17.平穏、共に笑う
夕日は沈み、空はゆっくりと青黒く染まっていく。
次第に街灯が明かりを灯し始め、辺りはすっかり夜の空気となっていた。
いつもの冬稀であれば、誰にも見つからぬようにと自室の隅で怯える時間帯。しかし、この日は違った。
「体、大丈夫か?」
「……うん」
街の遠い喧騒を背に、雪平が呟く。見下ろされる目に、いつもの様な目つきの悪さは無く優しさを感じられた。
「本当に間に合って良かった」
噛みしめるように、雪平が言った。その言葉の通り、もしも今日の時点で助け出すことが出来なければ、それは間違いなく冬稀という人間の終わりだっただろう。
「ごめん、ね、僕のために」
控えめに、冬稀が言う。雪平は静かに首を振った。
「ごめんなんて、そんな悲しいこと言うなよ」
「……え」
「お前を助けたいから、俺が助けた。それだけでいいだろ。責任とか、罪悪感とか、そんなモンはどっかにやっちまえ」
「……そっか」
「そうだ」
雪平の言葉の一つ一つが、すとんと胸に落ちてはじんわりと心を溶かしていく。気が付けば、冬稀は無意識の内に自分を抱いている雪平のその腕をほんの少しだけ掴んでいた。
「あ……」
その行動を、自覚して思わず冬稀は声を上げる。そして、同時に気が付いた。
「あの、雪平くん」
「どうした?」
「降ろしてもらってもいい……?」
「断る」
「え」
「あんだけボロボロだったんだ。無茶はするな」
(それ、たぶん雪平くんもなんだけど……)
思い出すのは、目の前で腹部を貫かれた雪平の姿だ。
それどういう訳か、こうして自分を運んでいることに未だどこか夢のような心地だった。
「じゃ、じゃあせめて運び方を変えてもらってもいいかな」
妥協案、として冬稀が言った。しかし、それに次いで雪平の口から出たのは拒否だ。
「ダメだ」
「だ、駄目って」
「嫌だったか?」
「それは、違う。けど、少しだけ――恥ずかしい」
言っていて、更に羞恥に駆られたのか冬稀は顔をほんのりと染め、俯く。
冬稀は今、横向きに抱え上げられ雪平の両腕に胴と膝裏を支えられるようにされている。
それはつまるところ、お姫様抱っこのそれだ。
「こ、こういうのって女の子にやるものじゃないの……?」
「大丈夫だ」
「な、何が」
「初めて話した時から思ってたが、冬稀も充分に可愛い!」
善意しか感じない言葉は、どちらかといえば冬稀の発言に対するフォローに近いのだろう。しかし、傍から聞いた限りではそれは口説き文句のそれである。
「……ふえ?」
無論、そんな言葉を聞いてしまったら当然冬稀の頭はオーバーフローを起こす。今まで感情を閉ざしていた分、より脳に深く響く言葉。口をぱくぱくとさせ、何とか言葉を出そうとしていた冬稀だったが、追い打ちを掛けるように雪平が続ける。
「女の子みたいだし、ならこうして抱いてても問題ないだろ……本当に女じゃないよな?」
「僕は男だよっ」
「お、おう。そうだよな。うん、こうして近くで見てると俺の性別認識能力が崩壊するというか。つまり、アレだ……可愛い!」
馬鹿みたいな結論で、雪平がまとめた。それを聞いた冬稀は、また顔を真っ赤にして逸らす。
「まあ、この抱き方にはちゃんと俺なりの意味はあるけどな」
「意味?」
「こうしないと、お前の顔が見えない」
「――ぁ」
声にならない感情が、冬稀の口から漏れだす。
それは実質的な告白ではないかと、冬稀はどうにか返事を返そうとして、
「仲直りがしたいんだ、俺。そのためには、やっぱり顔を見ねえと」
雪平の言葉に、思考が一度停止した。
「な、仲直り。どうして……?」
仲を違えるような事は少なくとも雪平はしていない。全て冬稀から遮り逃げ出した事だ。それなのに、雪平は仲直りをしようとしているらしい。
「俺はたぶん、お前の異変にどこかで気が付いていたんだ」
バツが悪そうに、雪平が言う。
「でも、明日にでも聞けば良いって思って先延ばしにしちまった。そうやって延ばした分は、きっと俺から冬稀への心の距離だ」
「心の距離……」
「そうだ。話すこと無くすれ違った日が、冬稀から遠ざけちまったんだ。だから、取り戻す」
真っすぐに冬稀の目を見つめる雪平。
「俺は、明日じゃなく今この瞬間にお前とまた友達になりたいんだ。そして、また楽しくやっていけたら嬉しい」
(ああ、そうか……)
雪平の言葉を受け何よりも先に、納得があった。やがて、冬稀の中で何かが変化する。
それは、彼の生きる指針とも言えるもの。
(こんなに優しくて真っすぐな人だから、誰かのために戦えるんだ)
つまりは、戦う理由だった。
(僕は、そんな君の力になりたい)
力を持ったからでも、自分が無価値だからでもない。
大事な人に生きていてほしいから戦う。
「じゃあ、また一からだね」
明確に、冬稀という人間が、一つ前に進んだ瞬間だった。
「これからよろしく、雪平くん」
「ああ、よろしくな冬稀」
冬稀と雪平。互いに通じ合って、心の底から笑う。
それは、冬稀がいつか夢見た光景そのものだった。
「それじゃあ、あの、早速友達としていいかな?」
「おう!」
「仲直りしたし、おんぶに変えて貰ってもいい?」
「……嫌だ!」
「えぇ」
ハッキリとした雪平の言葉に、冬稀が困惑する。
「なんか、これ凄いしっくりくるし、このまま運ぶ」
「あ、え、まあ、僕も、まあしっくりきているといえばきているけど……」
「なら、何も問題ねえな、ヨシ!」
「そ、そりゃ雪平くん的には問題ないだろうけど、僕的には――」
「あぁ、それもだ!」
「ふえっ!?」
意識することなく放た言葉の中に、何かを見たのか雪平がそこそこの声で言った。
「その雪平くんっていうの、止めてくれ。あん時みたいに、雪平って呼び捨てでいいから」
「あの時って……どの時?」
「いや、さっきだろ。もしかして、覚えてないのか?」
「あぁ、えっと、確かにあの時名前を呼んだ気が……。でも、必死だったというか、感情的だったというか」
「なら、これからも感情的で頼む。君づけは、なんか力が入らねえ」
「ま、まあ、本人がそう言うなら……」
それからは、なんてことのない会話が続いた。
足音と、二人の他愛もない談笑とが響く穏やかな時間だ。
「ねえ――」
「ん?」
冬稀が不意に、雪平を見つめた。
そして、
「ありがとう、雪平」
「……ああ」
雪平は、どこか気恥ずかし気に笑う。
その顔は、気のせいか少し赤く染まって見えた。
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