15.名を呼ぶは――
一日空けてすみません! 再開します!
冬稀にとってのそれは、悲劇による人生の幕切れではなくあくまでフィナーレの様相を呈している。
原因は、教室に響く姦しさだ。
「ハハッ、これいいね、どう?」
「それよりはぁ、さっきのがぁ好みかな?」
「私もさっきのがいいと思う」
目の前でさも喜劇を見ているように笑い騒ぐ、木原、宮上、伊野橋の三人。彼女らは、自分のスマートフォンをそれぞれ取り出し例外なく冬稀に向けている。
時折聞こえるシャッター音が、冬稀の姿を写真に収めていることを伝えていた。冬稀を中心に、シャッターを切る三人。それだけ聞けば、まるでそこに悪意はないように感じる。
が、そこには確かに悪意が存在した。
ズタズタに引き裂かれた制服、大雨に打たれたように濡れそぼった体。そして、光を一切宿していない目が、なによりの証拠。悪意の証明である。
「……」
それでも冬稀は何も言葉を発さない。
発する気も無ければ、その許可すら得られない。騒ぎ立てる三人の向こう。椅子に座りただジッと見つめる千晶が、それを許さなかった。
「気分はどうかしら?」
冬稀は何も言わず、ただ虚空を見つめる。しかし、千晶はそれがお気に召したようで、
「まあ、聞くまでもないわね」
と、そう言って笑った。
「貴方は、殺すと聞いて私が手を汚すと思ったようだけど、違うわ」
聞いているかもわからない冬稀に向かって、千晶は朗々と語る。
「貴方は確かに死ぬ。でもそれは社会的な死よ」
「……死」
一言だけ冬稀が言葉を発した。それは、まるでこれから来る結末を大事に噛みしめている様に聞こえる。
「今、木原達に撮ってもらっているのは言わば宣材写真。これが、貴方の商品価値を示すの」
その口調は、人に語り掛けるそれではない。淡々とした無機質な声色は、モノへと向けられるものだ。
そんな千晶の様子を見て、木原は調子づき口を開いた。
「いやー、やっぱお金持ちはやることが違うね。このご時世に人身売買なんて、私たちにはそんな事出来ないもん」
木原の言葉に、一瞬眉を顰めた千晶。しかし次の瞬間には、静かに首を横に振った。
「……普通に殺すのなんて、余りにも贅沢だわ。もっと苦しんで、誰かに利用されて、最後には無様に捨てられ果てる。そんな結末しか私は許さない」
それが、私の考える死。と、最後に呟く。その声は、どうにも木原たちの耳には届いていないらしい。が、千晶はソレ対して気にすることもなく、一度手を叩いて木原たちの注目を集めた。
「じゃあ、そろそろ第二段階に移りましょう。ちゃんと中身も見せないと、お客様が商品のことを理解できないでしょう?」
仰々しく、芝居がかった口調で千晶が言う。椅子に座り、脚を組みながらの発言は間違いなく、女王のもの。事実、この場を支配しているのは千晶だった。
千晶の命令に異を唱えるものなどいるはずもない。木原たちのただの虐めであったそれが、千秋院家という後ろ盾を手に入れたことにより、本来は決してあり得ない力を持ったのだ。権力にものをいわせた強引な正当化は、木原たちの箍を呆気なく外して見せたのである。
この場に、まともな善悪の判断が出来る人間などいない。
「……」
それは、されるがままの冬稀もまた同じだ。
(これで、少しは償えるのかな)
それは、自身が望んで架した罪。過剰な自傷作用を持った巡礼でもある。
これから来る凄惨な結末は、あくまで彼の中では当然の報いでしかないのだ。
「大人しくしてろよな」
そう言って木原は冬稀の制服を脱がしていく。いや、それはもはや服と呼べる物ではない。穴だらけであり、引き裂かれたあとが至る所に見られるそれは布切れといったほうがまだ理解できるものだ。
やがて、上着をとり、そしてシャツへと手を掛けようとする木原。
「……ん?」
しかし、今しがた剝ぎ取った服のポケットの中に何かがあるのに気が付き、無造作に手を伸ばした。
「なんだこれ。雪の結晶……?」
木原の手に握られたそれが、窓からの斜陽を受けてオレンジ色の反射を魅せる。六角形であり、それぞれから枝のように規則的な形を伸ばすそれは、どう見ても雪の結晶だ。
そしてそれは、冬稀が無意識の内に雪平から受け取っていたものだ。
「……ぁ」
それは、一種の走馬灯に近かった。
景色が打ち変わる。
夕日を受けて輝く雪の結晶。冬稀の見る鈍色の景色の中で、唯一輝いて見える結晶だ。それを目にした瞬間、今まで頭の中に居座った鈍痛が嘘のようになくなった。代わりに、洪水とも言える勢いで流れ入る、彼との思い出、記憶。
それは決して多くはないし、色鮮やかに描かれるものでもない。それでも冬稀の中の何かを再び駆り立てるには十分すぎるモノだった。
「かえしてっ」
「えっ、何!?」
よろめきながらも立ち上がり木原の握った物へ手を伸ばす。突然の出来事に、木原は何の抵抗もすることなく、呆気ないほどまで簡単に小さなキーホルダーを奪われた。
「っ」
勢い余った冬稀は、その場に足を絡ませて転んでしまう。それでも、手の中にある物だけは落とすまいと必死に両手で握る。少しでも開けば、溶けて消えてしまいそうに思えた。
「……痛ってぇな! オイ、お前急になんだよ!」
一瞬呆気にとられた木原たちだったが、すぐさまそれが自分たちに対する反抗であったと気が付き、口々にわめきたてる。
