目で見る。
(いやめっちゃ見てるゥ!)
見てた。まごうことなき凝視だった。両親の仇とか、そういうレベルの目力だった。
(えっ、嘘だろ。どうしてこんな。わかんねえ、わかんねぇ! すげえ気になるけど、見れないだろこんなの)
もしかして、今までもこうだったのだろうか。俺が拓に言われるようになって気が付いただけで、実はずっと見ていた、とか。
そこまで考えて、俺はその考えを即座に否定した。
(俺に限ってそれは無い。なら、やっぱり今日から。というか、二時限目の終わりからだ)
俺はある仕事からそういった感覚が人一倍強い。だから、こういった視線が以前からあればすぐに気が付くだろう。まあ、今はその感覚が俺を苦しめているわけだが。
(あと五分……あと五分だ……!)
もう少しで授業が終わる。そうしたら、きっと解放されるだろう。俺は、搔きむしりたくなるようなむず痒さと格闘し、そしてついに授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
(終わった! 解放だ!)
これ程までに、授業の終わりを待ち望んだことは無い。授業が終わり、生徒が各々自由な行動を取り始める。
(あれ?)
取り始めるのだが。
(まだ見てるゥ!?)
試合続行。延長戦。ロスタイム。いろいろな言葉が頭をよぎりそして消えていく。
「嘘だろ……」
俺がどん底に叩き落とされていると、伸びをしながら拓が話しかけてきた。
「どうしたんすか? なんか、顔が絶望してるっすけど」
「うるせえ。こっちはな授業中、ずっと苦しめられてんだよ」
「はぁ、そうっすか。何かよくわかんないっすけど大変っすね。じゃ、僕ちょっと購買行ってく――」
「駄目だァ」
「えっ、ちょ、放してくださいっす! ちょ、おい! 放っ……力強いな!?」
立ち上がろうとした拓の手を無理矢理引き、席に戻す。
「一度、俺の、話を、聞けェ……」
「アッハイ」
「まず、一つ聞きたいんだけど、違和感ないか?」
「いや。特には」
「なんか、感じるとか」
「えっ、そういうスピリチュアルな話っすか、コレ」
「違う! ちょっと耳かせ」
俺は、顔を寄せ周りに聞こえないように話した。
「……なんすか」
「見られてるんだよ。後ろの奴に!」
「見られてる……?」
「そうだよ! 授業中も、ずっとだぞ!」
「ハハハ、自意識過剰乙」
「よし、まずは目な」
目を突こうと放った人差し指を、拓は必死に抑えながら口を開く。
「わかった! わかったっすから!」
「なら相談に乗れ」
「しょうがないっすねぇ。で、視線っすか」
「そう」
「本当に気のせいじゃないんすか?」
拓はあくまで疑う姿勢を崩さない。確認してもらうしかないだろう。
「ならちょっと見てみろ」
「はい」
拓が俺から視線を外し、窺うように後ろを見る。そして、『うわぁ』とでも言いたげな表情を作った。
「バッチリ見てるっす。こっちとは目も合わせず、ずっと雪平だけ見てるっすよ」
「やっぱりかぁ」
日下部 冬稀。名前は聞いたばかりだから覚えている。クラスでの評価は最低で、根暗と称される男のようだ。生憎と、俺はコイツを全く知らない。話したこともないし、意識したこともない。酷い言い方にはなるが、道端の石ころ同然の男だった。
そんな男が、俺にどうしてこんな視線を向けるのか。
「どうしてだと思う?」
「さぁ?」
拓が、心底わからないと首を傾げる。
「何かしたとか」
「いや、特には」
「そうっすかぁ」
「授業が始まってからなんだよ。こっち見てくるようになったのは」
「なら、それまでの雪平の行動に問題があったってことっすね。休憩時間とか」
「は? 俺はお前と魔法少女談義してただけだろ。問題でも何でもない」
俺の言葉に、拓が突然ハッとして考えこみ始める。顎に手をやり唸る姿はさながら探偵のようだ。
「魔法少女談義……」
「なんだ?」
「それが原因の可能性ないっすか?」
「は?」
「例えばっすよ」
そう言って拓は自分の推測を語りだした。
「雪平の近くでクラスメイトが魔法少女の話で盛り上がっていたとするっす。どうしますか?」
「そっと聞き耳を立てる」
俺の言葉が予想通りの物だったのか、拓は満足そうに頷いて続きを話す。
「じゃあ、次っす。その談義の中心が、ラピッドハートだったとしたら?」
「そんなの飛び入り参加だろ……ハッ」
答えが出た。
「それが答えっす」
「成程な」
つまりこうだ。
まず大前提として、日下部 冬稀は魔法少女オタクである。そんな彼の近くでそこそこの声量で魔法少女トークをする痛い男たちが二人。
彼はどう思うだろうか。
「トークに混ざりたかったのか……!」
「そういう事っす」
「でも、それならなんで俺の方を見るんだ? 自分で言うのもなんだが、俺は顔怖いぞ?」
「本当に自分で言う事じゃないっすねソレ。まあ、雪平を見ていた理由は大体予測ができてるっす」
「おお! お前、凄いな! よっ、Bクラスのシャーロックホームズ!」
「へへっ、なんか悪い気はしないっすね……」
拓は存分に照れ、そして一つの真実を口にした。
「日下部 冬稀は……ラピッドハートのファンっす」
「なっ……!」
体に稲妻が落ちるような衝撃が走る。
確かに、そう考えれば辻褄があう。
「彼は根暗と周りに称される人っす。きっと自分から会話にハマることは出来なかったのでしょう」
悲しい事件だったっす、そう言って拓が目を伏せた。
拓の言う通り、悲しい事件だ。目の前にラピッドハート好きがいても話しかけられないなんて。
けど、それなら――
「俺から話しかければ解決だなァ!」
「え」
「ラピッドハートの話が出来るってんなら俺は行くぜ!」
そう言って立ち上がろうとして、
「待ってほしいっす」
「どうしてだ。今も後ろで同志が苦しみ藻掻いてんだぞ!」
「さっきの話はあくまで予測っす。だから、ここは一度確認をとったほうが良いかと。仮に僕の推理が外れていた場合、雪平は一般人にラピッドハートの話を突然振り始めた怖い人っす。しかも、雪平って割とディープな話もするっすからもはや呪詛に近いっす」
「そ、そこまで言うなよ」
ただのオタク談義を呪詛と称され、俺は少し落ち込む。そこまで酷いだろうか。
「だから、そうならないように確認するっす。今から僕とラピッドハートの話をして、わざとアイツに聞かせるんすよ。そうすれば、おのずと答えが見えてくるっす」
「そうか。それでこっちに自分から来る可能性もあるからな!」
ラピッドハートの話もできて、なおかつ確認もできる。とてもスマートな解決方法だ。
「じゃ、手始めにラピッドハートの好きなところを」
わざと後ろにも聞こえるように拓が言う。俺もそれに倣って少し声量を上げる。
「そりゃ色々ある。けどまあ、そうだな……。仕草、とか好きだな」
「仕草っすか」
「そう、アレは五月の十五日のことだ」
「日付も覚えてるとか相変わらずキマってるっすね」
あの日は、その時期には珍しく少し寒い日だった。風も強く、外に出るには不向きな日だ。
そんな中、一人平和のために戦う少女が一人。
それが我らが激カワ大天使魔法少女ラピッドハートだ。彼女は、その日も人々を守り、そして勝利した。
「あの時の華麗なパンチも良かったんだけどなァ、その後の仕草が特に良くてなァ」
倒し終わってその場に立っていたラピッドハートの元に、一つ風が吹いた。思わず身を竦めるような風だ。
そんな季節外れの寒風を受けて、ラピッドハートは表情は変えぬままに、ほんの少し小さく震え、そして、
「いつもよりもより深く、きゅっとマフラーに顔をうずめてててえあああああああああ!」
「あっ、ヤバイ勝手に思い出してオーバーフローしてる! 抑えて、抑えて!」
「でも、その時の姿がめっちゃ可愛くてェ! いっつも小動物っぽくて可愛い所があるのにィ! その日はもう、いつもの可愛さが増して、倍よ! わかるか、拓ゥ!」
「あーはいはい。わかるから落ち着いて欲しいっす」
「お前も実際に見たら冷静じゃいれねえっての!」
「オイ、目的忘れんなよ?」
「アッ、そうだった……悪い」
「分かればいいんす。ほら、用量を守って適度に話してくださいっす……結構、反応してるんで」