「今まで従順だったのに、今さらなんだよお前! そんな、物が大事だってのか!?」
キーホルダーを守るように背中を丸め、蹲る冬稀の背中を木原が蹴る。それを見た宮上、伊野橋もまた追従するように口々に罵りながら冬稀を足蹴にした。
「おい、それよこせよ! てめえの前で壊してやるからよ!」
「きゃはは、木原ひっどーい」
「ほらほらっ、はやく渡さないと折角の商品な体が壊れちゃうよ?」
間違いなく、木原たちの虐めの中で最も過剰な暴力。既に体に限界が近い冬稀は、何度も意識を飛ばしながら、それでも大事そうに抱えたまま離そうとしない。
「三人ともどきなさい」
「あ? 今、コイツをボコボコにしてやっ――」
木原が振り向きざま、感情のままにそう叫びそして、
「私の言っていることがわからないのかしら」
「っ……」
その目を見てすぐさま口を噤んだ。冷徹な目が、怒気を孕み煌々と燃えているように見える。
「ねえ、冬稀」
ゆっくりと椅子から立ち上がる動作は、緩慢ながらも品が感じられた。思わず目を離せないそれが美しいからではなく恐ろしいからだと木原が気が付いたのは、少し後になってからだ。
「貴方みたいな人がどうして最後に希望に縋っているのかしら」
纏わりつくような声。優しい語りかけの筈のそれは、本人が生み出す威圧感のせいで歪にこの空間を支配していた。響く声が、まるで汚泥に飲み込まれた後のような息苦しさを冬稀に与える。
「駄目よね。死ぬっていうから協力してあげてるのに、そんな我儘になっちゃ。せめて最後くらいは、人に迷惑をかけずに素直に死になさいな」
一歩、また一歩と近づく。
それは迫りくる死神のようで、木原たちにはもはや事の成り行きを見守ることしかできなかった。
「大丈夫よ、そんな物は捨てても。貴方の人生はここで終わりなの。そんなものを大事にしたって意味はないわ」
「……ぃや」
消え入りそうな声で、冬稀が言う。すると、千晶は大きなため息を付き首を静かに振った。
「駄目ね。全然駄目。やっぱりクズは最後までクズね。いいかしら、貴方はもう幸せになる権利はないし、人として生きる可能性もない」
それを望んだのでしょう? そう問いかけながら一歩、また近づく。
「でも、ぼくは……」
「僕は……何かしら?」
「まだ、いきて、いたい」
「そう」
「雪平くんに、謝りたいんだ」
「そう」
「これを貰ったお礼も、言ってない」
「そう」
「だから……」
「――駄目よ」
見下し、断言する。そんなことは、人ではない物にあたえられた権利ではないと千晶は冷徹に断言した。
「そんなの、私が許さない」
ついに千晶は冬稀の前に立った。
「どれだけ貴方が砂上雪平に対して謝罪をしても、私がその上から罪を塗り被せてあげる。たとえ感謝を伝えても、私が必ずぶち壊してあげる。最後には彼から怨み事の一つでも出るように仕向けて、壊す。貴方がどれだけ必死に縋りついて立ちあがっても、私が壊すし、そのたび挫く」
「……それ、でも」
「はぁ、しつこいというか何というか」
その目には、まるで殺したはずの虫を見るかのような嫌悪感がある。やがて千晶は、諦めたかの様に木原たちに視線を送った。
「適当に殴って、意識奪って頂戴。その後でもう一度、今度は気の迷いなんて起こさないように私が直接教えてあげるから」
「っはは、了解!」
待ってましたと言わんばかりに木原が声を上げる。
ついで、二人も玩具をあたえられたように笑顔を見せた。
「おら、それよこせよ」
「い、やだっ」
「強情だなぁっと」
髪を掴み上げられ、顔を殴られる。
「いいから、とっとと捨てろ」
「絶対に、それだけは、できな、い」
羽交い絞めにされ、何度も殴られる。それでも、手の中にある物だけは絶対に離さなかった。
「まだ、だったんだ」
「うるせぇんだよ」
「僕は、っ」
まだ、何もしていない。
「……雪平」
名前を呼ぶ。色々と伝えたいことがあった。話すべきことだって、話したいことだって、沢山あった。いつかではなく、今伝えたいことが沢山。
だから、
「雪平っ!」
少しでも自分の気持ちが届くようにと冬稀は呼びかける。伝わるようにと、名前を呼んで――
「おう」
声が聞えた気がした。
耳の奥響く声は、一番聞きたい彼のものだ。
「っ!」
ハッとなり顔を上げる。
目の前には扉があった。しかし、開かれた様子はなく誰かが入ってきた様子もない。
自分の勘違いだったのか、そう落胆し、冬稀が絶望に表情を染めようとした時だった。
「――な、なんでアンタがここに」
驚きと、恐怖が混ざり合った声で、木原が言った。冬稀は見上げ、木原の顔を見る。どこか一点を見つめる彼女は、まるでありえないものを見ているかのようだった。
他の二人も同様だ。視線が一点に釘づけられている。ちょうど背後に位置する千晶の表情だけがわからないが、それでも息をのんだ音が聞こえた。
風が吹いている。
まるで涙を拭うかのように頬を撫でる風だ。冬稀は、やがてゆっくりと振り返り、そして、
「雪平」
「ああ、俺だ」
窓枠に足を掛け、こちらを見る雪平の姿を確かに見たのだ。
「っと」
さっと教室に入り込み、雪平は進む。
目指すは一人、冬稀の元へ。
そして、微笑んでこう言った。
「お前を助けに来た」
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