俺の耳元で、拓がそう呟く。俺は見ることができないが、どうやら日下部 冬稀は反応を示しているようだ。
「そう言えば、さっき小動物っぽいって言ってたっすけど、僕にはそうは見えないっすね。どこかクールというか冷静沈着というか。淡々と敵を屠る狩人って感じがするっす」
「まあ、実際に見てみないとそうだろうな。喋らねえし。でも、さっき言ったように、ちょっとした仕草に可愛さがでてんのよ。俺にはわかる。アレは小さなチョコクッキーを大事に両手で食べる子だ」
容易に想像できる。
「妄想の解像度が高すぎてキモイっす」
「ありがとう。いずれお前にもわかる。ラピッドハートの可愛さが。愛してるぜ、ラピッドハート」
「急に告白をしないでほしいっすね……。ちょ、何処見てんすか」
「……ハハ。俺もそうだよ。これで相思相愛だね。うん、じゃ行くか」
「妄想の中で付き合ってやがる!? オイ、戻って来い!」
「――ハッ。俺の彼女は?」
「いねえよ馬鹿」
「いないのか、そうか、ウッ。ありもしない喪失感が俺を襲って、キッツ……」
胸を抑えて苦しむ俺の顔を見て、拓がため息をつく。その顔は、手の施しようがない重病患者を目の当たりにした医者と同じだ。
「はぁ、やっぱり僕一人だと抑えるのきついから仲間がほしいっすね……」
「で、その仲間候補は?」
様子を見た拓が、にやりと、意地の悪い笑みを浮かべて此方を見る。
「……顔、真っ赤にして震えてるっす」
「オーケー、あと少し様子を見て特攻だ。もしくは、あっちから耐え切れずに来るか」
そうすればもう仲間だ。ブラザーだ。共に好きな仕草、声、姿、その他もろもろ語り合い、いずれは肩を組んで笑い合うのだ。
こっちにこい、日下部 冬稀。いや……冬稀!
「さてさて、丁度体も温まってきたし、ラピッドハートと付き合ったらやってみたいこと百八選でも言っていくか」
「煩悩と同じ数あるじゃないっすか」
「煩悩じゃない。愛だァ!」
「はいはい、じゃ、言ってってくださーい」
「そうだなぁ。まず、彼女になったら、その、だ、抱きしめたい……かな?」
「ちょっと躊躇いながら言うのガチ感あるっすね」
「ガチだっての。こう、ぎゅっ、として頭を撫でてやりたいんだァ。ラピッドハートの身長との差を考えると、そうだな、この辺かなぁ」
そう言って、俺は胸の辺りに手をやりラピッドハートの頭があるように虚空を撫でる。拓が若干引いているが、気にはしない。これは、来るべき日に向けたデモンストレーションでもある。
「抱きしめて、今日もよく頑張ったなァって、言ってや――」
ガタッ
「ん?」
「あっ、逃げた」
「えっ、嘘ォ!? あと百七つもあるのにィ!?」
後ろを見ればもういない。
勢い良く立ち上がったためか、少し離れた位置にある椅子があるのみだ。
「うーん、あっちから来るのは期待できそうにないっすね」
「だな。でも、アイツがラピッドハートを好きだってのは分かった」
「それは間違いないっす。だって顔真っ赤でぷるっぷるだったっすからね。最後の方はもう涙目っす」
「そうかそうか」
今まで、ラピッドハートの話を出来る人がいなくて辛かったのだろう。共通の趣味を持つ人間がいるっていうのは、それだけで心強いものだ。
「なあ、拓」
「なんすか」
「昼休み、俺はアイツに話しかけようと思う」
「……まあ、そうなるっすね」
拓は、何かを迷ったように一瞬、顔を歪めた。いつもの陽気な姿からは想像も出来ない、酷く陰鬱な顔。しかし、次の瞬間にはそれを振り払うように拓はいつも通りに笑って見せた。
「僕も、覚悟を決めたっす。同志がいるなら、手を差し伸べる。そんな基本も忘れる所だった」
「決まりだな」
「はいっす。新しい仲間なんて、なんかワクワクするっすね!」
「ああ、そうだな!」
これからの楽しい時間を想像して拓と笑う。
かくして、冬稀を仲間として迎え入れることが決まったのだった。
少しでも期待していただけたら評価をください
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